"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

大峰奥駈けの道 Ⅳ-④

2008-10-23 10:03:41 | 

 玉置神社の出雲大社

 

      大峰奥駈の道 Ⅳ-④

 

      未明から雷交じりの暴風雨。早々に本日は十津川温泉まで

   エスケープと決定。大峰奥駈ファイナルは次回に持ち越し。

 五月六日未明、三時半頃であった。かなり強い風雨の音に雷鳴も聞こえ、目が覚める。うーん、うっとおしいな。どうしようかな。と思い巡らしながら布団の中で転寝しながら思案三昧である。そのうち四時になったので起き出して隣室に顔を出すと、すでにAさん一行は全員起床して車座になっていた。

 

  「Aさんどうする。ちょっとうっとおしいな。」

 「ああ、今日は駄目だ。エスケープに決めたよ。」

 

 と、あっさりしたものだ。よし、エスケープに決定。みんなで決めれば未練も残らない。

 みんなで三々五々朝食を摂り宮司さん、若い神主さんにエスケープすることとお世話になったお礼を言い、そしてエスケープルート確認のため周辺ハイキングマップを貰ってきた。部屋へ戻りAさんパーティにN氏も加わりエスケープルートを検討した。ルートは駐車場から林道切通しの道を横断し、折立・十津川分岐から山中を十津川温泉に向かって行くこととした。

 五月六日朝八時三十分出発。神社の生活道路を辿り、駐車場を横断し林道の切通しの道を横断し、九時十五分に折立・十津川分岐へ到着した。意外と時間がかかった、というよりのんびりペースである。分岐に立つとまっすぐ西方向へ下っていく折立への道には「自然歩道」の看板が出ている。左側へは十津川温泉へ行く(はずの)道が続いている。わが一行は予定通り左側への道を進んだ。

 しばらくは快適で順調に「道」を辿っていったが、やがて「道」はだんだんと険しくなってくる。私やAさんが交互にトップになり進んでいくが、行く手が不明になるたび何度か行きつ戻りつし、そのうちにやがて崖の上に出たり、藪漕ぎもできないにブッシュに行く手を遮られたり、急斜面にぶつかったりしてついに進退きわまってしまった。

 

 玉置神社境内にある地図の看板

  Aさん

 「あかん。戻ろう。」

 私

 「戻ろ。」

 ということで、切通しまで戻ることとした。この道はハイキングマップのみならず、登山地図にも明瞭に書かれているが、実際の道はあちこちで崩れていたりしてこの時点では通れない状態であった。

 N氏や他のメンバーはもっと早くから戻ろうといっていたが、私とAさんがぎりぎりまで引っ張っていったのだ。

 やがて、十時三十五分に折立・十津川分岐のある切通しの林道に戻った。私はさっさと舗装した林道を十津川温泉まで行くつもりであるが、今度は分岐のところで舗装道路でなく折立まで「自然歩道」を行こうとの意見が出てきて、しばし評定。Kさんあたりが「自然歩道を折立まで行こう」と主張していたらしく評定はかれこれ三十分ほど続いた。やがて話がまとまったか、全員が分岐からぞろぞろ降りてきて、結局舗装した林道を十津川温泉まで下りることとした。

舗装した林道などといっても、両側の崖から落ちてきた大小の石が道のあちこちに転がっており、落石に気を使うわ、雨はどんどんと降ってくるわでわいわいがやがやではあるが、結構大変なエスケープロードではあった。

 長いエスケープの末、やがて十津川に架かる「猿飼橋」を渡り、温泉と反対の「鈴入」の集落のバス停へと行った。しばらくは上り下りともバスはなく、雨はどんどんと降ってくるわ、雨宿りする場所はないわで結局十津川温泉のバスターミナルへ行くこととした。

 Uターンしてどんどん歩き、十津川温泉で温泉に浸かりビールをあおる目論見のAさん、Kさんと分かれ、やがて十三時五分に「十津川バスターミナル」に到着。ターミナルでやっと雨具を脱ぎ、待合のベンチに座り玉置神社で作ってもらった昼弁当の「めはり寿司」をいただき、ほっと一息。

  十三時四十五分発の新宮行きの奈良交通バスが十津川バスターミナルに到着し、わが一行はそれに乗る。十四時二十分本宮大社前に着。N氏はそのまま新宮まで向かい、紀勢線経由で東京まで帰るとのことで分かれる。本宮大社では雨も小止みになり、コーヒーを飲み孫たちへの土産を買う。十五時十分本宮大社前発JR白浜行きのバスに乗り、熊野古道の中辺路の道に平行しながら、やがて十六時十五分JR白浜駅着。

 

  十六時三十分発の「くろしお三十号」に乗り、大阪へ、家族の待つ茨木へと向かった。

(終わり)

                                        

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大峰奥駈の道 Ⅳ-③

2008-10-13 19:24:20 | 
    香積山山頂
 

           大峰奥駈の道 Ⅳ-③
    
 玉置神社の御神木    

 山道を歩いていくと再び林道が並行し、そこが「かつえ坂」の上り口だ。十四時二十五分着。ゆっくり目のペースだが順調に来た。ここまで来ると本日のゴールである玉置神社まではもう少し。右に林道、真ん中に尾根伝いに「かつえ坂」、左側に道が続きその道は「勧業の森」から玉置山の東側、「宝冠の森」へと続いている。
 我が一行は「かつえ坂」を上っていく。本日最後のアルバイトで十四時五十二分、ついに「玉置山(たまきやま)」頂上(標高千七十六メートル)に到着。頂上は開けており、時を告げる鐘が吊るされてある。我が一行が玉置山頂に着いたとき、山頂には学生のようだが、外国人と日本人の女性の二人連れが弁当を食べていた。
 山頂で小休止の後、玉置神社へと降りて行った。 玉置神社へ至る道には巨大な「御神木」がある。周りには樹齢何百年という巨木が鬱蒼と林立している。それは今までの大峰奥駈道とはまた雰囲気や空気の違う聖域に入ったという感じで、霊気が漂う気配だ。
 十五時八分に「玉置神社」に到着した。 「玉置神社」は千年の歴史を持つ由緒ある神社である。すべての建物は木造で、長い歴史を刻んでおり、昔から地元の人々の厚い信仰の対象となり、尊敬され守られてきた雰囲気が十分に感じられる。本殿に行き、予約をしていた旨を告げると、本殿の下にある宿泊所に案内され、Iさんから入浴や夕食、明日の朝食、お弁当のことなどの説明をしていただいた。Iさんは毎日日帰りで神社にお手伝いに来ており、庶務や泊り込んでいる宮司さんや神主さんのお世話をしている。「山彦の会」のYさんの言伝を言うと、懐かしそうに微笑んでおられた。建物は古いのだが、心のこもったおもてなしにかえって暖かさを十分に感じさせてくれる。


   玉置神社本殿

 昨日同宿した東京からの単独行のN氏が先に到着していて、ちょうど風呂から上がってこられた。N氏は大峰奥駈の縦走をしており、今回は前鬼から入山している。

  「こんにちは。早かったですね。」
   「私は一人ですし、とくに寄り道もせずただひたすら歩くだけですか ら。しかし大峰の縦走は、アプローチも難しく、関東ではあまり知られ ていないのですが、すばらしい縦走路ですね。明日は熊野本宮まで 行き、感慨新たにしたいですね。」

  などと話した。連れ合いと次女は先に入浴。水道も通っていないところで、湧水のお風呂をいただけるとは贅沢至極。後でわかったが、お風呂はタイルに穴が開いてたりして、それなりに趣があった。

  「おおい、何だお前さんか。」

 突然新着の人から声がかかった。通路のほうが暗くて誰なのかよくわからない。ひょっとして失念しているのか、恐る恐る声をかけた。  

 「失礼ですが、どちらさまでした。」
  「なんや、失礼なやつやな。Aだよ。」
  「あっ、Aさんか。そっちは暗いのでよく見えなかったですよ。それに しても偶然とはいえこんなところでよくも会いましたね。単独行です  か。」
  「いや、四人連れ。Kもおるよ。みんな遅いから俺が先に来た。今日 は『平治の宿』からここまで来た。『花折塚』からここまで三十分で来 たよ。」

  と一気に喋る。しばらくするとKさんやら、仲間の皆さん方が元気なもの順番にバラバラで到着。なんちゅうパーティや。Aさん、Kさんは私の職場のアルペンサークルの仲間。お二人とも仕事は現職を退いておられるが山については大ベテランの現役。実は私はアルペンサークルは軟弱だ、と日頃のたまい、飲み会以外はほとんど例会に参加しなかったのだが、皆さん方の話と実際の行動を聞いていて、認識を改めた。
 この晩は、神社の神主の方に『ビールありませんか』と尋ねて、えらく顰蹙を買ったりしたが、何とかA氏持込の焼酎で、N氏もいれて、密かに小宴会。なつかしの面々と、そして初対面の人と、山談義。 折から雨が降り出してきた。天気予報では本格的な降りになるとのこと。
 外のほうでなにやら人の声がして、そして宿泊所を過ぎて、駐車場方面へと歩いていった。どうやら先生と教え子の三名パーティのよう。宿泊を断られたようだ。「玉置神社」では宿泊は修行の人、奥駈の登山者に限りそれも予約がなければ絶対に泊めないようだ。後で先生のブログで知ったが、その日はテント泊まりとして、翌日は、荒天のためエスケープしたとのことであった。
                                      (続く)
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大峰奥駈の道 Ⅳ-②

2008-10-06 20:06:00 | 

  地蔵岳を過ぎて尾根筋を行く

 

    大峰奥駈の道 Ⅳ-②

 

行仙宿山小屋から南奥駈道の稜線を辿り、玉置神社

まで。玉置神社で懐かしい仲間と偶然の再会。

 五月五日は朝四時過ぎに目覚め、朝食と出発の準備を始める。途中夜中の二時ごろには山岳マラソン系の登山者がごそごそと出発して行ったのに目覚めた。

 わが一行は五時四十分に「山彦の会」の三名の皆さんに挨拶し出発。小屋には、東京からの単独行の登山者と、先生と教え子のパーティが残った。出発のときにYさんから玉置神社でお手伝いしているIさんに、『Yは行仙宿の小屋に居てる』と伝えるように言付かった。

準備運動の後登山開始。いくつかのピークを越え、朝から結構なアルバイトを強いられた末、七時十分「笠捨山」と書いた木札に出会った。ここに至るまでに、単独行の人に「お先に」と追い抜かれてしまった。後ろからは先生と教え子のパーティの声が聞こえてくる。本当の山頂はここから五分、七時二十分に標識のある「笠捨山」山頂(標高千三百五十二メートル)に到着。ここからしばらく行くと尾根道と並行して高圧送電鉄塔と送電線がずっと走っている。七時四十五分に葛川辻(くずがわつじ)着。尾根からはずれ左の谷筋を降りていくと、葛川の集落に下山できる。わが一行はさらに尾根筋を辿り、登り続けた。

 尾根をしばらく行くと、足場の悪い岩場が連続し、多くの鎖場が続く。連れ合いの薀蓄によると、この鎖場はある篤志家が個人で設置したとのことだが、本当にそのご苦労に対し尊敬の念を抱く。現在鎖は新しいものになっており、おそらく「山彦の会」の皆さんを中心に張り替えていただいたのだろう。鎖場を過ぎやがて八時三十分に「地蔵岳」頂上(標高千二百五十メートル)に到着。

 さらに尾根筋を辿り、九時に「四阿之宿(あずまのしゅく)」着、小休止。九時四十二分「香精山(こうしょうやま)」(標高千百二十二メートル)着。相変わらずのアップダウンでずっと尾根筋を歩いていく。ここから少し樹林帯となり十時十五分に岩に祠の彫り跡の残る「貝吹之野」その先の「貝吹金剛」に十時二十分に着。この辺りは登山地図によると『キャンプ適地』と書いてある。しかし実際は平地もほとんどなく、倒木やブッシュでとてもキャンプはできそうにもない。「水場」の看板もあることにはあるが、かなり道からはずれて遠そうである。

 しばらく登っていくと下のほうから拡声器の声がする。「何かな」と思って覗き込むと百五十メートル程右下、西側下に大きな駐車場が見え車が何台か止っている。どうやら国道四百二十五号線沿いの「二十一世紀の森」「森林公園」の駐車場のようだ。静寂さが破られ俗世間に引き戻された感じで、少し興ざめではある。さらに尾根を歩き続け、十一時に小ピークで昼食とした。いつものとおりパンとウィンナーソーセージとフルーツジュースの行動食。十一時四十五分に出発。少しゆっくりなペースである。十一時五十七分「如意宝珠岳(にょいぎぼしだけ)」(標高七百三十六メートル)着。樹林帯の中を歩き、やがて十二時二十分頃「稚児の森」に着く。小休止の後しばらく行くと、樹林帯が開け地道の林道に出会った。尾根筋の林道で展望がよく、北の方を望見するとはるか大峰の山々が小さくしかし延々と連なって見える。

        稚児の森林道からはるか大峰山脈を振り返る 

 「あれが多分弥山、八剣やろね。はるばるここまでよう着ましたね。」

 連れ合いと次女にそういいながら、しばし感慨に浸る。相変わらずのゆっくりペース。

 切通しになった地道の林道を横切り、再び山道へと入り尾根道を辿り続ける。樹林帯を行くのだがそのうち道というより踏み跡が不明瞭になってきて、しかも尾根から外れていく。このとき我が一行の先頭は元気いっぱいの次女。

 

 「おおい。道がおかしい。尾根筋から外れたらあかん。無理やりでも上に登れ。」

 と、後ろから私が大声をかける。私自身もブッシュと朽ち木の斜面を強引に這うようにして登っていった。ズルズルとずり落ちながらも何とか上に登りきると、案の定舗装した林道に出会った。連れ合いと次女も林道まで登ってきた。林道を少し行くと広場と、広場には木造の立派な展望台と簡易トイレがある。展望台からの山は南奥駈の峰々と、東を見ればおそらく台高山脈なのだろうが、なんと言う山なのか、名前まではちょっとわからなかった。林道をちょっと行くと大峰奥駈道の看板があり再び山道へと入っていく。山道をしばらく歩いていくとまた切通しになった林道に出る。林道を横切り山道に入り、少し行くと名前の通りきれいに整備された「花折塚」に十三時四十二分に到着した。ここで十五分ほど休憩し「花折塚」の由来の看板などをじっくりと読んで、大峰奥駈道に関わった昔の人々を偲んだ。

 

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