いよいよアンギオの検査の後、脳動脈瘤の手術の決断。そして手術の承諾へと、事態はどんどん進む。不安もたかまるが、どうとでもなれと言う気持ちにもなってきた。
二〇〇六年一月二十八日(土)
朝から心臓のエコー検査と、フォルダー心電計による二十四時間の心電図検査を受ける。心臓のエコー検査では心臓の弁の動きがモニターで見える。一生懸命に働いている自分の心臓や弁の鼓動に、愛おしさが沸いてくる。フォルダー心電計装着のためもう一日検査入院の延長となった。心臓検査のあと、外来に降りて、次回の診察予約は二月十七日の十二時となった。この診察日に、正式に手術の承諾と決定を行うこととなる。<o:p></o:p>
この日は午後三時三十分頃に連れ合いが見舞いに来た。いろいろと話し、夕食をとって暫くすると午後七時ごろに、三女のえみが見舞いに来た。暫く三人で話したあと、連れ合いとえみは帰っていった。<o:p></o:p>
二〇〇六年一月二十九日(日)
朝八時に朝食。その後看護師さんにフォルダー心電計を取り外してもらい、『自由の身』となって、九時三十分に検査入院は終了し、退院となった。<o:p></o:p>
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二〇〇六年二月十七日(金)<o:p></o:p>
この間の診察や検査、インフォームド・コンセントを受けて、本日のI医師の診察で手術日の決定等を行うことになっている。アンギオで入院の際に『手術を三月二日にお願いしたい』といっており、了承されていた。しかし、後でいろんなことを考えているうちに実は三月二日は『仏滅』であることが分かった。私は、そのようなことに対しては全く信用もしておらず、気にもしない性格である。だが、今回はさんざん手術のリスクや後遺症などのインフォームド・コンセントを聞いており、さすがに連れ合いとも相談し、手術日を変えてもらおうと思った。最先端医療を実践する病院で、そんな理由で手術日を変えて欲しいといったら、一喝されるだろうなと思いながら、理由を聞かれたらそのときは『どうにもならない仕事が、急に入った』と言い訳しようと考えていた。<o:p></o:p>
そんなことを考えながら、午前十時に家を出発した。十一時にT病院着。受付を済ませ、I医師の診察がある一診の前で待っていると、やがて名前が呼ばれた。<o:p></o:p>
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「どうですか。手術をするかどうかは五十川さんが決めてください。決断
は着きましたか。」<o:p></o:p>
「はい。手術をしていただくことにしました。ただ、手術日ですが、三月三日にしていただけませんか。」<o:p></o:p>
「ちょっと待ってください。三日は金曜日で、私は外来の診察日だからできません。他の日にしてください。」<o:p></o:p>
「それでは、土曜日ですが四日でお願いできるでしょうか。」<o:p></o:p>
「結構です。それでは三月四日に手術をしましょう。」<o:p></o:p>
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そのようなやり取りがあり、手術日が決定した。I医師は看護師さんに手術室の押さえや、カンファレンスの段取りを指示している。私には、改めて手術のリスクや手術による後遺症のリスクを説明してくれる。そして、来週の二十四日に来院し、手術の際の思わぬ出血の準備と、頭蓋骨を接着するための接着剤を作るために、自己血を四百CC採決することとなった。
手術のほうは、前日の三日に入院し、四日午前九時より手術となり、いよいよ開頭手術に向けてカウントダウンが始まり、私は、スケジュールどおりに、あたかもベルトコンベアの上をただ流されていく状態のようになってきた。<o:p></o:p>
診察が終わり、帰路の途中ナンバウォークで昼食。連れ合いといろんな思いを話す。柄にも無く手術がうまくいかなかったら、職場での私物はどこにあるとか、誰に連絡するか、メモを作っておくとか、そんなことも話していた。<o:p></o:p>
(続く)