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パライソメッセージ20140117 No.38

2014-01-19 16:31:45 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.01.17 N0.38

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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  「パライソメッセージ20140117 No.38」を送ります。本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、その旨ご連絡お願いします。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する④

(東京都知事選挙に対する私見)

 パライソメッセージ№.38で『ではどうすれば良くなるのか』の私見を述べると言った。その前に、急に騒然としてきた東京都知事選挙について、若干思うところを述べたい。

 新聞、マスコミは東京都知事選挙について、当初“舛添一人勝ち”のような扱いで、都知事選挙そのものの報道も殆ど無かったのが、細川前首相が小泉前首相に推され、“反原発”を旗印に立候補の意向を示すや否や(正式な政策表明は17日現在未だなのだが)大騒ぎとなっている。連日新聞やマスコミは細川・小泉連合VS舛添・自公連合にのみ焦点を華々しく当てた大きなスペースでの報道を垂れ流している。これについての私見を述べたい。

 まず、原発が選挙の争点となることについては大いに結構なことなのだが、今次の都知事選挙は昨年12月の国民の轟々たる批判と反対を圧殺して特定秘密保護法を強行採決したことや、安倍首相の靖国神社参拝によってアメリカでさえも『失望』させ、世界中からの非難を浴びる等の時代錯誤のナショナリズムを露呈した直後であり、直接的には猪瀬前知事の金問題を契機とした辞任によって行なわれることとなったのである。当然選挙の争点は都民の暮らしや雇用、福祉、教育そして2020年東京オリンピック等、多岐にわたる。しかし一方では、大きなトレンドとして秘密保護法や靖国参拝に見る民主主義のあり方や歴史評価、政治と金などが国民に問われるものである。にもかかわらず、新聞やマスコミは周辺の戯言も含め舛添・自公か細川・小泉かの“二者択一”が既定の前提であるかのような扱いである。そのもっともスポットを浴びる争点として原発問題がある。

 思うところは二点有る。第1には、争点に原発を置いていることである。今世論調査では、原発の即時廃止や将来的に廃止と言う意見が7~8割にも上っている。これではどちらが優位か明らかであろう。そのため最近では舛添までもが『脱原発依存』などと言っているが、実は最近のテレビ番組の中で原発礼讃・推進発言をしているところが放映されて、原発が争点に出来なくなっている。

 第2は、今までのような自民党への批判勢力の受け皿が無くなってしまった事である。1985年体制の崩壊以来、様々な政党が出ては消えながらも、当時の自民党批判世論の“受け皿”として新聞、マスコミは持ち上げてきた。最近では2009年の歴史的な自民党陥落、民主党政権の発足が時代を象徴した出来事だった。しかし民主党政権は当初の公約を悉く反故にし、政治を大混乱に陥らせてしまった。象徴的な出来事は消費税の増税を『自民・公明に懇願して』法制化したことだろう。それらに対して民主党に下した国民の意思表示は、衆議院・参議院選挙での民主党の大凋落ということになった。しかし新自由主義施策の行き詰まりを十分に自覚している権力者・官僚はそれでは立ち行かず、国民の批判の受け皿として、みんなの党やら日本維新の会その他有象無象に期待しマスコミはそれを盛んに持ち上げる。しかし、それらは実は自民党批判の“受け皿”などではなく、実は自民党の補完勢力・応援団でしかないことが原発問題やTPP、秘密保護法など一連の政治動向の中で明々白々となってきた。今日自民党政治や権力に本当に抗しているのは、国会においては新しい市民運動と連携した共産党、社民党、あるいは一部の無所属議員である。

 第1に関して言うなら、原発が争点であるなら、反原発の候補者は一本化したほうが良いということである。反原発の明確な意思表示をしているのは、宇都宮氏と細川氏。宇都宮氏は元日本弁護士会会長で人道的な弁護士として貧困問題や雇用問題に実践的に取組んできた。前回の都知事選挙にも立候補し100万票近く獲得しており、都政全般に現場目線で関わっていく能力・資質を有している。

 かたや細川氏は未だに都政政策を出せていない。とはいえ、真摯に反原発を掲げ、その実現を目指したいのであれば、都知事選挙というのは極めて大きな選挙なのだから、ここは原発に反対する広範な国民・都民の力を分断するようなことはせずに、立候補を止めて小泉氏ともども宇都宮氏を応援するのが良い。

 第2に関して言うなら、アメリカに従属し超大企業にへつらう自民党に対する広範な国民に対する批判の“受け皿”が無くなってしまったこと。このまま行くと、下手をすると共産党への支持が高まり、一定以上の勢力となりかねない。そうなると自民党・権力者、官僚らが利権と権力をもってしても自分の意のままに成らなくなってしまう、もっとも忌み嫌う事態になりかねないことである。かつて1960年代~70年代、私の青年時代には、京都、大阪、東京、沖縄等で共産党と社会党(現社民党)が連携し、革新知事や市町村においても革新市長が続々と誕生した。そのときには各自治体で老人医療の無料化や子供の医療費の無料化、中小企業への手厚い保護など、人に優しい政治が行なわれた。かつて京都府庁には『憲法を暮らしの中に』という大きな垂れ幕が掲げられていた。

 自民党・権力者、官僚を支配する新自由主義者がもっとも忌み嫌い恐れることがこういうことなのだろう。だから何としても広範な市民運動やそれと連携した共産党、社民党等に政治を担わせてはいけない、それぐらいなら“受け皿”にやらせたほうがよっぽどまし、どうせ官僚が取り仕切る、というのが実情であろう。

 私の思う2つのことは細川・小泉の登場によって都民・国民の目を反らせることと無関係であるとはとても思えない。朝日・毎日新聞やマスコミの『はしゃぎよう』を見れば、つくづくそう思う。

 

(政治の仕組みと政治を変える仕組み)

 それならばどうすべきなのか。次回、そのことに論及したい。

(続く)

 「一押しMovie」

書名:武士の献立

脚本:柏田道夫(『武士の家計簿』と同じ作者)

監督:朝原雄三(『釣りバカ日誌』の監督)

出演:上杉彩、高良健吾、西田敏行、余貴美子

感想:

 あらすじは江戸時代の加賀100万石の話。主人公は舟木伝内、安信という包丁侍の親子で家は代々藩の炊事を賄っている。安信(高良健吾)は青雲の志を持っているが包丁侍という現状に不満。伝内(西田敏行)は家督を継がせる為に奔走する。藩主が江戸詰めの時に知った聡い娘、春(上戸彩)に息子の嫁になってくれと懇願し実現する。といった前段の後は、安信が加賀お家騒動に連座したり、春のサジェッションも得て創作料理を工夫したり、料理の技に精進したりでやがて伝内ともども加賀藩での将軍や近隣の大名を招いた饗宴での接待料理作りを采配する。そのプロセスでお家騒動で惨殺された同志であり友人でもある侍の嫁とのエピソードあり、饗応料理の素材探しに能登半島への旅があり、結構退屈無く話しが進んでいく。

 響宴が大成功のうちに終わり、家に帰ると春が失跡。春を探して…というヒューマンドラマ。

 原作が、『武士の家計簿』と同じで、監督や制作スタッフも引き継いでいるので、シリーズものになるのか。いずれにしても、山本周五郎小説を思わすような、ほのぼのとした、余り押し付けがましくなく人間味にあふれた作品で、それとなく歴史の事実にも沿って、見終えた後味は大変よかった。

イソの評価:★★★★☆

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パライソメッセージ20140103 No.37

2014-01-07 08:30:57 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.01.03 N0.37

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 新年明けましておめでとうございます。

 平和で穏やかで誇り高い日本が、何やら危うくなりそうな世情の昨今ですが、正道は見失わず、決して諦めることなく、大勢に流されずにプライドを持ってこの一年も生きていきたいと思います。

 私事ですが、この3月には43年間の“賃労働者”生活もいよいよ卒業となります。もっとも、途中11年間は“資本家”も経験したのですが、大企業に搾取されるといった“被搾取者”としては変わることの無い長い半生ではありました。しかし、自分のやりたいことや信念を曲げることなく、そしてすばらしいパートナーとともに、幸せで刺激的な(平凡ではありません)家庭を築いてこれていることは、望外の幸せです。

 卒業後は、若者のキャリア形成を支援するNPOを設立し(申請済・縦覧中)引き続き『やりたいことをして』残された人生を生きていきます。

 

 特定秘密保護法が安倍首相の主導で、自民・公明両党によって国会で強行採決されて1ヶ月が過ぎる。強行採決後、多くの新聞やマスコミは穏便な報道や“結果報告”ばかりになり、早くも大政翼賛会のムード作りか自粛ムードが感じられる。しかし一方では、フォーカスが年末には『逆らう国民はテロリスト』といった特集取材を載せたり、一部新聞では問題指摘や批判報道を続けている。何よりも広範な国民の中で特定秘密保護法や安倍首相、自民・公明党を批判し、指弾する声は絶えることがない。とはいえ、特定秘密保護法に反対した多くの人達も、たとえ強行とはいえ採決・法制化されてしまったのだからと言って諦めるとか、反対の世論もいずれ沈静化するといった、安倍・自民党政府、官僚、自・公両党の思惑通り、このままやがては諦めと無気力・無抵抗の世の中になってしまうのか。

 実は私は、そうは思っていない。彼らの思惑を頓挫させる可能性は大いにあると思っている。第2次世界大戦時の治安維持法や軍機秘密法制定の時代と今日の状況の大きな違いは何か、私の考えを述べたい。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する③

(『新しい市民運動』)

 『逆らう国民はテロリスト』といったセンセーショナルな見出しが、年末の写真週刊誌フォーカスの表紙に踊った。このことは連日国会を取り巻いた特定秘密保護法に反対する大きな市民運動を指して、石破自民党幹事長の言った『テロと本質的には変わらない』をとり上げているのだが、彼がつぶやいてしまうほど大きなうねりを起こした市民運動だったのだろう。

 私は、この市民運動は反原発の運動と繫がる、“新しい”ウェーブだと思った。何が“新しい”のか。つまりこの運動は、かつてと違って共産党や社民党といった野党政党や労働組合等が組織した運動ではなかった。動員や組織された人たちではなく、SNSで繫がった人たちや、とにかく危機感を強く感じた人たちが、反原発の運動のように反特定秘密保護法という一点で集まってきた。集まってきた人たちは、主義や主張も支持政党もポリシーもそれぞれバラバラで、“革命”などとはおよそ縁遠い、おそらく“反革命”の人たちも多くいたであろうと思われる。かといって全くの自然発生的でもなく、反原発・反特定秘密保護法といった一点のポリシーを共有している。特定秘密保護法の場合は、知る権利を重い刑罰で抑制することによって、権力者の強い思いであるファシズムの現実的な可能性に対する、強いNOの意思表示なのだろう。

 こういった市民運動はかつて無かったと思う。イデオロギーで繫がるのではなく、NOの意思表示が集団行動のアイデンティティとなっている。そのことが世代や性別や職業、キャリア、いろんな属性を越えたウェーブとなって、何万人もの市民が集まる原動力となったのだろう。参加者各々がそれぞれのパフォーマンスで意思表示する。暴力や強制は無縁で、市民集会や市民デモのいわば先進国でのグローバル・スタンダードのスタイルに近いのではないか。

 

(戦前との違い、それは自立した市民)

 第2次世界大戦前において、世界で2,000万人以上の人々が犠牲者となった。その中で日本国民の300万人以上の犠牲を強いた大きな元凶は帝国主義・軍国主義だ。日本においては、大政翼賛会として実質上政党活動を抑圧し、天皇を神格化しかつ徹底的に政治利用を図ることによってファシズムの体制が敷かれてきた。政治・経済・思想文化の全てが戦争へと動員された。この、国家総動員を強制すべく法的措置が治安維持法であり、軍機秘密法である。

 治安維持法の初めは違反の最高刑は禁固20年であったが、すぐに死刑となった。治安維持法によって、小林多喜二を始め、多くの草の根反戦主義の人たちや日本共産党員が弾圧され、拷問による虐殺や獄死・刑死させられたのである。当時の言論は大本営発表の情報の垂れ流しであり、軍機は勿論のこと、学術・文化、宗教、思想・言論、スポーツ等ありとあらゆる分野で、“真実”は権力者によって徹底的に隠蔽されたのである。国民の多くは真実を知らされること無く抑圧され、そして300万人以上もの青年兵士や非戦闘員の市民が犠牲となっていった。

 しかし、現在の状況は大いに異なる。戦前と異なり現在では情報は世界を駆け巡り、誰も情報を止めることは出来ない。その情報に接し、情報を摂取し活かしているのは“自立した市民”である。権力者は情報の阻止よりも、むしろ情報の操作・利用に躍起となる。操作・利用のし易い新聞・マスコミのみならずSNSを利用した、反中国・反韓国キャンペーンやヘイトスピーチなどもその一例だろう。

 しかし“自立した市民”の意思表示は、特定秘密保護法によって抑圧することなど、できるはずも無い。かつて人権を抑圧した国々でも今では情報と意思表示は抑圧できないではないか。

 次回は、更に進めて『それではどうすれば良くなるのか』について、私論を述べたい。

(続く)

 「一押しMovie」

映画名:永遠の0

監督:山崎貴(49才)  原作:百田尚樹(57才)

出演:岡田准一、三浦春馬、山本学、井上真央、夏八木勲

感想:若手が作った第2次世界大戦を題材とした映画ということで、是非とも見ておかなければと思い年末に見に行った。靖国神社を肯定する原作者ということもあり、『興味』を持って見に行った。

 結論から言うと、究極のヒロイズムの映画だった。岡田准一演じる宮部久蔵は、当時世界最高性能戦闘機ゼロ戦の誰よりも熟達したパイロットで、超人的な機体操作で艦砲も機銃も当たらない。ぎりぎりひきつけておいて急反転し、敵戦闘機の背後に回り撃墜体制に入るという離れ業を平然とやってのける。そして、自身は妻を愛し、子供を愛し『死なずに生きて還って来る』と言う。

 真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦などターニングポイントとなる空中戦に参加し、空中戦では乱戦から離れ、被弾を避ける。『臆病者・卑怯者』と罵られる。戦争末期になり、特別攻撃隊が結成されても宮部は志願せずに生き延びるが、敗戦直前の沖縄戦で何を思ったか志願し、出撃時には整備不良機を部下に譲り生き永らえさせようとして、自らはアメリカ軍空母に突入する。そういった、宮部久蔵の生き方が、現在に生きる孫達の『本当のおじいちゃん探し』を通じて画かれている。

 いかなる罵詈雑言を浴びせられようと妻子を愛し妻子の為に自分は生き延びる、超人的な熟達した兵士、実は臆病でも卑怯者でもなく、ただ一機敵の艦砲・機銃を潜り抜け、空母に突入しようとするラストシーン、どれをとっても“究極のヒーロー”である。この映画の題材は第2次世界大戦ではあるが、戦争の悲惨さ、空しさ、2度と戦争をしてはいけないといったメッセージは何も無い。残ったのは素晴らしいCGで効果がアップされた宮部久蔵のかっこよさとヒロイズムだけ。但し、合コンでの孫世代の戦争観や特攻の評価のやりとりや、『本当のおじいちゃん』探しの結末の山本学が好演する人間ドラマの展開と、宮部が敵戦闘機を含め他人を撃墜するシーンが無かったことや、特攻の非人間性の告発、ラストシーンの余韻等には、監督の非凡な力量と思いは伝わってくる。

 イソの評価:★☆☆☆☆

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