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大峰奥駈けの道 Ⅳ-①

2008-09-21 23:19:27 | 

     今回のスタート地点 池原バス停

 

   大峰奥駈の道 Ⅳ-①


  二〇〇七年五月四日から七日にかけてゴールデンウィークを利用し、連れ合いと次女とで大峰奥駈け第四弾に挑戦した。今回の山行は前回と同じく「行仙岳」登山口から南奥駈け道に上り、三叉路から前回とは逆に南方面へと行き「行仙宿山小屋」に一泊。ただし、前回の「総括」から登山口まで歩くのはやめて、タクシーのお世話になることとした。二泊目は「玉置神社」でここは奥駈け道の登山者や修行者しか宿泊ができず、食事も提供しないためにあらかじめファックスで予約を入れてある。「玉置神社」から最終日には熊野本宮まで至り、大峰奥駈けのファイナルを達成し、三泊目は「湯の峰温泉 湯の峯荘」で打ち上げをしようという計画である。


今回は池原バス停から行仙岳登山口まではタクシーで。

行仙宿山小屋では心のこもったおもてなしを受ける

 
 五月四日朝四時三十分起床、昼ごはんのおにぎりを作り、お茶沸しやおかずのゆで卵作りをはじめる。連れ合いと次女も起きだして準備も整い六時三十五分に出発。六時四十二分の阪急電車に乗り、地下鉄に乗り継いで天王寺へ、そこから連絡している近鉄「あべの橋駅」から吉野線に乗車、大和上市へと行く。九時十八分大和上市着。上市の駅前は、大峰山脈や大台ケ原へ入山する人のバス待ちで結構にぎわっている。駅前の駐在所では「登山届け」を出すように、警察官や奈良交通の職員さんが大声で案内している。駅前のコンビニというより雑貨屋さんで忘れてきたタオルを仕入れ、十時二十五分発の「湯盛温泉杉の湯」行きの奈良交通バスを待つ。大台ケ原をはじめそれぞれの行き先へのバスに待合の客が乗り込み、駅前の喧騒も徐々に静かになってきて、やがてバスが到着し、我が一行と他の二パーティが乗り込み、駅前再び静かになった。

 九時五十四分発のバスはいつもの国道百六十九号線をひた走り、宮滝大橋でいったん吉野川を渡り、山道に入る。しばらく行くと再び吉野川沿いを走り、十時二十五分に「湯盛温泉杉の湯」バス停に到着、乗り継ぎのバスを待った。乗り継ぎの十時五十六分発の「桑原行き」のバスには先ほどのパーティのうち一パーティが相乗りし、再び国道百六十九号を新宮方面へと走った。途中「前鬼口バス停」で他のパーティが下車し、バスはわが一行だけを乗せて、池原ダムサイトを通り過ぎ国道四百二十五号線に入り、十二時十五分過ぎに「池原バス停」に到着した。今回の山行は前回の反省にたって、ただただ時間と疲労がかさむだけで、いまいち充実感に乏しい国道歩きは止めて、行仙岳登山口までタクシーで行くこととした。予約の池原タクシーさんとの待ち合わせ場所が「池原バス停」である。バス停は六帖ぐらいの建物があり、中には待合のベンチも置かれてあり、そこで家から持参の弁当を連れ合い、次女と一緒に食べてタクシーを待った。

 十三時に池原タクシーさんが来て、わが一行はそれに乗り込み一路「行仙岳登山口」へと向かった。

十三時三十分に「行仙岳登山口」に到着し、車を降りて三人は入念にストレッチをし、十三時四十五分、いよいよ登山開始で登山口の梯子に取り付いた。いつもの階段登りのスタート。

 一アルバイトの末、十四時三十分に南奥駈け道の銃走路との出会いの鞍部に到着、進路を左へと取り「行仙宿山小屋」へと向かう。十四時五十分「行仙岳山小屋」へ到着。山小屋には「新宮山彦の会」の女性の方が居られ、掃除や片づけをされていた。山小屋は通常は無人小屋なのだが、よく手入れされ、トイレもきれいに掃除がされてあり、「山彦の会」の皆さん方の日ごろのご努力に本当に感謝と尊敬の思いがした。やがて「山彦の会」のYさんが十分程山小屋から下がったところにある水場から水を汲んで帰ってこられた。しばし、山談義。

 

   笠捨山山頂

 

 そのうちに他の登山者も続々と山小屋にやって来た。「山彦の会」のもう一人の男性が水場へ水を汲みに行っていたが小屋に戻ってきたり、なんと本日「山上ヶ岳」からここまでやって来たおそらく距離にして五十五キロメートルは歩いてきた山岳マラソン系の登山者、東京からの単独行の登山者、京都の大学の先生と教え子の青年のパーティ、ほかのパーティ等で総勢十三人とにぎやかになった。全員が水の補給に水汲みに行き、そこここで自己紹介やら山談義に話が弾んだ。山岳マラソン系は明日午前二時に出発して明日中に熊野本宮まで行くという強烈な日程であったり、お茶は利尿作用があり水分補給にはならないので飲まないとか、サプリメントは何がいいとか、さまざまな薀蓄。教え子の青年は大阪の会社社長の御曹司で、帰りはお父さんが車で適当なところまで迎えに来るとのこと。

 いろんな話をしているうちに「山彦の会」のYさんが

「山菜の天婦羅を作りましょう。この辺ではコシアブラやタラノメが採れます。」

 とのこと。そういって山菜採りに出かけられた。やがて山菜を摘み戻ってきて連れ合いや次女も手伝い天婦羅作りが始まった。しばらくすると小屋中に天婦羅の香りが漂いだし、一同そちらに気が行き、話題も「美味そうやね」「この辺ではきのこもたくさん採れる」とか、食べるほうに移ってくる。

  「そうだ、ビールもあるんですよ。」

Yさんに言われたとき、二人連れパーティの歓声以外一同なぜか沈黙。みんなとっても嬉しいのだが、ここは「営業小屋」ではなく「無人小屋」、それも林道の終点からは歩いて一時間以上ボッカして荷物を担ぎ上げなくてはならないその苦労に、なんだかとっても申し訳ない気持ちがしたのだろう。

ともあれ、全員で乾杯し、それぞれの夕食のおかずに山菜の天婦羅、そして一人一本だけど、まったく思いだにしなかった心のこもったビールを飲んで、それぞれ明日に備え、さっさと片付けて就寝した。

                                        (続く)                                      

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