"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

剱岳山行③

2009-09-06 15:30:38 | 

剱岳山行③

 剱岳山頂から立山連峰、遠景に槍ヶ岳・穂高連峰が見える

2009817日(月)(第2日目)

【行程】6:25剱御前小屋発→7:25剱山荘8:008:40一服剱→9:40前剱→11:45カニのタテバイ→12:20剱岳頂上(昼御飯)13:1517:25剱山荘(泊)

 本日はいよいよ剱岳の登頂を目指す。今回の山行は全体として『無理なく、事故無く、楽しんで』を至上としており、バリバリの元気者の次女には物足りないかもしれないけれど、ゆっくりの出発とした。

 剱御前小屋を出発して、剱沢最上部の右岸を辿り、やがて剱山荘に到着。剱山荘で本日の宿泊手続きを済ませ、大きい荷物は小屋に置いてもらいそれぞれ弁当、飲み物、雨具、ヘッドランプ、お菓子類のみを小さなザックに移し変え、いよいよ出発。天候は最高級の快晴。

 最初は一服剱を目指しての登り。早々と鎖場が出てきたり、途中からはガレ場・ザレ場となってくるが、難なく一服剱の頂上に辿り着く。ここで前剱が行く手に聳え立つが、剱岳本峰は前剱の後ろに控え見えない。しばし小休止と写真撮影。振り返れば剱山荘が小さく見える。

 前方は、わずかに雪が残る谷を挟んで東尾根を従えるように前剱が聳える。本峰と見間違うような立派なピークだ。行動再開。鎖場が頻繁に出てきて慎重にアップダウンを繰り返す。

やがて1時間弱で前剱のピークに到着。ピークに出れば、はっきりと雪渓の残る平蔵谷を挟んで雄大な剱岳本峰が、大きな2つのピークを持つ源次郎尾根を右手に従えて聳え立っている。28年振りの感激の再会だ。自分の青春をタイムマシーンに乗ってもう一度確かめることが現実となったようだ。34年前は自分がリーダーで、28年前は山岳会メンバーとして、自分にとって最高の思いをプレゼントしてくれた山だ。

 さて現実に戻る。前剱ピークで「大休止」と写真撮影。『無理なく、事故無く、楽しんで』をもう一度心に刻み込んで、気持ちの準備をしていると、単独行の青年が軽やかに登ってきた。

 「こんにちは。ちょっと座らせてもらっていいですか。」

 「どうぞ、どうぞ。今日はどこから来たの?」

 「みくりが池山荘です。アルバイトをしているのですが、今日は休みなのでちょっと剱岳を登っておこうと思って。」

 聞けば、福井県の大学生でワンダーフォーゲルをしていて、シーズン中みくりが池山荘でアルバイトをしているとのこと。みくりが池山荘から剱岳往復なら『ちょっと剱岳』というレベルで無いと思うが、自分もかってそうだったように、若さというのはこういうものだと、羨ましく思う。

 「お先に失礼します。」

 と言って、彼は再び軽やかに平蔵のコルを目指して降りて行った。

ピークから平蔵のコルを見ると、カニのタテバイで行列ができている。わが一行も出発。前剱のピークから平蔵のコルまでが結構厳しく微妙な鎖場も多く時間を費やした。普通のコースタイムの時間の倍以上かかり平蔵のコルに到着し、小休止。その後いよいよ往路の最後の難所カニのタテバイだ。しかし、ここは確かに場所によっては垂直、あるいはオーバーハング感覚のところもあるが、実際に登るとホールド・スタンスが取りやすいようにルートが付けられ鎖が整備されており、よほど高所に弱くない限りさほど困難ではないように思えた。確か28年前頃は梯子だったように思うので、今のほうがバリエーションはあるかとも思う。

さて、カニのタテバイを超えて、いよいよ剱岳ピークだ。尾根を歩き、早月尾根からの登山道と合流し、しばらく行くと剱岳頂上の祠の裏へと出た。次女は先行していたが、遅れて私と連れ合いは祠を回り込み、ついに剱岳・2999Mの頂上を踏んだ。

                             (続く)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 剱岳山行② | トップ | 剱岳山行④ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事