大峰奥駈けの道 Ⅲ-②
真夏の照りつける太陽の下、行仙岳登山口から尾根に出て南奥駈け道を「逆打ち」し「持経の宿」まで
行仙岳登山道と南奥駈け道の三叉路
下北山村役場からは行仙岳登山口まで、 ひたすら国道四百二十五線を延々と歩く。登山地図では二時間三十分ぐらいの歩きと書いてあるが、さて歩き出すと真夏の炎天下、暑い暑い。最初のうちは下北 山村の集落の中を歩き、墓参りの村のお爺さんに缶コーヒを戴いたりしてのんびりと歩いていたが、段々と傾斜が急になり、ヘアピンカーブが続き、日陰の木立 が途切れるようになってきて、ジリジリと真夏の太陽が照りつけ猛烈な暑さ。たまらず九時、九時五十五分、十時三十五分と立て続けに「水休憩」をとった。今 回は無人小屋泊まりで、一応小屋の近くに水場の印はしてはあるが、念のため水・茶をたっぷりと持ってきており、それがまたザックの重みとなって大変結構な アルバイトとなった。国道四百二十五号線は一応国道ではあるが、あちこちに大小の落石や崖崩れの跡があり、落石が来ないか時々は十分気を使って登っていっ た。
十一時十五分、ようやく国道のトンネル手前の行仙岳登山口に到着。
「これは歩いて登るところではない。今度来る時は下からタクシーで登ろう。」
などと言いながら小休憩の後、国道に架けてあるアルミの梯子を上り、十一時二十五分にいよいよ山道へと踏み出した。
右前方の尾根上にはっきりと見えている 電波の反射板鉄塔が行仙岳頂上である。山道に入ったが、そこからは木組みの階段が延々と続いている。この道は携帯電話が通じるようでそれを時々確認しなが ら三十分ほどの「階段登りアルバイト」の末、南奥駈け道にぶつかる三叉路に到着。後ろに続く連れ合いと次女に、
「おおい、奥駈け道に着いたよ」
と、声をかける。連れ合いと次女の到着 を待ち、再び三人揃って三叉路を右へ、北の方向へと歩き出し間もなく十二時ちょうどに「行仙岳」(標高千二百二十七メートル)頂上着。五分間の小休止。国 道四百二十五号線を延々と歩いてきたときは、猛烈な炎天下であったが、尾根筋を歩き出しているうちに空模様が怪しくなってきた。十二時二十分に祠の残る 「怒田(ぬた)の宿跡」に到着し、雨の本降り前に昼食とした。昼食は「民宿紺ちゃん」で作ってもらった弁当をおいしくいただいた。
昼食後に小雨が降り出してきて、わが一行 はとりあえずリュックサックにザックカバーをかけて出発した。相変わらず、道というより尾根上の「踏み跡」を懸命に辿り薮漕ぎを続けるといった山行だ。と にかく尾根をはずしてはいけない。連れ合いと次女は元気に先行するが、道をはずさないように下から声をかける。私は多少身体が重い。「病み上がり」のせい か・・・。
倶利迦羅岳の山頂
十 三時五十分に「倶梨伽羅岳」(標高千二百五十二メートル)到着、小休憩。さらに歩き続け、水休憩などを取りながら、十四時五十分に「転法輪岳」(標高千二 百八十一メートル)着。この山は素直で登り易い山だった。さらに歩き続け十五時二十分、無人小屋の「正治の宿」着。道の東側に広場があり、そこに無人小屋 とはいえこぎれいな小屋がある。次女が
「ちょっと見てくる」
とのことで、小屋を覗きに行ったが、ほどなく
「ひゃー」
といって戻ってきた。小屋の中で男性の単独行の人が着替え中だったとのこと。
さ て、「正治の宿」からさらに三~四の小ピークを越え、十六時十分に土道の林道に出てきた。林道を右に行くと三叉路にぶつかり、そこを左手に行くと本日の宿 泊地「持経の宿」がある。十六時二十分「持経の宿」着、本日の寝所だ。わが一行以外には他の登山者はおらず、今晩はゆっくりできそうだ。「持経の宿」も無 人小屋だがきれいに整理されており、トイレもきれいに掃除がされている。プラスチック容器に置き水もありそれぞれ番号ごとに、水の採取日が黒板に書かれて ある。小屋の管理をされている「新宮山彦の会」の皆さんの日頃のご努力に、本当に敬意を表し、極力汚さないようにと気を付けるようにした。
持経の宿山小屋
小屋の前には丸太で作った簡単な食卓と 椅子がある。林道に戻って十分ほど下がっていくと水場がある。細々とした湧水の流れだが、湧水独特の甘味があって大変おいしい水だった。本日は途中から雨 模様となったが、アプローチの炎天下に大量の水を飲んだので、明日に備え大量のお茶を作るのと夕食用に合計六リットルの水を汲んで小屋へ戻った。交代で連 れ合いと次女が水場へといって体を拭き、ペットボトルに水を入れて持ち帰ってきた。
(続く)