"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

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パライソメッセージ20130927 No.28

2013-09-27 17:32:37 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.09.27 N0.28

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【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-⑥

 

4.「学園改革」はフェードアウトするのか?

 「学園改革」のサステイナビリティを支える3つの軸について述べてきた。すなわち第1に『平和と民主主義の教学理念の共有』第2に『教職協働による学園創造』そして第3に『学生の学びと成長を創り出す、学生が主役の学園創造』。実際の事例を見つつ、それらの『仕組み』を考えてきたが、3つの軸を投げ捨て、理念やポリシーを喪失しつつあるR学園は、はたして『学園改革』を目指すダイナミズムが衰弱し、光り輝きを失い、改革がフェードアウトしていくのであろうか。我々はフェードアウトを座視していて良いのだろうか。

 その問いかけに対する答えを考えるとき、まず前提として近年の、特に1990年代以降の高等教育や教育全般をめぐる状況を見る必要があるだろう。今日の学園トップの一部や、変節に至ったかつてのトップ、今も学園運営に少なくない影響を持っていると思われるかつてのトップが言っていた『情勢との切り結び』が、如何に曲げられてきたかを見つめなければならないと思う。

 

 (高等教育を取り巻く状況と「新自由主義(高等教育)政策」)

 1998年に大学審議会答申、『競争的環境のなかで個性の輝く大学』が公表された。まさに『2007年問題』(いわゆる、ゆとり教育世代の若者が4年生大学を卒業する年)『大学全入時代』『定員割れ大学の続出』等、高等教育に対する脅迫的ともいえる社会状況が目前に現実のものとして迫り、『護送船団方式』といわれた高等教育政策・行政が一気に『規制緩和』『競争至上主義』『自由競争』への転換の強制に全国の殆ど全ての大学は衝撃を受けた。日本の資本主義が構造的に新自由主義へと転換していくのに伴い、高等教育においても新自由主義の波が大きく押し寄せてきた。

 各高等教育機関は、大学審議会答申を我先にと『受け止め』、それぞれが「個性を打ち出す」ことに躍起となり、研究大学やら教養大学やら生涯教育大学等々に大学の個性を出そうとしてきた。しかしこれは政府・文部省(当時)の高等教育支援の放棄が背景にあり、当時の時流を鑑みると、民営化・民活を推し進めた小泉改革、つまり「新自由主義の高等教育政策版」への平伏ではないか。その結果どうなったか。幾つかの答申を経て2005年中教審答申、いわゆる「今日の高等教育の将来像」で政府・文部科学省が「新自由主義高等教育政策」の「ダメ押し」を出すまで、全国の高等教育機関は、「競争的環境」の中で全く「個性が輝く」ことなくどころか、R学園においてさえも理念や哲学を投げ捨て、競争的資金獲得のために汲々とし、個性を投げ捨てた貧相な学園に陥ってしまった。

 文部科学省の政策誘導は金科玉条ではない。それどころか、近年大きなミスリードを繰り返している。司法人材の大量養成としてロースクールを設置して、従来の数倍の司法試験合格者を輩出してきているが、周知の通り問題が山積。科学技術立国を煽り、大学院生特にドクターの大量輩出は深刻なオーバードクター問題を起こしている。公認会計士の大量養成も、株式会社立学校の相次ぐ撤退(投げ出し)もしかりである。同様にミスリードの答申や政策への無批判な追従の結果、まったく『没個性』のまま全国の高等教育機関が「7つのパターンへの機能分化」や、「12の提言」を鵜呑みにすると言う、いういわゆる「情勢」と切り結び、主体的に情勢を切り拓くのではなく、「情勢」に「飲み込ま」れ、まるで「金太郎飴」のように大多数の大学が、独自の顔(理念)を持たずに同じ顔をした「改革もどき」に邁進し、挙句行き場の無い閉塞状況に陥っているのではないだろうか。

 高等教育における新自由主義の大学政策は、国立大学法人化、長・中期計画の立案と大学評価、そして理事長(学長)の権限の強化とトップダウン・ガバナンスを強制している。これは私学に対しても同じで、自己評価を迫り、また学園のガバナンスでは、ことさら迅速な意思決定とその『仕組み』として、私立学校法の一部「改正」を背景にしつつ「理事長(および理事)の権限強化」が制度化され、トップダウンが強化されてきた。今思うと、R学園の理念と受け容れることの無かったこれらの施策に押し流されることは大いなる危惧であると迅速に見抜き、情勢を主体的に切り拓きながら、持続可能な学園改革へと繋げて行くべきであったのだろうと思う。そこには私たち改革の主体者の中にも、ことの重要性と本質についての共通の理解を持つことに対して、油断があったのではないかと思う。そして、その新自由主義の企みは、現在の学園にもますます大きく被さってきていることを、理解し、現にR学園では民主的再生を目指す闘いとして取組まれてはいるが、より一層それらに対する対応策を構築していく必要があるだろう。

 

(続く)

 

「一押しBook」

外国人実習生... 

 

書名:外国人実習生 差別・抑圧・搾取のシステム

著者:「外国人実習生」編集委員会(指宿弁護士他、弁護士や支援団体の人たち)

出版社:学習の友社 2013年1月10日初版 1,500円(税込み)

書評:

 グローバル人材の養成が盛んに言われている。『産学連携によるグローバル人材育成推進会議』などでは、『日本人としてのアイデンティティを持ち』『母国語以外でコミュニケーションが出来て』などと相変わらず空疎なグローバル人材の定義がもっともらしく言われている。企業が求めるグローバル人材もパナソニックは『国籍に関わらず優秀な人材』であったり、ローソンは『海外でのマネージメントや店長』であったり、ユニクロでは『世界同一賃金で年間100万円で働く人材』であったりして、まったく理念やポリシーが感じられない。

 しかし私は、企業や行政の思惑とは全く別に、日本のグローバル社会化は、もう既にそうだろうが必然であると思っている。世界の若者の大学卒業後の就職率は、中国で30%、韓国60%弱、台湾70%前後である。留学生で日本企業、日系企業への就職希望者は今後ますます増えてくるだろう。大学生に限らず現状を見ても介護の職場、サービス業、自動車メーカーの期間労働者など多くの外国人労働者が雇用され、日本のグローバル社会化は着々と進んできている。

 更に本書は18万人といわれる外国人実習生・研修生の実態を、裁判事例などの事実を紹介し徹底的な現場視点で告発している。国際協力などの美名の下に、パスポートを取上げ、自由を剥奪し、半ば監禁状態で実習生は無償で、研修生は自給300円で極端な長時間労働を強いる。地方の末端の下請けで縫製作業に従事したり、農作業に従事させ、彼や彼女らには『労働者でない』から労働法が適用されない。そういった実態の一方では、ブローカーが介在し不当な利益をせしめることや、実習生・研修生抜きには成り立たない『会社』などの社会構造に対しても告発をする。

 本書の中に、ますます進行する日本のグローバル化の闇の部分を見た。

 

イソの評価:★★★★☆

蔵書:キャリアセンター資料として書架にあり

 

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パライソメッセージ20130920 No.27

2013-09-20 18:45:31 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.09.20 N0.27

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 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-⑤

 (3)学生の視点、「学生が主役」の立場に立った学園創造

 学園の「改革」を支える3番目の柱は「学生の視点、『学生が主役』の学園創造」である。

高等教育のミッションは何か。何を『教え』『育む』のか。その規範やモデルは何なのか。そもそも『教える』ことが、本当にミッションなのだろうか。私は、狭義の意味で『教える』のではないと思う。特に高等教育において、学校から社会へ移行する青年たちとどう関わっていくのかは、大事な問題で有り、教育学においては大きな論点として明治以降引き継がれてきたことではないか。

 その点についての考えは別の機会に述べるとする。ただ大事なことは、学校から社会へと学生が移行するに当たって、高等『教育』においては、学生が自立して主体的に自分の人生過ごしていけるべく、マインドやスキルを習得するのをサポートするのが、大きなミッションの1つではないかと思う。言い換えれば、将来の社会の担い手である青年たちを、アクター・アクトレス(主役)として社会に『送り出していく』ことではないか。かつて、といってもそう遠くない以前まで、R学園においては、学生の視点で「学生が主役」の学園作りということが、全学園の構成員の共通の理解であった。R学園ではこれまで学園政策策定のプロセスにおいて学生が参加すること、学生が重要な学園構成員として機能することによって、大きな役割を果たしてきた。例えば、学部においては学部五者懇談会があり、全学的には全学協議会代表者会議であり、全学協議会である。これらを通じて学生は主体的に「学生の学びと成長」の議論に参加し、つい最近の2007年全学協議会でも「学習者が中心となる教育」が活発に議論されてきた。「大学教育」における学生目線は例えば授業評価においては、学生による授業アンケートを活用し教員と連携し、大学教学への課題の提起や、FDへの具体的適用として継続的に進められてきている。

 R学園の学生は主体的に教学の「改革」に参加しながら、一方では学生の「自主的・民主的活動」も、学園内の問題解決に留まらず、広く社会における青年・学生のあり方を提起しながら、全国の牽引役を果たす活動を繰り広げてきた。学園はそういった青年・学生が課題を解決する、生きた教材を提供してきたし、支援もしてきた。大学問題、平和の課題、公費助成等の具体的運動で、R学園の学生は、全国の推進役であった。一部トップ層の中には『現在の学生のレベルは、かつての激烈な全学協を繰り広げてきた時代の学生のレベルとは違う』とかいって、『教育』や『指導』に重きを置くとか、「学生のレベルの低下」=全学協そのものの「見直し論」があるようだが、まったくそれは的外れである。当時の学生諸君は、かつての激烈な学生運動の時代の学生達がとても出来なかった、1000名以上が参加して圧倒的支持を得る学生大会を見事に成功させている。これは全国の大規模大学の学生自治会、学友会のどこもなし得ないすばらしい「自主的・民主的」活動であり、それは学園全体で誇りえることである。学園の「改革」はこういった学生たちのすばらしい活動とともに歩んできたのである。立命館学園と対極的に、学生が抑圧されていたり、元気が無い大学・学園は、閉塞的で活気や精気がないのは歴史的に見ても、現実を見ても明々白々である。 

 教職員の現場においても、一貫して学園の主役である学生の視点・学生の立場に立った業務遂行を具体的に実践する努力を行ってきた。例えば『R学園らしい学生支援』を絶えず念頭に置いた「進路・就職支援」の取り組みでは、学園の改革と連動して、司法試験、国家公務員1種試験(現、総合職)、公認会計士試験などの難関分野試験やトップ150企業への就職実績を大きく向上させるてきた。また、教員や公務員への進路実績も私立大学ではトップクラスとなっている。学生のキャリア形成支援のオフィスでの学生の相談件数は、年間でのべ27,000名以上(2012年度)に達している。この件数も全国の大学の中で圧倒的に多い件数となっている。単純に相談件数が多ければよいと言うものでは勿論無いが、学生の職員に対する信頼度の指標と見ることは出来るだろう。「大学ランキング」では、「就職支援に熱心」という項目で、長年にわたってトップの評価を得ていた。ここ数年他大学にトップ・2位の座を譲っていることについては、看過することなく受け止めなければならないと思う。もちろんいわゆる「就職実績の飛躍的前進」のみならず、「進路・就職」を契機に、学生のキャリア形成支援を通じて学生と教職員の信頼関係も強くなっていることへの評価であったことは間違いない。これは当該の部課だけではなく、他のオフィス・セクションも同じように、教職員すべてがそれぞれ「学生の視点」「学生が主役」を念頭に業務を遂行しており、これらのことがR学園の大きな特徴、伝統であり、改革を推進してきた3番目の「強み」であり「特色」でもある。

(続く)

 

「一押しMovie」

書名:少年H

監督:降旗康男

出演:水谷豊、伊藤蘭、吉岡竜輝(少年H)、花田優里音(妹)、小栗旬(うどん屋の兄ちゃん)

内容:

 とにかく懐かしい、私にとっての原風景だった。土の道を挟んで木造の店や家が並んでいる。モノトーンのセピア色の風景だった。映画では1940年頃で、私の記憶に残る原風景は1955年頃なのだが、この映画と同じ風景だった。

 しかし、ストーリーは牧歌的ではない。開戦、軍国主義化、女兄ちゃんの招集と兵役を忌避しての首吊り自殺、仲良くしていたうどん屋の兄ちゃんは思想犯で特高警察に捕まる、そのうちに父親までもがスパイの嫌疑で連行され惨い取調べを受ける。戦争の中で自由と人権を略奪される日常生活が描かれる。そんな中で交わされる家族や町内の人々、在郷軍人らとの抑圧された言葉のやり取りに、暗黒の時代に対する告発が伝わってくる。

 「思想犯は最前線送りやね」

 「お国のために戦えばいいんや」

 「外国の人のほうが日本のことをよく分かっている」

 「新聞は嘘ばかり書いている」

 ヘイトスピーチを特集したり、従軍慰安婦問題で河野談話を否定し河野氏を民事告訴する動きが顕在化したり、権力の嘘や横暴への批判を忌避したり、迎合したり、憲法改悪に論陣を張らないマスコミであったり、今の日本がオーバーラップしてくる。良心に忠実に生きる仕立て屋の父、強くやさしい母、正義感が強く、ものごとの本質を掴もうとする少年H、とにかく可憐で可愛い誰かが言っていたけれど少女時代の田辺聖子のような妹、うどん屋の兄ちゃんや女兄ちゃんたちが大変好演で、当時の日本社会の世相を伝えていた。

 最近作では「ほたる」や「あなたへ」の降旗康男監督らしいリアルな描写の中にも、叙情的な映画の世界に浸った。

 

イソの評価:★★★★☆

 

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パライソメッセージ20130913 No.26

2013-09-12 15:57:15 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.09.13 N0.26

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 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-④

  かつての光り輝いていたR学園の「改革」を支えてきたもの、「改革」を持続的に発展・展開させてきたものとその「本質」は一体何であったのか。前回は、学園の全構成員による「平和と民主主義」の教学理念であると述べた。今回は「教職協働」について論及してみたいと思う。

 2.光り輝いていたR学園の改革を支えてきたものは何だったのか

 (2)教職協働とその仕組み

 学園の「改革」を支えてきた2番目の柱は「教職協働」である。

 学園政策の策定のプロセスにおける教職協働は、社会から「改革のフロントランナー」とか「リーディングユニバーシティ」といわれていた1990年頃の学園の長期計画策定の過程では、課題ごとにプロジェクトを結成しそのプロジェクトでは教員・職員が協働して情勢分析を試み、データ-を集計して、真剣に議論して全学への政策提起文書を練り上げてきた。そこで策定され提起された政策は、前節で述べたように教員・職員それぞれの会議へフィードバックされ、議論され、様々な厳しい意見を踏まえて教職の共通認識による政策として立案、提起されてきた。そのような厳しいプロセスを経て「学園改革の諸課題」はそれぞれ学園構成員が共有するミッションとなっていた。そのような教職協働が、諸課題遂行の強力なバックボーンとして、学園改革が営々と築かれてきたのである。

 また、教職協働は議論だけに留まらず、具体的に実践されてきた。1990年頃からの理工学部拡充移転には学部の拡充だけではなく、産学連携も大々的に進められてきた。この当時のリアルな報告は2009年1月26日発行の「UNITAS Review vol.8 学園の飛躍的発展の時代~1990年代の学園発展の原動力~」での元教職員の対談や、100年史の中で詳しく書かれているので、是非ご参照願いたい。この時期以前の産学連携(産学共同)は、旧帝大を中心とした国立大学の研究室や講座と大企業との間の「産学共同」が専売特許であった。どちらかと言うと、『R学園が産学協同とはどういうことだ!』と驚愕されるか、批判されるかといった風潮のほうが社会的には大きかった。そういった中でR学園は理工学部(のちには文社系も)教員の研究分野を、教員はもちろん、職員も主体的に「協働」して果敢に『営業活動』を繰り広げ、「自主、独立、公開、平和(利用)」を原則に、大手企業はもちろん有力中堅企業、中小企業、地場産業またベンチャー企業等へも学園の研究成果を紹介し、産学連携を成就させていった。従来の産学協同に大きな一石を投じ、大いなる問題提起をなしつつ、当時前述のように国立大学、W・K大に伍して「外部資金ランキング23位」の実績をあげるに至った。なお、W・K大は外部資金の比重として「寄付」が多いのだが、R学園は「受託研究」の比率が高いのが特徴である。

 教職協働の実践例は、2000年の新しい国際大学の開設時には、よりいっそうR学園らしいシンボリックな動きとして見られる。新国際大学の開設に当たっては、相当激しい議論が長期にわたって行われた。当初は「優秀な留学生を集めるのは不可能」「学園の財政に重大な危機をもたらす」「教職員の業務に多大な負荷を与える」など、相当な反対論が主力であった。しかし開学の予定を1年延期してまで徹底した粘り強い議論の末、「自由、平和、ヒューマニズム」を教学理念として新国際大学開学が学園構成員の合意をえて、ミッションが共有化されるに至ったのである。そして開学を決断して以降は、教員と職員が一丸となって開学の成功に向けての作業に取り組んだ。例えば、国際学生のリクルートのために教員と職員がチームを組み、世界各国へ赴いて各国の有力進学高等学校や国立高校を訪問し、各国の文部省や教員への説明、生徒たちを集めて新国際大学の説明会を開催した。そのようにして世界各国の優秀な留学生を受け入れる素地を固め、今日の優秀な留学生集団の礎を築いてきた。このことは「教職協働」の実践の典型的な事例である。「教職協働」の実践によって、教職それぞれのミッションとモチベーションが高揚し、更に新たな「改革」、「改革の持続」へと繋がって行くのであり、それを実践してきたことが2つ目のR学園の大きな特色でもあり「強み」でもあろう。

(続く)

 「一押しBook」

キャリア教育... 

 

書名:キャリア教育のウソ

著者:児美川 孝一郎(こみかわ・こういちろう) 1963年生まれ、東京大学大学院教育学研究科博士課程修了、現法政大学キャリアデザイン学部教授(元学部長)、著書は『若者はなぜ「就職」出来なくなったのか?』『権利としてのキャリア教育』『「親活」の非ススメ』等。

出版社:筑摩書房 20136月初版第1刷

書評:

 児美川先生は法制大学キャリアデザイン学部の現職の教授。若者のキャリア形成支援の現場に機会あるごとに関わられ、本著も現場視点からの問題提起や提言が鋭くなされている。

 プロローグでは4名の児美川先生のゼミ生の卒業後のそれぞれのキャリアの紹介。彼ら彼女らは、超大手有名ブランド企業や世間で注目される企業に就社したわけではない。絵に描いたようないわゆる『勝ち組』ではないけれど、夫々の興味・関心を自分の仕事とし、非正規雇用であっても、フリーター経験者であっても起業をして何とか頑張っていたりしながらも夫々が自らのキャリアデザインを実践している。

 今日盛んに言われている『キャリア教育』によって、どういった若者を『造り出そう』としているのかのポリシーが無いまま、成功モデルを規範化しようとすることに対する問題提起と批判が、本著を通じての論及の軸である。

 「キャリア・アンカー」や「プランド・ハプンスタンス・セオリー」を挙げながら、いわゆる『キャリア教育』の在り方に疑問を呈する。そして多様な若者の『生き方』と『正社員モデル』を対比しながら、就職実績で学校間格差の作り出している現状に問題を提起する。本著のメッセージは、主体的に自分のキャリアをデザインし、それを実現しようとする若者に対するエールである。

 ただ、『キャリア教育』に対する問題提起は鋭い論点であったが、一方でどういった『キャリア教育』が、と言ったサジェッションがあれば、論点は更に拡がったのではないだろうか。

 児美川先生をはじめ法政大学キャリアデザイン学部の先生方が、学生のキャリア形成を、徹底した現場視点でサポートし、活発にメッセージを発信しておられることに、尊敬の念と大変心強い思いを持つ。

イソの評価:★★★★☆

蔵書:キャリアセンター資料で、書架にあり。

(続く)

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パライソメッセージ20130906 No.25

2013-09-04 17:33:39 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.09.06 N0.25

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【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-③

2.光り輝いていたR学園の改革を支えてきたもの

 かつての光り輝いていたR学園の「改革」を支えてきたもの、「改革」を持続的に発展・展開させてきたものとその「本質」は一体何であったのか。

 

(1)「平和と民主主義」の理念の共有

 学園の「改革」に取組み、「改革」のモチベーションを高め、サステナビリティを可能たらしめてきた1番目の柱は、学園の「理念」やポリシーを、学生、教職員、更には校友・父母を含めた学園関係者が学園のアイデンティティとして理解し、共有してきたことである。要するにR学園の「哲学」を共有してきたことである。R学園は戦後、教学理念を「平和と民主主義」と定め、そのアイデンティティは全学園構成員、校友・父母らが誇りを持って共有しながら、学園の営みは続けられてきた。そのことは社会的にも大きく認識され、「平和と民主主義」は立命館学園の「代名詞」であり、立命館学園そのものを表す「理念」であった。まさに他大学を凌駕するモニュメントであったといっても過言ではないだろう。教学理念は第3次長期計画以降においては、学園の改革の理念として、「太い背骨」であり、立命館学園の「本質」であったのは明らかである。あらゆる「改革への施策」は「平和と民主主義」という教学理念に貫かれていた。そして「平和と民主主義」を軸として、たとえば世界で唯一の、大学が付設する国際平和ミュージアムを建立し、世界に平和のメッセージを発信してきたり、「自主・民主・公開・平和(利用)」を理念として、中堅・中小企業とも協働した産学連携や、APUにおけるミッションとしての「自由・平和・ヒューマニズム」というミッションの宣言などへと、多様に発展し活気溢れた大きな展開を果たしている。

 「理念」を学園のアイデンティティとし、全学園の構成員が共有し、それをバックボーンとした「改革」をすすめてきた仕組みは、全学園構成員、時には学園のステークフォルダーも含めた旺盛で熱心な議論である。常任理事会や、職員も含めたメンバーで構成される各委員会やプロジェクトから提起される答申や政策文書を、教員は学部教授会で議論を深め、職員は業務会議・部会議等を通じて議論し、それぞれ答申や政策で提起された事項と学園の「理念」との整合性を検証する。教員・職員は時には激烈で旺盛な議論を経て答申や政策を主体的に自らの「課題」とすることによって、全学園構成員の「改革への意思一致」として形成され力が結集されてくる。たとえば2000年4月の開学にいたるまでのAPUに関わる議論では、強烈な反対意見が根強くあったにもかかわらず、開学を決定して以降学園の教員・職員はミッションを共有し、協働して開学への作業を行っていった。その支えの軸となったのは学園の「平和と民主主義」の理念であり、その理念を軸として宣言された、APUの「自由、平和、ヒューマニズム」のミッションであった。

 また、「理念」「教学」「学生生活」「学費・財政」等の問題については、学部五者懇談会、全学協代表者会議、全学協議会等を通じて学生も議論に参加し、学生が学園構成員の重要な一員としての役割を果たしている。これはR学園の特有のものであり、それを後輩達に引き継いでいくことによって、学生たちは学園の「改革へのエネルギー」の大きな醸成要素でも有り続けた。そして「改革」を実践することによってそれぞれが確信となり、新たな「改革」へのモチベーションへとつながり、持続した「改革」へとステップアップしていく。そして再びそこへ学園の構成員が主体的に参加していくのが、R学園の本来の営みであり、他に類を見ない強力で圧倒的な「強み」でもあった。そこに営々と息づいていたのは「平和と民主主義」という学園の教学理念であった。

 全ての学園構成員が共有すべき「理念」である『憲章』には「建学の精神(自由と清新)と教学理念(平和と民主主義)に基づき、・・・正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努める。立命館は、この憲章の本旨を踏まえ、教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する。」「学園運営にあたって、私立の学園であることの特性を活かし、自主、民主、公正、公開、非暴力の原則を貫き、教職員と学生の参加、校友と父母の協力・・・」とRの理念と理念を共有する仕組みが、格調高く謳われている。

(続く)

 

奇跡のリンゴ 

「一押しBook」

書名:奇跡のリンゴ

著者:石川拓治(いしかわ たくじ) 1961年生まれ、ノンフィクションライター。著書に『ぼくたちはどからきたの』(マガジンハウス)、『国会議員村長』(小学館)、『37日間漂流船長 あきらめたから、生きられた』(幻冬社文庫)など

出版社:NHK出版

内容:

 6月に紹介した「一押しMovie」のノンフィクション版。あらすじは映画と同じで、ノンフィクションの出版が先なので、映画は忠実な再現。

 さて、ノンフィクション版も映画も、当然同じストーリーなのだが、映画鑑賞後とノンフィクション版の読了後では、随分と『余韻』が異なる。映画のほうは、木村秋則さん、家族、友人、近所の人たちとの関わりがストーリーを展開させていく、ピュアな『人間ドラマ』であった。希望、連帯、悩み、葛藤、絶望等が繰り広げられ、最後の最後に新生・復活の光が差す、そんなドラマであった。

 本のほうは、人間ドラマではあるが、いわばもっと『哲学的』メッセージを発している。

 無農薬リンゴは『作った』のではない。『自然』が木村さんにプレゼントしてくれたのである。『自然』に全てを委ねた木村さんは始めのころは、農薬に替わるものを懸命に探し、ありとあらゆるものを試してみたが、上手くいかなかった。そして命を絶つ意を決した絶望の淵で、『自然』からのメッセージを受け、『自然』を受容しようとするようになる。

 そこで描かれているのは『自然と人間の関わり』という、古来からの哲学的な命題でもあり、言い換えれば『神によって賜った』物への畏怖でもある。

最近TPPなどで農作物の自由貿易が秘密裏に交渉されているが、TPP推進の圧倒的な筆頭であるアメリカのグレイン・メジャーや多国籍企業は、遺伝子組み換え(GM)農作物や種子、農薬や抗生物質漬けの食料を梃子に世界戦略を狙う。食料は、武器、エネルギーに続く更には最も効果的な戦略物資である。『奇跡のリンゴ』が発するメッセージは、『今だけ、金だけ、自分だけ』の刹那的なポリシーを持つグレイン・メジャー、多国籍企業や投資家、富裕層の生き様に対する、痛烈なアンチテーゼでもある。

 

イソの評価:★★★★★

蔵書:茨木市民図書館蔵書

(続く)

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