========================
パライソメッセージ 2013.08.02 N0.22
Mail : isokawas@goo.jp
Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas
========================
「パライソメッセージ20130802 No.22」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。
【主張・意見・コメントのページ】
テーマ:何故日本は『壊滅的な』状況になってしまったのか⑥
『壊滅的な』状況から日本を再建していく為に、片務的・屈辱的軍事同盟を破棄しなければならない理由の第二は、外交上の紛争は、あくまで正々堂々と外交で解決して行くことである。そのこと自体を国際的にアピールすることが、世界での信頼をいっそう強固にする。
日本の外交上の課題は大変多い。安倍首相は『日本を取り戻す』などと言って、憲法9条を『改正』し国防軍設立を構想し、さかんにプロパガンダを張っている。麻生副総理は「ワイマール憲法がナチス憲法に密かに変わって行ったのを学べ」とまで言っている。しかし国防軍は、自主独立の独立国家の軍隊ではない。アメリカの庇護の下にある猛犬の飼い犬のようなもので、安倍首相本人もアメリカの庇護を大前提に大声を出しているが、一方では飼主への忠誠は良くわきまえている。ところが実際の外交交渉の対応は大変拙い。尖閣列島問題では、『領土問題は存在しない』というのが政府の公式見解で、その一方で安物のナショナリズムを煽り立て、中国を敵視するだけで道理と事実に基づいた外交交渉をしようとしない。竹島も北方領土問題も歴史と事実と道理に基づいた外交交渉も出来ず、安物のナショナリズムを煽り立てるだけで、なんの進展も無い。そうこうしているうちに、『中国にも道理があるのではないか』等といったことがいろんな国で言われだしたり、肝心のアメリカが中国、韓国と対話を進めるといったことが現実に起こっている。なんと言うことは無い。飼主の威を借りて吠えまくっていたのが、いつの間にか肝心の買主が違うペットを可愛がろうとしているではないか。北朝鮮に対しても、盛んに吠えまくっているうちに、米中韓では6カ国協議の再開に向けて外交交渉を進めているではないか。日本が思い込んでいるほどアメリカは日本のことを思っていない。自国の利益が最優先だ。こんなことは冷静に考えれば誰でもわかるのではないか。気が付けば国防軍を持った世界の孤児、そんな事態が現実味を持った懸念として浮かんでくる。
『壊滅的状況』の日本が世界のわけてもAEAN諸国の真の信頼と尊敬を得ようと思えば、世界の孤児、アジアの孤児で、思い込みの孤高に佇んでいるだけでは駄目である。日本が尊厳を持って生き抜けるのは、先に行った平和憲法を掲げ戦争放棄の理念を掲げることと、自主独立の外交を堂々と進めることだと思う。但し、『受身』だけでは駄目で、また空疎な理想論だけでは実現しない。そのためにどうするかは、以下第3の論点の通り。
第三の論点は、憲法9条を持ち、広島・長崎そして福島の経験を持つ日本であるからこそ可能と重みがあるが、反核、反戦そして自主独立の平和主義をもっと積極的に世界にアピールし、具体的なアクションとして国連の事務総長を日本から送り出し、ノーベル平和賞の日本からの輩出を積極的に目指す。それらのことは日本の安全を保証する最大の担保となる。かつてアメリカの国務長官であったパウエル氏は、本人は反対であったといわれているが、イラク戦争を指揮した。彼が最近、「核抑止力とは究極は核兵器を使うということだ、核抑止論者は広島を見るべきだ」とか「核兵器は人類を滅ぼす」と言い、核抑止力を批判し核兵器の廃絶を堂々と主張している。ひょっとするとノーベル平和賞候補となるかもしれない。どうして日本の政治家や叡智たちはそういったことが出来ないのか。権力者の情報を垂れ流すだけで、今回のパウエル発言にも無視を決め込んでいるマスコミの退廃は大きな原因であろうが、そういった人材が日本にいないのではない。憲法9条の会は2004年の発足以来幅広い活動を続け、多くの人材を輩出している。いわゆる『右より』といわれる人でも、真の意味で自主独立を言い、核兵器の絶滅を主張されている人物も多くいる。被爆国、福島を経験した日本は、思想信条の違いを超え平和を希求する国民性であり、それを唱える叡智は豊富である。何故、世界での評価が弱いのか。それは、戦後日本の歴代の為政者が、アメリカの属国として、アメリカに遠慮して日本の国是としての平和を世界にアピールしてこなかったからであると思う。しかも、本来ならばそういった世論を大いに喚起しリードして行かねばならないマスコミが、権力に迎合するといった退廃堕落の有様で、日本の国際的信頼を貶めていると言っても言い過ぎではないだろう。
日本は、世界の平和構築のために先頭に立って貢献し、国を挙げて思想信条を超えてノーベル平和賞の人材を輩出し、ひいては国連の事務総長を輩出する、それぐらいの腰の据わったパフォーマンスをするべきであるだろう。『日本が国際紛争に巻き込まれた時、それは日本の相手国に非があるのが世界の常識』といわれるほどの地位を築いて欲しいものであるし、それが可能な条件である日本の平和へのアドバンテージは、確実に実らせて欲しいと思う。
『壊滅的状況』の日本からサステイナビリティ・ディベロップメント(Sustainability Development)の日本への転換は、世界の諸国わけても近隣のASEAN諸国との平和・友好関係のもとでの実の有る経済・文化の交流を進めることであり、そこで日本の役割を十分に果たすことであると思う。『壊滅的』になってしまった根本原因は排除しなければならない。同時に日本のSustainability Developmentは、そのような理念やポリシーによってバランスよく実現されていくだろう。
世界や日本のあるべき姿や課題をメッセージにしてきた。世界や日本は少し大きいので、次回以降は、R学園が再び光り輝き、元気になる為の提言を述べたい。
(続く)
「一押しBook」
書名:立命館大学紛争の5ヶ月 1969
著者:写真 小原輝三、1948年生、立命館大学文学部卒業、学校法人立命館職員(2008年退職)、『写真集 向銭看時代 中国1988年~1997年 豊かになれる人から豊かに』出版、2013年没
文 鈴木元、1944年生、立命館大学経済学部卒業、学校法人立命館職員(退職)、主な著書『立命館の再生を願って』
出版社:文理閣 1800円+税、生協ブックアンドサービスで取り寄せ可能
内容:
私が大学に入学する前年の1967年頃から全国の大学で学園紛争が勃発し瞬く間に広がって行った。若者たちの『怒り』で表現されていることがあるが、それは学園紛争の本質とは異なる。ただ、世界中の国々でいわゆる若者たちの『怒り』は燎原の火のごとく立ち昇った。フランスのパリでは、カルチェラタンにバリケードを築き、解放区を謳歌する若者たちが『革命』を叫んだ。アメリカでは『いちご白書』(Strawberry Statement)に象徴される学園紛争が多発した。その背景にはアメリカによるベトナムへの侵略戦争があり、泥沼で出口の見えない侵略戦争への若者たちの厭戦気分とニヒリズムがあった。
マスコミは、学園紛争を全共闘とか新左翼といった一部の暴力的潮流を象徴化しシンボル化してきた。しかしそれは正しい歴史認識では全くない。ベトナム戦争反対といった平和の課題や大学管理運営法反対といった政治課題もあったのだが、基調となる本流は全国の大学の民主化のための闘いであった。私はその渦中に、主体的に飛び込んだ。本書は、立命館の学園紛争を民主化闘争の立場からの写真記録と論説である。学園紛争を知らない若者にも是非見て頂きたい本である。
イソの評価:★★★★☆ 若い人には★★★★★
蔵書:イソ蔵書(貸し出し随時)、生協のブック・アンド・サービスで取り寄せ可能
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます