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パライソメッセージ 2013.09.27 N0.28
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「パライソメッセージ20130927 No.28」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。
【主張・意見・コメントのページ】
テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-⑥
4.「学園改革」はフェードアウトするのか?
「学園改革」のサステイナビリティを支える3つの軸について述べてきた。すなわち第1に『平和と民主主義の教学理念の共有』第2に『教職協働による学園創造』そして第3に『学生の学びと成長を創り出す、学生が主役の学園創造』。実際の事例を見つつ、それらの『仕組み』を考えてきたが、3つの軸を投げ捨て、理念やポリシーを喪失しつつあるR学園は、はたして『学園改革』を目指すダイナミズムが衰弱し、光り輝きを失い、改革がフェードアウトしていくのであろうか。我々はフェードアウトを座視していて良いのだろうか。
その問いかけに対する答えを考えるとき、まず前提として近年の、特に1990年代以降の高等教育や教育全般をめぐる状況を見る必要があるだろう。今日の学園トップの一部や、変節に至ったかつてのトップ、今も学園運営に少なくない影響を持っていると思われるかつてのトップが言っていた『情勢との切り結び』が、如何に曲げられてきたかを見つめなければならないと思う。
(高等教育を取り巻く状況と「新自由主義(高等教育)政策」)
1998年に大学審議会答申、『競争的環境のなかで個性の輝く大学』が公表された。まさに『2007年問題』(いわゆる、ゆとり教育世代の若者が4年生大学を卒業する年)『大学全入時代』『定員割れ大学の続出』等、高等教育に対する脅迫的ともいえる社会状況が目前に現実のものとして迫り、『護送船団方式』といわれた高等教育政策・行政が一気に『規制緩和』『競争至上主義』『自由競争』への転換の強制に全国の殆ど全ての大学は衝撃を受けた。日本の資本主義が構造的に新自由主義へと転換していくのに伴い、高等教育においても新自由主義の波が大きく押し寄せてきた。
各高等教育機関は、大学審議会答申を我先にと『受け止め』、それぞれが「個性を打ち出す」ことに躍起となり、研究大学やら教養大学やら生涯教育大学等々に大学の個性を出そうとしてきた。しかしこれは政府・文部省(当時)の高等教育支援の放棄が背景にあり、当時の時流を鑑みると、民営化・民活を推し進めた小泉改革、つまり「新自由主義の高等教育政策版」への平伏ではないか。その結果どうなったか。幾つかの答申を経て2005年中教審答申、いわゆる「今日の高等教育の将来像」で政府・文部科学省が「新自由主義高等教育政策」の「ダメ押し」を出すまで、全国の高等教育機関は、「競争的環境」の中で全く「個性が輝く」ことなくどころか、R学園においてさえも理念や哲学を投げ捨て、競争的資金獲得のために汲々とし、個性を投げ捨てた貧相な学園に陥ってしまった。
文部科学省の政策誘導は金科玉条ではない。それどころか、近年大きなミスリードを繰り返している。司法人材の大量養成としてロースクールを設置して、従来の数倍の司法試験合格者を輩出してきているが、周知の通り問題が山積。科学技術立国を煽り、大学院生特にドクターの大量輩出は深刻なオーバードクター問題を起こしている。公認会計士の大量養成も、株式会社立学校の相次ぐ撤退(投げ出し)もしかりである。同様にミスリードの答申や政策への無批判な追従の結果、まったく『没個性』のまま全国の高等教育機関が「7つのパターンへの機能分化」や、「12の提言」を鵜呑みにすると言う、いういわゆる「情勢」と切り結び、主体的に情勢を切り拓くのではなく、「情勢」に「飲み込ま」れ、まるで「金太郎飴」のように大多数の大学が、独自の顔(理念)を持たずに同じ顔をした「改革もどき」に邁進し、挙句行き場の無い閉塞状況に陥っているのではないだろうか。
高等教育における新自由主義の大学政策は、国立大学法人化、長・中期計画の立案と大学評価、そして理事長(学長)の権限の強化とトップダウン・ガバナンスを強制している。これは私学に対しても同じで、自己評価を迫り、また学園のガバナンスでは、ことさら迅速な意思決定とその『仕組み』として、私立学校法の一部「改正」を背景にしつつ「理事長(および理事)の権限強化」が制度化され、トップダウンが強化されてきた。今思うと、R学園の理念と受け容れることの無かったこれらの施策に押し流されることは大いなる危惧であると迅速に見抜き、情勢を主体的に切り拓きながら、持続可能な学園改革へと繋げて行くべきであったのだろうと思う。そこには私たち改革の主体者の中にも、ことの重要性と本質についての共通の理解を持つことに対して、油断があったのではないかと思う。そして、その新自由主義の企みは、現在の学園にもますます大きく被さってきていることを、理解し、現にR学園では民主的再生を目指す闘いとして取組まれてはいるが、より一層それらに対する対応策を構築していく必要があるだろう。
(続く)
「一押しBook」
書名:外国人実習生 差別・抑圧・搾取のシステム
著者:「外国人実習生」編集委員会(指宿弁護士他、弁護士や支援団体の人たち)
出版社:学習の友社 2013年1月10日初版 1,500円(税込み)
書評:
グローバル人材の養成が盛んに言われている。『産学連携によるグローバル人材育成推進会議』などでは、『日本人としてのアイデンティティを持ち』『母国語以外でコミュニケーションが出来て』などと相変わらず空疎なグローバル人材の定義がもっともらしく言われている。企業が求めるグローバル人材もパナソニックは『国籍に関わらず優秀な人材』であったり、ローソンは『海外でのマネージメントや店長』であったり、ユニクロでは『世界同一賃金で年間100万円で働く人材』であったりして、まったく理念やポリシーが感じられない。
しかし私は、企業や行政の思惑とは全く別に、日本のグローバル社会化は、もう既にそうだろうが必然であると思っている。世界の若者の大学卒業後の就職率は、中国で30%、韓国60%弱、台湾70%前後である。留学生で日本企業、日系企業への就職希望者は今後ますます増えてくるだろう。大学生に限らず現状を見ても介護の職場、サービス業、自動車メーカーの期間労働者など多くの外国人労働者が雇用され、日本のグローバル社会化は着々と進んできている。
更に本書は18万人といわれる外国人実習生・研修生の実態を、裁判事例などの事実を紹介し徹底的な現場視点で告発している。国際協力などの美名の下に、パスポートを取上げ、自由を剥奪し、半ば監禁状態で実習生は無償で、研修生は自給300円で極端な長時間労働を強いる。地方の末端の下請けで縫製作業に従事したり、農作業に従事させ、彼や彼女らには『労働者でない』から労働法が適用されない。そういった実態の一方では、ブローカーが介在し不当な利益をせしめることや、実習生・研修生抜きには成り立たない『会社』などの社会構造に対しても告発をする。
本書の中に、ますます進行する日本のグローバル化の闇の部分を見た。
イソの評価:★★★★☆
蔵書:キャリアセンター資料として書架にあり