"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

パライソメッセージ20130830 No.24

2013-08-29 18:07:29 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.08.30 N0.24

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 「パライソメッセージ20130830 No.24」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-②

(「大学ランキング」での高い評価…W大・K応「背中」が見えてきたかと思われた)

 学園の評価や到達点を示す指標として、「大学ランキング」では2000年前後には多くの項目で上位を占めるようになってきた。例えば『大学ランキング2000年版』では、『学長からの評価(研究)では1位K大でR大は2位(D大は11位)』『同じく(就職指導・08年版)で、1位R大、4位W大(D台は19位)』『同じく(高校からの評価)で、1位K大、4位R大(D大13位)』『企業からの評価(産学連携98年版)1位W大、2位K大、4位D大、5位K院、6位R大』『企業からの評価(就職に熱心)1位R大、3位K大、(10位D大)、(18位K院)、26位W大、(31位K大)』といった状況であった。

 ランキングを見て、『W大学・K義塾の背中が見えるところに近づいてきた』と学生・教職員や校友・父母は大いに確信を持ち、社会的な評価も急上昇したのは、そう遠くない以前のことだったのである。

 なお、『学長からの評価(就職指導)』『企業からの評価(就職に熱心)』は2008年版に至るまで1位の評価であるが、この項目は以前から高い評価を得ていたし、2000年以降、2005年頃まで、更に「ランクアップ」し続けている。

 

(社会からの支持が「10万人入試」として結実した)

 この連続し持続し続けてきた「改革」は一部幹部のリーダーシップに依拠し、教職員は何の努力をすることなしになりえたのでは決してない。「改革」のバックグラウンドには、全ての学園構成員がそれぞれの機構・組織の中で、旺盛かつ情熱的に徹底して議論を繰りひろげてきたこと、またそれぞれが主体的に「改革」へ参加・参画してきた等の全国一の圧倒的な改革への実践が有る。そしてその努力は、一方では大手私学の中で、初年度納付金が最も安い、いわゆる「相対的低学費政策」への社会的支持も相まって、数年間数度にわたって10万人以上、W大に続いて全国第2位の入学志願者を集め続けたいわゆる「10万人入試」として結実した。

 

(光り輝く学園に何が起ったのか)

 さて、そういった学園「改革」の成果が結果として高い社会的評価に繋がっていった。2000年のAPU開学以降、特に2004~2005年以降に学園に入職した多くの教職員は、『改革の学園』については聞き及んでいたことだろうし、自身も『改革』に身を投じようと『決意』していたのだろう。実際にその時期、全国の大学関係の交流会などに参加しても、R大学の教職員は他大学に比較して意欲的、前向き志向で、何倍もの努力で主体的改革への実践に取り組んでいたといっても過言ではないだろう。

 しかし、APUの開設で終了した第5次長期計画とともに、学園一部トップの変節が始まり、志に燃えて入職してきた教職員は、持続し続けてきた学園改革のフェードアウトに徐々に巻き込まれ、結果、改革のダイナミズムに参加・参画し、学園の理念・ポリシーの具現を体験することができなかった。それどころか、2005年の一時金の1ヶ月カットや、強引なトップダウン・ガバナンス、極端な教職員組合敵視、理事長・総長の退任慰労金問題、超過勤務の適正な管理の欠落と結果としての差額分の遡り支給、総長選挙規定を廃止し総長選任規定を制定して理事長の意向に沿う選挙人を大幅に増やし、理事長人事による総長を選出する仕組み作り、不可解な人事異動、「相対的低学費政策」の放棄他、諸々の学園の一部トップ層による独善的、非民主的な諸施策がなし崩し的に行われてきた。それらの諸施策を強引に押し進めて来た中心人物は、それ以前に学園の改革のリーダーとして教職員の先頭に立ってきた、前理事長のK氏である。彼は変節したのであり、2005年以降表面的にはK氏は理事長職を退くが、彼に指名され彼の意を汲んだ一部トップ層が、光り輝く学園を完全にフェード・アウトさせていくこととなる。

 2008年には生命科学部新入生の特別転籍問題とそれによる経常費補助金の25%、15億円以上のカットなどの事態を目の当たりにして、『一体どうなっている』『平和と民主主義が泣いている』『新しい理事会のガバナンス施策は問題である』などの学内世論が高揚する中で、特別転籍問題の釈明に続き、2008年9月、常任理事会による「満腔の反省」文書が出された。

 このことによって、学園一部トップ層が、学園の民主的再生に再び踏み出すであろうと、一縷の望みに期待したが、実際に彼らが進めてきた学園運営は、「満腔の反省」を悉く反故にし、学園の将来に大いに禍根を残す可能性を内包したOIC展開であることは、周知のことである。そのことは別途論及したいが、本稿においては、かつて光り輝いていた学園を支えてきたのは一体何であったのか、その本質を探っていきたい。

(続く)

 

「一押しBook」

ネットワーク...

 

書名:ねっとわーく京都8 2013 No.295

著者:NPO法人 ねっとわーく京都

出版社:フリーマガジン

内容:

 「ねっとわーく京都8 2013 No.295」誌は、特集として『大学のまち京都第21弾』を組んでいる。特集の内容として産業社会学部の景井先生が2つのテーマでインタビュー。「東北の復興・新生を目指して 学都仙台コンソーシアム「復興大学」の取り組みを語る」では、被災地での大学関係者の大学教育・研究の再構築に取組むレポートが被災地の人々に寄り添った視点で、丁寧に報告されている。「『みちのく未来基金』による進学支援の取り組み」ではロート、カゴメ、カルピーが共同で出資して設立した『みちのく未来基金』で、理事として出向しているロート製薬復興支援室長のインタビューが書かれている。マスコミでは殺伐とした世相が強調されているが、一方ではこういった企業が世の中に沢山あることに、敬服するとともになにやら安堵を覚える。特集の最後には「学生の就活事情とブラック企業問題」という記事が掲載されている。これは5月19日に京都総評が開催したイベント『Union Up

 2013』での同名のパネルディスカッションでの、私とNPO法人京都POSSE代表の京都大学院生のK君のパネラー報告が掲載されている。私が、ブラック企業とは、ということと何故ブラック企業を告発するのかといったことを述べており、K君は、もしブラック企業に関わってしまったらどうすればよいかについて、実際の事例を紹介しながら報告した。ブラック企業問題は最近社会的に大きな関心となっており、多くの参加者の興味・関心を惹いた。

 特集以外にも、立命館大学政策科学部教授 東佳史先生の「日本人が管理できなかったのだから、我々にもできない-重みのあるフン・セン首相の言葉-」とか、金井さん(原発避難者訴訟原告団事務局長)の「3回目の夏、福島から」「「96条の会」結成に見る護憲運動の新たな展開」など、読んで心に残る名文が満載で、フリーマガジンとはいえ、確かな読み応えがあった。

 イソの評価:★★★★☆

蔵書:組合から、回覧で回っています。在庫を持っています。

(続く)

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パライソメッセージ20130823 No.23

2013-08-22 17:30:08 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.08.23 N0.23

  Mail : isokawas@goo.jp

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 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-

 かつてR学園は『改革のフロントランナー』『改革のデパート』といわれ、全国の大学に先駆けて大きな改革のうねりを創り、教職員、学生のみならず校友、父母らステークフォルダーのアイデンティティは強固に纏り高められ、誰もがR学園に確信を持った。学園改革の成果は全国の大学人のみならず、広く市民や企業からも評価と信頼を得るほどに光り輝いていた。ところが、そのかつて光り輝いていたR学園が、2000年前後以降悲しいほどの事態に翻弄され、混乱に陥り、いまや『改革のフロントランナー』の見るかげも無い。2005年には理事長、総長の退任慰労金がお手盛りで倍増され、その一方で教職員の一時金が一方的に1か月分カットされた。学園一部トップは真摯に教職員と向き合うことなく、学内合意や民主主義を無視した強引なトップダウンで学園を混乱と不団結、閉塞感と疑心暗鬼に落としめしてきた。一時金カットについては、一時金返還訴訟という不団結と不信の象徴のような不幸な事態になったが、先般の和解で一応の収束を見た。一審判決で明らかになった一時金返還訴訟の本質は、学園一部トップの誠実交渉義務違反や、一時金は労使協約で定めるものであるとか、生活給であるといったことが、京都地裁において法理論として確定し、学園一部トップによる立命館の民主主義に対する強引な蹂躙が断罪されたのである。

 それにもかかわらず学園一部トップ層は、OICの展開に関わって、深刻な財政状況の試算も無視して、何かに取り憑かれたかのようにOIC開設に向けて盲進している。

 パライソメッセージは、この間世界のこと、日本のことでの私の思いを書いてきたが、今回からはR学園のことについての私見を述べていきたい。なお、私はR学園の民主的再生を願って、同趣旨の論文を書き「立命館の民主主義を考える会」の会報にかつて掲載していただいた。今日のR学園は既に過半数の職員が2000年以降の入職であり、歴史を理解することは今日を理解する上で重要であり、その意味で2009年6月論文をベースに、今日の状況を取り入れリライトしてメッセージを送る。

 1.はじめに

(連続して取り組まれてきた長期計画)

 R学園の改革は、1980年頃の長期低落傾向の中から始まった。全国的には増え続ける大学進学希望者といった社会状況にあるにもかかわらずR学園の入学志願者は暫減し4万人を割ろうとしていた。当時世間では、今では信じられないことではあるが

 『R学園は、赤くて、暗くて、ダサイ』

 『いまやKKDRからRが落ちて、KKDS(K産業大学)になった。』

 などとまで言われるようになっていた。

 そういった状況に危機感を持った学園関係者が学園の改革に踏み出して行ったのは当然のことであった。学園改革は、1984年からの第3次長期計画(1984~1990)以降、連続してあらゆる分野で多面的かつ重層的な「改革」に取組んできた。その後第4次長期計画(1991~1995)、第5次長期計画(1996~2000)と「改革」は繋ぎ続けられ、やがて学園はわが国の私学において、絶えず「改革」の先頭を歩み、「改革のフロントランナー」「リーディング・ユニバーシティ」と社会からは称せられ、まさに改革のサステイナビリティ(持続可能)を保持しながら、更なる発展を続けていくかのように思われた。第3次長期計画以降、学園のバックボーンとなった理念は、国際化・情報化・開放化であった。

 第3次長期計画以降の長期計画で、R学園が実施してきた理念の実践としての主な事業だけを見ても、世界で始めて大学が設置した国際平和ミュージアムと世界への平和のメッセージの発信、国際関係学部の設置、政策科学部の設置、理工系の拡充とBKC新展開、シンクロトロンの導入、それらを活用した従来の大学ではなかった産学連携、中堅・中小企業とも連携した共同研究と外部資金の大幅な獲得、そして2000年にはAPUの開設を実現し学園の改革はピークを迎えた。これらはビッグ・プロジェクトの事例であり、実際の現場では新学科の開設、経済・経営学部のBKC移転と文理融合、カリキュラムの改革、入学政策の多面的な展開と10万人入試の5年連続の実現、1998年には日本の大学で最も早く『就職部・就職課』をキャリアセンターと改称し、学生サービスも充実させる等の改革に連続して取組んできた。現場レベルで多くの教職員が理念やポリシーを語り、パワーを結集してそういった改革が草の根のように広く、力強く取組まれていった。

 まさに、そう『昔』でないかつてのR学園は光り輝いていたのである。当時は教員も職員も『R学園らしい学生支援とは』『入学政策とは』『R学園が輩出する若者とは』等々、R学園の理念やポリシーを意識して仕事をしていた。文部省(文部科学省)の政策とも、時には対立も辞さず『切り結んだ』独自の理念を築き上げ、そのことに誇りを持っていた。そういった、R学園を支えてきたものは何であったのか、次回以降に続論を述べていきたい。

(続く)

 

「一押しMovie」

題名:風立ちぬ

製作:スタジオジブリ(アニメーション)

監督:宮崎 駿

内容:

 宮崎駿監督の描くアニメの世界の主役はいつも子供たちで、彼らが明るい色を基調とするファンタスティックな夢の世界や空間を舞うように動き飛翔しながら、メルヘン話が進んでいく。『千と千尋の神隠し』や『となりのトトロ』『もののけ姫』等々の話はまさしくそのようなスタジオジブリ・ワールド、宮崎ワールドであった。すこし雰囲気は違うとはいっても『火垂の墓』でも、主役は子供たちであり、やはりクライマックスでは蛍の乱舞がファンタスティックな世界を創り出していた。

 『風立ちぬ』は、主役は子供ではない。しかも憲法を守るべきと主張し戦争に反対する意見を公言している宮崎駿監督、高畑勲監督、スタジオジブリが、ゼロ戦というかつての日本の侵略戦争のシンボルともなった戦闘機を題材にしているのに、少なからず違和感を覚えた。スタジオジブリのアニメは、世界でも孤高の丁寧で美しいファンタスティックな世界を創り上げている。その評価は世界ナンバーワンであるし、『アニメといえば日本』のシンボルだろう。ジブリワールド、宮崎ワールドは世界中の人達にファンタジーを届けていたのだが、今回の『風立ちぬ』を見たときに、ゼロファイターに託した夢というのが、世界の人に果たして受け入れられるのだろうか。

 しかし、私は日本人であるし、決して肯定はしないけれど、だからといってゼロ戦に対する単純なネガティブイメージを持っているわけでもない。スタジオジブリと宮崎駿さんは、難しい題材をファンタジーの世界に持ち込んだと思う。宮崎さんにとっては、世界一性能の良い飛行機設計に夢を託した堀越二郎が、その夢を実現していくプロセス自体がファンタジーなのだろう。

 映画の終わりに、死屍累々としたゼロ戦の残骸が描かれている。宮崎さんのメッセージの一端を感じた。アニメーションとしては、世界最高の個性的な質の高い作品であった。

 

イソの評価:★★★★☆

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胃癌日記89

2013-08-19 17:41:11 | 闘病

胃 癌 日 記 89

-スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)までの日々-

 

 -スキルス胃癌手術1年半後のCT検査-

 

 5月10日はスキルス胃癌手術後のケアとして、年2回の腹部・胸部CT検査。今回で術後3回目となる。昼から年休を取って、15時過ぎにSI病院へ。予約であったので殆ど待つことなく検査開始となった。日常の生活は全く異常なしで快調だが、気のせいか年のせいか咳が出ることが時々ある。まあ、肺に転移かなどは全く気にすることも無いのだろうが、気休めのために今回は胸部の検査もお願いしている。

 

 名前を呼ばれて検査室に入り、上着だけを脱いでCTの機会に横たわる。すぐに撮影が始まり、終わるまで5分とかからなかった。なんの苦痛もなにも無くあっけないほど。10分ほど検査室の外で待っていると、CT撮影のデータをプリントアウトしたフィルムと所見を封入した封筒を預かり、会計を済ましてその足でかかりつけのNクリニックへ行く。

 

 NクリニックでN先生は、CTのフィルムを見てそして封筒を開封し所見を眺めていた。

 

 「Iさん。問題無しですね。」

 

 「先生。肺のほうも大丈夫ですか。」

 

 「全く問題無しです。」

 

 とのこと。手術後1年半。3回目のCT検査も、無事クリアーした。『予定通り』というホッとした気分なのだが、ほんの気持ちの片隅には、『本当に大丈夫なんだろうか』という気持ちが無くはない。後は25日の血液検査をクリアーするだけ。また、気持ちをリフレッシュをして、残された人生、ライフワークに頑張ろうといった気持ちになった。

 

 

 

 -学会参加で鎌倉も訪問。労働組合の大きなイベントで、パネルディスカッションのパネラーに-

 

 相変わらず忙しい日々で、その合間にNPO法人の設立に向けての準備も進める。ネットワーク作り、仲間作りを着々と進めている。毎週発行のパライソメッセージも軌道に乗ってきた。

 

 5月18日は、学会に参加。前日の夜行バスで出発し、早朝横浜駅着。学会は14時からなので、それまでの間鎌倉の姉宅を訪問することとした。

 

 鎌倉駅から歩いていくのだが、今回は違った道を散策がてら行くこととした。9時30分に鎌倉駅を出発して西口から暫く歩き、源氏山方面に立ち寄る。途中銭洗い弁天にお参りし、源氏山へ。100メートルもない低い山で頂上は公園になっていて、源頼朝の銅像なども有り、展望は無いのだが市民の憩いの場。源氏山から西に行くと葛原岡神社がある。由緒ある神社で、日野俊基を祀っているらしい。そこで参拝したあと参詣道を通り、広い通りに出て住宅街を通り山の上ロータリーへ。そこで道に迷ったが、歩き回っているうちにいつも通る道に出てきて、10時10分に姉宅着。1時間ぐらいの道のりだが、迷ったりぶらぶらしたこともあり1時間40分かかってしまった。

 

 姉宅で1時間ほどすごしてから退出し、東京の学会へと向かった。この日の学会は、障害者のキャリアデザインを考えるをテーマで開催された。講師は2名で、それぞれ現場で頑張っている方であり、日常の業務や、自分自身の問題意識にも関わることであり大変勉強になった。16時20分に学会が終了し、その後甥のYと合流し、コーヒーを飲み近況報告の交換をして、分かれる。17時50分の新幹線で帰阪。

 

  翌日の5月19日には、労働組合がみやこメッセで開催す『Union up 2013』というイベントで、パネルディスカッションのパネラーとして参加した。テーマは『ブラック企業について』であり、私はブラック企業とは、具体的にどんな例があるか、何故ブラック企業を告発するか、などについて25分間ほど報告した。ざっと200名以上の方が聞いておられたが、若者の参加も多く、最近の社会問題でもある『ブラック企業』への関心の高さが感じられた。報告するパネラーは私ともう一人NPO法人で労働問題や生活問題に実践的に取組んでいるK大学院生のK君。2人の報告を基調に、労働法の研究者N先生、新聞記者T氏がコメントを述べ、コーディネーター兼司会で大学職員のK氏がまとめるといった内容であった。

 パネルディスカッションは全体で1時間少し、会場からの質疑といった時間も無い短い間ではあったがかなり盛り上がったように思う。熱気が伝わってきた。それぞれのメンバーと名刺交換もし、これからの若者が主体的に自分のキャリアを形成し、実現できるようにわれわれはどのようなサポートが可能なのかなどを話し合い、私も構想しているNPO法人についての話をし、今後のネットワークとして情報交換等を続けようということになった。

(続く)

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胃癌日記88

2013-08-06 20:40:11 | 闘病

胃 癌 日 記 88

‐スキルス胃癌手術から1年半(2013年6月9日)の日々‐

 

-5月に入ってメーデーやらハイキングやらを楽しむ-

 

そんなばたばたした4月も終わり、5月を迎える。スキルス胃癌の手術後1年半まで後1カ月。

 

 5月1日は、メーデー。私は若い頃からメーデーには参加している。一時期自営の時には不参加だったが、現職になってからは殆ど毎年参加しており、何よりも働くものが老若男女、和気藹々と集い、語らう雰囲気が大好きだ。たまには昔の仲間に出会うこともあるし、そんなときは近況報告や孫の話で盛り上がる。それにしても、以前はメーデーというと会社のほうも休業とか、参加については会社公認といった事業所も多く、かなり盛り上がったものだが、昨今の厳しい状況で、私もそうだが殆どの参加者は休暇を取っての参加となる。そのせいもあってか参加者数は年々寂しくなってくる。そんな中で、年金者組合の参加者だけは、年々賑やかになってきている。今年も年金者組合の集団の中にいた昔の職場の先輩に挨拶。

 

 中央集会が終わって、市中のデモ行進。これもひとつの楽しみ。昔は『闘うメーデー』なんて雰囲気もあって、けっこう入れ込んでデモ行進したものだが、もう昨今は『健康ウォーク』のようなもの。のんびりと二条城前から市役所前まで。丁度昼前にゴールへ到着し、後は楽しみのレストランでの懇親会となった。皆さん和気藹々とビールも入ってだんだんと盛り上がってきたが、私はアルコールは飲まなくなったので、なかなか盛り上がらないのだが、それでも今秋に立ち上げようと思っているNPO法人の構想や趣旨を聞いてもらい、意見も聴き、殆どが好意的な反応であってテンションは上った。

 

  5月3日の憲法記念日は、サークルのハイキングで京都北山の奥の院とでもいうような、朽木駒ケ岳へ行く。今回はファミリーハイキングも兼ねて、自宅から自家用車を駆って連れ合い、孫そして次女も合流しての参加となった。北山の奥の院なので公共交通機関の便も悪く、メンバーの車2台分乗しての山行となった。朝一番でちょっとしたアクシデントがあり、出発時間が遅れてしまったが、一路鯖街道を朽木に向けて走る。10時10分朽木の道の駅、くつき新本陣に一旦集合して、バイクと合流し連なって山へと向かう。山中の生活道路の県道を走り、下山口の木地山前に車を1台停めに行き、登山口の足谷口にも車1台を停める。10時55分登山開始。

 

 北山の奥の院らしく、野趣たっぷりの自然に溢れている。急登を登りやがて11時40分に池原山山頂(680m)。ここから高島トレイルと呼ばれる道に合流。暫く歩くと小さな池があり、12時40分にそこで昼食休憩とした。このお弁当スポットの池は、リーダーのAさんお勧めだけあって、尾根筋からほんの少し下がって、適当に木々に囲まれながら、ちょっとした公園のような広場にもなっている。池の水は適度に澄んでいてイモリがうじゃうじゃ。尾根筋という地形から見て湧水が溜まったものでは無く、多分雨水が溜まったものではないだろうか。日照りが続くと枯れるのではないかと思うが、その割にはイモリがうじゃうじゃと生息。

 

 昼食を終えて、13時20分発。再び高島トレイルを歩き、分岐を超え14時に朽木駒ケ岳頂上(780.1m)。途中のトレイルからの眺望はすばらしく、東には琵琶湖の湖北、琵琶湖を隔てた対岸には伊吹山、北へ転じると赤坂山の稜線、その向こうには若狭の敦賀方面、南西へ転じると900メーター峰の百里ヶ岳が遠望できる。山頂で暫く記念撮影などを楽しみ、14時30分に出発。分岐へ戻り、そこからひたすら忠実に尾根伝いに下山する。あまり人も入らず、踏み跡もはっきりしない北山らしい尾根筋を忠実に辿り、最後にやっと谷筋に合流。ちょっと歩いて下山地点の木地山前。そこは小さなバス停があり、綺麗なトイレも有る。バス停は生活道路の終点。木地山前から、登山口の足谷口へ車を取りに行き、木地山前まで戻って再び2台に分乗して出発。16時35分に朽木道の駅、くつき新本陣に戻り、各自思い思い土産を買ったりアイスクリームを食べたりして自由解散となった。

 わがファミリーはK氏を市内まで送った後、夕食。次女お勧めの100%自然素材で手作りのアットホームな、鞍馬口通りにある食堂でのファミリー晩餐。大変美味しかった。食後、温泉に未練を残す孫をなだめて、次女を送りそして自宅まで戻った。本日のハイキングはリーダーのAさんならではのコースで、満足度は申し分なかった。大変いいリフレッシュとなった。

(続く)

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パライソメッセージ20130802 No.22

2013-08-01 17:54:13 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.08.02 N0.22

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【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:何故日本は『壊滅的な』状況になってしまったのか⑥ 

 『壊滅的な』状況から日本を再建していく為に、片務的・屈辱的軍事同盟を破棄しなければならない理由の第二は、外交上の紛争は、あくまで正々堂々と外交で解決して行くことである。そのこと自体を国際的にアピールすることが、世界での信頼をいっそう強固にする。

 日本の外交上の課題は大変多い。安倍首相は『日本を取り戻す』などと言って、憲法9条を『改正』し国防軍設立を構想し、さかんにプロパガンダを張っている。麻生副総理は「ワイマール憲法がナチス憲法に密かに変わって行ったのを学べ」とまで言っている。しかし国防軍は、自主独立の独立国家の軍隊ではない。アメリカの庇護の下にある猛犬の飼い犬のようなもので、安倍首相本人もアメリカの庇護を大前提に大声を出しているが、一方では飼主への忠誠は良くわきまえている。ところが実際の外交交渉の対応は大変拙い。尖閣列島問題では、『領土問題は存在しない』というのが政府の公式見解で、その一方で安物のナショナリズムを煽り立て、中国を敵視するだけで道理と事実に基づいた外交交渉をしようとしない。竹島も北方領土問題も歴史と事実と道理に基づいた外交交渉も出来ず、安物のナショナリズムを煽り立てるだけで、なんの進展も無い。そうこうしているうちに、『中国にも道理があるのではないか』等といったことがいろんな国で言われだしたり、肝心のアメリカが中国、韓国と対話を進めるといったことが現実に起こっている。なんと言うことは無い。飼主の威を借りて吠えまくっていたのが、いつの間にか肝心の買主が違うペットを可愛がろうとしているではないか。北朝鮮に対しても、盛んに吠えまくっているうちに、米中韓では6カ国協議の再開に向けて外交交渉を進めているではないか。日本が思い込んでいるほどアメリカは日本のことを思っていない。自国の利益が最優先だ。こんなことは冷静に考えれば誰でもわかるのではないか。気が付けば国防軍を持った世界の孤児、そんな事態が現実味を持った懸念として浮かんでくる。

 『壊滅的状況』の日本が世界のわけてもAEAN諸国の真の信頼と尊敬を得ようと思えば、世界の孤児、アジアの孤児で、思い込みの孤高に佇んでいるだけでは駄目である。日本が尊厳を持って生き抜けるのは、先に行った平和憲法を掲げ戦争放棄の理念を掲げることと、自主独立の外交を堂々と進めることだと思う。但し、『受身』だけでは駄目で、また空疎な理想論だけでは実現しない。そのためにどうするかは、以下第3の論点の通り。

 第三の論点は、憲法9条を持ち、広島・長崎そして福島の経験を持つ日本であるからこそ可能と重みがあるが、反核、反戦そして自主独立の平和主義をもっと積極的に世界にアピールし、具体的なアクションとして国連の事務総長を日本から送り出し、ノーベル平和賞の日本からの輩出を積極的に目指す。それらのことは日本の安全を保証する最大の担保となる。かつてアメリカの国務長官であったパウエル氏は、本人は反対であったといわれているが、イラク戦争を指揮した。彼が最近、「核抑止力とは究極は核兵器を使うということだ、核抑止論者は広島を見るべきだ」とか「核兵器は人類を滅ぼす」と言い、核抑止力を批判し核兵器の廃絶を堂々と主張している。ひょっとするとノーベル平和賞候補となるかもしれない。どうして日本の政治家や叡智たちはそういったことが出来ないのか。権力者の情報を垂れ流すだけで、今回のパウエル発言にも無視を決め込んでいるマスコミの退廃は大きな原因であろうが、そういった人材が日本にいないのではない。憲法9条の会は2004年の発足以来幅広い活動を続け、多くの人材を輩出している。いわゆる『右より』といわれる人でも、真の意味で自主独立を言い、核兵器の絶滅を主張されている人物も多くいる。被爆国、福島を経験した日本は、思想信条の違いを超え平和を希求する国民性であり、それを唱える叡智は豊富である。何故、世界での評価が弱いのか。それは、戦後日本の歴代の為政者が、アメリカの属国として、アメリカに遠慮して日本の国是としての平和を世界にアピールしてこなかったからであると思う。しかも、本来ならばそういった世論を大いに喚起しリードして行かねばならないマスコミが、権力に迎合するといった退廃堕落の有様で、日本の国際的信頼を貶めていると言っても言い過ぎではないだろう。

 日本は、世界の平和構築のために先頭に立って貢献し、国を挙げて思想信条を超えてノーベル平和賞の人材を輩出し、ひいては国連の事務総長を輩出する、それぐらいの腰の据わったパフォーマンスをするべきであるだろう。『日本が国際紛争に巻き込まれた時、それは日本の相手国に非があるのが世界の常識』といわれるほどの地位を築いて欲しいものであるし、それが可能な条件である日本の平和へのアドバンテージは、確実に実らせて欲しいと思う。

  『壊滅的状況』の日本からサステイナビリティ・ディベロップメント(Sustainability Development)の日本への転換は、世界の諸国わけても近隣のASEAN諸国との平和・友好関係のもとでの実の有る経済・文化の交流を進めることであり、そこで日本の役割を十分に果たすことであると思う。『壊滅的』になってしまった根本原因は排除しなければならない。同時に日本のSustainability Developmentは、そのような理念やポリシーによってバランスよく実現されていくだろう。

 

 世界や日本のあるべき姿や課題をメッセージにしてきた。世界や日本は少し大きいので、次回以降は、R学園が再び光り輝き、元気になる為の提言を述べたい。

(続く) 

 

「一押しBook」

 

書名:立命館大学紛争の5ヶ月 1969

著者:写真 小原輝三、1948年生、立命館大学文学部卒業、学校法人立命館職員(2008年退職)、『写真集 向銭看時代 中国1988年~1997年 豊かになれる人から豊かに』出版、2013年没

文 鈴木元、1944年生、立命館大学経済学部卒業、学校法人立命館職員(退職)、主な著書『立命館の再生を願って』

出版社:文理閣 1800円+税、生協ブックアンドサービスで取り寄せ可能

内容:

 私が大学に入学する前年の1967年頃から全国の大学で学園紛争が勃発し瞬く間に広がって行った。若者たちの『怒り』で表現されていることがあるが、それは学園紛争の本質とは異なる。ただ、世界中の国々でいわゆる若者たちの『怒り』は燎原の火のごとく立ち昇った。フランスのパリでは、カルチェラタンにバリケードを築き、解放区を謳歌する若者たちが『革命』を叫んだ。アメリカでは『いちご白書』(Strawberry Statement)に象徴される学園紛争が多発した。その背景にはアメリカによるベトナムへの侵略戦争があり、泥沼で出口の見えない侵略戦争への若者たちの厭戦気分とニヒリズムがあった。

 マスコミは、学園紛争を全共闘とか新左翼といった一部の暴力的潮流を象徴化しシンボル化してきた。しかしそれは正しい歴史認識では全くない。ベトナム戦争反対といった平和の課題や大学管理運営法反対といった政治課題もあったのだが、基調となる本流は全国の大学の民主化のための闘いであった。私はその渦中に、主体的に飛び込んだ。本書は、立命館の学園紛争を民主化闘争の立場からの写真記録と論説である。学園紛争を知らない若者にも是非見て頂きたい本である。

 

イソの評価:★★★★☆ 若い人には★★★★★

蔵書:イソ蔵書(貸し出し随時)、生協のブック・アンド・サービスで取り寄せ可能

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