伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

隠された十字架と亀治郎

2008年03月02日 | 本・書評
京都新聞の読書欄に、
梅原猛の「隠された十字架」の感想が書いてあったので
読んでいたら、最後に著者(?)が歌舞伎俳優と書いてあった。

それでその文章の始めを見たら、
署名が市川亀治郎となっている。

つまり「風林火山」の武田信玄を演じた亀治郎が、
梅原猛の書評?をしているのであった。


「日本人は権威に弱い」という書き出しで、
「隠された十字架」が発表された時、
フィールド違いの哲学者が日本の歴史の謎に踏み込んで、
しかも歴史家にとって驚天動地の異説を唱えたことで、
激しい排斥と黙殺にあったいきさつを説明していた。


非常に淡々とした書きっぷりなので、
まさか歌舞伎俳優の文章だとは思わずに読んでしまった。

私も梅原氏の「隠された十字架」が大好きだが、読んだのはつい何年か前だ。
亀治郎は20年前に読んだと書いていたと思うが、
いったい幾つよ。
それにしても亀治郎氏に文才があるとはびっくりした。


それはともかく、権威というのはお堅くて、
新しいもの、革新的なものを認めたがらない、
排斥しようという傾向が強い、
パイオニアは常にそうしたものと戦って行かなければならない、
というのが文章の趣旨であると解釈した。


亀治郎は、猿之助の歌舞伎が異端的として、
評価されない(かったのか?)ことと被せて述懐しているような気がした。

猿之助は、考えてみると梅原猛のスーパー歌舞伎を演じているのだった。
そう思って読んでみると、
亀治郎氏の文章は冷静ではなく、
かなり被害者意識があるようでもある。

猿之助の歌舞伎、
というより自身の演技に対するそれなのかもしれない、
とも、今書いていて思える。

つまり「風林火山」では、亀治郎は貫禄がないとか、
演技が歌舞伎的すぎてテレビに合ってないとも批判されたからだ。
まあ私もどうなのよと思った口なのだけれど。


ただ、亀治郎氏の書評に沿って言えば、
梅原猛の、マグマが体内に溜まりに溜まって、
その出口を求めて一気に吹き出て来たような、
そんな異様な熱気に満ちた「隠された十字架」のそのパワーが、
どんなに権威に黙殺され無視されても、
一方で何十年も売れ続け、
大衆に浸透して来たその原動力となったのだろう。

亀治郎の芝居も、
何と言われようとそのような多大なパワーでもって、
演じ切ったのだと言いたかったのではないだろうかなどと、考える。

予定調和的にただ面白い、ただ上手な芝居、ただ良く出来た脚本、
というものは、ひょっとしたら案外忘れてしまいやすいのかもしれない。

どこかぎくしゃくして、どこか調和が取れず、どこか神経に障る。
そういうものの方が忘れがたく、いつまでも記憶に残り、
そして語られるのかもしれない。
「風林火山」とはそのような尺に収まらない、
はみ出たパワーを持っていたのかもしれないとも思った。


「隠された十字架」は、結局、その法隆寺怨念説という結論よりも、
梅原猛の、
何としても真実に到達したいという魂の叫びと熱情によって、
美しい書物になった。

読むと、これまで知っていたと思っていた日本史が、
まったく違って見えて来る。
歴史の面白さが見えて来る。
それだけでも値打ちがあると言える。

亀治郎氏もなるべくなら自己弁護にいそしまず、
ひたすら時を待つ、という態度の方が賢明だろう。
気持ちは分かるけど。



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