"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

胃癌日記40

2012-07-20 00:47:32 | 闘病

                         胃 癌 日 記 40

 (木の間から釈迦岳が望められる)

 私は、日々の出来事や自分の行動、仕事など、こまめにメモをとっています。時間についても「5分転がし」でつけています。そうしないとなんとなく気持ちが落ち着かない。

 そうしたメモを後日起こして、書き綴って「四国88ケ所自転車遍路の旅」「闘病日記(脳動脈瘤クリッピング開頭手術)」「大峰奥駈の道」であったり「剱岳山行」と言ったまとまった文書にしてあります。今回の「胃癌日記」もそのような文書でいずれも時間も正確で結構リアリティがあると自分でも思います。

 (天狗山山頂)

 しかし、今回の「胃癌日記」は今までの文書と少し思いが違いました。「胃癌日記」を文章に起こしなおしたのは、12月27日の退院の翌日からです。そのときは、早期発見、手術で事なきを得、かなり目の前が明るくなってきていました。

 (前鬼谷の五百羅漢が下に見える

 しかし自分が始めてスキルス胃癌を宣告されたときは、退院後のような「心穏やかな」心情ではありません。本当に自分の「死」について考え、思いを強いられました。そういう意味では、自分の心情までをリセットして書き続けることは適いませんでした。

 (太古の辻から大日岳を見る)

 しかし、なんとか「胃癌日記」も現在に追いつきました。次のタームはスキルス胃癌発見から1年(2012年10月15日)までを書き綴ろうと思っています。それまでに、今日の世相に関連した、つまり、反原発、反貧困、反格差、等々の対立軸の共通項について、つまり今の混迷の世の中の「本質」についても考えて文章にしたいと思っています。

 勿論、山行記録も紀行文もアップしたいと思います。

ただ、いろいろ思いますが、これから綴っていく文章は、大きく言えば「胃癌日記(世の中編)」「胃癌日記(山行編)」等々になるんだなー、そんな思いがします。それほど私の人生にとっては重く、厳しい現実でした。

 今後ともご愛読、ご批判、ご激励いただければ大変光栄です。

 (前鬼には5人の鬼が住んでいたという言い伝えがある)

(それではしばしの休息を  再見)

 

 

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胃癌日記39

2012-07-17 20:10:33 | 闘病

                       胃 癌 日 記 39

 (倶利伽羅岳の山頂)

 6月26日までの1ヶ月の間にあった大きなイベントは、6月24日の日曜日の若いときの職場の懇親会。大学を卒業して始めて就職したT診療所の当時の職員のいわば『同窓会』。私にとってはもう40年も前のことになるが、当時は地域の保健・衛生、地域医療の推進や、労働災害・職業病の患者さん達の治療や職場復帰と自立へのサポートといった仕事に、それぞれが未熟な若者ではあったが、誇りと働き甲斐を持ち厳しい労働環境の中を頑張りぬいてきた。私にとっては社会人としての原点である。

 (持経の宿 無人小屋だが立派な山小屋)

 当日は、当時の所長のH先生を中心に、医師、事務長、看護婦、理学療法士、薬剤師、ヘルパー、事務職員らが東は東京、西は香川県から総勢30名が京都のホテルに集まった。幹事のKさんによると、案内を出した人は全員参集したとのことであった。昔の仲間たちにとっては、それほど思い入れの深い職場だった。予断だが、私は学生時代からのアルバイトのときに、やはり看護婦の補助としてアルバイトに来ていた当時看護学生だった連れ合いと出会ったのもこのT診療所であり、その後結婚し、当日は連れ合いも参加した。

 (持経の宿の内部)

 懇談では、厳しい労働環境の中でも、楽天的に明るく仕事に取り組んでいた昔のことを懐かしんだり、当日来られなかった仲間の話題となったり、近況といえば孫の話が中心。そんな楽しくも賑やかな話題が満載であったが、亡くなられた仲間を偲ぶこともあった。看護婦長であったSさんは肺癌で亡くなられ、看護婦のOさんは難病の末、最期は肺癌で亡くなられたことなど、それぞれ思い出を語り合った。当日、元気に出席していた仲間でも、H所長を始めI先生、N君、Sさん、そして私は癌体験者であり幸いにも存命している。『3人に1人は癌』などといわれているが、つくづく実感した。

賑やかなうちにお互いの健康を祈念し合い、再開を誓って午後3時に懇親会もお開きとなった。テラスで記念写真を写した後、私と連れ合いは東京へ帰るF君とともに地下鉄駅に向かった。懇親会のお開きが寂しくもあり、またの再開が心待ちでもある、そんな心境で家路へとついた。

  (南奥駈道から大台ケ原を臨む)

 もうすぐ夏休み。『生きている間に』自分のメモリアル登山のいわば『総集編』として、西穂高から槍ヶ岳までの縦走をしておきたい。その話を連れ合いにすると、にべも無くダメ出し。

「金がない。」

と、つれない返事だ。まあ、全身麻酔で胃切除の大手術をして半年やそこらで何を言っているのかといったところなのだろうけど、やはりあきらめきれないので、来年に置いておこう。その代わりと言ってはなんだが、今年は大峰山の弥山・八経ヶ岳(1915mで近畿地方最高峰)あたりか、石鎚山(四国最高峰)あたりにしておくか。

 ほんの少しの憂いはありつつも、順調に健康・体力を回復しつつある退院後半年である。

 (大峰奥駈け道はところどころ立派な道標があるが、ルートファインディングには大変気を遣う)

(続く-次回はいったん連載休止のご挨拶)

 

 

 

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胃癌日記38

2012-07-16 22:39:58 | 闘病

                               胃 癌 日 記 38

 (前鬼の行者堂)

 退院後半年(2012年6月26日まで)

 

 2012年6月26日、退院から半年が過ぎた。仕事にも順調に復帰し、体力もかなり回復してきている。この1ヶ月もいろんなことがあった。

 

 6月5日の火曜日は、退院後初めてのCT撮影を総合病院で受けた。胃癌の手術後転移も無く今後は年2回のCTと血液検査、年1回の胃カメラを指示され、退院後NクリニックのN先生にお世話になって術後ケアをしている。ただ、正直なところ胃癌の発見、手術、その後のケアと本当に順調に回復してきているのが、かえって「どんでん返し」のように何か起きるのではないかといった、漠然としたもやもやとした不安があるのだ。癌が再発してこないだろうか、見つからなかった転移が発症してはこないだろうか、そういった思いは心の隅にあり、いつとも無くふと不安がよぎることが時々ある。

 

 さて、CT検査の当日は11時30分の予約となっており、仕事のほうは休みを取って10時40分に自宅を出発し、いつものように歩いて総合病院まで向かった。総合病院まで距離にして3Km以上ある。11時20分病院着で受付を済ませ、11時45分に検査開始。最新鋭の機械で撮影そのものは10分強で終わる。造影剤も使わず、何の「苦痛」もなくあっけなく終わった。CT撮影後30分ほど待たされた後、N先生のところへ持っていくように指示されて、フィルムと「所見」の入った手提げ袋を渡された。Nクリニックの診察時間の夕方までには時間があるので、フィルムと「所見」の入った手提げ袋を持ったまま昼食後中央図書館へ行く。中央図書館では継続している勉強や資料整備の後、午後4時50分に退出し、5時10分にNクリニックへ行く。

 

 (前鬼の宿坊 左奥には 小仲坊 という立派な宿泊所がある)

 「先生。SI病院へ行ってCTを取ってきました。」

 

 「ご苦労様でした。預かってきたものをください。」

 

 N先生はフィルムと「所見」を見て

 

 「大丈夫です。何もありません。」

 とのこと。また一つ関門を乗り越えてほっとしたのだが、相変わらず「本当に大丈夫だろうか」といった漠然とした不安も心の片隅に残る。

 (白谷トンネル行仙岳登山口からの道と大峰南奥駈道の合流)

(続く)

 

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胃癌日記37

2012-07-15 22:31:19 | 闘病

                           胃 癌 日 記 37

 (葛城山登山口 ダイヤモンドトレイルを振返る)

 5月20日の日曜日は、前から計画していた「一目百万本の山つつじ」を見に、連れ合いと孫Tを連れて大和葛城山へハイキングに出かけた。当日は朝は快晴というわけではなく少し薄曇であったが、朝6時44分発の電車に乗って富田林へ。富田林駅からバスに乗ったが、途中道路両側の路上駐車のため大渋滞でバスが立ち往生。目的地の水越峠まで辿り着けず、かなり手前から登山口まで歩く。9時30分に登山口から登りだし、大勢の登山客で賑わう山道を行き10時45分山頂着。コース地図では1時間45分くらいのコースを1時間15分で登った。小学校4年生の孫は元気一杯。

 (登山道沿いの 山つつじ)

 山頂は高原のようで、山一面を薄紅色で染め抜く山つつじは本当に見事。東のほうを見やれば、谷を挟んで金剛山の頂上が目の前に広がる。山頂でおにぎりを食べ、少し散策の後12時45分に登りと反対方向の北尾根から下山開始。なかなか『山らしい』いい道を辿り、13時50分ゴールのロープウェイ上り口駅に到着。バスで近鉄御所駅へ、そこから近鉄、地下鉄、阪急と乗り継いで、16時10分に、我が家へ帰着。(大和葛城山ハイキング記録は、別途まとめる予定)

 (山頂から大阪平野を望むが あいにく薄曇)

 (葛城山頂上の山つつじの群生)

 5月21日は金環日食。観測に申し分のない快晴で、出勤前に道路に出て連れ合い、孫とともに雄大な天体ショーを観察。木漏れ日が道路に映り針穴カメラの原理で、たくさんの金環の太陽が道路に映っている。次回に見られるのは25年後とのこと。生きているやらいないやら。

 5月26日の土曜日は、午前中にNクリニックに、先週の血液検査とCTの予約の結果を聞きに行った。血液検査の結果は、すこぶる良好。血液学的検査で2項目がほんの僅か値が低いのと、気にしているカリウムがほんの僅か高い以外すべて正常値。腫瘍マーカーも正常で、なんとγ‐GPTにいたっては知りうる限りでは30年以上振りに正常値に戻った。半年にわたって酒を止めた『成果』が現れてきた。大変嬉しく満足であるが、酒に浸り続けたわが半生を振返り、ほんのちょっぴり感傷的にもなる。

 総合病院での腹部CTの検査は、6月5日火曜日の11時30分と決まった。

 (山間の道を挟んで 金剛山)

(続く)

 

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胃癌日記36

2012-07-14 19:28:05 | 闘病

                       胃 癌 日 記 36

 (太古の辻にある立派な標識 「これより南奥駈道」)

 退院後5ヶ月(2012年5月26日まで)

 5月1日はメーデーに参加。「晴れた5月の♪♪♪」という訳にも行かずうす曇。それでも、今年はなかなか暖かくならなかったが、少しは日差しが強くなってきたか。ゴールデンウィークは特に遠出もせず、孫の棚を組み立てたり、兄宅へ「ご機嫌伺い」に行ったりした。最終日の6日の日曜日は、連れ合いと二人の孫を連れて琵琶湖にバーべキューに行ったが、天気予報に違い雨が上がるどころか、風も強く吹き出し、風雨。真野浜で上の孫はブラックバス釣をしながらのバーベキューの予定だったが、道の駅「琵琶湖大橋」で様子見の挙句、風雨も収まりそうも無く、Uターンに決定。

 Uターンして、淀川の仁和寺大橋下の河川敷でバーベキューをすることにした。孫たちはブイブイ文句を言いながらも、バーベキューをパクパク食べ、上の孫は淀川でブラックバス釣。しばらく頑張ったが、根がかりで大事な釣り針2本を無くし、釣果もゼロで不機嫌に環をかける。

 (前鬼 裏行場の谷を渡渉する)

 仕事のほうは相変わらず多忙ながら順調。9日にはY高校のロングホームルームの時間に進路懇談会で就職コースの生徒たち相手に講演。「みんな夢を自分の手に掴めよ」とメッセージ。

 11日には職場の歓送迎会を大々的に開催。相変わらず酒は飲まないので、ご馳走を美味しく頂くだけ。といっても気をつけないと食べ過ぎるとお腹が重くなり、大変苦しくなってくる。まあ、だいたいペースは分かってきたので、当日は快適に頂いた。

 異動で転入してきた職員のオン・ザ・ジョブトレーニングの講師をしたり、雑誌の座談会に出席したり、その原稿を校正したりで、仕事のほうは多忙。

 5月19日の土曜日はNクリニックの通院日で、術後半年、退院後5ヶ月を目途の血液検査をした。更にはその結果をもとに他の総合病院にCTの予約を入れることとなっている。

 (前鬼 裏行場の三重(みかさね)の滝)

(続く)

 

 

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胃癌日記35

2012-07-13 23:55:07 | 闘病

                              胃 癌 日 記 35

 (大文字山の火床からみる京都市内)

 翌8日(日)は職場の仲間12人と東山ハイキング。9時30分に銀閣寺門前に集合し10時に出発。若手は30分で大文字の火床に到着。私は仲間の一人が3歳の女の子を連れてきており、そのサポートでゆっくり登り、10時50分に火床着。みんな待っていてくれて、写真を撮ったりする。親子は此処でUターンし、他の一行は如意が嶽を目指して11時に出発。11時25分に頂上三角点到着。さて頂上広場でサプライズ。なんと仲間の一人の大先輩が「下界」から冷えたシャンペンをクーラーに入れて担ぎ上げてくれて、乾杯となった。参加メンバーは圧倒的に若手女性職員で、まあ盛り上がったことこの上ない。キャアキャア言いながらシャンペンを酌み交わし、賑やかなことこの上ない。大先輩にはそのお心遣いに深く謝謝。30分の休憩というか宴会の後東山京都一蹴トレイルを南禅寺に向かう。此処からは私が先頭。わいわいがやがや言いながら、12時45分に南禅寺インクライン橋に到着。小休止や三門での記念撮影の後、昼食場所の「奥丹」へ向かう。「奥丹」では火床で別れた親子も再び合流し、少し待った後1時40分頃、にぎやかに湯豆腐の昼食開始。3時には全員満腹で納得して、希望者9人で哲学の道を銀閣寺へと、少し早い桜を愛でに散策。人ごみの中をのんびり歩き、3時40分には、銀閣寺の参道へと戻った。私はここでソフトクリームを食べに行く女性職員と別れ、再び加茂川河川敷を歩いて四条河原町へと戻り、帰路についた。本日歩行35,296歩であった。心身ともにリフレッシュ。

足や膝や太腿などへのダメージは、あっけないほどまったく無し。

 (如意ヶ岳三角点から京都市内南部を遠望)

 4月14日は、学生時代の旧友とホテルグランヴィアで昼に会う。職場の近況や今後の展望、お互いの生き方や人生等について語り合う。ここでも近況報告代わりに、「癌日記」「R誌」「大尾山」の3点セットを渡す。

 15日は歩いて茨木市中央図書館へ行き、勉強。しばらくは土日は「民法」「業法」等の勉強、その他の日は、学会発表に向けた勉強を進めようと決める。当面は余命のことに煩わされることが無くなったら、俄然時間がもったいなく、足りなく思うようになってきた。

 (5分咲きの桜の下の哲学の道を南禅寺から銀閣寺へと向かう)

(続く)

 

 

 

 

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胃癌日記34

2012-07-12 17:59:05 | 闘病

                      胃 癌 日 記 34

 (大峰奥駈道の 舟の垰(タワ))

 退院後4ヶ月(2012年4月26日まで)‐1

 

 12月に校正し、退院後に校了した小論が、RJ誌の「ブラック企業特集」に掲載されたのを契機に、NPO法人「P」の2氏が3月28日(水)の午前、職場に来訪された。若者の就労実態や、構造的とも言える若者に対する人格破壊・人権破壊についての情報の交換や、今後の連携について話し合った。体調の回復に伴い、社会貢献活動にも行動範囲を拡げていきたいと思う。

 

3月30日には異動にともなう職場での送別会兼2011年度打上会が開催された。出て行く人を激励し、日頃の仕事を慰労する楽しい宴会であったが、私は手術を契機に酒を止めたので、おいしい料理にソフトドリンクであった。宴会の趣意とは別に、仲間たちは私の体調を気遣ってくれているのがひしひしと伝わる。

 

 (奥駈道に多くある岩穴の祠のひとつ)

4月7日(土)は、大学時代の学部同期の仲間というか同志達との花見会が、昼過ぎから丸太町橋下る鴨川右岸河川敷で12人の参加で盛大に開催された。ぼちぼち鬼籍に入る仲間もいるが、とりあえずは元気な再開にお互い癒しあったり減らず口をたたいたりで、にぎやかな宴となった。私は、「癌日記」と「R誌のブラック企業特集の小論のコピー」と「なかなか手ごわかった八瀬大原の大尾山」を「近況報告3点セット」で持参し、仲間たちに配る。にぎやかな宴会はいいのだが、途中で雲行きが怪しくなり、さらには花冷え以上に寒いのとで、ロイヤルホテルのコーヒーラウンジに場所を移動し、さらに「飲み足りない」とのことで、河原町のアサヒビアホールへと移動した。ここでも私はソフトドリンク。にぎやかに語り合い、惜しみつつ17時20分に解散。10月の再開を誓う。

 (釈迦ヶ岳山頂にある 前傾した大きな釈迦像)

(続く)

 

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胃癌日記33

2012-07-11 18:46:49 | 闘病

                         胃 癌 日 記 33

 (大峰奥駈道はルートファインディングに気を遣う)

 退院後3ヶ月(2012年3月26日)まで

 2012年3月3日(土)は、連れ合いの強い指示もあり、退院後2回目の血液検査をすることとなった。通常の血液検査セットに加え、胃切除による影響を見るための血中の鉄、退院時に高かったカリウム、γ-GTPをオプションとして加えた。3月9日(金)に結果を聞く。殆どが正常範囲に戻り、3ヶ月以上断酒の効果もあってかγ-GTPも随分低くなり、カリウム値も若干高いとはいえ低くなった。まだ手術の影響が残るのか、血液学的検査で若干低い値があったり、中性脂肪などが若干高かったりするが、食生活も改善しておりこれから全体として、だんだんと良くなっていくだろう。

 3月10日(土)には「支援フォーラム」、17日(土)にはシンポジウムに参加したり、18日(日)にはS先生著作集編集委員会に参加するなど、仕事やボランティアにもかなり「復帰」を果たしてきている。

 20日の勤務の代休である3月21日(水)と振替休日の22日を利用して、姉Hが2月に転居した鎌倉に、連れ合いと兄の3人で自家用車を駆って1泊2日で慰問・激励に行った。ドア・トゥー・ドアで片道約7時間45分かかる長丁場を私一人で往復運転したが、結果あまり疲れることも無く、快調な旅だった。

 さらに、3月25日(日)は職場のアルペンサークルで亀岡の牛松山(標高636m)ハイキングに行った。標高はさほど高くない里山だが、何しろ半年ぶりくらいのハイキングで、しかも全身麻酔の手術後初めての山だ。体力には若干不安が残っている。

 (弥山頂上から 行者還岳、稲村ヶ岳、山上ヶ岳)

 亀岡駅から歩き出し、登山口から入ってしばらく登っていると、リーダーが

「今日の行程は3時間」

と言い、一瞬ビビッた。普通私の山行のペースでいうと、標高差500mを登るのに40分~1時間、1000m上るのには2時間前後かかる。一体どんなに深い山か、登山靴でなくウォーキングシューズをはいてきたことは甘かったと思い、

「3時間もかかるの?」

と、強いリアクションをすると、リーダーは、

「そのリアクションは面白い。」

と言う。よく聞くと登って降りて、ゴールまでの時間が3時間とのこと。安心したやら、気が抜けたやら。天候は、晴れとの予報だが、登っていると雪が降ったりして、結構寒い。私は上着のジャンパーも着ておらず、少し寒かった。それほど厳しくも無く、快適に頂上へ。頂上で昼食後下山。降り道は少し急で、しかもだらだら続いている。リズム良く降りればいいのだが、集団で歩くとどうしても歩調が合わなくなる。しかしそれでもたいしたトラブルも無く、全員無事下山。

 当日はサークルの「退職者を祝う会」で、17時からは京都市内で宴会もある。ゴールの亀岡駅で私は仲間と離れ、行ったことのない亀山城へ一人で散策に行った。山の頂上からは森と荘厳な雰囲気の建物が見えていた。

 時折雪や霙のあいにくの天気だったが、城内に入るころには晴れてきた。場内に入ると歩道には玉砂利が敷かれよく手入れされている。後でわかったが、亀山城は宗教法人大本教が敷地ごと取得し、現在大本教の『聖地』となっていて、天守閣跡は『聖域』で立ち入ることが出来ない。要するに私有地なのだ。しかし城内の散策は自由なようなので、ゆっくりと見て廻った。

 (弥山から近畿地方最高峰の 八経ヶ岳・1915mを臨む)

 亀山城散策後、京都市内に戻り、堺町通り錦にある銭湯の『錦湯』で汗を流した。先にサークル仲間の二人が入っていた。先輩が、

 「手術の跡はきれいになってきてるね。」

 と言ってきた。汗を流した後、宴会に合流。私はアルコール抜き。手術後酒は止めた。

 ハイキングは体力的にどうかなと思っていたが、ほとんど疲れもなく、良いリフレッシュになった。ただ、大腿前部に『身が入り』、痛くなってきて、28日の水曜日くらいまで悩まされた。退院後3ヶ月が過ぎ、順調に回復!!

 (弥山から大峰奥駈道への道標)

(続く)

 

 

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胃癌日記32

2012-07-10 19:19:11 | 闘病

                       胃 癌 日 記 32

 (柏木からの大峰登山口)

 退院後2011年の大晦日まで

退院後、体力の回復や気持ちのモチベーションを高める為に、毎日の歩きを13,000歩以上、年賀状作り、孫のTが自転車に乗れるよう自転車トラウマの払拭と練習などを日課とした。年賀状も29日には全て出し終えた。30日には既に冬期休暇に入って誰もいない職場に行って、溜まった仕事のチェックや勤怠の入力、私物(洗濯物)の持ち帰りをした。

 大晦日には孫の自転車練習を午前と午後の2回、孫は自転車トラウマも克服し、かなり乗れるようになってきており少し公道も走らせている。面白くて仕方が無いようだ。夕方には日課になっている神社へ往復5~6キロメートルの散歩をし、本殿では手を合わせ癌が深刻な状況に至らなかったことを感謝し、これからの健康と家族の平和を祈る。

 夜、紅白歌合戦を見、今年は鐘を撞きには行かなかったが裏の蓮華寺の除夜の鐘を聞きつつ,波乱万丈の2011年の年の終わりの余韻に浸った。

 (洞川温泉から天川川合へつづく みたらい渓谷)

 退院後1ヶ月(2012年1月26日)まで

 1月26日も仕事で多忙な1日だった。当面の仕事で開催するフォーラムの担当責任者で、委託先や関連の企業等との応対にも忙殺される。しかも相変わらず午前、午後と分食を摂っている。

 1月9日(月)は手術後1ヶ月で、成人の日で休日ではあったがY先生の診察があった。9時40分にS病院外科外来に行き、血液検査の後診察。血液検査の結果はカリウムが少し高いが増えていない、GOT・GPTが引き続き少し高いということで、かかりつけのN先生に受診し、様子を観察することとなった。カリウムが高いのは、手術との因果関係は無い、腎臓も悪くないで原因が分からないとのこと。特に何ともしようがない。多忙なうちに退院後1ヶ月が経過した。

 (伯母谷覗 遠景は大台ケ原)
 
 退院後2ヶ月(2012年2月26日)まで

 2012年2月26日(日)は、私は仕事で昨日から高松へ来ていた。結構気を遣いながらの仕事で、午後8時終了。

 本日からは、手術前と同じ食生活で良いという『お墨付き』を貰っている。さりとて、胃の3分の2が無いわけで、やはり躊躇する。そんなことで、朝食はホテルのうどん、午前間食は家から持ってきたカロリーの高いクッキー、昼食はスパゲティナポリタン、午後間食はなし、そして仕事終了後の夕食はお好み焼き。夜食にホテルの『夜鳴きそば』を食べた。

 多忙な中、退院後2箇月が過ぎた。

  (伯母谷覗から望む 大普賢岳、小普賢岳)

(続く)

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胃癌日記31

2012-07-09 18:43:04 | 闘病

                          胃 癌 日 記 31

 (大峰奥駈道のスタート地点 吉野山の蔵王堂)

 12月26日(月)退院

 

 いよいよ退院の日。朝6時20分検温で起こされる。7時35分にパンの朝食。8時45分に病棟の先生の回診後、50分にはT先生、Y先生が回診。T先生、

 

 「いよいよ退院やね。良かったね。癌を見つけてくれたN先生には礼をいっときや。」

 

Y先生、

 

「良かったですね。カリウムが高いのが気になりますが、様子を見ましょう。とりあえず1月9日には来てください。」

 

私は、2人の先生に丁重に礼を言い、日夜を問わず患者の立場に立って医療現場で頑張っておられる姿勢に、心の中で尊敬した。

 

9時35分と11時35分に最後の20分ウォーク。午後12時に最後の昼食。退院だけれど相変わらずボリュームのない110gの御飯と、おかずは肉の変わりにマグロの入った「マグロじゃが」、青菜ジャコ和え、桃の煮たもの。食後退院準備で荷物を整理し、ほぼ終わったところで連れ合いが来た。退院の荷物整理でいろいろと世話を焼いてくれる。連れ合いもホッとしたというか、安心したというか嬉しそうな雰囲気で、話しかけてくる。昼食後、病院内の天然温泉に入浴し、闘病の「疲れ」を癒す。

 (これから向かう大天井・小天井ヶ岳には春分の日と言うのに残雪が)

2時20分にT先生Y先生それに担当の看護師Mさんには会えなかったがナースステーションで挨拶をし、エレベーターに乗って、北棟8階801号室を後にした。

 

 病院を出て家に帰る途中、3時過ぎに茶屋町改札前のベーカリーで昼の間食、チーズパンを食べた。連れ合いの飲んでいたコーヒーを少し、それも水に薄めて飲んだ。それでもその美味しさは何とも言えないほどだった。

 

 (大天井ヶ岳を超えた峠から見る 山上ヶ岳、稲村ヶ岳)

 

4時10分20日ぶりに家に帰る。入院の荷物を片付けたりスリッパを洗ったりする。孫たちもそれとなく嬉しそう。6時30分連れ合いの心のこもった夕食。8時30分には、夜食でカロリーメイト。

さあ、これから体力を回復し、社会復帰だ。シャットアウトしていた仕事もいち早く追いつき、リードしていかなければならない。“再出発”の決心が沸々と沸いてきた。

 (山上ヶ岳取り付きにある 女人結界門横の道標)

(続く)

 

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胃癌日記30

2012-07-07 23:02:04 | 闘病

                         胃 癌 日 記 30

 (黒部奥鐘山 大障壁の核心部)

 12月25日(日)

朝6時20分検温で看護師さんに起こされる。7時30分に朝食。パンと牛乳。K氏と話す。退院後の仕事や家族のこと等々。この間いろんなことを話したが、ついに最後までお互いの身分は明かさなかった。8時には病室で校正。9時15分Y先生の回診。いつものように、

「いいですね。」

「ありがとうございます。」

9時20分に20分ウォークの後、トイレと売店へ。11時15分にはT先生が回診。今日はクリスマスの日曜日というのに、T先生もY先生も本当に患者のために熱心で、頭が下がる思い。

「○○ちゃん、いよいよやね。大丈夫や、ちゃんと仕事に復帰できるからな。」

と、激励してくれた。その後本日2回目の20分ウォーク。午後12時10分昼食。御飯110gにおかずは高野豆腐煮、玉葱人参煮、大根田楽味噌、ポテトサラダ。昼食後少し午睡をとる。

1時10分に連れ合いが来る。今日は、入院以来最初で最後の外出で、年明け後職場復帰する際に使うウォーキングシューズを、駅前第3ビルにある好日山荘に連れ合いと一緒に買いに行く予定になっている。私は以前から通勤時に阪急西院駅から職場までの4キロメートルを往復8キロメートル

歩いている。自宅界隈や職場での移動等で毎日10キロメートルは歩いており、2年間以上履き続けた今の美津濃のウォーキングシューズは、大分疲れている。退院と新年を機に履き替えようと思った。

 久しぶりに梅田の雑踏を歩くと、頭がクラクラする感じ。連れ合いが、風邪をひかぬようにと病院においてある服の全てを着込んで、その上マスクして身体が火照ってくるようで大変だった。好日山荘で、あれやこれやと見比べ履き比べして、結局登山靴メーカーのウォーキングシューズを買った。好日山荘からの帰りには大丸地下に立ち寄りお菓子を買う。看護師さんたちへの差し入れ。それにしても久しぶりに街へ出ると無性にコーヒーが飲みたくなったが、未だ禁止なので我慢。

 3時15分に病院に戻り25分に昼の間食で雑炊。久しぶりの街の空気を吸ってきた後のせいか、美味しかった。5時20分に3回目の20分ウォーク。後、携帯に先輩のGさんからメールが入っていた。見舞いに行くつもりだが何時が良いか、とのこと。「お心遣いはありがたいですが、明日退院です。」と返信を入れておいた。

 6時5分夕食。御飯110g、煮卵豆腐、煮白身魚、青菜お浸し、柿を煮たものがおかず。7時に連れ合いが帰る。8時10分夜食はスポンジケーキとアップルジュース。

 本日歩き13,972歩。(16周×3+外出での歩き)

 (欅平らから宇奈月へ向かうトロッコ列車からの風景)

(続く 写真は明日からは大峰奥駈)

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胃癌日記29

2012-07-06 17:59:24 | 闘病

                         胃 癌 日 記 29

 (黒部水平歩道を振返る 断崖絶壁に刻まれた道)

 12月24日(土)

 今日はクリスマスイブ。こんな気持ちと状態でクリスマスイブを迎えてしまった。「鬱なイブ」に人生の終わりに差し掛かってきたことをしみじみと実感する。

 朝6時30分、採血で看護師さんに起こされる。3日振りの採血で、カリウムの結果がどうなっているか気になる。7時30分朝食。朝食はパンと牛乳。朝食を食べながら同室のK氏と話す。K氏は退院が25日の日曜日に決まったとのこと。手術が3日私より後で、すでに退院が決まったとのこと。少し焦る思いが有る。K氏は手術後も順調に推移し、同じ進行癌といっても腸なので、食べるものも制限無しで食べている。私はカリウム値が高くなったりで、一体どうなることやらと思っている。ひょっとすると病院で越年ということになるのかなあ、とも思うときがある。K氏は退院後抗癌剤治療をするとのこと。最初の1クールはS病院の外来で来て治療し、後は癌を発見してくれたクリニックで継続するとのこと。抗癌剤治療の苦しさは私も経験者からも聞いており、K氏の今後の治療が旨くいくようにと励ますとともに、自分にも迫り来る厳しさのプレッシャーに、また少し「欝」になる。

 8時40分にT先生、Y先生の回診。本日午後4時に手術の結果説明と今後の治療・療養についてのインフォームド・コンセントがある。その確認をする。本日は連れ合いと娘たちも来ることを言う。

 9時40分1本目の20分ウォーク。午前の間食でカスタードプリン。10時30分シャワー。11時から売店に行き、続けて2本目の20分ウォーク。午後12時5分に昼食。ご飯110gに煮魚(鯛)、卵豆腐、ほうれん草お浸し、煮キャベツジャコ和えのおかず。昼食後軽く午睡する。

 13時40分3本目の20分間ウォーク。そのうち50分に次女のAがやって来て、少し待つように言うと、一緒に歩き始めた。14時連れ合い、14時15分長女Mが来る。30分S君が見舞いに来た。家族以外の見舞いはお断りしてきたが、以前大原の大尾山に一緒にハイキングに行ったりした縁もあり、『世話になったので是非見舞いに』と次女を通じて言って来て、半ば『押しかけ』を了解したようなもの。今日は伊丹でクリスマスコンサートがあり、次女と一緒に行くのでその前にお見舞いとのこと。S君には進路のことやら話し、手術跡の傷を見せた。50分にコンサートへ行くとのことで帰る。

 16時丁度にナースステーション奥でY先生から、手術の結果と今後についての説明。少し緊張する。転移がどうだったのか、抗癌剤治療についての説明はどうか、多分無いだろうけれど『余命○○年』と言われないだろうか、これからの自分の闘病生活は、仕事は、執筆は等々の懸念が気持ちに覆ってくる。

 (黒部奥鐘山の大障壁上部)

 「【いそ】さんのお腹を開いてみたら、内臓の癒着がひどく大変でした。何回も手術をしている人の内臓のようで、剥がすのに2・3時間かかり、12時ごろには手術が終わると思っていましたが、16時過ぎまでかかりました。」

 「癒着は剥がさないといけないのですか?」

 「そのままだと、胃の下部を切除しますが、残った上部と腸が繋がりません。また、通過障害や腸閉塞を誘発しやすくなります。」

 「剥がすのは、手で剥がすのですか?」

 しょうもないことを聞いてしまった。何しろ気持ちは浮ついている。

 「電気メスで剥がします。」

 Y先生はいつものように紙の上に絵を書き出して、

 「肝心の手術のほうですが、胃の下部、全体の3分の2を切りました。それと胆嚢を切除し胃の回りのリンパ節もきれいに切り取りました。結果ですが、リンパ節には転移はありませんでした。胃のほうですが、癌細胞はスキルス癌です。胃壁は5層になっているのですが、【いそ】さんの場合一番上の層だけに癌が留まっていて、中まで侵行していませんでした。ステージで言うと8段階のⅠaです。」

 その辺まで言われているとT先生がふらっとやって来て、

 「○○ちゃん、良かったね。内臓がえらい癒着していて、手術は大変やったわ。それでも早期で本当に良かった。よく見つけてくれたN先生にお礼言うときや。」

 「はい。先生も本当にありがとうございました。」

 (黒部奥鐘山の大障壁の核心部)

 少し間をおいてY先生の説明が続いた。

 「今後についてですが、ステージⅢ以上は抗癌剤治療をすることになっています。【いそ】さんの場合はⅠaですので、抗癌剤治療はしません。今後は定期的な検査をしてください。年に2回のCTと血液検査、1回の胃カメラをしてください。S病院はもう来なくて結構ですので、N先生のほうで見てもらうようにしてください。今回はタイミングが良かったし、N先生はよく早期癌を見つけてくれたと思います。来年の胃カメラまで見つかっていなかったら、状況はどうなっていたか分かりません。」

 家族もいろいろと聞いてY先生とのやり取りを聞いているうちに、だんだんと『いい結果』だったのかなあ、と言う実感が湧いてきた。何も悪いことをしていないのに胃を切られ、仕事や執筆、資格試験の欠席等沢山のストレスを抱えて、何よりも痛くて苦しい目に会い、厳しい経験の帰結が『良かった』でいいんだろうか。とにかくこの状況は受け入れざるをえない。

 「と言うことで、【いそ】さん。退院をして良いですが、いつ退院しますか。」

 「ああ、できるなら明日お願いできますか?」

 「今日言って明日はできないです。」

 「そうですか。それではあさっての26日にお願いできますか。」

 「いいでしょう。ただ、癌のほうの治療はこれで終わりですが、血液検査の結果が気になりますので、年明け1月9日の月曜日に診察に来てください。」

 「分かりました。」

 1月9日は成人の日で祝日だが、S病院は祝日でも午前中診察がある。

退院が26日に決まった。しかも癌そのものの治療は順調だ。ふと、抗癌剤治療に向かうK氏のことが頭をよぎった。

本日はクリスマスイブでホームパーティの日。4時50分に長女が帰り、5時にAは伊丹のクリスマスコンサートへと、25分には連れ合いも帰った。皆それぞれにホッとしたような感じだった。5時35分、本日4本目の20分ウォーク。6時に夕食。K氏と一緒に食べる。私のおかずは、はんぺんとキャベツを煮たもの、卵豆腐のあんかけ、デザートに寒天ゼリー。K氏は豪華で、クリスマス特別料理かタンドリーチキン照り焼き他3品、デザートはロールケーキ付き。K氏の明日の退院を祝い、私も明後日の26日に退院と言った。ただ、私は抗癌剤治療をしなくて良いということは、言えなかった。

8時5分、5本目の20分ウォーク。30分に夜食でバナナ。

本日歩き13,600歩。(16周×5回)

 (黒部奥鐘山の大障壁 下部)

(続く)

 

 

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胃癌日記28

2012-07-04 18:39:12 | 闘病

                          胃 癌 日 記 28

 (黒部水平歩道唯一の水場 折尾谷の滝)

 12月23日(金)

 本日クリスマスイブ前日で、花金と天皇誕生日の祭日が重なって世間では賑やかな様子だが、それとは関係も無く朝6時30分目覚める。7時30分朝食、全粥220gと、おかずは小松菜煮浸し。8時45分Y先生の回診時に外出はどうか尋ねたら、外出OKとのこと。

 胆嚢も切り取ってしまったせいか、昨日まで便が白かったり、白っぽかったりしていた。本日の朝の便は薄茶色。9時25分20分ウォーク。10時には間食でヨーグルト。間食の後シャワーを浴びる。その後売店に行きミネラルウォーターとチョコレートの買出し、そのあと2本目の20分間ウォーク。

 午後12時に昼食。この昼食から普通食になった。やっと「一人前」にご飯に戻った。手術前日の8日から実に16日振りのご飯だ。おかずはカニの身にキャベツの酢和え、南瓜煮、白身魚と人参・玉葱の煮たものでとにかく美味しかった。ただ量は相変わらずで、110gという寂しさ。それでも少し残しておく。

 1時20分に3本目の20分ウォーク。ウォークの途中で一週間前に虫垂炎で入院し即手術した中学3年生のKO君とすれ違う。手術が終わり家族もみんな帰った後の夜、しくしく泣いていた彼だが、今日の午後退院で晴れ晴れとしている。エレベーターの前で彼に話しかけた。

「今日退院やね。おめでとう。」

「はい。」

「どうや。終わってみれば盲腸なんてチョロイもんやったろう?」

「はい。チョロイもんやったです。おじさんも盲腸ですか?」

盲腸と言われてしまって、思わず苦笑。

「盲腸やったらええんやけど、胃を手術して、胃の3分の2を切り取ったんや。」

「へえ、そうですか。」

 (90Cm幅位の 黒部の水平歩道 右側は断崖絶壁)

 そんなやり取りの後、歩き終わってベッドの上に座っていると、甥のYが来てくれた。Yは技術者で機械の据付などの出張が多く、チームリーダをしており大変忙しい。

 「お世話になってる叔父ちゃんが大変な病気で手術と聞いて、なにをさて置いても来ました。」

 と言ってくれた。一通り病気のことや、早期癌でそんなに大事にはなっていない、とか話していたが、だんだんとYの仕事の話になり、あれやこれやと仕事上の不満をぶちまけていた。私はひたすら聞き役。

 3時にYが帰り、3時15分に間食の雑炊。3時40分に連れ合いと下の孫のTが来た。2・3日前に

持って来てもらった、Tの作った松ボックリのクリスマスツリーの礼を言う。5時30分には長女と上の孫のYが来る。6時10分に夕食。ご飯110gとおかずは人参・はるさめの卵とじ、蕪の煮たものの酢和え、味噌汁。これでも美味しい。食後少しして4本目の20分ウォーク。7時に皆揃って帰るの送る。送った後5本目の20分ウォーク。8時には夜の間食で、カステラとアップルジュース。10時50分就寝。

 本日歩き13,600歩。(16周×5回)

 (クライマーの憧れ 黒部奥鐘山の大岩壁)

(続く)

 

 

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胃癌日記27

2012-07-02 21:32:04 | 闘病

                              胃 癌 日 記 27

 (見事にモルゲンロートに染まる 裏剣と仙人池)

 12月22日(木)

 朝6時30分に目覚める。7時30分朝食。今朝から食事は全粥220gになった。8時35分にY先生の回診。退院の時期も考えなければならないが、カリウムが高いのが少し気になるとのこと。今はいわゆる治療はしていないが、ゼリーの薬の効果がどうか見てみようと言うこと。

 9時10分に20分ウォーク。その後売店に買い物。ポカリスエットにはカリウムイオンが結構入っているので、ポカリはやめてミネラルウォーターにした。あとチョコレート。10時にシャワーを浴びて、朝の間食。本日はカスタードプリン。食間にカリウムイオンを下げるゼリー状の薬を摂る。大変まずい!忍耐忍耐。間食・服薬後ウォーキングシューズのこととポイント加算のことで好日山荘に電話をかける。11時15分に2本目の20分ウォーク。その後40分に連れ合いがやってきた。

 午後12時昼食。全粥220gで、やはり5分粥よりは食べ応えがある。しかし相変わらず7割程度だけ食べて、3割程度は残している。

 (富士の折立、大汝山も赤く染まる)

 本日は2時から栄養指導。栄養士さんが胃癌の患者とその家族を対象に、退院後の食生活上の注意や実際の食事・メニュー、栄養摂取等について、分かりやすく指導してくれる。私と連れ合いを含め4家族が参加した。術後の食生活に起因するダンピング症候群の話も看護師さんからは聞いていたが、より詳しく説明が有った。連れ合いは細かくノートに取っていた。私が気をつけなければいけないと頭の中に残ったのは、胃は鉄分やビタミンB12を吸収する、その胃がなくなるので鉄欠乏症貧血が起こりやすいとか、体重減少に伴いカルシウムが少なくなり骨粗鬆症や圧迫骨折などのリスクも有るとか、アルコールは70%が胃で分解されるが、胃が無いので直接腸まで行ってしまい吸収されるので、少量のアルコールで酔ってしまう、危ないので自分のアルコール量が分かるまで外では飲まないようにとか、食べたものがストレートに腸に行くので、消化の悪いものや脂物を食べ過ぎると下痢が起こりやすい、胃が無いかもしくは小さくなっているので、一度に多くの物が食べられず、少量を分食すること、暫くは脂物や消化の悪いものは食べずに、野菜も菜っ葉部分を煮て食べることやら退院後2ヶ月過ぎればもとの食生活に戻っても良いといったことだった。もとの食生活に戻っても、よく噛んで食べること、一度に大量に食べないことなどは、ずっと続けなければならない。結構活発な質疑応答や、80歳のYさんのユーモア溢れたグルメの話や寿司の話など、病気の辛さや重たさを一時忘れるかのように、和気あいあいと栄養指導の話が進められ、3時40分に終了した。

 栄養指導が終わり病室に戻ると、兄が甥のMと一緒に待っていた。聞けば2時10分から来て待っていたとのこと。長い間待たせた侘びを言い、その後展望の良い15階の談話ロビーに行き、年末年始のことや家族のこと等をいろいろ話しした。4時30分に兄とMは帰る。

5時25分3本目の20分ウォーク。ウォーク後千里山のH姉宅に来ているT姉に電話して、私の病状を伝える。5時55分夕食、全粥220g。連れ合いは、退院後の食生活の参考にするので、食事のおかずをメモして写真に撮って置くようにとのこと。6時40分連れ合い帰る。8時30分夜の間食、ビスコ2包とアップルジュース。10時40分就寝。

本日歩き10,160歩。(16周×3回)

 (赤い チンネ クレオパトラニードル 剱本峰)

(続く)

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