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“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

大峰奥駈けの道 Ⅲ-④

2008-05-21 20:35:45 | 
  太古の辻の道標

             大峰奥駈けの道 Ⅲ-④

 十二時五十五分には「奥守岳」(標高千五百十メートル)のピーク、さらに十三時二十分に「天狗山」(標高千五百三十六・八メートル)着。「天狗山」は今回の山行でもっとも標高の高いピークである。更に十四時三十五分「蘇莫岳(そばくだけ)」にいたる。ここからは北東側に谷を挟んで前鬼の五百羅漢が望まれる。


   この山行中の最高峰 天狗山 山頂

 十五時ちょうどに「太古の辻」に到着。ここは見慣れた風景だ。「南奥駈け道」を「逆打ち」して辿り着いた。北の方は、「釈迦が岳」からの下り急斜面や「深仙の宿」が広がる。南は今歩いてきた南奥駈け道、「蘇莫岳」、東へは前鬼谷。今回の山行はここで一応尾根歩きを離れ、前鬼へと谷を下っていく。我々一行は「太古の辻」で、いつものようにたくさんの記念撮影をして、十五時二十分に前鬼谷を下りだした。谷の道であり日が早く翳って薄暗くなった谷筋を歩き続け、十七時に本日の宿舎「前鬼小仲坊」に到着。母屋の方に回って、前鬼を守っておられるオーナーの五鬼助(ごきじょ)さんと五鬼助さんの奥さんと一年ぶりの再開を喜び合った。前鬼には五鬼助さんと親しい地元に集まるお仲間さんが5名来ておられ母屋で和気藹々のおしゃべり。今夜の宿泊は母屋に泊まられる「お仲間さん」と小仲坊に泊まる東京からの単独行の登山者とわれわれ一行の9名。夕食のときに話していたが、奥さんは京都のある女子大学の大学院に、社会人学生として通っておられ、京都の歴史や文学等を学んでおられるとのことで、その向学心と御意欲に、大いに敬服した。


  前鬼川の五百羅漢


バスで下北山村役場に戻る。「きなりの湯」で汗を流し、今回の山行の終わり


 八月十五日は朝五時過ぎに起床し、前鬼の周辺の里山や五鬼の屋敷跡などを散歩して回った。小仲坊は真夏というのに快適な寝心地で、連れ合いと次女はまだよく寝ていた。六時過ぎに小仲坊に戻ると二人は起きており、片付けと出発のために荷物を整えた後母屋に回り、七時に朝食を頂いた。水がおいしいから、ご飯も味噌汁ももちろんおかずも大変おいしい。

 朝食後、八時五分に前鬼を出発。延々と前鬼林道歩きのスタート。昨年通った時に台風によって崩落していた箇所が修復されており、一安心した。

 前鬼トンネルを過ぎ、九時十五分に「不動七重の滝展望台」着。滝への遊歩道はいまだ荒れていて「通行止め」となっている。九時四十分には「前鬼山 不動の湯」の看板がある「西の谷」着。二十分の休憩。十時二十五分「大鷲谷」を過ぎ、十一時五分に国道百六十九号線との出合いにある「前鬼口バス停」に到着した。バス停で荷物を解き、前鬼から持ってきた水で昼食のラーメンを作り、食後はインスタントのコーヒーを飲んだ。水がおいしいので、ラーメンもコーヒーも大変おいしかった。

 食後、荷物を片付けバスを待った。十二時二十一分「上桑原行き(杉の湯から新宮方面へのバス)」の奈良交通バスに乗車。十二時四十八分自家用車を駐車してある「下北山村役場」に到着。駐車場でわが一行三人は登山の荷物を解いて、村役場に駐車のお礼と下山の挨拶に出向いた。お盆の最中にもかかわらず職員さんが多く出勤しておられ、丁寧に対応していただいた。

 十二時四十八分に村役場を出発。一路池原ダムのダムサイトにある整備されたキャンプ場、その中にある「きなりの湯」を目指した。「きなりの湯」は天然温泉で、ここに浸って今回の山行の疲れを癒していこう、とくに私は「病み上がり」だからということで、そういう計画となった。十四時二十分に「きなりの湯」着。十五時五十分までゆっくりし、家で待つ孫たちへの土産も買い揃え、帰路へと着いた。

                                                                     (完)                                                        



     

       


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大峰奥駈けの道 Ⅲ-③

2008-05-11 15:05:18 | 

      大峰奥駈けの道 Ⅲ-③

 般若岳からの台高山脈

 

 今夜の「持経の宿」山小屋はわれらファミリーの独占で、広々してのんびりできるなと思いつつ、今夜の食事の準備。十八時頃に薄暗くなりかけてきた小屋の外でバーナーで明日のお茶を大量に沸かし、ご飯とカレーをあっためていると、尾根筋の道からザーッという笹をかきわける音がした。一瞬何か動物かと思い、多少緊張しつつ音の方を見ると、

  「こんにちは」

 と、大峰奥駈け縦走の登山者が降りてきた。四名のパーティだった。

 

 持経の宿山小屋の内部

 

  小屋の中で一緒に夕食を食べながら話す。四名パーティは女性一名を含み学校の教員仲間を中心に山岳マラソンに挑んでいるとのこと。今回は本日の朝「行者還」の登山口から登りだし、「弥山」「八経ヶ岳」を越え「釈迦ヶ岳」「太古の辻」を越えて「持経の宿」まで来たとのこと。明日は南奥駈け道を「玉置神社」まで行くとのこと。「玉置神社」にはお仲間が車で迎えに来ているとのことだが、二十三キロメートル程あろうかと思うが、かなりの荷物を担いで、結構な体力だと感心する。

  小屋も総勢七名となりにぎやかにはなったが、お互い明朝も早いので八時過ぎに一同就寝。

 いくつものピークを越え「太古の辻」から前鬼へと。炎天下の登山で「病み上がり」の身にはきつく、バテバテ・・・

 八月十四日は朝五時三十分起床。朝食のパンやスープなどを食べ出発準備。同宿のパーティーは五時頃にはすでに出発している。わが一行は小屋の片付けと簡単に掃除を済ませ、七時に出発。

 七時三十三分、「阿須迦利岳」(標高千二百五十一メートル)着、小休止。天候は今のところ薄曇でそんなに暑くはない。大峰奥駈け道はピークや要所には石碑や標識はあるが、そのポイントへ行くまでは、忠実に尾根筋を辿るのだが、何しろ明瞭な道がない。ある程度以上の「山慣れ」した「感」と地図の読図能力はこの参考には必須である。尾根筋の藪漕ぎの連続で、このピークからも背丈の高さの藪漕ぎであり、おまけに二ヵ所の鎖場あった。多少の難儀のあと、八時十五分に「証誠無漏岳(しょうじょうむろうだけ)」(標高千三百一メートル)着。この頂上は藪が刈られ大峰山脈の眺望が好くはるか北方に「弥山」「八剣岳」が連なって望まれる。しばし小休止で眺望を満喫した後再び藪漕ぎの道。八時五十五分に「涅槃岳」(標高千三百七十五・九メートル)着、小休止。天候が晴れ上がってきていよいよ炎天下、暑くなってきた。昨日用意しておいたお茶を「ガブガブ」と飲んで、九時二十五分「剣光門・拝み返りの宿跡」、十時五分「滝川の辻」通過。ここには古びた木製の標識がある。

 

 剣光門拝み返りの宿跡

               と 滝川の辻

 

 更に尾根筋の道を辿り、十時二十五分「般若岳」(標高千三百二十八メートル)のピーク着。ここは北東側に台高山脈の山並みの眺望が開ける。「日出ケ岳」や連なる山並みがきれいに見える。しばし眺望を楽しんだ。更に尾根を辿り、十一時五分「地蔵岳」(標高千四百六十四メートル)、十一時四十五分には「嫁越峠」を超えた。天候は昨日の午前同様快晴となってきて、真夏の太陽が照り付け、一定の標高はあるものの「暑い・熱い」。私は「病み上がり」のせいか、上り坂になると次女、連れ合いに遅れをとり「バテバテ」の状態となる。情けない。

「昼飯休憩にしようか」

 私のほうから、「奥守岳」の登りにかかったところでみんなに声をかけ十二時五分に昼食とした。昼食はいつものように行動食のロールパンとチーズとウィンナー。斜面にもたれかかるようになって食べていると単独行の登山者が上の方から降りて来て挨拶を交わす。炎天下お茶で流し込むようにさらにパンを食べ続けていると、しばらくするとまたひとり上のほうから登山者が降りて来た。しかし、今度はどうも様子がおかしい。「フラフラ」のようだ。大学生位の感じで、やがて我が一行が昼食を食べている所に朦朧としながらやってきた。

 「すみません。水・・・ください・・・」

 次女

 「どうぞ、大丈夫ですか。」

 といって水を差し出すと、飛びつくように飲み始めた。次女は飲みかけではあったがペットボトルごとのお茶を「進呈」した。ここから先「持経の宿」までは水場が全くないことや、「持経の宿」に備蓄の水が置いてあるし、十分ほど林道を下がると湧き水の水場があること、しかしここから四時間はかかることなどを教え、大変気にはなったが彼の後姿を見送った。いろんなことが一気にあったが十二時四十五分に、再び荷物を整え出発。

                                                                       (続く)

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