"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

脳動脈瘤手術の闘病メモ⑩

2006-09-29 22:46:34 | 闘病

手術が終わり闘病生活。混乱しつつも順調に回復


 三月十二日(日)連れ合いと次女が見舞いに来る。午前中は、せっかく外出許可が出たので、病院近くの、ナンバウォークまで散歩に出かけ、ブックファーストで本を買う。「ウェブ進化論」他2冊。
 本日のメモには、「退院」などと書いてあり、一週間分混乱しているようだ。

 三 月十三日(月)本日は連れ合いは仕事のため、夕方まで来ない。さびしい思いをしていると、十五時に次女が見舞いに来た。取り留めのない話をしたが、次女が 私のことを本当に心配しているのがひしひしと伝わってくる。少し遅くなったが十九時に連れ合いが見舞いにやってきた。ほっとする。

 三月十四日(火)本日は十時に入浴。抜鈎して頭も洗ってすっきりする。最近は、なるべく体を動かすように、病院内ではできるだけ歩き、できるだけエレベーターにも乗らないように心がけている。

 五 階にある浴場から上がり、部屋に戻りくつろいでいると、十一時頃に長姉と次姉が見舞いにきてくれた。術後の順調な経過に二人とも安心してくれている。昼食 はグラタンのシーフード風。おいしかった。病院食なのだから、量もカロリーも塩分も計算されているのだろうが、それしか楽しみがないというか、いつもいつ もおいしく頂いている。それでもってダイエットも進んでいる。

 長姉と次姉は十四時前に帰った。しばらくすると、連れ合いが見舞いに来た。

 三 月十五日(水)~三月十七日(金)毎日本を読んだり、短時間外出し散歩したりの日々である。毎日連れ合いか娘が見舞いに来てくれて、気持ちが休まる。適当 にわがままも言ったりしている。術後の経過は「日にち薬」で日に日に体調と体力が回復してくる気がするが、連れ合いの助言もあり、過信はしないように心が けている。主治医のI先生から、十九日の日曜日に退院の許可が正式に出た。


               (続く)

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脳動脈瘤手術の闘病メモ⑨

2006-09-23 21:58:09 | 闘病
手術も成功して術後の安静と回復を期す闘病生活。この時に自分を振り返ることは、大切なことだとわかった。闘病メモの⑨です。

三月九日(木)昨日入浴の許可をもらったので、十時三十分に入浴をした。久しぶりの入浴で本当にくつろいだ。風呂から上がると、兄が見舞いにきており、
「順調な回復でよかったな。」
とのこと。

た だし、日記のメモにはそう書いてあるのだが、本当に入浴したのか、今となってはちょっと違う気がする。確か、頭の手術創の抜鈎(ばっこう…手術創を止めて あるホッチキスのような金属を抜くこと)の後に入浴の許可があったように思うが、何かメモと事実が混同しているようだ。

三月十一日(土)朝十時頃に、次女と三女、まもなく兄が見舞いに来た。そのうちに長姉と次姉も見舞いにきてくれて、ずいぶんとにぎやかになる。十一時前になると主治医のI先生が回診に来て、様子を聞かれる。順調に回復してきており、その旨を言うと、あっさりと

「それでは、抜鈎(ばっこう)しましょう。」

と言うことになった。

「リムーバー(確かそういったと思う)を持ってきて。」

と看護師さんに指示し、リムーバーを手にするとあっというまにブチィッ…、ブチィッ…、と抜き始めた。少し肉に食い込んでいる分チクッとするが、だんだんとすっきりと開放感が拡がってくる。

「先生。傷口を止めるのがホッチキスなら、それを抜くのはバッ(抜)チキスですね。…」

我ながら、まったく面白くない洒落を言い、一同白ける。どうも気が軽くなり、口も軽くなっているようだ。

本日より点滴が一日に一本となり、それまで静脈に入れっぱなしであった点滴用の針も抜き、都度針刺しをすることとなった。頭の三角巾もはずし、いずれにしてもすっきりとした。

(外出、外泊、入浴の許可はこの日に言われたと思うのだが、日記のメモには八日に言われたと書いてある…)

本 日京都の立命館大学では、十四時から癌でなくなった大学時代の恩師を偲ぶ会、十六時三十分からはゼミ同窓会総会が行われており、私は実行委員や事務局を仰 せつかっていたのだが、こういうことになって何の足しにもならなくなってしまった。力及ばなかったが、病室から京都の方を仰ぎ、黙祷をささげた。

                             (続く)
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脳動脈瘤手術の闘病メモ⑧

2006-09-20 23:40:21 | 闘病

 無事手術も「成功」して一安心。闘病メモの⑧です。

二〇〇六年三月五日(日)から入院期間中

 入院期間中のことは、日記風に手帳にメモをとっているが、どうも記憶も判断も「グチャグチャ」な状態で、若干記録に事実と異なることがある。しかし、とりあえず書き留めたことを整理すると、以下のようになる。

 三月五日(日)は面会時間には連れ合いがやってきた。連れ合いが来るとほっとする。朝九時からCTスキャンで術後の状態を検査。検査の後、ICUから普通病室六〇八号室に移動となった。そのうちに三人の娘たちが順番に見舞いにきてくれる。

食事はおかゆをとり、流動食とはいえ昨日から食べていないのでおいしかった。頭のほうはやはり『割れる』ような痛さだ。十八時過ぎに日曜日と言うのにI医師がやってきて、CTの説明があった。右前頭葉部に少し出血があるが、自然に吸収されていくとのことで、とりあえず術後は順調だが、しばらくは車椅子を使用し、用の無いときはベッドで安静とのことである。

 三月六日(月)やはり仕事のことが気になり、職場のY・Kさんに電話を入れた。少し仕事の上で動きがあるが、結局何もできない。もう、しばらく仕事のことは考えないようにしようと思う。本日は、大学時代の恩師で昨年秋に癌で亡くなられた「真田先生を偲ぶ会」の事務局会議の日だ。これも申し訳ないが何ともしようがない。

 三月七日(火)長姉、次姉が見舞いにきてくれた。次姉は東京からである。夕方、連れ合いがきて体を洗拭してくれた。その後着替えも済ませ、久々に気持ちがよかった。

 三月八日(水)本日より、おかゆから普通食となった。おいしかった。連れ合いは昼前にきて、夕方に帰った。その後、二十時前にI医師が回診にきて様子を聞かれる。かなり落ち着いてきたことを報告すると、経過が順調なので

 

「散歩などの外出をしてもよろしい。頭を洗わないで風呂に入ってもよい。」

 

 ということであった。

                                      (続く)

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脳動脈瘤手術の闘病メモ⑦

2006-09-15 22:45:49 | 闘病
脳動脈瘤にクリップがうまくかかり一安心だ。しかし、これからが手術後の闘病だ。今回は闘病メモの⑦

や がて、連れ合いや娘たちがICUに入ってきて対面。とりあえずは無事終了したことで安堵し、よかった、よかったと言いあった。私のほうは、『ろれつ』がよ く回らない。それに顔面が大きく腫れている。また、麻酔が覚醒してくるにつれて、頭が猛烈に痛くなってくる。『頭が割れるほど痛い』のだが、実際に割れて いるのだから仕方がない。痛み止めの『痛い痛い』注射を打ち、薬を飲むが、たいして治まらない。<o:p></o:p>

そのうちに連れ合いと娘たちは『それじゃ気をつけて』といいつつ、最後に吸飲みで水を飲ましてくれて、家に帰った。<o:p></o:p>

ICUは重篤な患者や術後の患者ばかりになり、それからが大変だった。夜になると一人の中年男性患者が、
 「痛い、痛い」
 と言いながら、手術の切開部を留める金属性 の留具を自分で抜いているようだ。さかんに看護師さんを読んでは、大声で 「抜け」
 といっているが、その都度看護師さんにしかられ、挙句はベッドに手足を縛り付けられたようだ。この人は一晩中
 「放せ、ほどけ」と大声でわめいていた。
 
 また、もう一人の 男性の患者は、痰が絡むのか
 「ガー、カー、グー」
 とうるさい。痰を誤飲して呼吸ができなくなったり、肺に入って肺炎にでもなれば大変なのに、吸引をしないのかなと思う。もう一人の女性患者は着ているも のを全部脱いでしまっているようで、やはり看護師さんにたしなめられている。ICUだから仕方がないのだが、うるさくてうるさくて、その上私自身も術後の 頭が割れるように痛くて、さすがに一睡もできなかった。<o:p></o:p>

.                    (続く)
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脳動脈瘤手術の闘病メモ⑥

2006-09-12 21:57:03 | 闘病
いよいよ脳動脈瘤の「破裂前クリッピング術」を受けることとなった。初めての(殆どのの人は経験ないか)開頭手術に、もはや覚悟。

二〇〇六年三月四日(土)
 朝の六時過ぎに起床。開頭手術の当日というのに結構熟睡した感じである。起 床してまもなく看護師さんが点滴を持ってくる。やがて八時過に兄が、八時二十分頃に連れ合いがやってきた。手術の予定は午前九時三十分からであり、いろい ろと思いを話していたが、どうも話が上ずってしまう。やはり相当緊張しているようだ。
 午前九時には看護師さんがやってきて、簡単な説明の後いよいよ三階の手術室に移動。歩いての移動である。足元はしっかりと歩いて行ったつもりである。手術室の開扉ペダルを看護師さんが踏むと重たく冷たい扉が開き、中待合へと入って行く。<o:p></o:p>

家族は手術室の中待合までで、そこで家族と別れ、連れ合いは

「大丈夫だからね」

 という。私はいよいよ手術室の奥の扉の中へと入っていくと扉は閉じられた。椅子に座って待機。中にはもう一つ扉がある。暫くすると準備ができ、その中へ入っていった。下はタイルで冷たい。私は手術台の上に横たわると、麻酔医の先生がやってきて、<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

「点滴のところから麻酔を入れます。少しチリチリとした感 じがするかもしれません。」<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

と のこと。開頭部の剃毛も導尿チューブの挿管もしていない。麻酔をかけてからのようだ。全身麻酔をすると自発呼吸ができなくなり、そのため人工呼吸器の チューブを挿管し、機械的に人工呼吸に切り替えるのだが、人工呼吸チューブの挿管もしない。すべて、麻酔が施された後にするようだ。多少不安であったの で、そのことも事前に説明があったほうが安心する。<o:p></o:p>

私 は、麻酔が効きにくい体質だ。かつての盲腸炎の手術のときも、左腕のリンパ腺が化膿し切開したときも、あまり麻酔が効かず、大いに難儀した経験がある。今 回も麻酔が効かなかったらいやだなと思いながら、麻酔が効くまでどれくらいかかるかな、二~三分かなと思い数を数えてみることにした。
 しかし、案ずるまもなく麻酔医の先生が点滴のところから麻酔を入れると、三も数えられず殆ど『瞬間的』に意識がなくなったように思う。<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

手術の最中のことは、当然のことながら覚えていない。ただ、意識の奥底で、『自分は今脳動脈瘤のクリッピング手術を受けているのだ』といった覚えが時々うっすらと浮かんできたように思う。<o:p></o:p>

暫 くして、家族らは二階の待合に移動し、私の手術のライブ中継を見ていたとのことである。連れ合いの話によると、ライブ中継は開頭して能動脈の瘤の部分に 至った十一時二十八分に開始され、十二時四十八分には顕微鏡下の手術で脳動脈瘤にクリッピングが施された。連れ合いはかつて脳外科病院の看護師長をしてお り、後日連れ合いの話によると、上手な手術でさすがに器用で手早かった、とのことである。<o:p></o:p>

やがて、無事脳動脈瘤のクリッピング手術が終了し、午後三時にICUに戻ってきた。I医師から<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

「五十川さん、五十川さん。無事に終わったよ。手術は成功したよ。」<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

と声をかけられた。全身麻酔からの覚醒は早く、声をかけられているときにはすでに覚醒していた。なんとなく『ろれつ』が回りにくかったが、手術の終わった安心感からかいろんなことを話しかけたことを覚えている。看護師さんが、<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

「五十川さん、びっくりしましたよ。呼吸のチューブを抜管(ばっかん)したとたんに、『今、何時や』と聞いたんですよ。」<o:p></o:p>

「それで、どうなったん。」<o:p></o:p>

「今二時半ですよ。手術は終わりましたよ。よかったですねと言ったら、『ああそうか』と言ってまた寝たんです。」<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

ということらしい。<o:p></o:p>

                          (続く)
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脳動脈瘤手術の闘病メモ⑤

2006-09-10 13:01:30 | 闘病

 いよいよアンギオの検査の後、脳動脈瘤の手術の決断。そして手術の承諾へと、事態はどんどん進む。不安もたかまるが、どうとでもなれと言う気持ちにもなってきた。

 

 二〇〇六年一月二十八日(土)
 朝から心臓のエコー検査と、フォルダー心電計による二十四時間の心電図検査を受ける。心臓のエコー検査では心臓の弁の動きがモニターで見える。一生懸命に働いている自分の心臓や弁の鼓動に、愛おしさが沸いてくる。フォルダー心電計装着のためもう一日検査入院の延長となった。心臓検査のあと、外来に降りて、次回の診察予約は二月十七日の十二時となった。この診察日に、正式に手術の承諾と決定を行うこととなる。<o:p></o:p>

 この日は午後三時三十分頃に連れ合いが見舞いに来た。いろいろと話し、夕食をとって暫くすると午後七時ごろに、三女のえみが見舞いに来た。暫く三人で話したあと、連れ合いとえみは帰っていった。<o:p></o:p>

 
 二〇〇六年一月二十九日(日)
 
朝八時に朝食。その後看護師さんにフォルダー心電計を取り外してもらい、『自由の身』となって、九時三十分に検査入院は終了し、退院となった。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 二〇〇六年二月十七日(金)<o:p></o:p>

 この間の診察や検査、インフォームド・コンセントを受けて、本日のI医師の診察で手術日の決定等を行うことになっている。アンギオで入院の際に『手術を三月二日にお願いしたい』といっており、了承されていた。しかし、後でいろんなことを考えているうちに実は三月二日は『仏滅』であることが分かった。私は、そのようなことに対しては全く信用もしておらず、気にもしない性格である。だが、今回はさんざん手術のリスクや後遺症などのインフォームド・コンセントを聞いており、さすがに連れ合いとも相談し、手術日を変えてもらおうと思った。最先端医療を実践する病院で、そんな理由で手術日を変えて欲しいといったら、一喝されるだろうなと思いながら、理由を聞かれたらそのときは『どうにもならない仕事が、急に入った』と言い訳しようと考えていた。<o:p></o:p>

 そんなことを考えながら、午前十時に家を出発した。十一時にT病院着。受付を済ませ、I医師の診察がある一診の前で待っていると、やがて名前が呼ばれた。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

「どうですか。手術をするかどうかは五十川さんが決めてください。決断 

は着きましたか。」<o:p></o:p>

  

 「はい。手術をしていただくことにしました。ただ、手術日ですが、三月三日にしていただけませんか。」<o:p></o:p>

  

 「ちょっと待ってください。三日は金曜日で、私は外来の診察日だからできません。他の日にしてください。」<o:p></o:p>

  

 「それでは、土曜日ですが四日でお願いできるでしょうか。」<o:p></o:p>

  

 「結構です。それでは三月四日に手術をしましょう。」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 そのようなやり取りがあり、手術日が決定した。I医師は看護師さんに手術室の押さえや、カンファレンスの段取りを指示している。私には、改めて手術のリスクや手術による後遺症のリスクを説明してくれる。そして、来週の二十四日に来院し、手術の際の思わぬ出血の準備と、頭蓋骨を接着するための接着剤を作るために、自己血を四百CC採決することとなった。 

 手術のほうは、前日の三日に入院し、四日午前九時より手術となり、いよいよ開頭手術に向けてカウントダウンが始まり、私は、スケジュールどおりに、あたかもベルトコンベアの上をただ流されていく状態のようになってきた。<o:p></o:p>

 診察が終わり、帰路の途中ナンバウォークで昼食。連れ合いといろんな思いを話す。柄にも無く手術がうまくいかなかったら、職場での私物はどこにあるとか、誰に連絡するか、メモを作っておくとか、そんなことも話していた。<o:p></o:p>

                             (続く)

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脳動脈瘤手術の闘病メモ④

2006-09-04 19:20:27 | 闘病
 闘病メモの3回目です。いよいよインフォームドコンセントですが、えらいことになってきました。

 インフォームド・コンセント
 アンギオ検査の後、止血のため病室で安静にしていた。トイレにも行けず、点滴を続けているため小用が近く、ベッドの上での用足しとなり連れ合いに手間をかけた。さすがに看護師であり、手馴れたもので随分と助かった。
 午後七時過ぎに担当のI医師の回診があり、アンギオの後の止血は順調であり、検査結果等について説明するとのことで、連れ合いと一緒にカンファレンスルームへと行った。検査の結果は、二箇所あった脳動脈瘤の疑いのうち、一個所は動脈が巻いているだけで問題は無いが、もう一個所は七mm程度の脳動脈瘤ができているとのこと。病名としては「右末梢性前頭葉動脈瘤。」
 
「この大きさであることと、遺伝の危険因子を考えると、一年で二%ぐらいの動脈瘤破裂の危険性があると考えられます。一年で二%といっても十年になると二十%のくも膜下出血の危険性があるということです。」「治療をするとすれば、血管内治療で動脈瘤にコイルを埋め込むのは、瘤の形から難しい。開頭手術による、顕微鏡下でのクリッピング術になるでしょう。」
 「治療をして手術そのもののリスクは0.1%~0.2%のアクシデント的な危険性がある。手術による後遺症のリスクも三~五%あります。左半身の運動.感覚マヒや、前頭葉障害としての記憶障害や性格が変わること、ろれつが回りにくくなること、若年性の認知性、脳の痙攣等が発症することがあります。合併症や感染症の危険もありますし、術後出血や術後てんかんのリスクもあります。動脈瘤に癒着した細い動脈や、動脈瘤そのものに細い動脈が繋がっていたら、万全の処置を施しますが、それでも瘤をクリッピングするときに細い動脈にダメージを与え、脳に何らかのダメージが残る場合があります。その他、脳動脈瘤起因の脳梗塞、新生脳動脈瘤も危険性は残ります。」
 
そのようなインフォームド・コンセントが延々一時間以上あり、最初はメモにとっていたが、だんだんと気力が無くなってきた。『何でやねん』『何も悪いことしてないやないか』『そんなリスクをおかしてまで手術せんでもええやないか』『破裂したらそのときのことや』などと心の中で叫んでも、開頭手術に向かってインフォームド・コンセントと回りの事態の流れはどんどんと進んでいく。
 「手術をお願いします。」
 そう言わざるを得ないような『成り行き』であった。連れ合いも、一生懸命メモを取っており、開頭手術に納得の様子である。
 インフォームド・コンセントの後午後九時ごろに連れ合いは帰っていった。
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脳動脈瘤手術の闘病メモ③

2006-09-03 20:31:46 | 闘病
 闘病メモの3回目です。いよいよインフォームドコンセントですが、えらいことになってきました。    

  インフォームド・コンセント
   アンギオ検査の後、止血のため病室で安静にしていた。トイレにも行けず、点滴を続けているため小用が近く、ベッドの上での用足しとなり連れ合いに手間をかけた。さすがに看護師であり、手馴れたもので随分と助かった。
  午後七時過ぎに担当のI医師の回診があり、アンギオの後の止血は順調であり、検査結果等について説明するとのことで、連れ合いと一緒にカンファレンス ルームへと行った。検査の結果は、二箇所あった脳動脈瘤の疑いのうち、一個所は動脈が巻いているだけで問題は無いが、もう一個所は七mm程度の脳動脈瘤が できているとのこと。病名としては「右末梢性前頭葉動脈瘤。」
 
  「この大きさであることと、遺伝の危険因子を考えると、一年で二%ぐらいの動脈瘤破裂の危険性があると考えられます。一年で二%といっても十年になると二十%のくも膜下出血の危険性があるということです。」
  「治療をするとすれば、血管内治療で動脈瘤にコイルを埋め込むのは、瘤の形から難しい。開頭手術による、顕微鏡下でのクリッピング術になるでしょ う。」  「治療をして手術そのもののリスクは0.1%~0.2%のアクシデント的な危険性がある。手術による後遺症のリスクも三~五%あります。左半身の運動. 感覚マヒや、前頭葉障害としての記憶障害や性格が変わること、ろれつが回りにくくなること、若年性の認知性、脳の痙攣等が発症することがあります。合併症 や感染症の危険もありますし、術後出血や術後てんかんのリスクもあります。動脈瘤に癒着した細い動脈や、動脈瘤そのものに細い動脈が繋がっていたら、万全 の処置を施しますが、それでも瘤をクリッピングするときに細い動脈にダメージを与え、脳に何らかのダメージが残る場合があります。その他、脳動脈瘤起因の 脳梗塞、新生脳動脈瘤も危険性は残ります。」
 
  そのようなインフォームド・コンセントが延々一時間以上あり、最初はメモにとっていたが、だんだんと気力が無くなってきた。『何でやねん』『何も悪いこと してないやないか』『そんなリスクをおかしてまで手術せんでもええやないか』『破裂したらそのときのことや』などと心の中で叫んでも、開頭手術に向かって インフォームド・コンセントと回りの事態の流れはどんどんと進んでいく。

    「手術をお願いします。」

  そう言わざるを得ないような『成り行き』であった。連れ合いも、一生懸命メモを取っており、開頭手術に納得の様子である。  インフォームド・コンセントの後午後九時ごろに連れ合いは帰っていった。                      
                                                                               (続く)
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