"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

札幌から函館へのメモリアルジャーニー④

2012-04-03 18:41:59 | 紀行

札幌から函館へのメモリアルジャーニー4

 (函館元町カトリック教会)

 

 最終日は函館の町を堪能。元町を散策し、名残を惜しみつつ函館空港へ

 2009年11月22日。いよいよこの旅の最終日。

 7時20分に朝食を頂いたあと、ホテルの駐車場にレンタカーを預け、とりあえずタクシーを呼んで8時30分に元町カトリック教会に向けて出発。8時45分に聖ヨハネ教会の前に着いた。函館の元町は、沢山の異人館や近代歴史的建造物が現存している。明治時代の国際都市函館の面影を残す場所で、神戸北野異人館街のよう。しかし異人館街よりもはるかに落ち着いた町並みでタイムスリップしたようなノスタルジアを漂わせる街だ。

(旧函館区公会堂にて)

 

 聖ヨハネ教会から奥の立派なハリストス正教会を外から見学し、元町カトリック教会へ。元町カトリック教会を出て少し坂の上の道を歩くと幼稚園があり、その先に小さな土産物屋の店先で暖かい牛乳を売っていた。すごく雰囲気にあっており、1本買って飲んでみた。北海道の牛乳で、新鮮で味が濃くしっかりしていて美味しかった。坂の上の道を歩き続け、シャルトル聖パウロ修道院先の右手には函館港へと続く広い八幡坂が合流する。八幡坂を横切っていくつかの教会を過ぎて、やがて9時15分に旧函館区公会堂に着いた。ここでは公会堂の中に入り、明治時代の函館の歴史や文化・風俗を見聞し、2階ベランダからは、函館港とその右手奥に広がる函館の町並みを展望した。正面左手ずっと奥には、昨日通ってきた駒ケ岳が遠望できた。旧函館区公会堂を出ると、前は旧市庁舎など小さな建築物がある元町公園。公園をぶらぶら歩き、出口は函館港に向かう基坂(通)。基坂の右手は旧イギリス領事館で左手はペリー提督来航記念碑のあるペリー広場。連れ合いと一緒に9時45分に旧イギリス領事館に入る。ここでも函館開港時とそれ以降の歴史を見聞する。

 領事館を出て、基坂を下り市内電車道に出て右側にある北方民族資料館に10時10分に入る。資料館を出て海岸通を歩く。海に面して「北海道第一歩の地碑」などがあったりして、結構面白い。左前方にはカネ森倉庫群が見える。海岸通からまっすぐ行くと二十間坂に合流しそこを右折して、電車道に出て十字街の停留所「末広町」から市電に乗った。市役所前のひとつ手前の停留所で降り、函館温泉ホテルに11時15分に戻る。ホテルでコーヒーを飲み小休止。

 11時40分、函館温泉ホテルを出発。国道278号線を函館空港を目指して走る。途中11時55分に最後のビュースポットである啄木小公園に立ち寄って、メモリアルフォトの撮影。来た方を振り返れば函館山が見え、公園の端には少し雰囲気違いの感が無いでもないが、啄木浪漫館なる建物が建っていたが、閉館中だった。公園の南は津軽海峡。はるかかなたに下北半島が見える。

 公園を出て、再び国道を走り、12時10分に函館空港に到着。ホッとするやら、これで終わりかと思うと何とも寂しいやら。トワイライトエクスプレスに乗って北海道へ来て、今まで足を踏み入れたことのなかった積丹半島から南下して、函館へ。かつて「一度は行かねば」と思っていた旅が終わり、なにやら「また来たいなあ」といった心情になっている。今度来たら長万部の、蟹と海の幸超大盛り大ご馳走を平らげるぞ、などという楽しい思いもある。とにかく、短い間だったがたいへん相性が良かったレンタカーを返し、ターミナルビルで北海道のラーメンを食べた。

 この夏私は、連れ合いと次女の3人で剱岳を登頂し、剱沢雪渓から仙人池、阿曾原から黒部の水平歩道を踏破してきた。これもメモリアル登山であった。その余韻がまだまだ残っている胸の中に、連れ合いと私は、このメモリアルジャーニーの余韻ををそれぞれの思い出として格納し、後ろ髪引かれる思いとまた来ようという思いを秘かに抱きながら、14時発ANA1790便で、孫たちの待つ大阪へと、北海道を後にした。充実の2009年であった。

 

(終わり)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌から函館へのメモリアルジャーニー③

2012-03-27 18:36:15 | 紀行

札幌から函館へのメモリアルジャーニー 3

 

 (五稜郭タワーから、函館五稜郭を見る)

 11月21日 北海道3日目。いよいよ憧れの町函館観光と夜景を楽しむ

 11月21日は、朝6時30分起床、その後6時50分に温泉入浴。7時20分に朝食を頂き、出発準備。本日は積雪25cm位で、曇天。8時10分にホテルの皆さんに見送られて出発。ホテルでもらった、ラリーをしながらの景品引換券を持って、最初の「交換所」である国道5号線沿いにあるドライブイン「おしゃまんべかに市場」に8時30分着。しかし、時間が早すぎたのかまだ開店しておらず、やむなくパス。暫く雪道を走り、本日は高速道路のほうが除雪していて走りやすいだろうと思い、国縫(くんぬい)インターチェンジから道央自動車道に乗る。1区間で終点の八雲(やくも)インターチェンジに着き再び国道5号線を走る。国道5号線はこの辺りは通称大沼国道と言う。

 10時10分に大沼公園着。JR函館本線「大沼公園駅」に車を停め、散策をする。いろんなところに遊歩道があり、歩き回るといくら時間があっても足りなさそうなので、とりあえず何軒かのレストハウスがあるところの北側の大沼の端のほうを周回する遊歩道を歩いた。今は雪は降っていないが、昨夜来降り積もった雪は遊歩道全面に残っている。大沼の北側の駒ケ岳(1131m)が、時折全貌を見せる。標高は高くないが北海道の山らしく上部は森林限界で、しかも単独峰で雄雄しく聳えている。

 散策後、レストハウスでコーヒーを飲み、その後駅に戻り車で大沼を一周した。自然が残り、時間があれば自転車で一周するのがいいなと思いつつ、大沼と駒ケ岳の景色を思い出に刻み込む。一周は自動車で約30分。

 12時に大沼公園を出発し、函館へと向かう。暫く走り、バイパスに乗るとやがて函館山や函館の町並が前方に見え出した。なんとなく「やった」という達成感というか感激の対面というか・・・。

 カーナビに導かれるままに、13時に五稜郭着。ここまで来るとさすがに観光客も多い。早速五稜郭タワーに昇り、その全貌を展望した。整然とした5つの陵の切れ込み部分には規則正しくアレンジが施され、あらためて日本人の美的感覚と高度な建築技術の歴史を見、感嘆した。またわずか140余年前にはこの地で最後の倒幕の激戦が行われたこと、その後五稜郭は他の多くの城と異なり、徹底的に破壊されずに石垣と堀の殆どが残されたことなどに改めて感心した。

タワー3階のレストランで昼食の美味しいカレーライスを食べ、外に出て五稜郭を散策した。本丸や

天守閣は無いが、土方歳三らの幕府軍と討幕軍の最後の激戦に思いを馳せながら、連れ合いと記念撮影。

 (函館トラピスチヌ修道院)

撮影後五稜郭を出てトラピスチヌ修道院に向かう。途中ガソリンを補給し、カーナビに導かれつつも行

ったりきたりしながら15時に修道院着。戒律が厳しいのだろう、建物の中には記念品ショップ棟など

の一部を除いて入れないが、庭も建物周りも綺麗に掃除がなされちりひとつ落ちていない。そして良く

手入れされた庭木や、マリア像、その他の聖人像が要所要所に立像され、丘の上の閑静な修道院の中に

素晴らしくハーモニーして何とも言えない厳かさを演出している。やはり観光客は少なくなかった。

 はや薄暗くなりかけた函館の町を、JR函館駅のほうへと向かう。目的地は「土方歳三最期の地記念碑」

16時05分着。薄暗い中説明看板を読み、「燃えよ剣」の主人公である最後の武士(出自は武士ではないが)に思いを馳せ、その意思を貫き通した、紳士然とした表情に隠れた気性の激しさに、あらためて驚嘆しある意味称賛しながら、黙礼した。

 「チェックインの前に函館山に行こう」

 と言うことになり、そのまま函館山へ。ロープウェイ乗り場に着いたのはもうすっかり暗くなった17時。もはやすでに観光バスなども連なり駐車場は満車で、ロープウェイ乗り場には長蛇の列。あちこちの駐車場を探し回り、やっとの思いでスペースを確保し、車を停めると急いでロープウェイ乗り場に行きチケット購入。ロープウェイはピストン運転だがそれでも約40分待ちとのことで、やむなく長蛇の最後尾に並んだ。

 (函館山からの夜景)

丁度40分ほど並んだ後、やっとロープウェイのゴンドラに乗った。函館夜景の説明のアナウンスというより、階段は左側通行とか、展望台では長居をするなとか事務的な注意が殆ど。ゴンドラの中はぎゅうぎゅう詰め。5分ほどで函館山山頂着。展望場所に出ると綺麗な函館市外の夜景が、前面180度に 

広がっている。あちこちから驚嘆の声が上がっている。元町のライトアップ、「カネ森」倉庫群などが光の中にいっそう輝いている。3大夜景というと、神戸、長崎と函館ということになるのだろうか。神

戸はともかく、不景気な昨今、旅の客を歓迎し癒してくれるために、町の人たちは精一杯のメッセージとして、明々と光を点けてくれているのだろうと思い、心の中で感謝しながら函館の夜景を堪能した。

 名残を惜しみつつロープウェイで再び下に降りて、今夜のホテルに向かった。ホテルへ行く途中、「カネ森」倉庫群を通り、散策した。そして19時45分に本日というかこの旅の最後の宿泊場所である「函館温泉ホテル」にチェックイン。

 ホテルにチェックイン後、腹ペコなので晩御飯を食べに出かけることとした。ホテルから歩いて約25分、函館随一の繁華街、北島三郎の「函館の女」にも出てくる「松風町」へと連れ合いとともに出かけた。やはり北海道、函館となると新鮮素材の海の幸だ。料理屋さん、レストラン等がいろいろあるが、わが一行はグルメガイドにも載っている、炭火炉端焼きの店「ソーラン亭」に入った。海の幸のメニューは豊富。ホッケや生牡蠣や雲丹やらたらふくいただいた。

 (本日のディナーは、松風町の「ソーラン亭」)

 

 21時30分にソーラン亭を出て、ホテルに戻る。それから温泉に入り、本日の疲れを癒しながら、いよいよ明日が最終日かと思うと、少し寂しい気持ちになってきた。

(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌から函館へのメモリアルジャーニー②

2012-03-23 18:24:52 | 紀行

札幌から函館へのメモリアルジャーニー 2

 (ホテルノルド小樽・玄関のステンドグラス)

 

 小樽の町をたっぷりと堪能。翌朝11月20日は小樽のメモリアルウォークのあと、一路積丹半島へ

 ホテルノルド小樽は、小樽運河の中央橋の前と、立地も良くホテルの雰囲気も素敵だった。ロビーは天井も高く重厚な雰囲気で、正面入り口上のステンドグラスも落ち着いた雰囲気を演出し、非常に心安らぐ空間を造っている。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、さあいよいよ小樽の町を散策だ。私も連れあいも小樽は始めて。しかし見所、味処は一応インプットしてあるつもり。

  (小樽運河の倉庫群の夜景)

 まだ夕方の5時前というのにすっかり暗くなった道を、まずは中央橋を渡り小樽運河対岸の倉庫群へと行く。外観は歴史的建造物の倉庫のようだが、中は飲食店街や土産物を売る店が集まっている。倉庫群一体を「おれの小樽」と言っている。おれの小樽の北側の道路をぶらぶらと歩き、やがて運河を渡りなおして大道りに戻った。少し歩いて北一硝子の前を見物しながら歩き、旧館をそのまま利用した小樽オルゴール館に着き、そこで孫らへの土産を買う。少し戻り、メルヘン交差点にあるクラッシックなカフェ、ルタオで美味しいチーズケーキとコーヒーを楽しむ。しばしのくつろぎの後、大通りの一筋南の通りをUターンしてホテルへ戻るような感じの道を辿った。途中旧館を見て、やがて夕食で回転寿司屋「和楽」へ入った。小樽の旨い物処の定番といえば寿司といわれるが、確かに寿司屋さんは沢山ありいろいろと物色したのだが、いまいち雰囲気が馴染まないし、何よりも高い。ここでもない、そこでもないといっているうちに回転寿司になってしまった。おなかも空いていて結構食べたが、味のほうは「普通」だった。

 さて、腹もふくれたが小樽散策はまだまだ続く。ホテルノルドに戻ったが、それを通り越して運河沿

いにさらに西へと歩く。旧大家倉庫や歴史的建造物を見て再びUターンして一筋南の通りを戻る。小林

多喜二ゆかりの海猫屋の前では写真を撮り、旧安田銀行(現北海経済新聞社)、旧三井銀行、小樽商工会議所等を散策して回った。黄昏から夜にかけての小樽散策を「目一杯」楽しんだ。

  (小林多喜二ゆかりの 海猫亭 の看板)

午後8時前にホテルノルドに戻り、最上階の「バー北クラブ」へ直行。小樽の夜景を楽しみながら連

れ合いと乾杯。充実の二日目を締めくくった。 

 11月20日はうっすらと5cm程の積雪だった。我々は6時30分に起き、7時から朝食を食べた。朝食

後少し落ち着いてから8時30分に朝の散歩。中央橋を渡りおれの小樽の中へ入り、土産物などを見て歩く。おれの小樽を出て中央橋のひとつ東の橋の上は、小樽運河の絶好のビューポイントの「銀河プラザ」。ここで親子4人連れに写真を撮ってもらう。その後雪に滑らないように慎重に運河沿いの散歩道を歩き、ホテルに戻る。

 9時15分にホテルを出発。小樽市博物館や旧日本郵船の歴史的建物を見物し、写真を撮って、やがて一路国道5号線を積丹半島方面へと辿る。暫く走ると「余市」。余市からは国道229号線へと走っていく。この国道は殆どが断崖絶壁に作られた海沿いの道で、トンネルも多い。数年前にトンネル内で岩盤の大崩落事故があり走行中のバスや乗用車が直撃され押し潰されたのがこの国道だったと思う。

 

 積丹半島の岬を巡り北海道の日本海を堪能 岩内から吹雪の内陸を横断し、長万部温泉へ

 (積丹岬と日本海)

 カーナビに導かれ、やがて11時15分に積丹岬に到着。あちこちに雪が残り、北風も吹いて寒い。オフシーズンなのか小さなレストハウスはあるがシャッターは閉まったまま。とにかく観光客など他にはおらず私と連れ合いだけ。閑散とした駐車場に車を止め、舗装された遊歩道を行くと人用のトンネルがある。トンネルの向こうに出るとちょっとした崖上の展望台に出た。北西のほうを臨むのだが、海に落ち込んでいる崖に、日本海が迫ってくる。100メートルほど下の断崖絶壁に荒々しい波がザッブーンと叩きつける音が、展望台にまではっきりと聞こえてくる。

 トンネルを戻り遊歩道を灯台のほうへとゆっくりと登っていく。あちこちに雪が残っており風も強い。        

看板が出ており「熊に注意」とのこと。われわれ以外他に客もいず、注意はしていても本当に熊が出てきたらどうしようもないな、と思いつつ灯台をぐるっと周る。遊歩道を駐車場へ戻ると土木か測量の関係の人たち4~5人が作業を始めていた。人に出会い少しほっとした。

 再び積丹半島沿いに車を走らせ、12時丁度に神威岬に到着。こちらのほうは広い駐車場に、大きなトイレと立派なレストハウスがあるのだが、やはり車はまばらでレストハウスもシャッターが閉まって営業しておらず、それどころか立派なトイレまでも閉まっている。駐車場を取り囲むようにして小高い丘が続き、丘の稜線は地道や木道がつけられている遊歩道。まず西の方、灯台のある神威岬の先端を目指して登っていった。神威岬は積丹岬と違って、閑散とはしているが数組の観光客が入れ替わり立ち替わり散策をしていた。

 (神威岬と日本海)

 岬の高台に出ると神威岬はかつては女人禁制の場所であったと書かれた案内板があった。岬の先端の先の海には「ローソク岩」という、まるで細長い菱形の楔が荒海に突き刺さっているかのようなピナクルとでもいうような岩が屹立している。岬の先端には灯台があり、周囲にはフェンスがあり近寄れず、少し離れて鑑賞。

 その後丘の稜線の遊歩道を辿り展望スポットへ。この辺りは雪は殆ど無いが、風が強く冷たく、寒い。それでも観光客は、まばらとはいえ次々とやってくる。展望スポットで写真撮影後駐車場へ降りて行った。広い駐車場に立派なトイレとレストハウス。今は閉まっていて駐車場も閑散としているけれど、シーズンにはツアー客や観光客できっと賑わうのだろうと思う。

 12時40分に神威岬発。引き続き国道229号線を一路南へと走る。この国道は通称雷電国道という。その由来は分からないが、やがて泊村に入り、自然の中に不釣合いに近代的装いでビッグサイズ、要塞のような北海道電力泊原子力発電所が現れる。これが通称の由来か。このときは余り感想も無かったが、この文章を書いている2011年は、日本人にとっては忘れられない3・11東日本大震災での福島原発大事故という忌まわしい経験をした。核兵器はもとより、原発のない日本や世界を一刻も早く実現したいと思う。

 13時20分に岩内着。海沿いの道が延々と続く国道229号線を少し内陸に入り、ようやく少し賑やかな街に着いた。岩内の道の駅で少し遅めの昼食をとる。とにかく10時過ぎに通過した余市からここまで食事をするところが全くと言っていいほど無かった。

 昼食は私も連れあいも焼き魚定食。これが「ほっけ」で、美味しくてボリュームたっぷり。食堂は地元のおばさんたちが働いておられ、手作りの味の上、北海道の良い素材の魚には満足した。昼食後今度は内陸部を横断するように国道276号線を走るとトンネルから先で再び国道5号線に合流する。少し行くとJR函館本線と併走し、日本海側から太平洋の噴火湾側の長万部を目指して走っていく。岩内では内陸横断の道路でかなり雪が降っているとの道路情報が出ていたが、暫く走り倶知安町辺りでは、20cm位の積雪だった。少し走るとニセコ町。この辺りの国道5号線は通称「羊蹄国道」と言うらしい。本来であれば進行方向左手に日本100名山で通称蝦夷富士といわれる羊蹄山(ようていさん・1898m)が、雄雄しい姿を現すのだが、残念ながら吹雪の状態で全く見えず。広大な原野の中の独立峰で、まさに屹立しているという表現が似合いそうな山なのだが、本日は本当に残念。右手の日本一大規模なニセコアンヌプリのスキー場は、うっすらと遠望できた。

 車はさらに走り続け、やがて15時50分噴火湾岸の温泉町、長万部に到着した。本日の宿泊地「長万部温泉ホテル」は国道から離れ町の中の道路を走っているとすぐに分かった。少し用事があったので、コンビニに寄り、コピーなどをしてホテルに戻りチェックインしたのは16時10分。北海道の日暮れは早く、もう薄暗い黄昏時だった。

 長万部温泉ホテルは、民宿のようでアットホームな雰囲気。ホテル到着後いの一番に温泉に浸かり、本日の疲れを癒した。温泉は自然のままで、浴槽はタイル張りだが、浴槽の辺や鉄管には湯の花が分厚くこびり付き、湯の花が固まりついている給湯口からは絶えずかけ流しの少し熱めのお湯がドボドボと流れ出てきている。

 温泉からあがると部屋には夕食が「半分」配膳されていたが、これが凄い。前菜というにはあまりにも立派な、ボリュームたっぷりの料理に、海の幸の造理、鮭、たらば蟹の太い足が3~5本、毛蟹1ぱい、その他もろもろ。但しこれで「半分」。驚きながら、喜びながら食べ進んで行くと、

さらに茶碗蒸しやらなんと紅ズワイガニ1パイ、その他香の物やらデザートまで出てくる。この単位はすべて1人分。さあ思い切り食って食って食いまくった。が、残念ながらすべてを食べきることが出来なかった。もったいないし、蟹さんには申し訳ないやら、心底からご接待していただいたホテルの人たちにも申し訳ないやら。体はスリムだが健啖家(分かりやすくいえば大食い)の連れ合いや、美味いもの、好きなものには目が無い私をもってしても食べ切れないほどの大ボリュームの夕食だった。残したことが大いに悔やまれる。

 動くのも億劫なほど満腹になった体を起こし、先ほどとは別の温泉に寝る前に浸かった。こちらもいい温泉だった。さすがの連れ合いも

「もう、温泉はいいわ」

といって、寝てしまった。本日も充実の一日であった。

(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌から函館へのメモリアルジャーニー①

2012-03-19 20:45:16 | 紀行

札幌から函館へのメモリアルジャーニー  1

 (トワイライトエクスプレス号、入線)

 

 2009年11月18日から22日まで4泊5日の日程で、私と連れ合いはトワイライトエクスプレスに乗って北海道へ、そして札幌を出発点に、レンタカーを駆って一路北上し小樽へ、その後西進し積丹半島をぐるりと廻って南下、ニセコ、長万部、大沼公園経由函館まで、道路のオプションはそのときの気分次第という「メモリアルジャーニー」を楽しんだ。いまさら2年前の古い話を持ち出して、はなはだ恥ずかしい限りだが、この旅は私が60才の定年記念に勤め先から旅行クーポンを頂き、それを使って行動に移したもの。私としては自分で自分を「慰労」するというか、波乱万丈の人生を「良く」頑張ってきて、それに対するとりあえずの人生途中の自分への褒美というか、またなによりも長きにわたり良きパートナーであり大変世話になった連れ合いへの感謝の気持ちを顕す旅として、連れ合いと二人で計画した「メモリアルジャーニー」だ。 今回は「山行記録」ではなく「紀行文」で、その文章のまとめが今頃になってしまった理由は、この旅の記録を残しておかないとどうも落ち着かない「困った性格」、マイウェイを振り返るときに、心残りな空白部分を作ってしまいどうも落ち着かない、そういった私の思いが、遅ればせながら紀行文を掘り起こすインパクトとなっていた。

 

 2009年11月18日 昼に、大阪駅からトワイライトエクスプレスで出発。あこがれのサンセットディナーは…。

 2009年11月18日、朝10時10分に荷物の最終チェックを済ませ、茨木の自宅を出発。この年にもなるとトワイライトエクスプレスに乗って、日本海のサンセットを眺めながら連れ合いと二人、ワインで乾杯などというのはささやかな「夢」であった。その「夢」が今、実現しようとしていて、なにやらわくわくしながら南茨木から阪急電車に乗り梅田へと向かった。

 梅田では、連れ合いは大丸の地下で、昼食のパンと晩飯の弁当を仕入れている。あれれ・・・、晩はワインでディナーではなかったの。あれれ・・・。連れ合いいわく「もったいない。弁当で十分」。

 ともかくも11時30分にJR大阪駅の10番線に上がり、トワイライトエクスプレスの到着を待った。やがて11時55分頃列車は10番線に入線。乗り込む前にホームの先端の方へ行きその堂々としたトワイライトエクスプレスの雄姿を記念撮影。わが一行以外にも多くの客、その多くが団塊の世代の「同志」のようだが、記念撮影をしている。

 たっぷりとその雄姿を撮影後トワイライトエクスプレスに乗り込み、12時30分大阪駅を発車。列車は堂々とそして哀愁を漂わせ動き出した。「のんびりと」というか、「威風堂々」というか、新大阪、京都、堅田、敦賀、鯖江、福井・・・とローカル駅にも立ち寄り、湖西線、北陸本線をゆっくりと北東へと進んでいく。15時38分金沢、16時16分高岡、16時32分富山と「堂々と」北陸本線をさかのぼり、やがて新潟県へと入る。

 親不知を過ぎたあたりの海岸線でサンセットを迎えた。旅の出発前には個室の車窓から少し昂ぶった気持ちで日本海に沈む太陽を凝視する、といった映画に出てくるような1シーンをイメージしていた。

のだが、当日は少し曇り空でオレンジ色に燃える太陽が日本海に沈んでいくといった、「絵に書いたような」サンセットとはならず、全体に雲に映った夕焼けといった感じで、若干「気合抜け」ではあった。

糸魚川を通過し17時58分直江津からは信越線を辿り柏崎からは内陸に入って行き19時22分長岡、20

時に新津、そこからは羽越線を辿る。列車は新潟駅には寄らず、羽越線をそのまま北上し、車窓を凝視すると外は真っ暗闇の中に時々人家の灯が点在する寂寥とした光景が続く。

そういった光景をぼんやりと見過ごしながら、時々哀愁を漂わせる汽笛をぼんやりと聞いていると、車内にはディナータイムの案内が流れてきた。が、連れ合いと私は、「お弁当」。まあ、しかしゆっくりした旅、大丸のお弁当を美味しくいただいた。やがて車内ではディナータイムも終わり、20時30分頃に再び車内放送でパブタイムの案内が流れてきた。ディナーはパスしたが、パブくらいは記念に行きたい。

「パブに行こう。地ビールを飲もう。ワインも。」

と連れ合いにねだり、何とかOKが出て、勇躍パブへと向かった。20時45分二人のパブタイムが始まる。オーダーは地ビール、チーズ盛り、前菜3種、追加でワイン。約1時間、二人で心地よい話に興じる。

その後部屋に戻り、自分でベッドメイクをし、就寝。部屋の照明を消すと、外の光は殆ど無く真っ暗な状態。規則正しい列車の音も心地よく、ここはどこかな、山形は過ぎて秋田かな、黄金崎海岸はまだ過ぎてないだろうな、などと思いを馳せながら私はすぐに寝入ってしまった。

 

2009年11月19日 夜半に青函トンネルを過ぎ北海道へ、札幌観光地めぐりの後、小樽へと

 日が超えて11月19日。夜半の午前3時頃に、約40分間を要して、青函海底トンネルを通過したようだ。私は、寝込んでいて良く覚えていないが連れ合いはずっと起きていて、青函トンネルの哀愁に浸っていたとのこと。私はというと海底駅に一旦停車したようだなとか、すれ違い列車の音が「轟音」のようで、少し起こされたような思いがかすかにあるといったところだった。

 北海道の朝は早く、午前5時頃にはすっかり明るくなる。私は5時45分頃目が覚めた。天窓から見ると線路沿いの木々に薄っすらと雪が積もっている。まだ11月中旬というのに北海道にやってきた実感を味わった。7時18分洞爺駅、7時20分には車内放送で朝食の用意が出来たとのことこと。2人で昨日オーダーしていた和朝食をレストランカーに食べに行く。美味しい朝食を食べながら、朝のトワイライトエキスプレス号は、高層クレーンが立ち並ぶ工業都市の東室蘭を7時52分に過ぎていった。朝食を済ませ部屋に戻る。列車は規則正しい音を響かせながら8時12分登別、50分苫小牧、9時12分には南千歳を過ぎ、千歳空港のターミナルビルや自衛隊其地を過ぎ、ここからは仕事で見慣れた風景をぼんやりと眺めながら、やがて9時53分大阪から延々21時間50分をかけて、トワイライトエキスプレス号は札幌駅に到着した。

 札幌駅からは北口へ出て、オリックスレンタカーの営業所へと向かった。駅前ターミナルに出ると肌寒い。晩秋というより冬の朝。やがてレンタカーの営業所に着き手続きを済ませ、車に乗り込む。決まりきった行程を組んでいるわけでもなく、とりあえず駅北だから北海道大学へ行ってみようとなった。

ポプラ並木やクラーク像、農学部などと言っていたが、北海道大学に着くと守衛さんが、

 「北海道大学関係者以外の方は学内駐車は出来ません。」

とのこと。そこを何とかと、私も大学関係者だからと頼んだが駄目。近所にコインパーキングはあったが、まあいいか、ということになり、市内観光をすることとした。
           札幌時計台   

大通り南にあるコインパーキングに車を停め、まず向かったのは時計台。10時55分に時計台着。時計台博物館の中に入り見学。北海道大学や北海道開拓の歴史記念物や資料が多く展示されていた。外に出ていろんな角度から時計台を撮影、その後すぐ近くのテレビ塔へと向かった。11時30分テレビ塔着。せっかくだから札幌市の全貌を見ようと展望台に登る。展望台は高度はそう高くないのだが、札幌の街が一望できる。市内の北海道庁の先、西のほうは中央大通りのその先に円山とスキーのジャンプ台、その左手西南方面は藻岩山とスキー場、南を見れば札幌ドーム、その左南東の江別方面には野幌森林公園や開拓記念塔、東方面は道央自動車道が一望できる。直下には豊平川が見え、ここには今でも鮭が遡上する。一通り札幌の街を堪能し、展望台を後にした。おなかも空いてきて、テレビ塔の地下のラーメン屋さんで、本場札幌ラーメンの昼食。アッサリ系で美味しかった。

 12時25分テレビ塔を出て車に乗り込み小樽を目指す。カーナビの指示通り走り、道に気を遣うことも無く楽な運転。快適な道を走り続け13時頃小樽へ到着し、そのまま小樽の町を展望しようと天狗山を目指す。天狗山は小樽市街地の南西、標高も高くスキー場もあり小樽市街地展望には絶好の場所。

 天狗山まではカーナビの迷ナビゲートもあり地道に侵入したり人家の敷地に侵入したりで難儀したが何とか13時15分に山麓に到着。途中あちこちで残雪があり、どうかなあと思っていたが、麓まで来るとここはもう一面の銀世界。おまけに深々と雪が降ってきている。スキー場はまだ営業しておらず、頂上へ登るロープウェイもストップしたままで、スタッフも観光客も誰もいず、閑散としている。

 「あかんね。あきらめよう。」

 といって、次の目的地を目指す。雪は深々と降り、寒い。

 次の目的地は県道454号線、通称小樽海岸公園線を走って、祝津(ほうづ)の先にある小樽市鰊御殿だ。カーナビに導かれ順調に走って13時50分に鰊御殿に到着。小高い岬の上にあり、小樽の海が一望。中に入ると、かつて北の海を潤した鰊漁の歴史や当時の漁具、生活用品などが多く展示されていた。何か薄暗い中哀愁の漂う説明のナレーションを聞きながら、展示物や当時の漁師の生活空間に同化し、浸っていた。鰊が来なくなったのは、いろんな原因が考えられるのだが、森林を伐採し肥沃な大地の恵みが海に流れ込まなくなり、プランクトンが激減したことが最大の理由ではないかとのこと。それでも最近はいろんな努力が奏功しているのか、鰊が徐々に戻ってきているとのことだった。

 (小樽の鰊御殿と日和山灯台)

 鰊御殿を出て、日和山灯台を見、車を走らせて14時20分に祝津パノラマ展望台に到着。展望台といっても手摺以外に何も無く、客も我々だけ。寒い中記念撮影。祝津には観光パンフレットで「おたる水族館」が書かれているが、閉館中。その後小樽市内に戻る途中に小樽総合博物館に立ち寄り見学。16時15分北海道の初冬の夕暮れは早く、暗くなりかけた頃本日の宿泊地、小樽運河の中央橋ほとりの「ホテルノルド小樽」にチェックイン。

(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする