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“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

大峰奥駈けの道 ファイナル④

2008-03-29 12:55:16 | 

       大峰奥駈けの道 ファイナル④   

いよいよ大峰奥駈道のエピローグ。余韻を踏みしめながら熊野本宮へ。


 修験道の雰囲気を残す雨の山在峠
  
   「山材峠」を出発すると、すぐに舗装道路にぶつかる。それを横断すると、大きくて立派な観光案内用の看板がある。看板の横から右手の方に尾根に続いてい る道があり、そこからは再び山道となる。また登路となり尾根筋を辿る。雨が少し小止みになってきたのと、標高が下がってきたのとで、蒸し暑く感じるように なってきた。同時に相変わらず蚋がうるさい。
 
 少し歩くと十二時十分に「吹越宿跡」に着いた。「吹越宿跡」は広場になっていて、杉の大 木に囲まれ、石の祠や石造物や石組みがあり、この場所も修験道の厳かな雰囲気が漂う静かな場所であった。 峠 「吹越宿跡」を出ると、奥駈け道はまたすぐ に県道の舗装道路にさえぎられる。舗装道路を右に行くと十津川温泉から熊野本宮へ向かう国道へと続く。県道を横切ると右手には「下向」に行く舗装していな い林道が続き、左前方は再び尾根に向かう山道。私たち3人は山道へと入っていった。おそらく奥駈け道のエピローグ、最後の山道らしい山道であろう。
  山道を登り、しばらく行くと開けた尾根となり、電波の反射板の鉄塔がある。鉄塔をすり抜ける感じで歩くとすぐに展望が大きく開けた、まるで公園のようなベンチもある「吹越峠」に出た。

 

 七越峠から雲間に熊野本宮、大斎院の大鳥居
 
  十三時ちょうど。連れ合い、次女ともども「やったー」と歓声。雨は止んだが、少し雲はかかっている。雲の隙間から右手の西方面には熊野川が悠々と流れ、そ の先には熊の本宮がかすんで見える。すぐ右下には、旧本宮の「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居が薄雲の隙間から見える。ついに大峰奥駈け道を、踏破した という実感が「どわっと」湧いてきた。三人でたくさんの記念撮影をし、「吹越峠」で十三時三十分まで、余韻に浸っていた。

   ここからは木組みの階段を降りると、整備された公園、広場があり舗装道路が続いている。ここで写真を撮ったりした後、広場、駐車場を横切って、木組みの階 段を上り、三人は十四時十分に「七越峰」(標高二百六十二メートル)へと上った。「峰」とは言うが、ちょっとした丘でありお稲荷さんの社がある。とにか く、最後の最後まで、大峰奥駈け道にこだわった。 「七越峰」を降りると後は舗装道路。駐車場から遊歩道の木組みの階段を降りていくと、関西電力の「関電 自然の森」がフェンスに囲まれてある。わが一行はフェンス沿いにずっと歩き、やがて再び舗装道路に出会う。後はずっと舗装道路を歩き、熊野川にかかる備崎 橋を渡り、備崎を過ぎ熊野川沿いを遡った。山の方を見ると先ほど歩いてきた「七越峠」の電波反射鏡が良く見えている。そして十五時ちょうどに熊野本宮へと 到着した。

  熊野本宮では記念撮影と参拝のあと、ゆっくりと参詣道を降りて来た。大峰奥駈け道を、何と五回に分けてだけれ ど、踏破した余韻はなんとも心地良い。連れ合いと次女と三人で、少しけだるい雰囲気でこの山行を思い出し、そして充実感に浸っていた。十五時五十分にタク シーに乗り、湯の峯温泉に向かい、ホテル「湯の峰荘」へと向った。                                                                         (完)

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大峰奥駈けの道 ファイナル③

2008-03-28 19:29:01 | 

        大峰奥駈けの道 ファイナル ③

 大峰奥駈のファイナルは途中から雨。大峰山脈大縦走路の終
 わりに相応しく荘厳で、余韻にどっぷりと浸れる路だった

 雲の隙間からの篠尾集落

 二〇〇七年六月二十四日(日)は、午前四時に起床し、山行の支度を始めた。天候は曇り。玉置神社の台所で朝食を頂いていると、やがて四時三十分頃には外がうっすらと明るくなり始めてきた。急いで朝食と片づけを済ませ、五時過ぎに出発。境内の本殿やご神木に三人で礼拝し、五時十五分玉置神社を出発。回りは明るくはなっているが曇り空のもと、大木の中の快適な山道へと踏み出した。

 暫く行くと小さな鳥居がありその先は急に明るくなり簡易舗装の林道へと出た。五時四十五分、そこが「本宮辻」で山道が車の通れる林道に横切られるような四差路。進行方向に向かって左折し林道の先を行くと「瀞峡」と看板が出ている。歩いてきた山道を振り返ると、標高千七十六.四メートルの「玉置山」とそれに連なる尾根が見える。「本宮辻」で小休止し三人で記念撮影。

 

 わが一行は舗装の林道を斜めに横断し、山林作業用の細い土道の林道へと入っていった。その林道は入り口のところに車止めがあり鎖が張られてある。作業用林道をしばらく行くと林道終点。そこから古ぼけた丸太橋があり、いったん沢筋へ降りる感じで山道へと入っていく。再び尾根道に出て本来の登山道であることを確認し、六時十五分登路途中で小休止

 雲の隙間からの篠尾の集落

 小休止後十分ほど尾根道を歩くと「旧篠尾辻」の標示を過ぎた。だんだんとガレ道のやせ尾根となってきて、そのうち左側(東側)の展望が大きく開けてきた。六時四十五分、大森山手前稜線の登山地図で(危険マーク)の付けられたところは、東側が大きく削られ、ガレ場の崖となったところに出てきた。その地点から見る景色は、うっすらとかかった雲海のほんの少しの切れ目から篠尾の集落がはるか下方にかすかに見え、まるで一幅の水墨画のように、まさに絶景であった。連れ合いと次女は大いに喜び写真を取りまくっているが、この風景を写真で再現するのは至難の技術が必要ではと思う。

 

 崖の上を過ぎ尾根道を歩き続け、やがて七時ちょうどに「大森山」(標高千七十八メートル)頂上着。小休止後再び尾根道を辿る。七時四十分「篠尾峠(辻)」、八時二十分「五大尊岳」(標高八百二十五メートル)を過ぎ、九時二分に尾根筋で休憩。雨が強くなってきたのでレインコートを着て、ザックカバーを被せた。

 

 尾根道はここから更にだんだんと標高を下げていく。九時四十分標識がなければ通り過ぎていきそうな小さな広場が残る、「金剛多和の宿跡」をこえ、十時十分「大黒天神岳」(標高五百七十八.六メートル)で小休止。雨が本降りとなってきたが、ほとんど休憩も取らず歩き続ける。真夏でもないのに蚋がまとわりついてきてうっとおしい。

 山在峠で雨の中昼食
 
 しばらく歩き続け、展望の開けた尾根に出ると、大きな送電鉄塔があり、送電線が東西に走っている。送電線の下を行きつ戻りつの感じで、標高を下げながらも再び大木に囲まれた尾根筋を歩き続け、十一時十分に「山在峠」着。ここは峠という感じの山道でもないが、杉の大木に囲まれた広場で、修験道である大峰奥駈け道らしい雰囲気が充分に漂い、小さな祠があり荘厳な雰囲気が漂う。ただ、この場所を過ぎれば、すぐに舗装した林道が走っており、奥駈け道はその林道に寸断されている。それより先はいわば奥駈け道の「エピローグ」。連れ合いと次女と相談し、この場所で昼食とした。雨は降り続き、皆で傘を持ち寄り、I さんに作っていただいた昼食のおにぎりを食べる。傘は差しているが、おにぎりは雨に濡れ、せっかくIさんに作っていただいたのに、冷たくて水っぽい。だけど心が通っており、美味しい。十一時五十分昼食を終え、三人で祠にお参りし、「山在峠」を出発。           (続く)
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大峰奥駈けの道 ファイナル②

2008-03-26 22:30:47 | 

      

             大峰奥駈けの道 ファイナル②

 玉置神社の荘厳な境内

 奈良交通のバスは、国道百六十八号線を十津川に沿って、延々と走っていく。やがて十二時過ぎに「谷瀬の吊橋」を過ぎ、「上野地(うえのじ)」の清潔なトイレを備えたバスプールに着いた。ここで十二時二十七分まで停車とのこと。運転手さんも休憩室に行き持参の弁当を食べるようだ。

 我々は、急いで「谷瀬の吊橋」を渡りに行く。私と次女はなかば小走りで橋を往復。連れ合いは記念撮影。ゆっくりと景色を楽しんだり、ゆらゆら揺れる吊橋の余韻に浸る間もない。さっさと行って戻って、取って返してバスまで戻り、今度はバスの中で持参のおにぎりを食べて、昼食。

 そこからバスはさらに走り、十三時三十五分にようやく「十津川温泉」バス停に着いた。「十津川温泉」バス停で降り、少し探して地元の「三光タクシー」の事務所を見つけた。「玉置神社」までお願いし、事務所で待っているとやがてタクシーが戻ってきて、十四時に乗り込む。

 

 前回、雨と風でエスケープし、とぼとぼと歩いて下りて来た林道を逆に登っていく。相変わらず小石・中石・大石がごろごろと落ちている。だんだんと高度を上げ、「折立分岐」のある切通しの場所を過ぎてやがて十四時三十分に玉置神社駐車場に到着した。

 駐車場から約三十分歩き、十五時に玉置神社の社務所に到着。ところがここで緊急事態。『予約を聞いていないので、泊まれないし、食事も無い』とのこと。こちらはファックスの送信の原稿を持っており、それを見せ何とかお願いしたら、五月にも泊まっており、そのときお世話になったIさん達が非常に苦心していただいて、

 

「ありあわせですが急いで作りますので、何とかします。明日のお弁当もおにぎりですが作っておきます。」  といってくれた。ファックスのやり取りは別として、玉置神社は大峰奥駈を縦走する修行者に宿泊・食事を提供するのであって、十津川温泉からそれもタクシーに乗ってやってくるような場合は宿泊・食事は提供しないとのこと。それはかなり厳格なのだが、我が一行は五月にも大峰奥駈の途中にお世話になっており、今回の経過については連れ合いと次女と口裏を合わせ「黙っておく」こととした。

     


 食事などの準備ができるまで、玉置山頂から尾根続きの「宝冠の森」に散策に行くこととした。ところが、「宝冠の森」へのアプローチの道を大きく間違え、迂回してしまったために、なかば小走りで本来の道に戻り、そして大いに急いで歩き目的地の「宝冠の森」ピークまであと約十分程度の地点まで辿り着いたが、時間切れのため無念のUターン。連れ合いと次女は大いに「ブーイング」。十七時に玉置神社へと戻ってきた。その日は風呂にも入れていただき、Iさんを始めとした皆さんのご好意で夕食も頂き、明朝の朝食、お弁当まで準備して頂いた。

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大峰奥駈けの道 ファイナル①

2008-03-16 18:41:25 | 



        山行記録 大峰奥駈の道 ファイナル ①


  吹越峠から、雲間に熊野本宮、大斎院

 二〇〇七年六月、大峰奥駈もいよいよファイナルを迎えた。 思えば、前回本年五月に無念のエスケープを経て、何とか「真夏になる前に」奥駈を踏破しきってしまおうとの思いを抱いていた。そして、仕事やプライベートの用事を何とかやりくりし、無理やり日程を捻出した。奥駈ファイナルは連れ合いと次女との三人のパーティで、六月二十三日(土)に自宅発、JRで「五條駅」へ、そこから奈良交通の路線バスに延々と乗り「十津川温泉」へと行き、そこからタクシーで「玉置神社」駐車場へ。二十三日は「玉置神社」で宿泊し、六月二十四日(日)に、残された最後の大峰南奥駈道を踏破する計画である。 ちなみに、大峰奥駈ファイナルつまり大峰奥駈け踏破の後は、自分や連れ合いや次女の頑張りに対し自らを誉め、そして慰労するために、熊野本宮に参拝しその後「湯の峰温泉」の「湯の峯荘」に一泊、疲れを癒すという、結構なオプションも加えていた。    五條駅からバスに乗って十津川温泉へ、そして「玉置神社」へと。 二〇〇七年六月二十三日(土)は朝六時に起床し、連れ合いはおにぎりを握る。七時十分に自宅を出発、阪急、地下鉄御堂筋線乗り継ぎ八時十分JR天王寺着。連れ合いと次女は駅の「焼きたてパン屋」で朝食を仕入れ、八時二十九分発大和路快速に乗り、八時四十九分王寺駅着。王寺でJR和歌山線に乗り換え、九時二十四分王寺発、十時十六分に五条に着いた。五条駅を出て駅前広場の左手に奈良交通バスの待合所があり、そこでしばらく待って、やがて十時二十七分発新宮行きのバスが到着し、そのバスに乗り込みいよいよ大峰奥駈ファイナルへのアプローチが始まった。

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