一日一幸

2011年6月乳がんステーⅣ判明。現在ホルモン療法とゾメタ投入中。2014年2月小脳の手術をしました。

コートが8着

2012-11-26 | 買い物全般
 冬本番になって、コートを見える場所に掛けて、お出かけの用意・・・で、なんと8着。
普段はクローゼットの奥に引っ掛けてあるので、気づかなかったが・・・多いよう
 なんでこんなに集めちゃったのかなあ?でも、みんな5000円以下なので、庶民派だ。
 ちなみにコートの分類は
①ダウンのコート、3着。なるべく暖かそうなコート1着。ちょっと温かいときのために薄地のコート1着。昨年某有名メーカーの店に入ったら強くすすめられた。形は気に入っている。
②中綿のコート1着。冬でも白が着たかったのでちょっと若向きなもの。
③ゴルフ用のダウンと中綿混合。ゴルフはしない。春先に冬用をバーゲンで売っていた。ウグイス色なので、敬遠されて40パーセント引き。
④スポーツ用。仕事で寒いときに着るように地味なグレー。方は正直ダサイけど暖かい。
⑤ウールのコート2着。1着は古着屋で買った。なんとバーバリー。フード付きで気に入っている。もう1着は去年の福袋に入っていた。黒でおしゃれな感じ。でも、着る機会が・・・・

 これだけがずらーっと並んで出番を待っている。いつの間に買ったんだろう。 でも、この間、またまたよさそうなコートを見て、買いそうになった。こりない人間だ。
 本当は断捨離しなくてはいけないのかも知れないのだが、みんな愛着があり、着る機会があるだろうと思うと、手放せない。この点が、セーターやTシャツと違うところかも知れない。
 とりあえずは、このコートたちを着てあげることと、コートの入っている福袋を買わないことが一番である・・・・と結論に達した。

 ここに8着あるのだ。


抗がん剤終わって9か月で美容院へ

2012-11-22 | がん治療に関わる日常生活
 2月に抗がん剤投与を終えて9か月。
 ずっと伸ばしていたけれど、モシャモシャ度がひどくて、ついに美容院に予約した。
 お店に入ってまずはしばらくぶりの挨拶。
「こんにちは。どうも御無沙汰です。」
「どうしちゃったのかと思っていたんです。」
「ごめんなさいね。連絡しようと思っていたのだけれど、そのままで・・・」
「もう、連絡くださいよ~
という具合に再会した。
 でも、さすがプロ。髪質を見た時に、抗がん剤で抜けた後だとすぐわかったみたいだ。


 店長さんは2年に1度マンモをしている慎重派だが、今のところ異常なしの診断をもらっているらしい。
 でも、自分の話を聞いているうち、不安になったようだった。たまに胸が痛くなって、しばらくすると痛みは消える・・・の繰り返しなんだそうだ。なんだか自分の症状と似ている。
 脅すつもりはなかったが
「マンモだけでは見落としもあるみたいだから、エコーもしたほうがいいですよ。」とアドバイスした。本当に油断大敵だから。
 でも店長さんは子宮にも心配な点があるらしく、こちらも何か月に1回で診察してもらっているということだった。
 他にお客さんが1人いたが、すっかり乳がん談議に花が咲いた。美容院というお店がら、がん関係の話もたくさん耳に入るのだろう。それに、店長のお父さんはがんのデパートのようにあちこちの臓器が傷んでいるようで、切実な感じがした。

 さっそくカットしてもらい、すっきりした髪型になった。以前は、すごく油気の多いストレートだったのに、今回は打って変ったくせ毛。
でも、今回のほうが、髪型が決まる感じで、出来上がったら前よりずっと良かった。このまま、くせ毛でいい。また元に戻ると「和田あき子」風髪型しかできないし・・・
 ただ、白髪はもうこのままにしようかなと思って、そう話したら、店長さんが
「え~、まだお若いのだから染めたほうがいいですよ~!」
と言ったので、迷っている。
 染めると、新しく伸びてきた白い毛と、染めた部分の段差ができてしまうので、お手入れ大変なんだけどなあ~
 まあ、それは後で考えるとして、今はこのショートカットを楽しもう。

 でも、体力をつけるという話の延長で「ミドリムシ」入りのカプセルを買うことになった。「寝覚めがいい」にひかれてしまった。とにかく、朝スッキリ起きるのが一番の課題であるし・・・
まあ、1か月分だけ試してみて、良ければつづけ、だめならやめればいいや、と思っている。
 本当にいろんなサプリを飲んでいて、サプリオタク道まっしぐら

 公園の花のように思いっきり人生の花を咲かせたい。

          

           

阿蘇・熊本の旅

2012-11-19 | 旅行
 ちょっと前の旅がようやく整理できた。阿蘇・熊本方面である。
 ここはだいぶ以前に職場で行ったことはあったのだが、主人は行ったことがなかった。あの雄大な風景を見せたくて今のうちに行こうと提案した
 。飛行機から宿まで、全部インターネットで予約。自由に動きたい場合は旅行社に駆け込むよりは満足度が高い。レンタカーは九州限定で半額に近かった。これはラッキー

 日程は、博多空港→熊本市内→阿蘇・高千穂→別府→宇佐、秋月城跡→博多空港。


 1日目・・・熊本市内。
 熊本城は、きれいだった。それもそのはず、近年作ったコンクリート主体のお城だから。でも昔の様子が何となくわかるのはうれしい。ここにも「武将隊」が待ち受けていた。小学生に「かっこいい」と言われてまんざらでもなかったようだ。



 照れている武士

 クマモンはあっちこっちに出没。すっかり人気者になっていた。



 これはわら製。力作だ。

夜はもちろん、馬刺し。ちょっと値段は張ったけれど、いい思い出になった。

 

 そして宿泊地が通潤橋ちかくの国民宿舎。通潤橋はまったく知らなかった場所だが、思いがけずよかった。宿泊客にはお土産付きなのも良かったヨ。

 

 2日目・・・阿蘇から別府へ。
 阿蘇はやっぱり広大だ。北海道も大きいし、京都もきれいだけれど、阿蘇地方は世界一のカルデラに住んでいるというだけで、驚きを感じる場所だ。



 河口に行ったら待避所はあるし、ゴーゴー音はするし、途中の料金所で「健康面は大丈夫ですか?」と聞かれたのも面白かった。河口から出る有毒なガスに耐えられるか?という意味だと思うが、なんだかすごく危ない場所に行くのだという緊張感を感じた。実際はそんなでもないのだけれど・・・

 火口。ゴーゴー音がする

 別府の近くにはレジャーランドがあって、ジェットコースターなど一通りの乗り物がある。でも閉演1時間前にはさ~っと人がいなくなってほぼ貸切状態。夫婦で足湯に使っていい年をした息子が好き放題に遊んでいる。首都圏とは違う光景だった。

自分の足も入れてみた

 高千穂峡は宮崎県だが、レンタカーで走れば十分いける近さだったので、さっと立ち寄った。
 古事記にも出てくるかなり神聖な場所のはず・・・なのに・・・ボートを浮かべて楽しそうにこぐ人多数。神様も観光には負けるようだ。

 岸にぶつかる音が響いていた


 3日目・・・博多空港への帰路。
 宇佐八幡と秋月城跡に立ち寄る。宇佐八幡は立派な神社。数年前に来たのはここだとやっと気づいた。(高千穂と勘違い)お宮参りの一家が神妙に参拝していた。

 伊勢神宮とは対照的な派手さ

 秋月城跡は地味~な城跡だが、これからに向けて観光化をもくろんでいるように感じた。

何もない

結論
 九州は遠い。でも見どころが多い。今回のように成田から安い飛行機で行けば運賃も安くそして早くいける。
 旅行ガイドにない場所に実はいいところがある。今回は通潤橋。南阿蘇のさらに南なので、観光地化されていないが、それがまたいい。
 食事処もフラッと立ち寄った場所が結構良い。(田楽 奥阿蘇さん、おいしかったです。特に茄子の漬物)

 この前の石見銀山や萩がかなり地味だったのに比べて、やはり九州は華やかだ。北から南まで面白い場所が満載。正式に定年になったら、また行きたいと思っている。

 でも、今度企画しているのは熊野古道。ここでようやく「日本の世界遺産を訪ねる」企画は一段落する。


同窓会の知らせ

2012-11-17 | 日記
 同窓会の案内が来た。ようやく住所を探し出して通知してくれたらしい。
 大学では自分の所属専攻は10人前後。だから学年を超えて仲良くしていた。今回は自分が2年生の時のその4学年が集まろうという計画である。
いつもなら「仕事が忙しいから」と言って、断っていただろう。でも、今回は「参加します」の返事をした。
 年なのだろうか?昔に却ってみたいといいう願望が強くなる。なんてったって大学時代は何の悩みもなく楽しかったもの。
 今集まっても、楽しいかはわからない。でも、自分も生きた証なんというものを持っていたい年頃になったのだろう。それに、この先いつ会えるか不確定だし。
 あのほとんど悩みなんてない70年代の学生時代にタイムスリップしてもいいかなと思う。
 それにしても去年でなくてよかった。去年はまだ病人だ・・・というオーラが出まくりだったから。
怖いような、楽しみなような。誰が来るのか、来ないのか・・・名前も旧姓のほうが通りがいいだろう。

 それにしても、ホテルだなんて、なんだか似つかわしくない。あの時のように、大学近くの居酒屋のほうがよかったなあ~

北のカナリアたち  鑑賞

2012-11-14 | 映画鑑賞記録
 湊かなえさんの原作かと思ったら、原案ということで、ちょっと予想と違うのかもしれない、とエンドロールを見て思った。
これは、「往復書簡」を買って見なければなるまい。
 吉永小百合さんは、本当に若く映っていた。昔サウナに入っていたとき、、隣の奥様が息子さんが俳優さんのメイク担当で「吉永小百合の担当になった時は朝早く行かないと、仕上げまでに2時間かかるって嘆いていたわ。」と言っていたのを思い出してしまった。
画面を見ながら、2時間、2時間が頭の中を駆け巡っていた。
 それはともかく、今回は期待したほどサスペンス風味も強くなく、ただ、終わりに光明が見えていたので救われるお話だった。小百合さんが教え子を一人一人訪ねていくなかで、大人になった教え子役の俳優さんたちがみな安心できる俳優さんたちで、安心して見ることができた。
 子供時代の子役さんも、個性的で、歌もきれいでよくある「ウザイ」という印象がなく、総じて人選に成功したと思う。森山未来さんは今日は身体能力の高さを見せる場面はなかったが、独特の個性的な役柄がうまくはまっていたし、宮崎あおいさんも小池栄子もその他の方もみな演技が上手だと思っている人で、久しぶりに若手さんいもにも共感できた。
 それにしても、小学校時代の回想場面で、途中奇声を張り上げる児童(のちの森山君)に対しての吉永先生の対応の仕方が見事だ。あのテクニックはどこで身に着けたのか?ちょっと教えてほしいと本気で思うのであった。
 そして、冬の北海道が厳しそうだけれど、夏には行ってみたいなあとまたまた思うのだった。
 奇抜なドラマや、理解に苦しむ日常の中で、こんな落ち着いた映画もいいかな、と満足度はかなり高く帰宅した。悪人がほぼ1人だけだったしね。

診察日で「年のせい」がうれしく感じた

2012-11-12 | 乳がん治療(転移や再発関連)
 ゾメタ点滴のため通院。今日の予定表では、血液検査と診察とだけあったので、過去2回の血液検査+ゾメタのあと診察・・・というパターンではないのかと思い、受付で確かめたが、予定表通りにやってくださいという連絡だった。
 久しぶりの採血室。どこかほっとする。案の定、若いけれど上手な看護師さんが一回で成功してくれた。ちょっと暖めるために5分間待機したけれど、そんなのはまったく苦にならなかった。

 そして診察の時間。 診察室に入ったら、先生が
「元気でした?」、そしてすぐに
「あ、元気ですよね。」
と、納得していた。はい、おかげさまで。
一応「背中が時々痛くて・・・」
と痛みを訴えてみたら
「画像からも、骨が崩れていないので、年のせいですね。」と即診断してくれた。
 良かった~年のせいで痛いのはOKだ。 ほんとうにちょっとした痛みもびくびくしてしまう。

 そしてこの後、ゾメタの点滴をしに、ケアルームへ行く。ここが最難関だ。今日の針はご機嫌よく血管に刺さってくれるだろうか?
 結論は・・・計3回刺した。2回だめで、看護師さん交代。そして1回で成功だった。本日合計4回の穴があいた。
 点滴しているときに2番目の看護師さんが「注射をしないのかしら?」と言っていたので、あ、これはランマークのことを言っているのかと思った。
 自分も、できれば採血は採血室で、そしてあとは注射で、というパターンが理想なのだが、ランマークは危険性もあるみたいだし・・・
 次回はカイロで暖める努力もしよう。
 もう1つ。リリカカプセルは朝飲むとめまいで気持ちが悪いので、夜だけ飲むこととなった。

 それにしても、自分はもう「危機感を持たなくてもよい」体になったのだろうか? うれしいような、でも心配なような・・・
 

人を不快にさせないやり方を考えてほしい

2012-11-09 | 日記
 本当は「むかつくのカテゴリーに入れたいが、抑えて「びっくり」のカテゴリーに。
なにかというと
本日映画「最強のふたり」を見に行ったのだ。映画自体は首から下が不随になった金持ちと彼に雇われた心mの通っていく物語。事実をもとにしているだけあって、せっとくりょくもあり、久々のフランス映画も良かった。
で、ちょっと・・・な点は
 チケット売り場の方。なんと1人しかいないのも?だが自分が並んでいるのを知っていて、男性客となにかとしゃべってなかなか終わらない。男性がしゃべりかけているのもあるが、いちいちそれに対しての答えと、さらに自分からも何かと話しかけている。柔らかに「次に待っている客がいる」という意味合いの言葉でうまく対応できないのか?
きっと男は、他に人がいないから話しかけても良いと勘違いしていたに違いない。
 お客に対する親切な受け答えを実践しているつもりなのだろうが、待ってるこちらはイライラ。だって開演20分前でトイレにも行っておかなきゃあとか、飲み物も買いたいし・・とか考えて・・・
 普通お客が前に一人しかいなければ、すぐ順番が来ると思う他に窓口があれば、いいのだが、そこしかないのだから気が気ではない。
 やっと前の男が立ち去って「お待ちどうさまでした。」と彼女が言ったので「はい、待ちました。」とはっきり言った。
そして2000円を出して「最強の二人夫婦50で2枚。」と言い、免許証をさっと出して座席表も出されたので、すぐに「Jの5,6」と即座に指差した。そしてチケットをさっと受け取るとパッと離れた。そのあとお客が何組か待っていたので、自分の行動はたぶん無駄にはならなかったと思う。
 それにしても、一人を大事にするのは結構だが、空気を読むのは大事だろう。ぎりぎり入る人もいるはずだ。精一杯対応してほしいね。それでも間に合わないのは仕方ないと思うが今回は腹が立った。大体受付に一人しかいないとは何事か。いくら昼間の少ない時間とはいえ、低コスト化するにもほどがある。だめなら自動で買える機械4~5台設置してくれ。

 でも、今日のことは半接客商売の自分にも大いに勉強になった。
 常に多方面に気を配らないと不愉快にさせる人を増やしてしまうということなのだな。

寒くなって、思うあれこれ

2012-11-07 | がん治療に関わる日常生活
今日は暖かく、体調も良かった。
昨日は雨で寒かったので、切ったほうの右胸が傷んだ。いわゆる「古傷が傷む」ということかな?でも、わけのわからない痛みではないので、軽くなでると痛くなくなるのは嬉しい。
 おかげで昨日のプールは人も少なく、アクアビクスは9人。インストラクターさんも「今日はなしか!」と結構焦ってたらしい。これからは、夏よりもプールに来る人は少なくなるだろう。(そのほうが、ジャグジーなどでゆっくりできていいのだけどね。)
 今日は、やけに暑いと感じて「これは、ホットフラッシュが来たか?と思ったけれど、世の中が本当に暑かっただけらしい。でも、冬に半袖を着た経験のある時分の事だから油断はできない。(これは本当の更年期障害のため)
 今は、おせちの予約をどこにしようかと迷っている最中。以前は手作りもしていたけれど、面倒くさくなって・・・というよりあまりおいしくないので、もっぱら買う派になった。
 でもどこで購入するかは大問題、。すごくおいしくは望まない(お金もさんなに出せないし)が、最後まで食べられるものを選びたい。5つくらいのお店から案内をもらってテーブルに広げているが…決まらない。これという確信があれば、すぐにでも注文するのだけれど、どうしよう。

 最近アヒルのCMで「がんになってもなんで働くのか?」「自分がちゃんとここにいますということを示すため」というバージョンが放映されている。まさしく自分にもあてはまる。大して戦力にもなっていないけど、働いているときは、自分も一因になれているという自負があるけれど、何もしていないと・・・取り残された気分を感じる。
 今のほうが、ストレスもなく精神的にも楽だが、それだけでは満足していない自分がいる。あと5か月、頭を錆びさせないようにしてウォーミングアップをしておこう。
 それで、安かった小ぶりのイカを買ってきて大根と一緒に煮たら、いけるんだなあ・・・アア小さな幸せ。(でも、目が…大きい)

 
 

こんばんは、父さん  観劇

2012-11-04 | 観劇記録
 今劇を見に行くことは減ったが、確実に見に行く舞台がある。井上ひさし作品と蜷川幸雄演出の舞台。そして永井愛作品である。
 今回も永井愛さんの最新作。題名「こんばんは、父さん」
 この顔ぶれが豪華である。佐々木蔵之介さん、溝端淳平さん、それになんと平幹二朗さん。この3人でチケット代5500円とはお得なんてもんじゃない。・・・・それに二兎社に登録しているので最前列がもらえた。こんな幸せがあろうか・・・
 ストーリーは、家族を捨てて出て行った父さんと再会する息子。その父さんから借金を取り合ってようとする若い闇金の社員。この3人がかつて家族が住んでいた工場跡で繰り広げる会話が中心である。
 永井さんはその時々の社会現象を取り入れるのだが、今回は町工場。梅ちゃん先生でも出ていたが、いま中小の工場を再生するというテーマが盛んらしい。最後は、しみじみとみんな幸せになれそうな終わり方だった。

 今回の収穫は平さんのジーパン姿が見られたことと、溝端君が意外に舞台を上手にこなしていたこと。蔵之介さんは相変わらず芸達者。
 三軒茶屋での楽しいひと時だった。


「山中伸弥先生に人生とiPS細胞について聞いてみた」

2012-11-02 | 本の感想


 もっと笑顔の写真などがあるはずなのに、歯を食いしばったような顔を表紙に使っていた。
でも、この写真が山中先生の人柄を表していると編集者も考えたに違いない。

 帯には「中学生から読める」と書いてあるけれども、中身のかなりの部分は研究の話で、難しい細胞の名前なども出てきてきちんと理解はできなかった。3つに分割して、前半と後半の人生を語る部分だけは理解できた気がする。真中は???だった。

 この本で語られている自分なりに読み取った山中先生の魅力

1、家族との仲
 奥さんと一緒の映像はテレビでも流れていたが、お父さんとの関係も興味深かった。
 お父さんが自分のような町工場ではなく「医者になれ」と言って、山中先生もそれに従う。この本の最後に「僕の父は、息子が臨床医になったことをとても喜んで死んでいきました。」とある。
 現代は「親が子供の将来に口出ししすぎはよくない」などと言われるが、「親が子供の幸せを願い、子供もその思いを受け止める」という構図がいまでは懐かしい。

2、挫折をばねに変える良い意味での柔軟性を持っている。
 医学部にはいいた後も理学部に行った友達を羨んだり、大学卒業後の就職先に手当たり次第手紙を書いて(30~40通)やっと雇ってもらうなど、挫折感を味わったことは多いみたいだ。でも、先生は自分の進む道をいったんは迷っても、自分の選んだ道で頑張る、とにかく全力をかけるという志で突き進んでいることだ。
 好きな言葉は「人間万事塞翁が馬」。何かにぶつかっても、それを良いほうに考えて進んでいくという気持ちが潔い。

 気持ちが弱くてすぐへこんで立ち直れない若者が多すぎる現在、泥まみれになっても頑張るというこそ姿勢が共感を呼んでいると考えた。
 山中先生の生き方は古き良き日本人の姿がオーバーラップするのである。