いせ九条の会

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絵馬に関して/山崎孝

2008-01-06 | ご投稿
新年になると日本人の多くは神社仏閣に参詣し、神や仏に願い事を祈念します。宗教の体系だった教義を信仰していなくても多くの日本人は習慣としてこの行事を継続してきました。

また、日本人は神社仏閣に「絵馬」を奉納する習慣を持っています。その中で一番に多いのは現世利益の「合格祈願」の絵馬です。

日本人は古くから神霊は乗馬姿で人界に降臨するものと信じて、馬を神聖なものと考えました。日蝕の回復儀礼として伊勢大神宮に赤毛の馬を献じる。風雨を鎮めるために馬を献じる、雨乞いのために黒毛の馬を、日乞いに白毛の馬を神に献じたりしてきました。生きた馬を献上する代わりに土馬、木馬など馬の形のものを献上することも生まれました。

平安時代になると神仏習合思想が普及し、観世音菩薩が乗馬姿でこの世に現れたという説が広まります。平安時代末期には著名な寺院も絵馬が広く奉納されるようになり、願い事も風雨を鎮めるために馬を献じるというような公の共通する願いから個人の願い事に変わっていきます。

日本人は猿を庚申の神の使いと信じてきました。猿を豊作の神、福の神として絵馬に描いて庚申堂に奉納しています。その絵の多くは3匹の猿を描いています。人生の禍根は不善を見ず、耳に邪淫を聞かず、口に不浄を唱えないことによって断たれるという仏教の教えに基づいたと言われます。今日巷間に流布している「見ざる、聞かざる、言わざる」という権力者に対する庶民の身の処しかたとは大きく意味が違っています。

民主主義を生かすことは、集団主義に陥らず一人一人が情報を収集しそれに基づいて意見をのべることが大切だと思います。