"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

パライソメッセージ 3

2013-03-28 19:02:19 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.03.29

 

        Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20130329」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:理念、ポリシー、哲学を語ろう(3)

 「どうすれば理念、ポリシーそして哲学を語ることができるのか。」

 といったことは、余計な話かもしれないが、やはり勉強することだと思う。勉強するということは具体的には本を読んだりWEB情報を収集したり、新聞を読んだりあるいは映画を見たってかまわない。ただし、単に惰性で『のんべんだらり』と勉強していても駄目で、勉強するにあたって3つのポイントがあると思う。余談だが私は『3つのポイント』が好きで、学生との面談でも『面接の3つのポイント』とか『自己理解の3つのポイント』などとよく言っている。まあその話は別の機会として、『哲学を語るための勉強の3つのポイント』とは以下のとおり。

 第1には、批判的に、クリティカリリィに勉強すること。これはなにもシニカルに、世間を『拗ねた』目で観るといったことでは決して無い。経済・哲学理論でたとえて言えば古典哲学もアダムスミスもケインズも新自由主義もマルクスも全て是という前提ではなく、批判的にアプローチし、勉強するということ。歴史でも皇国史観であっても英雄豪傑の人物史観であっても唯物史観であっても、疑って勉強を始めるということである。何故そのような『ひねくれた』勉強の仕方をするかというと、批判的にクリティカリリィに情報にアプローチしないと、自分の理念やポリシー、哲学が形創られないからだ。すべてに無批判に情報に接すると、例えば最近のマスコミ特に新聞などひどいもので、世の中の表層的な現象、あったことを連々と書いてあるだけならまだしも、世論誘導に載せられかねないような記事が満載で、額面どおり信用してしまえばとんでもないことになる。アベノミクスで日本経済は好転した、とかTPPは第3の開国だ世界に取り残されない日本を、まるで当たり前のように評論家的にリストラの記事が出たり、経済同友会長谷川代表やら竹中平蔵氏らが「解雇規制の自由化」など平然と声高に言われたりで、まるで愚民化への誘導を目論んでいるとしか思えないような記事や情報が溢れかえっている。『物言わぬ・物考えぬ』若者や民衆に押さえ込もうとしているのか。

 批判的に情報を収集し勉強しなければ愚民化への奔流に流されてしまう。批判的にクリニカリリィに勉強することが、語るべき理念、ポリシーや哲学を醸成する苗床となる。

 

 第2の『哲学を語るための勉強のポイント』は、物事の本質を見抜くこと、それを意識して勉強すること。これは、第1のポイントと同じように思うかもしれないが、実はかなり違う。第1のポイントは批判的に勉強する、いわば勉強へのアプローチの『態度』であるが、物事の本質を見抜くというのは、勉強のオブジェクトといえるだろう。

 例えば、『資本論』を勉強しているとしよう。技術進歩が人類にもたらすものとして、ケインズは1930年の論文で、20世紀の終わりには技術進歩のおかげで人類は週5時間だけ働くようになるだろうと予言した。この予言は見事に外れ、実際は労働時間はかえって増え、しかもハードになっている。過労死などといわれる労働実態が有り、過労死はブラック企業の象徴にもなっている。資本家が「大洪水よ、わが亡き後に来たれ」(資本論)の心情で、競争におびえ特別剰余価値のあくなき追求の挙句、新自由主義が跋扈し、ギャンブル資本主義が吹き荒れ、リストラ企業やブラック企業が徘徊する今日の社会はマルクスの資本論を勉強すれば論理的に納得がいく。世間の表層の奥にある『本質』への理解が論理的な納得へと繋がっていく。

                     (続く)

 

【一押しMovie】

 今週は、映画の紹介。試写を見てでの話題提供ではないので恐縮ですが・・・

-映画「遺体~明日への10日間~」を見て-

 映画は石井氏のルポルタージュを映像化したものであり、ストーリーは無く、東日本大震災・津波による犠牲者を収容する釜石市のある遺体安置所で繰り広げられる人間模様を著した原作を忠実に映像化している。西田敏行が一人の軸となる民生委員を演じ、釜石市役所職員、医師、歯科医師、歯科医師の助手、僧侶、犠牲になった子供の母親等々の人間模様を、尾形直人、柳葉敏郎、佐藤浩市、酒井若菜、國村隼らが演じている。

 私は石井氏の原作を読んでおり、活字を通してでも苦悶にゆがんだ表情や姿態の遺体、人間の尊厳を踏み潰すように傷んだ遺体、悲しみや絶望に突き落とされる子供の苦しみに歪み悶える遺体、収容しきれなくなるほど隙も無く並べられた遺体やその腐臭など、およそ言葉にできないほどの地獄絵図がイメージとして心の中に焼き付いていた。果たしてこの映画はどれほどのリアリティで地獄絵図を映像化しているのか、映画を見る前はある種恐怖心のようなものを持っていた。

 映画は、無駄な描写やPTSDを起こすような津波の映像とかは一切無い。原作に忠実に映像は展開していくが、遺体の表情や姿態、寒々とした遺体安置所の中での人物描写や葛藤など淡々と映像化され、涙なしにはとても見られないのだが、直視できないような残酷でグロテスクな映像は一切出てこない節度のある画面であった。

 見終わった後で、私はこの映画に関わった製作者、スタッフ、出演者たちのメッセージは何だったんだろうと考えた。残酷な事実を節度ある画面で映像化し表現することに、私は逆に強いメッセージを感じた。この映画が問いかけるものは、自虐や過去の教訓に学ばないことへの戒め、自然に対する諌めや教訓でもない気がする。そういったモラルへの問いかけではないだろう。ましてや原発等も出てこず、告発や怒りでもない。私は、この悲劇・惨劇に対して目を背けるとか、この事実を忌避するのではなく、これからもこの事実に向き合わなければならないのだ、というメッセージをこの映画は発しているのではないだろうかと感じた。

 時間があれば、原作を読むのとあわせ、この映画を見られることをお勧めする。

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パライソからのメッセージ

2013-03-22 19:31:01 | メッセージ

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パライソからのメッセージ 2013.03.22

 

        Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソからのメッセージ」を送ります。今後も送り続けたいと思います。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 「パライソてなんや?」

 というご質問にお答えします。2つの意味があって、1つは「パラダイス イソ」の略で、ストレスフリーで能天気なイソ、という意味です。もう1つの意味は、「パライソ」そのものがポルトガル語で「天国・極楽」を意味します。

 どっちでもいいのですが、小生のメッセージを綴ります。構成は、主張・意見・コメント、一押しBook、お勧めMovie、等です。御一瞥頂き、ご意見・ご批判・ご感想等頂けましたら幸甚です。なお、このメッセージの詳細や、BookやMovieの内容詳細は、ブログにアップします。ブログのURLはhttp://blog.goo.ne.jp/isokawas です。

 メッセージ創刊記念で、勝手に今回も全文掲載します。次回からサマリーだけにします。

 

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:理念、ポリシー、哲学を語ろう(2)

 理念、ポリシーや哲学が不在なのは若者の責任ではない。「近頃の若者は」と揶揄される筋合いのものではない。

 文部科学省は『高等教育に期待する』『グローバル人材』の幾つかの定義の中で、母国語と英語ともう一ヶ国語でコミュニケーションができることとしている。つまりグローバルの条件はトリリンガルでコミュニケーション力と言っている。

 昨今、円安に振れたり株価が高騰したりして、景気好転はアベノミクス効果などまことしやかに喧伝されている。経済新聞では株価や為替の動きといった現象面ばかりを報じて、深層を解明することもなくまるで競馬の予想誌の様態である。「景気好転」は参議院選挙を控えた政治動向や、ヘッジファンドなどの投機筋の思惑、暫く抑制されてきた公共投資の再びのバラマキを期待してのバブル待望の輩等々あまり思慮の良くない連中による目先の利益に走る有象無象の欲望の顕れであるが、あたかも当然、自然であるかのような、現象だけの報道が展開されている。

 アベノミクスのプロパガンダ効果以前、リーマンショックまでは戦後最長のイザナミ景気といわれる空前の好景気が続いた。リーマンショック以降企業業績は落ち込んでいるが、一貫して被雇用者の賃金は下がり続ける一方、大企業の内部留保、役員報酬、株主配当は引き続き急カーブの右肩上がりである。そのような現象に対してもマスコミは通り一遍の『あったこと』しか羅列しない。

 こういった状況が、若者が物事の本質を見据えたり、そもそもの原理原則というか、物事の判断に当たって『軸』となるものの形成を疎外しているのではないか。『日本人の若者は外国人とコミュニケーションが出来ない、ディベートが出来ない。』『中国や韓国の留学生と話すと圧倒される』等とよく言われる。これは日本人が英語能力が低いとかトリリンガルでないとか、ましては日本人がシャイだから等では決してない。ノーベル賞の益川先生は、受賞記念の講演を日本語でやったけれど、大いに聴衆に感銘を与えた。

 マスコミは、アベノミクス以前の円高と、一方で溢れんばかりに印刷されるドル紙幣やドル国債を買い込む、つまりドル高に当然振れるべきだが、何故円高とドル買い(当然ドル高に振れるはず)という相反する矛盾が長い間『無抵抗』に続いてきたのか。何故それに異議を唱えるリーディングオピニオンが出てこないのか。それはきっとある人たちにとっては都合が悪く、本質を論ずるオピニオンを無視あるいは抹殺しているのではないかといった危惧を持たざるをえない。為政者や権力者が、都合の悪いことを糊塗する、結局そういったことが、理念やポリシーや哲学を語る若者や民衆を育んでいかないのではないか。

 我々は、もっと理念やポリシー、そして哲学を語るべきだ。だが、どうしたら語れるのだろうか。

(続く)

 【一押しBOOK】

題名:「人権としてのディーセント・ワーク」

著者:西谷敏(大阪市立大学名誉教授、法学博士。1943年生まれ)

詳細:ディーセント・ワークとは、ILO(国際労働機構)が1999年から活動の中心に掲げているスローガンで、OECD各国でその実現に取組まれている。筆者は「働きがいのある人間らしい仕事」という訳を用いていないが、広義にはそのように訳されている。今日、低賃金で雇用が不安定な非正規労働者が急増している一方で、働きすぎで過労死や「新型うつ病」が社会問題化しつつある。また、ジェンダー格差や障害者、外国人の移民・『研修生』、ダイバーシティの人たちの労働に諸矛盾が凝縮されている。本書はそういった労働に対する告発を丁寧に実証している。さらにどうすれば「人間らしい働きがいのある仕事」が実現できるのかをサジェッションする、実践の書である。

 (前回の一押しBOOKの、今野晴貴著「ブラック企業」)

 

 

 

 

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20130320パライソからのメッセージ

2013-03-19 19:03:25 | メッセージ

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パライソからのメッセージ 2013.03.20

 

        Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソからのメッセージ」を送ります。今後も送り続けたいと思います。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。今回だけはどんなもんかのデモもかねて、一応全文を配信させていただき、次回からは項目だけ、本文はブログにリンクさせます。

 「パライソてなんや?」

 というご質問にお答えします。2つの意味があって、1つは「パラダイス イソ」の略で、ストレスフリーで能天気なイソ、という意味です。もう1つの意味は、「パライソ」そのものがポルトガル語で「天国・極楽」を意味します。

 どっちでもいいのですが、小生のメッセージを綴ります。構成は、主張・意見・コメント、一押しBook、お勧めMovie、等です。御一瞥頂き、ご意見・ご批判・ご感想等頂けましたら幸甚です。なお、次回から、メッセージの詳細や、BookやMovieの内容詳細は、ブログにアップします。ブログのURLはhttp://blog.goo.ne.jp/isokawas です。

 

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:理念、ポリシー、哲学を語ろう(1)

 いきなり抹香臭い話ではなはだ恐縮だが、「最近の若い人は…」の話をする。とはいっても特に「若い人」に限ったことではないのだが、とにかく物足りない。

私の職場の周りを見ても、多くの仲間やスタッフがいる。おおむね20歳台と30歳代前半で、パワーもあり働き盛りだ。そして彼や彼女たちは実にモラルが高く、真面目に熱心に仕事に取組んでいる。私たちは学生と直接対面するといった業務の性格もあると思うが、彼や彼女たちはいささかのモラルハザードもなく、不平不満が表立つこともない。それどころか、時々の息抜きも和気藹々でチームワークの点も申し分ない。

それで何故物足りないかということになる。彼や彼女たちは、真面目に熱心に高いモラルで仕事に取組んでいるのは間違いないのだが、気になるのは『仕事の哲学』だ。つまり、マニュアルや方法論通りの仕事や、フローチャートの作成、パワーポイントの資料作成、データ作成と分析、図表化等々には、工夫して大変高度なスキルを駆使し、年次のルーティーン企画も毎年オリジナリティに富んだ資料を更新し作成してくれる。それでなお『物足りない』のは何か。それはちょっと漠然と言うと、彼や彼女たちの『哲学』が伝わってこないことだ。

例えば身近な私の職場の周りをみても『R学園らしいキャリア形成支援とは何か』『R学園らしいグローバル人材育成とは何か』といったそもそもの理念がほとんど感じられないし、議論もない。それは時々断片的に触れられるけれど、そもそも私たちの仕事の機軸としてがっしりと据えられていないと思う。2000年の新大学の設置の頃まで、いわばR学園が光り輝いていた頃までは、職員は『R学園でのグローバルとは何か』『R学園らしい国際化』などが教職員、学園を挙げて政策議論がなされた。教育や研究に関わる事項だけでなく『R学園における財政政策』や『事務体制』なども、文部科学省や経済・政治動向へも『切り結んだ』政策提起が行われ広範な議論が繰り広げられた。

最近ではそういったことはまったくといっていい程行われていない。もっともこれは私の身近な職場だけの現象ではなく、また若者に限ったことでもなく日本全体の現象であると思う。

ただ私は、このことが彼や彼女たち若者の責任であるとか、もって生まれた資質であるとはまったく思っていない。(続く)

 

【一押しBOOK】

題名:「ブラック企業-日本を食いつぶす妖怪-」

出版:文春新書 770円+税

著者:今野晴貴(NPO法人POSSE代表、一橋大学大学院博士課程)

詳細:

POSSE(ポッセ)は、若者の労働相談やブラック企業対策、貧困問題に実践的に取組む大学院生、学生らが結成し活躍するNPO法人。著者の今野氏は一橋大学大学院社会学研究科博士課程に在籍。

 ブラック企業は2チャンネル等でのネットスラングで学生・若者たちから言われだしたが、特に「ブラック企業」というものの定義は、はっきりとしたものはなかった。この本では、ブラック企業を①「選別」(大量募集と退職強要)、②「使い捨て」(大量募集と消尽)、③「無秩序」(セクハラ・パワハラ等モラルハザード型)にパターン化している。また、ブラック企業を「社会問題」と位置づけていることは重要だ。つまりブラック企業の反社会的営みは排除されるべきだし、反社会的営みをあくまで生業とするなら、社会から退場していただかなければならない。そういった提起も含め、「ブラック企業論」としても展開を試みる意欲の書。勿論、ブラック企業の相談対応の豊富な実践から、ブラック企業への関わり方も論理的に照会する、内容豊富な必読の書。 

(以上)

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胃癌日記79

2013-03-14 19:00:31 | 闘病

   胃 癌 日 記 79

   ‐スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)までの日々‐

 

-超多忙な仕事の中で-

 2月に入り、私が担当する企画が目前となり、いよいよ多忙な日々に追いかけられる。とはいえそんな中でも、職場の若手の発声で『歴史研究会』が発足し、私が会長ということになって2月5日に第1回目の研究会を開催。当日は急遽報告予定者が所要の為私が代理報告。取り急ぎ『持ちネタ』でレジュメを纏めた。『1.自己主張できない日本人のDNA』『2.何故日本人は自己主張(ディベート)できないのか』『3.何故円高なのにドル(アメリカ国債)買いなのか』といった少し歴史とは離れているかもしれないテーマだが、とにかく日本神話等も引っ張り出し歴史的考察ということでアプローチを試みることとした。『研究会』とはいっても火曜日の仕事の後の放課後に30分ほどフリーで議論しあうという事だけれど、何よりも私よりもっと忙しくしている若手が、自発的に行動してくれているのが素晴らしい。私はいつも『ご意見番』のような役回りで声が掛かってくるが、これもやはり『充実した人生』の一端だろうか。

 -2月のハイキングは里山へ-

 仕事のほうは益々忙しく、いよいよ私が担当している企画が、2月11日に東京会場から始まった。おりしもその11日当日は、組合のサークルのハイキングで、東京のほうは担当のスタッフにお任せして、私はハイキングに参加した。このところ月1のハイキングと週1のジム通い、そして以前から引き続く通勤での毎日10kmの歩きが、体調維持のための習慣となっている。

 さて、2月11日は朝8時35分に集合場所の上桂駅着。9時集合なので未だ誰も来ていない。先日来寒波で山のほうは雪が降っていたとのことだが、当日は底冷えだったが天候のほうは晴れ時々曇り。全員集合となって9時5分に出発。本日のコースは愛宕山・保津峡の南、桂坂の北に位置する洛西の里山稜線を西に辿り、沓掛山、三杉山を越え亀岡の馬堀に至る通称、唐櫃越(カラトこえ)と呼ばれるコース。

 上桂から西に住宅街を通り過ぎるとやがて山道に入っていく。いきなり急登といった感じだが、山道に入ると竹薮の中の道となり癒される。少し登って京都市内を振り返ると、山科方面の山がもうもうと煙を上げていた。誰かが『分厚い雲がかぶさっている』と言っていたが、あれは雲ではなく、山科の花山で、ある宗教団体が全国の信者を集めて大護摩行をしている煙だ、と説明した。山道はやがて京都大学桂キャンパス北側の山の稜線となり、桂坂の自然観察公園の周回道の一部と合流し再び山道となる。時々雪が舞う天気になってきて、相変わらず寒いがメンバー全員元気を出して歩き続けた。

 11時過ぎに沓掛山(415m)を過ぎ、山陰線トンネル工事のときの旧作業用の舗装道を歩き、終点の広場になった作業場跡で12時前に昼食。その頃は雪も本格的になってきて、屋根もなく吹きさらしの広場のアスファルトの上に皆が適当に座り込んで、少し辛い状態での昼食休憩となった。昼食はそれぞれ行動食で、さっさと食べて再び山道に入り、14時前に頂上に送電鉄塔が設置されている(430三杉山(430m)頂上着。雪も止んで三杉山からは、北に愛宕山と西北に連なる地蔵山が、下のほうには保津川が流れる保津峡が良く見える。北側と東側は伐採されて展望があるが、南・西方面は殆ど展望がなかった。

 暫く景観を楽しみ、記念撮影後山道を下る。やがて寺院の裏手に出て、馬堀の町へと出てきた。アスリートとして鍛錬をしているI君はここから山道へと引き返し、自然観察公園の周回道まで戻り、桂坂にある自宅へと戻っていった。私も上桂まで戻ろうかなあなどと思ったが、冷静に考えるといかに順調に歩いたとしても、ヘッドランプを持参しているとはいえ、あまりよろしくない天候の中、山中で日が暮れるというのも良くないし、他人に迷惑をかけてしまうかもしれないので、止めた。街中を歩き14時45分にJR馬堀駅、そして14時59分発のJR電車で帰路に着いた。

 今回のハイキングは男5名女4名の9名パーティで1名の30歳代以外は60歳以上の団塊およびオーバー団塊世代。それぞれ山好きで健康を楽しんでいる、まさに楽山。私にとっては健康維持もさることながら、こういった仲間たちとの交流は、気持ちが癒される。

 JR山陰線で二条まで、先輩のGさんと一緒に戻り、Gさんはそこから大宮に出て帰路へ、私は三条通から途中イノダ本店の美味しいコーヒーを飲んで、新京極まで出て阪急河原町まで歩き、帰路へと着いた。本日歩行は27,013歩。

(続く・・・しばらく間が空きます。その間「パライソ」などを配信予定)

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胃癌日記78

2013-03-12 18:24:14 | 闘病

   胃 癌 日 記 78

   -スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)までの日々-

-映画「東京家族」を見て-

 日頃の業務はいよいよ多忙で、2月3日の日曜日も大阪での名刺交換会で日帰り出張だった。日曜出勤の代休で4日は休み。絶好のチャンスとばかり映画「東京家族」を見に行く。連れ合いも一緒に行こうと誘ったら、もう既に見たとのつれない返事。仕方がないので一人で行った。

 瀬戸内の小島に住む学校の教員をリタイアした老夫婦が、亡くなったかつての同僚への弔問と併せて東京に住む3人の子供を訪問する。両親を迎える長男、長女、末っ子の次男と初老の親との家族の絆とそれぞれの思いが、実に細やかに丁寧に描かれ、山田洋次監督の『小津安二郎監督にささげる』というメッセージにあるように、監督の自分にとっての集大成の作品の一つにしようと言った思い入れが伝わってくる映画だった。日常のさりげない景色だが、美しい瀬戸内を丁寧に撮影し、景色そのものがメッセージを伝えてくるような画面にも監督の思いが伝わってくる。ただ、美しい瀬戸内の風景の中に見える、祝島の対岸に原子力発電所が計画されているのだが、家族の絆や瀬戸内の小島に住む人と人との暖かい心の触れ合いの対極にある原発に対するネガティブメッセージも、山田監督は発しているのだろうか。

 主演の橋爪功は、昭和の高度成長期を生き家族の絆やしがらみを包含し、自分の人生を眺める初老の役が最近は多い。彼のことで強く印象に残っているのは、私が中学・高校の頃にテレビドラマや後に映画にもなった、『若者たち』で次男の役をしたときのことだ。両親を無くし協力し支えあって生きていく4人の兄弟妹の生き様を描いた作品で、長男が田中邦衛、次男が橋爪功、三男が山本圭、長女は佐藤オリエが演じた。時代は高度成長期の真最中で、長男の田中邦衛は自分には学が無くなんとしても三男の山本圭には大学を卒業させようと思って我を忘れて頑張る現業労働者の兄を強烈な個性で演じていた。次男の橋爪功は、高度成長期に企業戦士として真面目で一生懸命に働く現業労働者を、三男の山本圭は知的で情熱的な学生役を演じ、ドラマの中で社会の矛盾や不正義をいつも告発していた。長女の佐藤オリエは、冷静で強く優しく兄たちの母親のような存在であった。私は、自分の実生活や丁度思春期で感受性の強かった頃であったが、自分の感性の琴線に触れるようなリアリティのあるメッセージに大いに心が洗われたことを覚えている。

 『東京家族』での橋爪功は『若者たち』の時の次男が、教員としてそのまま年輪を積み上げてきたような思いに重なってくる。演技は朴訥として達観したかのような個性を好演していた。笠智衆に重なるようなイメージが随所にあったが、特にわざとらしいわけでもなく自然的であり、山田監督のクリエイティビティなのか、橋爪功の脚本理解と表現なのだろう。

 何よりもたいへん綺麗な、山田監督らしい、押し付けでなくそっと控えめに、ごく自然に差し出すメッセージに心が洗われる映画らしい映画であった。

(続く)

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胃癌日記77

2013-03-07 18:08:40 | 闘病

   胃 癌 日 記 77

   -スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)までの日々-

 

-薬の服用を止めて1ヶ月半。再び肝機能の検査-

 1月25日は大学学部の校友会の新年度の役員会で夕方から会議の後懇親会。私は学部校友会の役員も兼務している。学部校友会では当面の活動計画と何と言っても2015年に50周年を迎える学部の校友会企画をどうするかである。私は「半世紀のS学部の築いた地平」を焦点に私なりの企画イメージを持っているが、近々プレゼンに向けての準備を始めようと思っている。会議の後は新年度役員顔合わせということもあって、料理屋で懇親会。周りから酒を勧められるが全く酒を飲まない、というのにもすっかり慣れてきた。この日は遅くまで懇親。

 翌1月26日はやはり学部の1~4期生の学生生活の苦楽や志を一にした先輩や仲間たちとの「集い」があった。夕方5時に京都二条木屋町の料理屋に集い旧交を温めあった。私は4期生で集いの中では最年少。先輩達は、すでにリタイアした人、継続雇用や嘱託で仕事を続ける先輩、定年を過ぎても現役時代の卓抜した能力を請われて社会福祉の最前線で頑張る先輩、現役の地方議員、自営業等多士済々の先輩達だが、それぞれに能力や感性が優れており勉強になる話を沢山聞かせていただいた。80歳を過ぎ、未だに平和へのメッセージを発し続けておられるS先生を囲み、益々のご活躍とご健勝への祈念が、この集いを脈々と繋げている大きな柱の一つでもあり、今年もS先生の魂の叫びを聞かせていただいた。「集い」では8時過ぎまで旧交を深め合い、年末の再開を約束して散会となった。

  2月に入って仕事は益々忙しい。忙中ではあるが2月1日には仕事の帰りにジムに寄りトレーニング。この日は130回分登ったのと、体幹トレーニング。

 2月2日はN先生の受診日。朝はゆっくり起きて殆ど昼前にクリニックに行く。

 「先生。水虫の薬を止めて6週間ですので、肝機能検査をお願いできますか。」

 「そうやね、そしたら肝機能検査と電解質、あと検尿をしましょう。」

 と言うことで検査となった。さて、2週間後にはどんな結果が出てくるやら。おそらくノー・プロブレムだろうと思うが、2週間後のお楽しみ。

(続く)

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胃癌日記76

2013-03-06 19:31:28 | 闘病

   胃 癌 日 記 76

   スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)までの日々

-思うところがあってトレーニングジムへ-

 年度末に向けて仕事は大いに忙しくて連日残業続き。私は、「好きなことには頑張るが、そうでないことには頑張らない」生き方が大事だと思っている。仕事でも好きな仕事は頑張るが、そうでない仕事は頑張らない。何でもかんでも仕事だからと言って、真面目にひたすら頑張っても疲れるだけだし、人によってはメンタルな病気を患うこともある。真面目であればあるほどそのリスクも高い。本当に嫌な仕事でも頑張らなければならないことも世の中にはある。私は若いときには会社経営者の経験をした。やりがいのある楽しい仕事も多かったが、正直そのときは資金繰りやら得意先が強要してくる無理な納期に間に合わせる為に相当な苦労をした。職人の労務管理やら本当に逃げ出したくなるような嫌な仕事をやらざるを得なかった。そして実際に胃潰瘍を患ったし、自分が責任を持つ会社であるのに出勤するのが嫌でエスケープしたくなることが少なくなかった。

 「好きなことには頑張るが、そうでないことには頑張らない」生き方が大事だと実感しだしたのは、2006年3月の未破裂脳動脈瘤クリッピング手術の後からそんな思いが出てきて、そしてスキルス胃癌の手術後、無事生還させていただいてから本当に実感として思うようになってきた。職場の真面目に一生懸命頑張っている若手にも、日々、

 「頑張るなよ」

 「頑張らなくて良いんだよ」

 などと、平社員の分際でえらそうに言っている。

 さて、そんな中で登山には頑張る、生きていた証となるメモリアル登山としてこの夏は西穂高から奥穂高への縦走を実現する思いは強い。そのため日々のトレーニングを兼ねてサークルでの山行はできるだけ参加しようと思うし、それだけでは物足りずトレーニングジムへ行くこととした。昨年の11月上旬にそのことを計画し、Tスポーツの法人会員として登録を済ませた。

 1月18日は残業も30分で切り上げ、職場近くのスーパーでトレーニングウェアを買い、自宅近くのTスポーツへと向かった。ジムではまずトレーニングメニューの作成とマシンの使い方などを教えてもらう為にトレーナーと相談。メニューを作成する前にトレーニングナビと言う機械で体の測定。所定の位置に裸足で立ってグリップを握り身体の測定をした。私の場合、体重は理想体重範囲内で体脂肪率も理想値、筋肉量は右腕と右足は多く、体幹、左足、左腕は平均量で右半身が強くバランスが少し良くない、とのこと。1年前に胃癌の開腹手術をしたことも言った上で、登山をするための足の持久力を強化することと身体のバランスを良くするためのトレーニングをどうするかを相談した。結果、バランスを良くするのに体幹を鍛える為、胸筋と背筋を増量するマシンでのトレーニングと、持久力特に山に登る為の筋肉と持久力を鍛える為のステップのマシンでのトレーニングをコーチしてもらった。

 18日はあまり時間も無く、機械を覚える程度でステップのマシンも40分、フロアーにして100階分を少し負荷をかけて登った。

 いよいよ仕事で多忙になってはきたが、好きなことには頑張るということで、翌週24日に再度ジム通い。雰囲気にも慣れたので、ストレッチと、腹筋、胸筋、背筋はマシンで結構一杯に負荷をかけてそれぞれワンセットこなす。ステップのマシンではこの日は少し負荷をかけて1時間15分で200階を登った。1階あたり4~5mとして、大体800~1000m登った計算になる。翌25日は仕事だったけれど、なるほど500~800mは登った後の心地よい疲れを感じた。ジム通いで楽しみがひとつ増えた。

(続く)

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胃癌日記75

2013-03-04 18:34:18 | 闘病

   胃 癌 日 記 75

   -スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)までの日々-

-2013年も多忙な仕事始めの合間を縫ってハイキング-

 まだ冬期休暇中の1月5日には、ダイバーシティの就労支援講習会に、7日からの御用始は私が担当するフォーラムの企画の業務でいきなり大忙し。私のモットーである『マイペース』を崩さぬようにとはいえ残業続き。とはいえ1月10日は仕事からの帰りには、恵比寿神社に寄り、柄にもなくスキルス胃癌術後の順調な回復を感謝し、健康とファミリーの無事と、運が良くなるように祈願した。

 そんな合間を縫って、1月12日の土曜日は組合のサークルのハイキング、鞍馬から薬王坂を越えて八瀬大原の静原から瓢箪崩山、そしてリタイアしている先輩のT氏への表敬訪問に参加。T氏は昨年99歳の母親を亡くし、岩倉で一人暮らしをしている。

 8時5分の電車に乗って45分河原町着、そこから賀茂川の河川敷を歩いて出町柳へ、まずは準備運動代わりに軽くウォーキング。9時30分発の叡電に乗ると、本日のメンバーであるA氏と出遭った。A氏は登山のベテランで北山は知り尽くしているし、日本国中の山々を歩き回っている。私の職場の先輩で現在70歳だがまだまだ元気で、組合とは別に身近な山のサークルのリーダー的メンバーとしても活動している。2008年の夏、偶然にも大峰奥駈途中の玉置神社で再会したのがA氏である。叡電で山の話や職場の話をしているうちに、集合時間の10時丁度に鞍馬駅に着いた。

 他のメンバーを待って、10時20分出発。薬王坂を越えて静原に出て江文峠に12時着。昼食後12時30分に瓢箪崩山の登りにとり付く。峠からはいきなり急登で直ぐに尾根に出た。山らしい良い尾根道だ。枯葉が一杯積もり、猪が掘り返した跡があちこちにある。地中のミミズや、カブトムシ、クワガタなどの幼虫を食べる為に掘り返している。そんな道を歩きながらやがて寒谷峠を超えて、13時50分に瓢箪崩山頂上。頂上は標高532.4mで三等三角点があった。メンバーは皆健脚だ。順調なハイキング。頂上で記念撮影と小休止後寒谷峠に戻り、左の道を降り岩倉に向かった。暫く山道を降りて岩倉の住宅街に出、手作りのベーカリーに立ち寄ったり、ぶらぶら歩きながらT氏宅に到着。

 T氏は、6人で賑やかに押し寄せたのだが、本当に嬉しそうに大歓待をしてくれた。出前のお寿司を頂いて、次から次へと嬉しそうに懐かしそうに、若いときからの登山の写真を見せてくれた。今は故人となった先輩諸兄、諸姉の写真も沢山あり、随分と懐かしい思いをさせていただいた。T氏は一人暮らしとはいえ、少々メタボ気味であること以外は、頭も気持ちもしっかりしており、おじいちゃん思いの素敵な孫たちもよく訪問してきて、昨年なくなられたお母さんも眠るように99歳の天寿を全うされたとのことで、別離をちゃんと受け留め、現在平穏に暮らしておられる。

 「元気でね」

 と言って、18時過ぎにT氏宅を後にした。

(続く)

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胃癌日記74

2013-03-03 23:16:06 | 闘病

  胃 癌 日 記 74

  ‐スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)の日々

恒例の新春ハイキング

 朝早く起きておにぎりやお茶、行動食等の用意をして、8時前の電車に乗って東向日へ。東向日からは8時40分発のバスで善峰寺へ行く。善峰寺バス停でストレッチをして9時20分発。最初は結構跳ばして登る。杉谷集落を過ぎて山道に入り快調に登り、11時40分にポンポン山頂上(標高678.9m)着。この日は好天で、南は高槻の町並みはもちろん大阪市内のOBPの高層ビル群、東は京都タワー、ずっと奥に近江富士の二上山、比叡山、水井山、横高山、北は愛宕山、地蔵山が良く見えている。頂上で年配の方に、愛宕山を背景に記念写真のシャッターをお願いした。快くシャッターを押してくれたあと、眺望の山や建物についていろいろと解説してくれた。ご夫婦二人で毎週月曜日に、既に1,000回以上ポンポン山に登ったとのこと。年齢が70歳で仕事は現役とのこと。

 「何故月曜日かと言うと、仕事が月曜日が休みだから。」

 連れ合いが

 「ひょっとして、散髪屋さんですか。」

 「そうです。」

 それで連れ合いが思い出した。5年前の正月に、上の孫Yが小学校4年の時にやはりポンポン山にハイキングに連れてきた。その時頂上でいろいろ話しかけてきて、その上ぶた汁をご馳走して頂いた方だった。

 11時15分に頂上を出発し、11時55分に本山寺(ほんざんじ)着。本山寺では正月の護摩行をしており、火渡りの行もあり多くの信者が参加していた。30分ほど行を見て出発したあと、本山寺からは舗装道路となるが、その舗装道路からはずれて山道に入り、少し広くなったところで12時30分に昼食。持参のおにぎりにカップラーメンと行動食。1時5分に出発し、1時55分に神峰山寺(かぶざんじ)着。少し休憩のあと府道に出て摂津峡上の口へ、そこから摂津峡へ入って行く。ポンポン山から摂津峡へ、いわばダブルハイキング。  

 摂津峡の景観を楽しみながら少し急ぎで歩き、やがて摂津峡下の口公園、桜公園から3時20分に天然温泉の祥風苑着で待望の温泉を楽しむ。温泉では2時間近くゆっくりとはしたが、なにしろ正月の3日で、温泉は家族連れで満員だった。

 高槻まで市バスで戻り、この日は4人で外食とした。

(続く)

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