"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

剱岳山行⑦

2009-09-10 22:53:17 | 

 

剱岳山行⑦

 黒部水平歩道

 2009年8月20日(木)

【行程】6:00出発→6:40水平歩道→7:40折尾谷(休憩)8:00→9:15志合谷→11:30欅平(ゴール)

 

 いよいよ今日が最終日。諸計画のため朝6時出発とする。小屋の朝食が6時30分からなので朝弁当を作ってもらい、早めに食べて予定通り6時に出発。キャンプ場を通り水平歩道まで登りのアルバイト。やがて水平歩道に到り歩き始める。

 水平歩道は黒部第四ダム建設のときに作業用「道路」として黒部渓谷の右岸壁を切り込んで作られた歩道とのこと。場所によっては断崖絶壁に幅1メートル足らずで切り込んでいる。それが本当に水平かと思うほど見事に切り込まれている。人工の道なのだが、今や歴史がこの道を大自然に同化させてくれているかのようにいわば趣きもある。しかし要所要所にフィックスロープや鎖が取り付けられてるとはいえ気は抜けない。下は何百メートルの断崖絶壁。

 水平歩道をしばらく行くと立派な滝が流れ込んでいる折尾谷。阿曾原温泉小屋の佐々木さんが言っておられたが、この沢の水は飲用可能とのことなのでここの滝壷で小休止と水補給。小休止後再び水平歩道を延々と歩く。やがて断崖絶壁が連なってきて、行く手前方右方対岸の黒部渓谷左岸に雄大、絶大な大岩壁が現れてくる。ここが黒部奥鐘山西壁の大岸壁で日本で最も登攀が難しく、レートの高い壁といわれている。誰かクライミングをしていないかなあと探したが、本日は誰もいないようだ。

わが一行は大岩壁をちらちら見ながら、志合谷を過ぎる。この谷は黒部奥鐘山と立ち向かうかのような厳しい谷で、絶壁のトラバース道も無く、水平歩道は長いトンネルとなる。ヘッドランプを点けて川のような流れを歩いてようやくトンネルを出ると、谷を挟んだ対岸には、岸壁を切り抜いた水平歩道がくっきりと幾何学模様の直線のようだ。

 

 黒部奥鐘山西壁の大絶壁

 志合谷を越えて、しばらく行くと欅平のトロッコ列車の案内放送のような音が遠くに聞こえてくる。『いよいよ終わりに近づいてきたなあ』と少し寂しい思いをしながらさらに水平歩道を歩き続けると、やがて欅平への降路となる送電鉄塔に着く。ここで途中に追い越されたお元気な中高年単独行登山者が行動食を食べていた。

「最後に怪我をしないように、ゆっくりしています。」

とのこと。

 志合谷をまたぐ水平歩道

 ここからは、ひたすら降りるのみ。時々立ち止まっての休止を挟み慎重に降りる。次女リーダーと連れ合いはとっとと先に降りてしまっている。私は、慎重ではあるが、余韻を十分にかみ締めながら、慎重に降りていった。

 11時30分、観光客で喧騒とする欅平に降り立つと次女リーダーと連れ合いは駅屋上広場のベンチから手を振っていた。今回の山行は無事終わった。

この後、欅平温泉(猿飛温泉ともいう)に入り、汗を流して普通の服に着替え、登山靴もカジュアルサンダルに履き替えさっぱりとして、ビールで乾杯後昼食の「冷やし山菜そば」を頂く。その後トロッコ列車に乗り宇奈月温泉駅へ、そこから富山地方鉄道に乗り、途中所要で上市に寄った後、JR富山駅。夕食、土産購入後特急で金沢へ、金沢で雷鳥に乗り換え、京都そして山行の余韻に浸りながら孫たちの待つ大阪の我が家へと列車に揺られていった。

                                                          (終わり)

 

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剱岳山行⑥

2009-09-10 22:34:45 | 

剱岳山行⑥

 仙人池に写るモルゲンロートの裏剱、八ツ峰

 2009年8月19日(水)(第4日目)

【行程】7:00仙人池ヒュッテ発→9:15仙人温泉小屋9:45→雲切新道→12:45雲切新道終点(大休止・昼食)13:40→15:10阿曾原温泉小屋(泊)

 朝5時から仙人池畔で裏剱モルゲンロートを撮影するために待機。すでに同宿の登山者の皆様もカメラをセットして待機中。徐々に明るくなってきたが、朝日に薄雲がかかっているのかいまいち「燃えるようなロート」にならない。まあしかしそれなりに赤くなった八ツ峰、チンネ、ジャンダルム、少し見えにくいがクレオパトラニードル、そして僅かに見える剱岳本峰の裏剱のヨーロッパアルプスを思わせるような見事な山並みを写真に収めた。 

 モルゲンロートのジャンダルム、チンネ、八ツ峰の頭、剱 

              岳本峰、クレオパトラニードルの針峰群

 朝食を済ませ、静代オーナーと別れを惜しみ朝7時のゆっくりした出発。仙人谷を降りていくが、道は崩落があったりしてはっきりいって余り良くない。多少難渋して歩いていくとやがて雪渓のトラバース。雪渓を慎重に渡りさらに行くとやがて対岸の中腹に仙人温泉の源泉の湯気がもうもうと立ち上るのが見える。湯気を見ながら少し行くと道端の大岩にペンキで「お疲れさま 仙人温泉小屋」と書いてあり、その先に昨日宿泊予定だった仙人温泉小屋があった。ここまで2時間15分。コースタイムでは1時間15分~30分とあるが、それは登山道が良くて軽い荷物の条件の時だろうと思う。

 仙人温泉小屋でポカリスエットを飲み小休止後出発。従来は仙人谷をそのまま降り阿曾原温泉小屋まで直接行ったのだが、現在は仙人谷が崩落やらで通行不可能となっており、対岸に渡り仙人温泉源泉の横を通り、雲切尾根に取り付いていく雲切新道を行くこととなる。

 わが一行は仙人温泉小屋を振り返りつつ、雲切新道のピークを目指して歩く。道は整備されている。1645メートルのピークからは降り。尾根を忠実に降りるが要所要所には鎖やフィックスロープ、梯子が整備されている。新道を作ってこられた皆さんの多大なる労力と努力に感謝感激しつつも、これを逆に登って来るとしたら中途半端な労力ではないなと感嘆するような道であった。途中昨日仙人新道で追い越された2組の中高年のご夫婦が、本日は先行されていたのだが抜きつ抜かれつになっていろいろ話しながら降りてくる。やがて雲切尾根の終点の沢に到着しここで昼食大休止。沢の水で顔を洗いタオルを洗い少し飲んでみたが、甘くは無いが美味しい。軽く体を拭き最後の行動食を食べる。

 昼食後沢にかけられた丸太橋を渡り阿曾原を目指して更に歩く。ここからはアップダウンという道ではないがところどころにフィックスロープが張られている。しばらく行くと仙人ダムが見えてくる。さらに行くと仙人ダムサイトに降りていく梯子がある。この梯子がちょっと曲者で下に着地点が見えない。それどころか「ストーンと」ダム湖に落ちていく感じ。ダム湖が「おいで、おいで」と言っている。そんな多少ビビる梯子で、とにかく慎重に降りていく。とにかくダムサイトに降り立った。もっともダムサイトと言っても立派な道があるわけではなくダム湖のコンクリート辺にむりやり取り付けられた土道の「へツリ道」だが、ダムに向かって歩いていく。ダムに上り管理事務所の中を通り、熱気の充満する作業トンネルを通り、トンネル内のトロッコ軌道を横断し、「熊の侵入を防止するため必ず閉じてください」旨書かれた鉄柵扉から、やっと外に出る。関西電力の立派な鉄筋の宿泊所や管理棟が立っている。この秘境の山中にダムだけでも違和感があるのに、鉄筋の建物まである。しかしなぜか不思議と大自然の中に溶け込んでしまっている感じもする。これは自然の懐の深さなのか偉大さなのか。

 さて、ここから水平歩道まで再び登り。30分ほどのアルバイトの後、阿曾原までの水平歩道に出る。これは明日の黒部水平歩道の予行演習。40分ほどの水平歩道の後阿曾原温泉小屋への降路となり、15時10分小屋着。

 阿曾原温泉小屋のオーナーは佐々木さんで、長年富山県警山岳救助隊として活躍してこられた。現在「念願の」山小屋オーナーとなられ、毎年黒部下の廊下の登山道の整備を率先して行っておられたり、雲切新道を構想し実際に切り開いてこられたり、登山者には歯に衣を着せない厳しく辛口ではあるが適格なアドバイスをされている。昨日の静代オーナーともども一昨年のNHKスペシャルで大きく紹介されている。

 本日は源泉かけ流しの阿曾原温泉の露天風呂に浸かり、わが山行フィナーレ前夜の感慨に浸る。しかしまだまだ。登山は無事ゴールして完了なのだ。明日も気を抜かないように。

                             <続く>

 

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剱岳山行⑤

2009-09-09 22:33:44 | 

 後立山連峰からのご来迎

剱岳山行⑤

2009年8月18日(火)(第3日目)<o:p></o:p>

【行程】6:30剱山荘出発→剱沢→10:10真砂沢ロッジ10:30→12:05二股吊橋(昼休憩・昼食)12:55→仙人新道→14:00ベンチ14:20→15:30仙人峠→15:45仙人池ヒュッテ(泊)

 朝5時過ぎから、剱山荘から後立山連峰方面に向かいご来迎を見る。白馬岳方面になるのだろうか、少し雲があり、完全な球形のお日様にはならなかったが、十分に剱岳をモルゲンロートに染める朝日が昇ってきて、ひとしきり写真撮影。

 本日の行程は、予定では剱沢を下り仙人新道を登り仙人池を経由し仙人温泉小屋までのルートだ。剱山荘は、以前もそうだったが、水が豊富でトイレも水洗でシャワーまであり、また数年前に現在地に新築したこともあり、料理も含めて現代風で非常に快適な山小屋であった。わが一行は朝食を済ませ、出発準備を整え山荘前でストレッチを済ませいよいよ出発。

 34年前に来たときは、剱沢は7月中旬でもあったのだが残雪が多く、雪の状態もよくキックステップを効かしながら難なく真砂沢まで降りていった。しかし今回は雪が少ない。まず雪渓の取り付きに行くまでが、大小緩急のガレ・ザレで一苦労。雪渓の取り付きに来ると、殆ど踏み後が無く仕方なく慎重に雪渓に降り立ち歩き始める。アイゼンは無くキックステップを切ろうとするが雪が締まっていて殆ど切れない。最初の頃は慎重に踏み後を探して辿るようリーダーの次女に伝える。剱岳側からの谷との出会いになると斜面が急角度にはなるが、だんだんと慣れてきてペースも上がる。平蔵谷出会いは源次郎尾根などの撮影後左岸に捲いてガレ道を歩く。再び雪渓に下りて歩き、長次郎谷出会い付近では『尻セード』をして、谷の出会いで再び源次郎尾根、八ツ峰を存分に撮影し、ここから宇治長次郎や柴崎らが上って行って剱岳を登頂した、映画の撮影場所もここなどと連れ合い・次女に説明する。今度は右岸に渡りガレ道を歩く。道はフィックスロープなどが張られているが、雪渓歩きの倍以上の時間がかかる。結構時間がかかったが、10時過ぎに真砂沢ロッジ着。ポカリスエットを飲み、ロッジのご主人と談笑し小休止。

  剱沢の長次郎谷出会いから長次郎谷上部

 ロッジからは雪渓が解けて川となっている剱沢沿いに下る。途中中高年のご夫婦に追い越されながらも12時過ぎに近藤岩のある二股の吊橋に到着。吊橋がまたいでいる沢は剱沢の右岸に注ぎ込む三ノ窓雪渓からの流れか。とにかくこの沢の水は飲用可で、美味しい。二股で昼食大休止とする。

 昼食後いよいよ仙人新道の急登。これが大変だった。今まで剱沢を降りてきた分を再び登り返すようなものだ。散々の悪戦苦闘の末、約1時間後、ようやくベンチに辿り着く。目の前に裏剱、八ツ峰の勇姿がバーッと拡がるのだが、景色を眺めるのもそこそこにとりあえず立派なベンチで小休止。ベンチで小休止中、中高年ご夫婦と、単独行の中高年登山者に追い越されていく。いずれも私よりご年配のご様子だが、本日の行程を聞くと早月小屋から剱岳を越えてきたとか、剱山荘発で早朝に剱岳を登頂して来たとか、みなさん我が一行の2日分に近い行程ではないか。その人たち、しかもご年配の中高年の皆さんが追い抜いていく。日頃の我が怠惰と言うか鍛錬の無さに、深く反省。

 

 仙人新道ベンチから三の窓雪渓、裏剱の岩峰

 しかしベンチが本日のゴールではない。「深い反省」もそこそこに出発。約1時間のさらなる急登を耐え忍ぶと次女リーダーが「仙人池ヒュッテが見えるよ」と叫んでいる。見ると右手のほうに赤い屋根の仙人池ヒュッテが見えた。標高差約800メートルを登りなおして、2200メートルの仙人峠に着いたのだ。15時30分。実は、本日はこの先仙人谷を下がって仙人池温泉小屋まで行く予定で予約も入れてあったが、バテバテで本日はここで打ち止めと決めた。

 仙人池ヒュッテのオーナーは有名な80歳の静代おばさんがオーナー。シーズン中はヒュッテにずっと泊り込み、登山者を迎え、送り出している。他の登山客とともにいろんな話を聞かせていただいた。頭の回転が速くてインテリで、ご本人は芦峅寺出身で亡くなられたご主人とともに立山・剱を生活の基礎とし、その中での体験や薀蓄に富んだ逸話をたっぷりと聞かせていただいた。これだけで本日の宿泊の大いなる思い出となった。本日宿泊客は16名。次女以外全て中高年。しかも多分次女と連れ合い以外は私より年長者ばかり。

 仙人温泉小屋には迷惑をかけるので、ここからオーナーに無線電話で連絡を入れていただいた。

                                            <続く>

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剱岳山行④

2009-09-09 20:59:12 | 

剱岳山行④

 剱岳山頂から立山連峰、はるかかなたに槍ヶ岳・穂高連峰が遠望

  頂上では360度の展望を楽しむ。北の方を見れば雄大な八ツ峰の尾根が北方稜線につながり、その右には映画「剱岳点の記」で宇治長次郎や柴崎らが登ってきた長次郎谷が雪渓を残し、長次郎谷を挟んで源次郎尾根が剱岳ピークへと迫ってくる。遠方に不帰の剣、唐松、鹿島槍などの後立山を見、さらに右南方方面を見ると、雄山、大汝山のピーク、富士の折立の立山連山が見え、なんと連山の左端はるか奥に、槍ヶ岳とそれに連なる穂高連峰までもが遠望できる。ただその右平蔵谷、前剱から大日岳より先、富山平野方面は少しガスっていて、残念ながら眺望は無かった。しかし標高2000メートル以上は至上の快晴であった。

  次々と登頂してくる人たちと話していると、中高年夫婦がガイドさんとともに北方稜線を歩いてきたといいながらザイルを解いていたり、源次郎尾根を登ってきたという若手のパーティと写真を撮りあったり、中高年の男性とご婦人二人が、早朝馬場島を出発して、早月尾根を登り(標高差2000メートル以上で普通は途中の早月小屋に1泊するのだが)日帰りでまた馬場島へ戻るとか、いろんな登山をそれぞれが「楽しんで」おられる。わが一行は『無理なく、事故なく、楽しんで』である。頂上で昼食、写真撮影をゆっくりと楽しんだあと、下山開始。

  下山路はしばらく行くと最初の難路カニのヨコバイに来る。ここも鎖や梯子は付けられているが、ホールドやスタンスの取り方が少し厳しく、そして高度感がありそれなりに緊張はする。下山路で追い抜いて行った軽装の青年が鎖場で「降りられないんですよ」と言って立ち往生し、次女に弱音を言っている。スタンスが遠くて見えないのだ。しかも崖の上なので高所に弱い人には多少つらいかもしれない。まあ何とか彼もカニのヨコバイを超えて降りて行って、続いてわが一行もまとまって下山を続けた。

  前剱のピークを捲いて少し平地で休んでいると、ヘリコプターが低空を何回も旋回している。しばらくすると一服剱の向こう側に降下して見えなくなった。やがて上昇し、再び何回か旋回し降下して行きまた見えなくなった。一服剱の向こうで見えないけれど、かなりの時間ホバリングし、やがて上昇し富山方面へと飛んでいった。

  剱山荘への荷物のデポかな、それとも病人でも出たのかなと話していたが、あと一息で本日の予定行程も終了なので、慎重に下山を続けた。一服剱を越え、いよいよ本日ゴールの剱山荘が見えた。頂上から抜きつ抜かれつしている「ばてています」という、チンネ登攀断念クライマー2人パーティとも談笑しながらも慎重に下山を続け、剱山荘にゴール。

  わが一行は本日の労をねぎらいながら、剱山荘のスタッフに先ほどのヘリコプターのことを聞くと、一服剱の下降路で女性が滑落して意識不明のまま滑落現場から救出されたとのこと(翌日亡くなられたとの連絡が入った。30台の女性とのこと。)。ゴール間近でふと緊張が解けたのか。剱岳では一昨日もチンネを登攀していたクライマーが転落して亡くなられている。剱岳とはそういう山なのだとつくづく思い入る。・・・合掌・・・

 

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剱岳山行③

2009-09-06 15:30:38 | 

剱岳山行③

 剱岳山頂から立山連峰、遠景に槍ヶ岳・穂高連峰が見える

2009817日(月)(第2日目)

【行程】6:25剱御前小屋発→7:25剱山荘8:008:40一服剱→9:40前剱→11:45カニのタテバイ→12:20剱岳頂上(昼御飯)13:1517:25剱山荘(泊)

 本日はいよいよ剱岳の登頂を目指す。今回の山行は全体として『無理なく、事故無く、楽しんで』を至上としており、バリバリの元気者の次女には物足りないかもしれないけれど、ゆっくりの出発とした。

 剱御前小屋を出発して、剱沢最上部の右岸を辿り、やがて剱山荘に到着。剱山荘で本日の宿泊手続きを済ませ、大きい荷物は小屋に置いてもらいそれぞれ弁当、飲み物、雨具、ヘッドランプ、お菓子類のみを小さなザックに移し変え、いよいよ出発。天候は最高級の快晴。

 最初は一服剱を目指しての登り。早々と鎖場が出てきたり、途中からはガレ場・ザレ場となってくるが、難なく一服剱の頂上に辿り着く。ここで前剱が行く手に聳え立つが、剱岳本峰は前剱の後ろに控え見えない。しばし小休止と写真撮影。振り返れば剱山荘が小さく見える。

 前方は、わずかに雪が残る谷を挟んで東尾根を従えるように前剱が聳える。本峰と見間違うような立派なピークだ。行動再開。鎖場が頻繁に出てきて慎重にアップダウンを繰り返す。

やがて1時間弱で前剱のピークに到着。ピークに出れば、はっきりと雪渓の残る平蔵谷を挟んで雄大な剱岳本峰が、大きな2つのピークを持つ源次郎尾根を右手に従えて聳え立っている。28年振りの感激の再会だ。自分の青春をタイムマシーンに乗ってもう一度確かめることが現実となったようだ。34年前は自分がリーダーで、28年前は山岳会メンバーとして、自分にとって最高の思いをプレゼントしてくれた山だ。

 さて現実に戻る。前剱ピークで「大休止」と写真撮影。『無理なく、事故無く、楽しんで』をもう一度心に刻み込んで、気持ちの準備をしていると、単独行の青年が軽やかに登ってきた。

 「こんにちは。ちょっと座らせてもらっていいですか。」

 「どうぞ、どうぞ。今日はどこから来たの?」

 「みくりが池山荘です。アルバイトをしているのですが、今日は休みなのでちょっと剱岳を登っておこうと思って。」

 聞けば、福井県の大学生でワンダーフォーゲルをしていて、シーズン中みくりが池山荘でアルバイトをしているとのこと。みくりが池山荘から剱岳往復なら『ちょっと剱岳』というレベルで無いと思うが、自分もかってそうだったように、若さというのはこういうものだと、羨ましく思う。

 「お先に失礼します。」

 と言って、彼は再び軽やかに平蔵のコルを目指して降りて行った。

ピークから平蔵のコルを見ると、カニのタテバイで行列ができている。わが一行も出発。前剱のピークから平蔵のコルまでが結構厳しく微妙な鎖場も多く時間を費やした。普通のコースタイムの時間の倍以上かかり平蔵のコルに到着し、小休止。その後いよいよ往路の最後の難所カニのタテバイだ。しかし、ここは確かに場所によっては垂直、あるいはオーバーハング感覚のところもあるが、実際に登るとホールド・スタンスが取りやすいようにルートが付けられ鎖が整備されており、よほど高所に弱くない限りさほど困難ではないように思えた。確か28年前頃は梯子だったように思うので、今のほうがバリエーションはあるかとも思う。

さて、カニのタテバイを超えて、いよいよ剱岳ピークだ。尾根を歩き、早月尾根からの登山道と合流し、しばらく行くと剱岳頂上の祠の裏へと出た。次女は先行していたが、遅れて私と連れ合いは祠を回り込み、ついに剱岳・2999Mの頂上を踏んだ。

                             (続く)

 

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剱岳山行②

2009-09-06 15:19:27 | 

 剱岳頂上から八ツ峰五峰以下、長次郎谷、源次郎尾根の頭

剱岳山行②

 剱岳頂上から八ツ峰、長次郎谷の上部

2009816日(日)(第1日目)

【行程】7:38 JR京都発(サンダーバード1号)→10:40電鉄富山発(富山地鉄)→11:40電鉄立山発(立山黒部アルペンルート)→13:00室堂(昼食・登山届提出)13:50→地獄谷・雷鳥沢→16:40別山乗越・剱御前小屋(泊)

 朝、次女とは京都駅で待ち合わせ。京都駅近くで朝飯用の手作りパンを仕入れ、ホームへ戻ると次女が待っていた。まもなくやってきたサンダーバード1号に乗り込む。3人でパンなどを食べ、これからの山行に思いを馳せているうちに、やがて富山に到着。電鉄富山駅に移動し、ここからはいわゆる「立山黒部アルペンルート」となる。富山地鉄、ケーブルカー、高原バスと乗り継いで13:00ちょうどに、立山室堂に到着。

室堂で山岳警備隊事務所に登山届けを出した後、次女の用意した昼食のおにぎりを食べる。室堂界隈は観光客で喧騒としている。天候のほうは、数日前までぐずついてすっきりしなかったが、本日は多少の薄雲は出ているが、好天である。雄山頂上の雄山神社や、大汝山のピラミッドもくっきりと見えている。天気予報ではここしばらく晴天が続くとのことで、幸先が良い。

おにぎりを食べた後、1350分出発。観光客の間を縫って、みくりが池、地獄谷を経て雷鳥沢の下部キャンプ場。ここから見上げる約400メートルの登りの頂部が別山乗越で、そこまで行くと久しぶりの剱岳とのご対面となる。わが一行はいよいよ雷鳥沢の登りに取り掛かった。登山者は、当初思っていたほど多くもなかったが、しばらく天候不順だったのと、本日が「お盆休み」の最終日ということもあるのだろうか。

ゆっくりと時間をかけて雷鳥沢を登り、1630分やっと剱御前小屋が見えてきた。そこからひと登りで小屋の前に出て、そこが別山乗越。目の前に雄大な剱岳が拡がった。

「こんにちは剱岳。お久しぶり。これからご機嫌よろしくおねがいします。」

そう祈りつつ、写真を撮り、その後剱御前小屋に宿泊手続き。夕食後この日は大日岳方面、雲海の富山平野へのサンセットを眺め、明日からの剱岳への英気を養った。

夜は、気が昂ぶっているのかあまり熟睡できなかった。

2009817日(月)(第2日目)

【行程】6:25剱御前小屋発→7:25剱山荘8:008:40一服剱→9:40前剱→11:45カニのタテバイ→12:20剱岳頂上(昼御飯)13:1517:25剱山荘(泊)

                                 (続く)

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剱岳山行①

2009-09-06 15:08:59 | 

 別山乗越からの剱岳・28年ぶりの再会

剱岳山行① 

2009816日から、山中45日の日程でいつもの気心知れたメンバー、連れ合い、次女との3人で、剱岳登頂と剱沢、裏剱、黒部への山行を「楽しん」だ。

今回の山行を計画した理由は、第1に私自身の体力が近年「着実に」落ちてきていること、そして体力・気力充実期の次女と、ちょうど上昇線と下降線の接点を過ぎてきていること、そういった状況で残された後僅かの機会であろう厳しい「本番登山」を彼女(達)といつまで出来るか分からないが、時間と機会を惜しんでやっておこう、ということ。少なくとも、「大峰奥駈」を始めた2005年夏には、テントや水や団体装備を全て担いで(おそらく25Kg以上)稜線縦走をリードした私のほうが、圧倒的に体力・気力が充実していたのだが最近では次女に付いていくのもなかなか大変な状態になってしまっている。

2の理由は、山を愛し自分の人生観としての登山を思いつつあり、そして自分自身でいくつかの経験を踏みつつある次女に、今回はリーダーとして頑張ってもらおうと思ったこと。これは結果的には良かったと思っている。私が殿(しんがり)で連れ合いをカバーしながら歩くつもりであったが、二人でさっさと歩いて行って私を置き去りにするという「冷酷無比」なリーダーの面もあったが、全体としてはルートファインディングが的確で、なかなかのものであった。

3の理由は、このコースは私が26歳のときに4人パーティーのリーダーとして35Kgのキスリングを担いで登った縦走コースで、自分の心の中で深く思いに残っている山行であること、そして自分がこういった「本番登山」に行けなくなる前に、もう一度足跡を辿ってみたいと常々思っていたことである。

そのようなことで、昨年来から計画し、いよいよ本番となった。本年6月に映画「剱岳点の記」が公開されて、剱岳が全国的にブームになっている。私のようにかつてこの山に挑戦した人たち、特に時間的経済的に多少ゆとりができて、メモリアル登山を目指す団塊の世代の登山者が多いだろうなと思いつつ、盆明けの816日いよいよ出発した。

 

2009816日(日)(第1日目)

【行程】7:38 JR京都発(サンダーバード1号)→10:40電鉄富山発(富山地鉄)→11:40電鉄立山発(立山黒部アルペンルート)→13:00室堂(昼食・登山届提出)13:50→地獄谷・雷鳥沢→16:40別山乗越・剱御前小屋(泊)

                                                           (続く) 

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