"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

胃癌日記7

2012-05-31 18:20:46 | 闘病

                       胃 癌 日 記 7

 (遥か 四国最果ての 足摺岬へ続く道)

 

 11月9日(水)・10日(木)

 仕事。仕事で忙しければ気分は紛れるが…。

 

  11月11日(金) PET検査

 朝いつもの通り出勤し仕事。本日はAドクターの診察後PET検査のため、仕事のほうは午前中11時30分までで、昼・午後の5時間年休取得。職場の若手も、私が最近休みが多いのと不定期なので、心配の様子。自分の病状については、ある程度の事実をS課長には話しているが、勿論、絶対に職場、上司、人事課も含め「他言無用」で話している。もう1人、仕事を共有していて私を信奉している若手唯1人だけには、他言無用で

 「毎年の体のメンテナンス検査で引っかかった。病院からは歳も歳やし検査入院しなさい、腫瘍マーカーも高いことやし、といわれた。まあ、ちょっと入院してくるわ。」

 と、先日言っている。

 11時45分に仕事を取り敢えず片付けて、大急ぎでS病院へと駆けつける。PET検査のため昼食抜きで京都から大阪へと急ぎ、午後1時5分にS病院の再診受付と消化器内科の受付を済ませ、診察待合へ。本日は1時30分に、消化器内科待合で連れ合いと待ち合わせ。やがて連れ合いがやってきて、一緒に待つ。なかなか呼ばれず、検査の時間は近づいてくるわでいらいらしていると、2時15分になってやっと呼ばれた。

 〈補陀絡の足摺岬。展望場所の周辺は、椿が群生)

 診察室に入ると、連れ合いをAドクターに紹介する。

 「CTを見るとリンパが腫れています。潰瘍やらで単なる炎症ならいいのですが、細胞が良くないし、リンパですから早く手術したほうが良いでしょうね。腫瘍マーカーは正常(肝臓、膵臓、あと前立腺か?)なんですがね。」

 腫瘍マーカーが正常と聞いて少しホッとした。

「先生。開腹手術ですか。」

 「そうですね。」

 「自分も覚悟をしていますので、何時でも良いのですが。」

 Aドクターは医療スタッフに指示して、この後のPET検査の結果が解る日をPETセンターに確認している。どうやら1週間かかるようだ。

 「来週18日に検査結果を見る再診としましょう。その上で外科に紹介します。」

 「先生。PET検査は、癌の転移を見るんですね。」

 「そうです。」

 「その上で、どのような範囲の手術かも判断されるのですか。」

 「そうです。」

 と言うことで、18日の再診予約の手続きをして、A先生の診察を終えた。

 診察後、急いでPETセンターに駆けつけて検査の受付。3時間ほどかかるのと、検査後この報告で茨木のNクリニックに寄っていくので、検査着に着替えた後、連れ合いは先に家に帰った。PET検査は全く苦痛はないのだが気が萎える。体重・身長・血糖検査のあと造影剤の注射、その後40分の安静。これだけでもいい加減うんざりだが、本番の透視の機械での検査に30分、そして再び20分の安静、再び30分プラスCTの透視、そして検査後チェックやらでやっと放免。2時40分に開始し、終了したのは5時40分だった。

 (四国88ヶ所 38番霊場 補陀絡山金剛福寺)

 検査後茨木の主治医のNクリニックに直行した。Nドクターに本日の診察と検査の結果を報告。

 「先生、PET検査をしてきました。結果は1週間後と言うことで、18日にA先生の再診後外科に回されて手術の日程が決まるようです。」

 「そうですか。転移がなければいいですね。私も明日午後A先生と勉強会で一緒になりますから、様子を聞いておきます。」

 「先日の検査で、腫瘍マーカーは肝臓と膵臓とあと前立腺と思いますが、正常だと言うことです。」

 「腫瘍マーカーはあてにならんです。高い人が低くなれば治療効果があったと判断しますが、もともと低くて、上がらない人もいます。」

 と言う。Nドクターは嘘を言えなくて、歯に衣を着せないのは私も好きだが、それにしてもデリカシーが無い。もう少し優しく言えないのだろうか。私だって、自分で言うのもなんだがナーバスな状態になっているのに・・・。

 (足摺岬を大きく回り、中浜などの在所を越えて 土佐清水港に至る)

                                             (続く)

 

 

 

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胃癌日記6

2012-05-30 18:42:01 | 闘病

            胃 癌 日 記 6

 

 四国88箇所 第34番霊場 種間寺 は弘法大師が村人に種を施した由来の、田園の中にある寺)

 

 

 11月6日(日)

 

 本日は大学ラグビーの試合観戦、結果は相変わらず今シーズンの特徴である正直に『堂々と』受けて立つまったりした試合で、10-33で完敗。

  さて、家に帰ってインターネットで連れ合いがいろいろ調べた。S病院は胃癌の手術数が多く年間155例で、関西では5番目だった。上位にはO大学病院もK大学病院もF大学病院もない。術例もTドクターやNドクターの実績が紹介されている。私は連れ合いに、

  「8日の胃カメラの後、Nクリニックに寄って、8日の胃カメラ、11日の診察によっては、S病院で開腹手術をお願いします、と言ってくるわ。N先生も紹介した手前もあるやろし、確かに大学病院へ行っても“一か八か”と言うこともあるし。よっぽど若い研修医なら考えるけど、T先生かN先生の執刀ならS病院で手術してもいいわ。」

 と言った。

 (第35番霊場 清龍寺の境内)

  (清龍寺境内から、仁淀川、太平洋を望む)

11月7日(月)

終日、福井県に出張。20時過ぎに帰ってくれば連れ合いが

 「N病院から電話があった。」

 「なんや。もう手遅れ言うてはんのかいな。」

 「明日、9時30分の予約やが、A先生が緊急のオペで、8時45分に来るように、だって。」

 「ふーん。やっぱり緊迫してる感じやな。」

 「失礼ですが、奥様でいらっしゃいますかとしつこうに聞かれたわ。」

 と、そんなやりとり。

 (仁淀川大橋を渡る)

 11月8日(火) 2回目の胃カメラ

 朝7時37分の阪急電車でS病院へ向かう。8時5分着。再来受付を済ませて、内視鏡センターへ行くと未だ電気も点いていない。

 暫く待っていると、時間通り8時45分に受付。問診をして、更衣して、いよいよ胃カメラ。今回は手術のための検査で、経口の胃カメラ。8時50分頃からA先生が先日の造影剤CTの説明をしてくれる。リンパが腫れている。転移か単なる炎症か調べるので、今日PETの検査の予約をしていくように、とのこと。何だか、だんだんと悪いほうへ悪いほうへ行くようではないか。

やがて咽頭の麻酔や静脈麻酔をして9時丁度位に胃カメラが始まった。何回もしている検査だし、経口と言っても入れるときにしんどいだけでどうということはない。そのつもりだったが、今回は、入れるときには楽だったが検査が進むにつれて、実は苦しかった。おそらくいろんな部位の細胞穿刺をされたのだろう、何回も穿刺された感じがするし、病変部へのアップや何か、やたらと管が動き、出たり入ったりする。正直えらく苦しかった。

 胃カメラ挿入から終わるまで27分。しんどかった。

 (第37番霊場 岩本寺境内 岩本町にある)

 本日は診察はなしで、その後術前の血液検査。そしてPETの予約を入れて本日は、帰宅した。帰宅してから、書類を整理し、Nクリニックに寄る。12時10分。午前診終了間際に入った。診察室で、本日の状況を一通り報告した上で、

 「先生。インターネットで調べたら、S病院の胃癌手術の症例は関西第5位で、執刀医もT先生やN先生などのベテランはかなりの実績をお持ちのようです。そういうことならS病院でお世話になろうかと思います。」

 「T先生は良く知ってます。S病院は術例は多いですよ。関西ではI学病院、Sセンター等が多いと思いますが、S病院は引けをとらんと思います。」

 とのこと。そのあと、

 「先生。先日の造影剤腹部CTでリンパ腺が腫れているといわれ、PETの検査をすることになりました。」

 「ああそうですか。転移してなければいいのにねえ。まあ、最近は化学療法も薬物療法も相当進んでいるから。」

 私としては言外に“最悪”を宣告されているようで、複雑な気分になった。まだ胃癌の自覚症状は全くない。食用旺盛。

 (いよいよ四万十川を渡る。土佐中村市)

 

                                              (続く)

 

 

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胃癌日記5

2012-05-29 18:54:41 | 闘病

           胃 癌 日 記 5

 (お遍路途中の安芸の 野良時計)

 11月5日(土)

 

 自分としては、このままの流れでN病院の開腹手術に委ねるのはなんとなく納得がいかない。

 

 私の長兄Hはもう随分昔のことになるが、1954年7月9日に17歳の時に盲腸炎を破裂させて、腹膜炎を併発しS病院で手術をしたが、亡くなった。当時私は6歳であったが、家族のただならぬ悲しみは今でも良く覚えている。

 

 一方私は10歳の時に盲腸炎を起こした。私の場合も盲腸炎が破裂して、腹膜炎寸前であった。私はO大学病院で手術を受けた。盲腸炎というのに2週間も入院して、結果無事退院することが出来た。これは昔々の話で、今日ではO大学病院などは、もっぱら超高度医療で盲腸炎の手術などすることはないだろう。また、私の姉のHは、2008年に甲状腺の癌が発見され、やはりO大学病院で10時間以上にわたる手術を受け、無事成功し今日元気で過している。

 

 K大学病院もいいのではないか、職場の保健センターの産業医に相談すればF大学病院を紹介してくれるだろう。などいろんな思いが廻ってきた。手術がうまくいっても駄目だったとしても、自分で納得したい。そんな思いで、2日と4日の診察結果の報告に、Nクリニックに行った。

 

 (四国88箇所 第31番霊場 五台山竹林寺 は山全体が古墓)

 (禅師峯寺から雪渓寺へ 浦戸湾を渡船で渡る)

 「N先生。自分としては、S病院のA先生にはたいへんお世話になっていますし内視鏡手術なら是非お願いしようと思っていましたが、開腹手術となるなら外科の他の先生ということなので少し考えさせてください。例えば、O大学病院などは、自分も子供の頃に盲腸の腹膜炎で手術してもらって助けてもらった経験がありますし、最近も姉が甲状腺癌の手術をしてもらい、術後が良好です。他にもK大病院やF大学病院なんかも考えたいのですが。」

 

 「それは【いそ】さんが納得のいくように決められたらいいことです。ただ、私の意見としては、私もO大学出身で、場所も近いけれど、紹介しないでしょう。やはり大学病院は教育機関だから、確かに手術の腕もたいへん良い優秀な先生も、O病院でも知っていますが、こちらからは先生は指名できません。紹介状は書いたが、担当が研修医と言うことも珍しくないのです。有能な先生は超最先端医療は進んでやりますが、胃癌では若手が執刀すると言うことは良くあることです。まあ、若手でも手術が上手な先生もいますがね。大学病院へ行くというのは、ある意味“一か八か”の感じがあります。まあ、いずれにしても【いそ】さんが自分で納得いくようにされたらいいと思います。」

 

 「脳手術のときに、術後ICUで軽い脳内出血を起こしています。脳外科のある病院のほうがいいのですが。

 

 「SN病院もあるのではないですか。脳外の手術もしているはずですよ。」

 

 「腹腔鏡手術はどうですか。」

 「王監督も腹腔鏡手術で胃の全摘をしましたが、私も大学病院時代には開腹手術をしていましたが自分で組織を触りながら、転移を確かめて切って行きました。腹腔鏡では近辺の細胞を採り組織を検査しながら手術をします。確かに回復は早い。今のところ一長一短だと思うけど、評価がある程度定まるのにあと5年位かかるのではないですか。」

 (四国88箇所 第33番霊場 雪渓寺は 長宗我部元親の戒名に因む)

 

                                                      (続く)

 

 

 

 

 

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胃癌日記4

2012-05-29 18:37:49 | 闘病

              胃 癌 日 記 4

 (弘法大師が修行した 御蔵洞 は室戸岬の手前にある)

 112日(水) S病院受診、腹部造影剤CT、血液検査

 朝8時40分にSN病院着。受付を済ませ、消化器外来待合で待つ。患者が多く、結局Aドクターの診察室に呼ばれたのは、9時40分。呼ばれて診察室に入ると、Aドクター、

 「【いそ】さん。あまり良くないようです。」

 「先生。いわゆる進行性のスキルス癌ですか。」

 「そうではありませんが、そうなり易い悪い細胞が出ています。」

 とのこと。それは私なりの解釈では、『そうです』と婉曲に言われているようなもので、逆に単刀直入にそう言わないのは、『非常に厳しい状況であり、率直には言えない。』と示唆されている思いである。

 「先生。内視鏡で取れるのでしょうか。」

 聞かずもがなのことを聞くと、にべもなく、

 「内視鏡手術の適用外です。」

 続けて、

「今日、造影剤を入れて腹部CTを撮ります。8日に胃カメラ、11日昼の2時半に診察の予約を入れておきます。その時に結果を言います。その後外科に回ってください。」

 とのこと。7時頃に朝食を食べてきた旨を言うと、11時からのCT検査を受けるように言われえた。切迫した感じだ。

 内視鏡手術ならAドクターにお願いしようと思っていた。しかし、開腹手術とのこと。このままだと『当然の流れ』としてS病院で開腹手術ということになってしまう。

 ちょっと待て。それで自分自身が納得いくのだろうか、そんなことも考えながら時間を過し、11時からの造影剤腹部CTの検査を受けた。

 (室戸岬の山上にある 四国88ヶ所 第24番霊場の最御崎寺)

 

11月4日(金) 脳の3次元CT

本日はT病院で、昨年から予約していた3DのCTによる脳動脈の撮影と受診。2006年3月の未破裂脳動脈瘤クリッピング手術の術後ケアーで、その後の動脈瘤の状況等を見る年1回の脳動脈メンテナンス。最新鋭の3DCTの機械で撮影後、Iドクターの診察。Iドクターは手術経験の豊富なベテランの脳外科医師。脳外科手術以外にも人工関節置換手術で多くの実績を上げておられる。Iドクターが言うには今年の3DCTの結果は、脳動脈瘤などは新たに出来ておらず、順調。ただ、脳動脈が少し太くなっている部位があり、動脈硬化によるものだろう、とのこと。とにかく自覚症状はなくとも体中が何かと傷んで来ており、年1回の身体のメンテナンスはますます必要か。

 (四国88ヶ所 第25番霊場 津照寺(津寺) には船名が書かれた寄進石が並んでいる)

「先生。ちょっと近々胃癌で開腹手術をしなければならんようになりました。何か気を付けておかんといかんことはあるでしょうか。」

「ああ、そうですか。血圧はどうですか。」

「寝起きは上が140位、下が80から90位。寝る前は上が120から130、下が70から80位です。」

「ああそうですか。特に大丈夫でしょう。」

連れ合いが、

「前回の脳動脈瘤の手術のときに、回復室のICUにいる時に脳内出血を起こしていますが、今回も全身麻酔で手術するのに、その危険性はどうですか。」

「前回は、たまたまだったのでしょう。」

とのことであった。

 (四国88ヶ所 第26番霊場 神峰寺 の庭は、すばらしい。この寺で御接待の

                   冷えた西瓜をいただいた。 合掌)

 

                                                            (続く)

 

 

 

 

 

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胃癌日記3

2012-05-25 19:20:19 | 闘病

                      胃 癌 日 記 3

  (四国88箇所 20番霊場 鶴林寺。大汗かいて、自転車を推して登る)

 10月29日(土)

 本日は前回の検査結果を聞く日。連れ合いに一緒に言って私の癌を見ておくか、というと、流石看護師である連れ合い、

 「まあ、見ておこうかな」

 この日は、私は歩いて、連れ合いは自転車でNクリニックの前で待ち合わせ。本日は校友会大会があり、11時からの学部の企画には参加しなければならない。そのため9時に待ち合わせ。この日も結構混んでいて、結局診察開始は10時になった。呼ばれて診察室へ入り、今日は連れ合いも一緒に来た旨言って椅子に座ると、Nドクター英語で書かれた検査結果を見せて

  (各県にある国分寺 この寺は徳島県の国分寺)

  (23番霊場 薬王寺 薬師如来がご本尊)

 「【いそ】さん。性質の悪い細胞が出ています。検査結果を見て、独断でS病院のA先生にデータを送りましたよ。この前S病院へ行ったばかりやけれど、もう一度行ってください。」

 検査報告書のCancerとCellだけは分かった。

「分かりました。先生。性質の悪い細胞て、進行性のスキルス癌ですか。」

 と聞くと、

 「そうです。紹介状を書きますのでS病院に行ってください。」

 「先生。11月4日は、T病院で年1回の能動脈のMRA(実際は3DCTだったが私が間違えていた)の検査の予約が入っているので、その日以外でお願いします。」

 と言うと、Nドクターは、

 「何を言っているんです。そんな術後の検査は少々遅れたっていいじゃないですか。やらなくてもいいぐらいですよ。」

 と、珍しく少々語気荒く言われた。かなり切迫しているのかなあ、自覚症状は何もなく、食事も美味しく沢山食べているんだがなあ、と思いつつ、ただならぬ思いも感じていた。

  (薬王寺からみ見た日和佐の町。海岸では海がめの産卵も見られる)

 Nドクターは先日の胃カメラの写真データを連れ合いに見せて説明している。私は90%の覚悟はしており、愕然となることはなかったが、『いよいよそうか』という思いがじわっと沸いてきた。Nドクターはその場でS病院のAドクターに紹介状を書いて、ファックスを入れた。

 暫くすると返信が来て、11月2日の水曜日に診察とのこと。私は、予定を入れて、午前の4時間の年休の手続きをした。午後3時には仕事で重要な来訪者の対応をしなければならない。

 この日、Nクリニックの前で連れ合いと別れ、校友大会にJRで向かっている途中に、気にするな、気にするなと心の中で言い聞かせているのに、無理無理にと言った感じで色んな思いが、これでもかこれでもかと脳の深層部をよぎっていく。

 癌で亡くした友も沢山いる。53歳で逝った大親友のM、彼は私が会社経営をしていた時に私の仕事に関わって何度も保証人になってくれた。何も言わず金も貸してくれた。そのことの責任は私の経営者としての至らなさなのだけれど、訪ねた折には彼は『またかー』と言って、無理を聞いてくれ、『まあ飯でも食っていけや』と言ってご馳走してくれた。今思い出しても涙が出てくる。そんなMが眼底の原発癌と胃への転移で亡くなっている。親友のように心を許しあった連れ合いの兄Hも50歳の若さで胆管の癌で逝った。痛恨のことだった。北海道出身のOも胃癌で50歳代前半に逝った。職場では同僚のNが一昨年、Kさんがやはり50代前半で亡くなっている。孫が学校で世話になったGさんのご主人も50代半ばで逝っている。

 そんなことが、走馬灯のように私の心に沸々と沸いてきた。

  (いよいよ高知県に入る。室戸岬にある 中岡慎太郎の銅像)

                                                        (続く)

 

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胃癌日記2

2012-05-24 17:44:31 | 闘病

                    胃 癌 日 記 2

 (四国88ヶ所 第9番札所 法輪寺は吉野川手前にある里寺)

 2011年10月15日(土) 胃カメラ1回目

 本日はNクリニックで胃カメラの検査。昨日は学生時代の同志、S君の急逝で夕刻お通夜に出席してきた。弟さんの話を聞くと、病気治療の薬を変えたところ、薬物ショックで本当にあっという間の急逝であったとのこと。非常に残念至極である。

そして本日私は胃カメラの検査。2日前に大腸ファイバーの検査で消化器を空っぽに、とりわけ大腸を無理やり空っぽにするかなり辛い思いをしたのもつかのま、1日おいてまた胃を空っぽにした。

 (吉野川を渡って、第11番札所 藤井寺は山道への入口にある古刹)

 (藤井寺にある「へんろ道」の道しるべ)

 15日当日はNクリニックは結構混んでいて、10時30分の検査開始予定が実際に始まったのは10時50分過ぎだった。

 2年前から経鼻胃カメラになって、今回で経鼻は3回目。初回はスムースに入り、Nドクターに感想を聞かれ、『カメラが入っているのに話しが出来るのはいいですね。』とか『口から入れると10分くらい経つと辛抱たまらんようになるのですが、鼻からだとまだまだ、いくらでも耐えられますね。』とか言っていた。しかし2回目は、痛かった。鼻血も結構出た。さて、今回はどうかなあと、若干の不安も思いながら鼻から入れてもらったが、なんと、今までで一番スムースに入っていった。いわば“楽勝”。Nドクターと喋りながら胃カメラ挿入、と言った感じだ。

 さて、逆流性食道炎はあるが、おおむね食道異常なし。胃の入り口辺り異常なし。胃炎はあるがピロリ菌駆除の効果か、昨年に比べて炎症も大分治まっている。と順調な所見。ところが、

 「うーん、ちょっと気になるなー。上彎の胃底部にちょっと気になるものがあるので、細胞を採りますよ。」

 とNドクター。こちらはなにも分からない“まな板の上の鯉”状態。モニターを見ていると、見えるか見えないか、ごくわずかに赤くなった点のようなものがある。そこに焦点を当て、拡大して行くと胃壁に“梅の花”のような、4箇所が盛り上がり真ん中がへこんだものができている。

 「ちょっと細胞を採りますよ。」

 多少不安になりつつも、まあこんなことはあるだろう、などと思いながら見ていた。4箇所の盛り上がりそれぞれから細胞穿刺。組織をごく小さな疳子のようなもので掴み出すたびに出血。

 「先生。えらい出血するのに痛いことはないですねー。」

 「本当やね。これが皮膚やったら拷問でっせ。」 

 そんなやりとり。組織を採りながらNドクターは、

 「【いそ】さん。あまりいいものではないようです。私の感じでは8割がた癌やと思います。細胞検査の結果は10日位かかるので、次回来た時に言います。」

 胃カメラの後、Nドクターは写真や資料を示しながら、

 「部位は、胃の底のほう、上彎部ですね。形状から見てⅡa型かと思います。次回来た時にお話します。」

 (藤井寺から山道の難所を越えてたどり着いた、第12番札所 焼山寺)

 私は、一連の検査の流れの中で、癌かなあという思いが沸々と感じてきていた。だからNドクターのそういった話を聞いても、冷静に受け止めていた。

 家に帰って、連れ合いに本日の経過について話した。連れ合いは看護師ではあるが、こういった状況に冷静に受け止められるだろうか、といった心配をしながら話したが、なんと言うことはない、連れ合いは冷静だった。

                                                              (続く)

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胃癌日記①

2012-05-21 18:13:13 | 闘病

胃 癌 日 記 ①

   (四国88ヶ所 1番札所 霊山寺 善男善女の集まる境内)

 2011年の秋は暖かい。10月半ばというのに、私は未だ半袖のシャツに7分丈のズボンである。

 もともと健康で、ここ15年以上、少なくとも1995年に現職に就職して以来、風邪ひきや腹痛などで休んだことは、あるかないか思い出すのに苦労するほどで、記憶にも無い。2006年3月の未破裂脳動脈瘤のクリッピング開頭手術のあと、体力維持回復のために、阪急の最寄駅から職場までの通勤経路往復8Kmを含め1日10Kmを歩き続けている。大峰奥駆もテントや6~8リットルの水をかついで登り、体力的にも自信を持っている。いわば頑強な身体である。

  (霊山寺の門)

  (四国88ヶ所 2番札所 極楽寺の門)
 
  (四国88ヶ所 3番札所 金泉寺の門前で若い女性の歩き遍路さんに出会う) 

 しかしいかに頑強とはいえ、加齢とともに身体も傷んでくる。2005年の健康診断で便潜血といわれ、かかりつけのNクリニックに相談した。Nクリニックでは注腸検査をし、その結果異物が見られたため、S病院へ紹介され、大腸ファイバーの精密検査となった。S病院の内視鏡はかなり評価が高く、N先生の紹介で、Aドクターに検査をしていただいた。大腸ファイバーでは5mm程度のポリープが見つかり内視鏡で切除、ポリープが大きかったので、切除後観察でそのまま3日間の入院となった。後日切除したポリープから癌細胞が見つかり、結果「大腸腺癌」の診断が下された。

  (四国88ヶ所 4番札所 大日寺の門では自転車の鍵を落とし、大慌て)

 それ以降私は、頑強な身体とはいえ歳も歳だし、念のため脳動脈のMRI・3次元CTと大腸ファイバーそして胃カメラを、身体のメンテナンスとして、毎年秋に検査を受けることにしている。

  (四国88ヶ所 5番札所 地蔵寺の)

    (地蔵寺境内の銀杏の大木)

2011年も10月中旬に大腸ファイバーの検査をしており、例年順調ではあるが今年は特に異常は無く、細胞検査もしなかった。一安心していた。以下、2011年秋の身体のメンテナンス日記から。

                                                 (以後約30回続く・・予定)    

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