一日一幸

2011年6月乳がんステーⅣ判明。現在ホルモン療法とゾメタ投入中。2014年2月小脳の手術をしました。

お嬢さん、見えちゃってますよ

2013-07-30 | 日記
 まあ、この手のことはご本人にはすご~く恥ずかしいことであって・・・
できれば、教えてあげたかったけれど、なにせ大通りで車に乗っていると、路肩駐車もできず・・・
心の中で「教えてあげられず、ごめんね」と謝るだけしかできなかった。
きっと、前後の車の運転手はみんなそう思っていたに違いない。
 何があったのか。
時は夕方、出張を終え家に急ぐハンドルの左前方に1人の女子高生。部活動の帰りだろうか。
今時の服装で、もちろんミニスカート。そのスカートがまくれていたのだ。
肩にかけていたスポーツバッグによって見事に・・・
パンティがお尻に食い込んでいるのまで見えてしまった。
本人はきっと気づかなかったに違いない。

願わくば、歩いているあの人がそっと教えてあげているといいなあ。
でも男性だったしなあ。

全国の女性たちよ。
大きなバッグを背負う時には、歩き出す前に全身チェックを忘れるでないぞ。

肩こり

2013-07-29 | 乳腺外科以外の通院事情
 仕事に復帰してから、どうも肩こりがひどくて・・・・
ついに首の両脇までが痛くて、車を運転していてもバックの時などはつらいつらい。
もしかして・・・・なんて病気の悪化を心配をしてしまったくらいだ。
 ここへきて、痛みが少なくなってきたのを考えると、どうやら仕事のせいだったらしい。
 思うに、特に6月に入ってからパソコンとにらめっこ。文書を作るくらいならまだ楽だ。
でもね、お役所宛ての文書をダウンロードして作成し、送らなければいけないためにパソコンとにらめっこした時間は、たぶん10時間は使ったはず。
挙句の果ては、自分の職場では不具合が起こるらしいと判明。
親切な事務員さん他からもらってくれたので、それを使って事なきを得たが、それまでの10時間(3日以上費やしたゼ)、にらめっこと右手でのクリックの繰り返しが、肩から首に負担をかけたのだ。
まったく、PCでの仕事はいいけど、不具合のない完璧なものを提供してくれ!
自分がPCをわからないせいか、と落ち込んだじゃないか。
その大元は・・・・文科省だ・・・・
 まったく、中途半端なものを作って、それで文書を作らせようなんて、これだからお役人は・・・

とグチを言いつつ、肩をマッサージし、バンテリンを塗り、馬油を刷り込み、湿布を貼って「痛みよ消えろ」と念じている毎日である。

 8月1日のドックで、肩こりの件を聞いてみようかな?



思いがけず復帰していた知り合い

2013-07-20 | がん治療に関わる日常生活
 今、各種大会真っ盛り。自分も、名ばかりの顧問として参加した。ただ座っているだけ。
 会場に行ったら、思いがけない人に出会った。
 昨年乳がんだと聞いて、今年病院の待合で会った元同僚。
旦那さんと来ていたから、きっと今後の治療方針などを聞きに行っていたのだと思う。
てっきり、休職して抗がん剤などの治療をしているのかと思っていた。
 今日あった彼女は、見たところ元気そうだった。というか、こうしているということは、もう復帰したということだ。思わず、髪の毛を見てしまったが、しっかり地毛だった。
ということは、抗がん剤をしていないということだろうか?
それとも髪の毛の抜けない薬か?
なんて、余計な想像をしてしまった。
彼女にしてみたら、まったく余計なお世話だ。
乳がんだって、その治療だっていろいろあるのだし、他人があれこれ妄想するべきことではないだろう。

 でも、本音を言うとちょっとうらやましかった。
少なくても、自分のような長いブランクなしに復帰している。脱毛も経験していない。その状態は・・・ウラヤマシイ、と思ってしまった。決して彼女を自分と同じ程度の病人にしたいわけではない、断じて。
でもうらやましかった。
本当に人生いろいろである。

 そして夕方、携帯に見知らぬ番号の着信履歴。
SMをおくったら、また電話がかかってきた。退職した同僚だった。
結構親しくしていたという自負があるので、「久しぶり」という感覚で話していた。
また会って話したいね~なんて上機嫌で話していたら
「ところで、明日の選挙はもう決めてる?」と切り出してきた。
・・・
やっぱり
某政党への投票依頼。
久しぶり、の電話には相変わらずガッカリさせられることが多い。
「考えておくわ。」と返事するのも毎度同じ。

でも、個人的には嫌いでないので、8月にランチでもしようか?ということにはなった。
まったく人生いろいろである。


ダレてるなあと思う診察

2013-07-18 | 乳がん治療(骨転移)
 まあ、それはダレちゃうよね。
「どうですか?}
「はい、いつものようです。」
「お仕事忙しいですか?」
「とっても忙しいです。」
ということで、
「ではまた来月。」
といういつもの会話で終わるから。
先生、机にべたっと突っ伏した状態で予定表をプリントアウトしてた。
そういえば、診察室に入った途端
「体重は戻りました?前はすごく痩せていたので・・・」
と指摘された。
ヤバイ!
太ってきたか?気を付けなければ・・・と思いつつ
「年のせいで、たるんできたんですよ。」と返事した。どう見てもたるんできたのは間違いないので。

 いつもと違ったのは、「9月に検査します。」という内容が加わったこと。
術後1年半の検査だ。
何をするのか?
CT? MRI? 骨シンチ?  X線?
仕事と検査と、忙しい秋になるなあ。
そのあとは、ゾメタの点滴。
毛看護師さんとも顔なじみで、今日は針針が入りにくいだの、今は採血をじっくり見ていられるよ~だの、二人とも言いたい放題だ。
それにしても、待合室で待っているときも、点滴しているときも居眠りしてた。
よっぽど疲れている~と実感。

帰りに病院の外側を激写。




またドラマ「ドクターズ」が始まって嬉しい。話も面白いし、高島さん目当てで今晩も見てしまうのだ。
でも、うちの病院はいつも外側だけの撮影。中は、東京で撮影しているみたいだ。
どちらにしても、見慣れたところがテレビ画面に出てくるのは嬉しい。

あれ、完全に話題が違うような気がするが・・・ま、いいか

自分の体をネタにする

2013-07-15 | がん治療に関わる日常生活
 もう少しでひと山越える。
まったく忙しかった日々。
病みあがりなんて関係ない生活。この仕事に復帰するということはそういうことだ。

最近また中学生が自殺した。
担任の言葉の中で「死ね」「ウザイ」は当たり前に使われている、ということにテレビは言い訳だ、という言い方をしていたが、
中学生にとっては「死ね」「ウザイ」「キモイ」はもう日常会話になっているのが現実。
いくら注意しても、もうやめさせられる段階ではないように思う。
むかしでいうと「馬鹿」程度の意味合いでひんぱんに使われている。
まったく、世間は学校をどれほど聖域だと思っているのやら・・・・


 自分は「死ね」と言われたら
「一度死にかけているから、もうしばらくは死なないぞ。」と言い返している。
「1年9か月入院していたし・・・」と言うと、さすがにそれに対しては言い返してこない。

 この前なんか
「・・・ガリガリだし・・・」と言ってきたから
「2年前はデブだったんだ」と返してやった。
「本当に?」だって。

もうすっかり病気をネタにして仕事してるなあ

  この先何年もこうしたお気楽会話をしていたい、というのが本音。
まあ、どうなるかは、わからないけれど・・・・




体に不調の波

2013-07-12 | 乳腺外科以外の通院事情
 ここのところの暑さで頭がクラクラ。
ちょっと頭を振るとピキッときたのは、熱中症になりかけだったか?
とにかく頭が鬼門なので、結構神経質なのだ。
本当は、脳ドックでも受けようと思ったのだが、見送っている。
でも、あまりに気になるようだったら、考えてみよう。
人間ドックの案内も来た。
初めて受ける病院。
さすがにマンモをしても乳がんを発見してもらえなかった病院ではできない。
補助があるので、2万円ちょっとでできるのは助かる。
さすがに、今は軽い気持ちではできない。
内臓のエコーの時に
「転移はありますか?」と真剣に聞いてしまいそうだ。

今のところ自覚症状はないのだが、うかうかできない。

それにしても、暑くて着圧ソックスの跡が痒いので、2日間履かなかったら足がむくむことおびただしい。仕方なくまた履いているけれど、痒いんだ~
蒸れない着圧ソックスはないだろうか・・・

2日前、タコの天ぷらを食べたら、上の歯が欠けた
もう弱っていたみたいで…きょう歯医者へ行った。
神経を抜いて、また被せれば固いものも食べられますよ、と言われてちょっとへこんでいる。
歯がだめになっていくのも悲しい。

さて、明日から3日間はゆっくりしたいものだ。

「学校」のモデルとなった松崎先生(西田敏行さんが演じた先生)

2013-07-06 | 仕事関係
 右肩の下あたりにグリグリしたものが・・・・
たぶん、血の巡りが悪いのだろう。
と思いつつ、マッサージ機に座ってモミモミしつつ、明日の戦略を考えている。

 今、全摘の右とまだ残っている左の高低差が顕著になって、今はやりのピタッとしたシャツはもう着られない。
ワンサイズ大きなものを着てごましている。かといって、パットは面倒くさいし・・
今はこれが一番お悩みかなあ~

 さて、昨日出張先で講演を聞いてきた。講師は映画の「学校」のモデルとなった松崎運之助さん。
 夜間中学校時代のエピソードを2~3お話して、さらにご自身の若いころの暮らしぶりなども語っていた。満州で生まれて、日本に寄港する途中1歳の兄さんが餓死したこと、お父さんが愛人と逃げたのち、お母さんが土木作業で家計を支え、小さな子供3人がおかあさんの帰ってくるのを出迎えて、一斉に今日のことをおしゃべりするのが一番楽しい思い出だったことなどを語られると、泣いてる人も見受けられた。
 夜間中学との出会いも、実習する時に、昼間働いて実家に仕送りをしていたので、夜実習をできるところということで、教えられた場所であったということだった。
 夜間中学校のエピソードも実に聞かせる。金髪ピアスの若者が、70過ぎのおばあちゃんに漢字を教えてくれと言われ、しぶしぶ教えたら、ありがとうと丁寧に頭を下げられ「自分でも役に立つんだ。」と初めてわかった話や、掃除の仕事をしている若者が、校舎に入ろうとして、昼間担当の教師が生徒への罰として掃除を押し付けるのを目撃して大いに憤慨した話など、我々が見聞きすることの少ない話を聞くことができた。話自体が、もうドラマの世界であり、それが嘘ではなく、本当にあったことであるということが説得力を持つ。
 公演を終ってステージから控室に行くときに、客席の1列ずつに頭を下げて行ったことが印象に残った。
 昔のエピソードもそうだし、夜間中学校のエピソードもそうだが、物がなくても、馬鹿にされても自分の信じる道があれば、人は幸せになれる、ということを教えられた気がした。