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大峰奥駈けの道 Ⅲ-②

2008-04-26 16:19:15 | 

    大峰奥駈けの道 Ⅲ-②

真夏の照りつける太陽の下、行仙岳登山口から尾根に出て南奥駈け道を「逆打ち」し「持経の宿」まで

 

 行仙岳登山道と南奥駈け道の三叉路

 下北山村役場からは行仙岳登山口まで、 ひたすら国道四百二十五線を延々と歩く。登山地図では二時間三十分ぐらいの歩きと書いてあるが、さて歩き出すと真夏の炎天下、暑い暑い。最初のうちは下北 山村の集落の中を歩き、墓参りの村のお爺さんに缶コーヒを戴いたりしてのんびりと歩いていたが、段々と傾斜が急になり、ヘアピンカーブが続き、日陰の木立 が途切れるようになってきて、ジリジリと真夏の太陽が照りつけ猛烈な暑さ。たまらず九時、九時五十五分、十時三十五分と立て続けに「水休憩」をとった。今 回は無人小屋泊まりで、一応小屋の近くに水場の印はしてはあるが、念のため水・茶をたっぷりと持ってきており、それがまたザックの重みとなって大変結構な アルバイトとなった。国道四百二十五号線は一応国道ではあるが、あちこちに大小の落石や崖崩れの跡があり、落石が来ないか時々は十分気を使って登っていっ た。

 十一時十五分、ようやく国道のトンネル手前の行仙岳登山口に到着。

「これは歩いて登るところではない。今度来る時は下からタクシーで登ろう。」

などと言いながら小休憩の後、国道に架けてあるアルミの梯子を上り、十一時二十五分にいよいよ山道へと踏み出した。

 右前方の尾根上にはっきりと見えている 電波の反射板鉄塔が行仙岳頂上である。山道に入ったが、そこからは木組みの階段が延々と続いている。この道は携帯電話が通じるようでそれを時々確認しなが ら三十分ほどの「階段登りアルバイト」の末、南奥駈け道にぶつかる三叉路に到着。後ろに続く連れ合いと次女に、

 「おおい、奥駈け道に着いたよ」

 と、声をかける。連れ合いと次女の到着 を待ち、再び三人揃って三叉路を右へ、北の方向へと歩き出し間もなく十二時ちょうどに「行仙岳」(標高千二百二十七メートル)頂上着。五分間の小休止。国 道四百二十五号線を延々と歩いてきたときは、猛烈な炎天下であったが、尾根筋を歩き出しているうちに空模様が怪しくなってきた。十二時二十分に祠の残る 「怒田(ぬた)の宿跡」に到着し、雨の本降り前に昼食とした。昼食は「民宿紺ちゃん」で作ってもらった弁当をおいしくいただいた。

昼食後に小雨が降り出してきて、わが一行 はとりあえずリュックサックにザックカバーをかけて出発した。相変わらず、道というより尾根上の「踏み跡」を懸命に辿り薮漕ぎを続けるといった山行だ。と にかく尾根をはずしてはいけない。連れ合いと次女は元気に先行するが、道をはずさないように下から声をかける。私は多少身体が重い。「病み上がり」のせい か・・・。

 

 倶利迦羅岳の山頂

  十 三時五十分に「倶梨伽羅岳」(標高千二百五十二メートル)到着、小休憩。さらに歩き続け、水休憩などを取りながら、十四時五十分に「転法輪岳」(標高千二 百八十一メートル)着。この山は素直で登り易い山だった。さらに歩き続け十五時二十分、無人小屋の「正治の宿」着。道の東側に広場があり、そこに無人小屋 とはいえこぎれいな小屋がある。次女が

  「ちょっと見てくる」

  とのことで、小屋を覗きに行ったが、ほどなく

  「ひゃー」

  といって戻ってきた。小屋の中で男性の単独行の人が着替え中だったとのこと。

  さ て、「正治の宿」からさらに三~四の小ピークを越え、十六時十分に土道の林道に出てきた。林道を右に行くと三叉路にぶつかり、そこを左手に行くと本日の宿 泊地「持経の宿」がある。十六時二十分「持経の宿」着、本日の寝所だ。わが一行以外には他の登山者はおらず、今晩はゆっくりできそうだ。「持経の宿」も無 人小屋だがきれいに整理されており、トイレもきれいに掃除がされている。プラスチック容器に置き水もありそれぞれ番号ごとに、水の採取日が黒板に書かれて ある。小屋の管理をされている「新宮山彦の会」の皆さんの日頃のご努力に、本当に敬意を表し、極力汚さないようにと気を付けるようにした。

 

 持経の宿山小屋

 小屋の前には丸太で作った簡単な食卓と 椅子がある。林道に戻って十分ほど下がっていくと水場がある。細々とした湧水の流れだが、湧水独特の甘味があって大変おいしい水だった。本日は途中から雨 模様となったが、アプローチの炎天下に大量の水を飲んだので、明日に備え大量のお茶を作るのと夕食用に合計六リットルの水を汲んで小屋へ戻った。交代で連 れ合いと次女が水場へといって体を拭き、ペットボトルに水を入れて持ち帰ってきた。

                    (続く)

 

 

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大峰奥駈けの道 Ⅲ-①

2008-04-26 15:55:25 | 

 

        大峰奥駈けの道 Ⅲ-①

  般若岳の尾根から大高山脈を遠望

 

 二〇〇六年八月、仕事の夏期休暇を利用して、いよいよ大峰奥駈の道③を目指す。昨年までの二回の「大峰奥駈け」で、連れ合いと次女同伴のため「女人禁制」である山上ケ岳を捲いて、太古の辻にまで至り、熊野大社までの大峰奥駈け全行程の北半分はすでに踏破した。

今回は、コースは逆向きになるが、下北山村役場にマイカーを置き、そこから国道四百二十五号線をたどり、行仙岳登山口から行仙岳、そこから尾根を歩き幾つかのピークを超え、持経の宿に泊まり、翌日はやはり尾根を歩き、今回の山行で最高峰となる天狗山(標高千五百三十六. 八メートル)を越え、太古の辻から前鬼に下りるコースで、いわば「大峰奥駈け」の南半分の行程に踏み入り、南半分のその北半分の行程を歩くことになる。ただ、今回の山行は、なんと言っても三月四日の脳動脈瘤の手術以降、一週間前にトレーニングで比良の釈迦ケ岳にハイキングに行ったとはいえ、初めての本格的なハードな山行である。自分では気力はあるつもりだが、実際に体力と気力が充実しているか、回復しているか、不安も少し残っている。

二〇〇六年八月十二日(土)

午前中は、山行の準備をし、十三時に茨木市の自宅を連れ合いと二人マイカーで出発した。ちょうどお盆休みに重なっており、おそらく「高速」道路はあちこちで渋滞しているであろうと思い、外環状線(国道百七十号線)を走っていくこととした。本日の予定は、橿原文化会館で行われている「不思議シンポジウム」に次女が出席しており、彼女と橿原で合流し、夕方橿原発で予定では十九時三十分頃に川上村西河の「民宿紺ちゃん」に到着し、そこで一泊する予定だ。

外環状線沿いの食堂で昼食を摂り、ゆっくり走り、橿原には十六時二十分に到着。シンポジウムは十八時四十分までの予定なので、近鉄百貨店で買った回転焼きなどを食べながら、のんびりと待つこととした。

やがて十八時四十分に、シンポジウムを終えた次女と合流し、橿原を出発。途中コンビニで明日の朝食を仕入れ、十九時四十五分に「民宿紺ちゃん」着。明日の昼の弁当をお願いした後、草々に夕食を摂り、その後入浴。明日の早い出発に備え就寝。

 

  行仙岳登山路と南奥駈け道の三叉路

 二〇〇六年八月十三日(日)

 朝五時三十分起床。出発準備を整え、六時に「民宿紺ちゃん」を出発した。六時四十分下北山役場着、役場の駐車場で出発の準備を整え、昨夕コンビニで仕入れたおにぎりで朝食を済ませた。出発準備をしていると役場の宿直所から男性の職員の方が出てきて、

「なにをしてはりますか」

 とのこと。

 予め電話で村役場には今回の山行と駐車場にマイカーを置かせていただくことについて了承を戴いていたのでその旨を言うと、

 「どうぞ、置いていって頂いて結構ですよ」

 と言い、地図なども持ってきてくれて、親切にしていただいた。わが一行は丁重にお礼を言い、登山届けをその職員さんに託し、ストレッチの後にいよいよ午前八時に役場の駐車場を出発した。

                   (続く)

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