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札幌から函館へのメモリアルジャーニー④

2012-04-03 18:41:59 | 紀行

札幌から函館へのメモリアルジャーニー4

 (函館元町カトリック教会)

 

 最終日は函館の町を堪能。元町を散策し、名残を惜しみつつ函館空港へ

 2009年11月22日。いよいよこの旅の最終日。

 7時20分に朝食を頂いたあと、ホテルの駐車場にレンタカーを預け、とりあえずタクシーを呼んで8時30分に元町カトリック教会に向けて出発。8時45分に聖ヨハネ教会の前に着いた。函館の元町は、沢山の異人館や近代歴史的建造物が現存している。明治時代の国際都市函館の面影を残す場所で、神戸北野異人館街のよう。しかし異人館街よりもはるかに落ち着いた町並みでタイムスリップしたようなノスタルジアを漂わせる街だ。

(旧函館区公会堂にて)

 

 聖ヨハネ教会から奥の立派なハリストス正教会を外から見学し、元町カトリック教会へ。元町カトリック教会を出て少し坂の上の道を歩くと幼稚園があり、その先に小さな土産物屋の店先で暖かい牛乳を売っていた。すごく雰囲気にあっており、1本買って飲んでみた。北海道の牛乳で、新鮮で味が濃くしっかりしていて美味しかった。坂の上の道を歩き続け、シャルトル聖パウロ修道院先の右手には函館港へと続く広い八幡坂が合流する。八幡坂を横切っていくつかの教会を過ぎて、やがて9時15分に旧函館区公会堂に着いた。ここでは公会堂の中に入り、明治時代の函館の歴史や文化・風俗を見聞し、2階ベランダからは、函館港とその右手奥に広がる函館の町並みを展望した。正面左手ずっと奥には、昨日通ってきた駒ケ岳が遠望できた。旧函館区公会堂を出ると、前は旧市庁舎など小さな建築物がある元町公園。公園をぶらぶら歩き、出口は函館港に向かう基坂(通)。基坂の右手は旧イギリス領事館で左手はペリー提督来航記念碑のあるペリー広場。連れ合いと一緒に9時45分に旧イギリス領事館に入る。ここでも函館開港時とそれ以降の歴史を見聞する。

 領事館を出て、基坂を下り市内電車道に出て右側にある北方民族資料館に10時10分に入る。資料館を出て海岸通を歩く。海に面して「北海道第一歩の地碑」などがあったりして、結構面白い。左前方にはカネ森倉庫群が見える。海岸通からまっすぐ行くと二十間坂に合流しそこを右折して、電車道に出て十字街の停留所「末広町」から市電に乗った。市役所前のひとつ手前の停留所で降り、函館温泉ホテルに11時15分に戻る。ホテルでコーヒーを飲み小休止。

 11時40分、函館温泉ホテルを出発。国道278号線を函館空港を目指して走る。途中11時55分に最後のビュースポットである啄木小公園に立ち寄って、メモリアルフォトの撮影。来た方を振り返れば函館山が見え、公園の端には少し雰囲気違いの感が無いでもないが、啄木浪漫館なる建物が建っていたが、閉館中だった。公園の南は津軽海峡。はるかかなたに下北半島が見える。

 公園を出て、再び国道を走り、12時10分に函館空港に到着。ホッとするやら、これで終わりかと思うと何とも寂しいやら。トワイライトエクスプレスに乗って北海道へ来て、今まで足を踏み入れたことのなかった積丹半島から南下して、函館へ。かつて「一度は行かねば」と思っていた旅が終わり、なにやら「また来たいなあ」といった心情になっている。今度来たら長万部の、蟹と海の幸超大盛り大ご馳走を平らげるぞ、などという楽しい思いもある。とにかく、短い間だったがたいへん相性が良かったレンタカーを返し、ターミナルビルで北海道のラーメンを食べた。

 この夏私は、連れ合いと次女の3人で剱岳を登頂し、剱沢雪渓から仙人池、阿曾原から黒部の水平歩道を踏破してきた。これもメモリアル登山であった。その余韻がまだまだ残っている胸の中に、連れ合いと私は、このメモリアルジャーニーの余韻ををそれぞれの思い出として格納し、後ろ髪引かれる思いとまた来ようという思いを秘かに抱きながら、14時発ANA1790便で、孫たちの待つ大阪へと、北海道を後にした。充実の2009年であった。

 

(終わり)

 

コメント
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