伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

祇園祭が始まった

2007年07月04日 | 祇園祭
7月に入り、いよいよ祇園祭が始まった。
なんだかんだ言っても7月になると
スケジュール通りに次々に事が進んでゆく。

西陣出身の入江敦彦だったかは祇園祭をほとんどスルーで、
やすらい祭の方が自分にとっての祭、
というようなボケたことを言っているが、
私が思うに、祇園祭のエリアから離れているための単なる嫉妬、
であろう。

遠くで騒いでる、参加出来ない悔しさ。
京都はワンブロック違うだけでもうカヤの外、
という部分があるから(エリアが狭いから)それも仕方がないのだが、
正直にジェラシーだと言ってしまいなさい。
気が楽だから。

いやいや京都の人はこういう超有名な催しは、
有名だからという理由で関心がない場合が多いからな…。


と、限りなくイケズな発言をした所で、去年の祇園祭は大変だった。
歴史に残る大豪雨の中での巡行。
山鉾がずぶ濡れになって大変なことになったという。

問題なのは、
祇園祭が観光客のためのイベントになってしまったから、だろう。
これは大文字の送り火でも同じだ。

もともと京都庶民のための神事だったり仏事だったりしたものが、
客寄せのために大掛かりになり、お金を取るようになり、
どんどん見世物になって行った。
それにつれて、一般庶民には手の届かない、
或いは本質を忘れた観光事業に成り下がってしまった。

けれどもどれだけ本質が変わろうと、
それに携わる方々の努力と情熱だけは変わらないと思う。
それだけは、肝に銘じておかなければならないのではなかろうか。

鉾町の人々のお祭りに対する熱意や熱気や期待や、
そういったものに触れると、
観光事業に成り下がったと言って批判するのは
あまりにも酷なような気がするのだけれども。

特に祇園祭はものすごくお金がかかり、維持費が半端でないらしい。
鉾の四方を飾る懸装品は織物一枚だけで数千万円するという。

だから、近頃下火になっている室町の鉾町だけでは祭を維持出来なくて、
企業などの協賛も必要だし観光客からのお金も必要になる。

そのために、神事という形がどんどん変えられて行った。

祇園祭は、昔は先と後と巡行が二度あって、それが統合された。
それも観光客のためだった。
御池通に有料席を設けるために、御池を通ることにした。
見世物、と言われても仕方がないだろう。

けれども、誰が、何のためにこうして祇園祭を続けるのだろう。

鉾町の人は、
これまで(千年以上、室町時代に今の形になってからでも五百年以上)
これだけ続いて来たのだから、
次代に継承してゆくのが自分たちの役目、と言っている。

祇園祭は現在の我々のためだけのものではない。
現在の我々はこれを未来へ継承してゆく義務があると言う。
我々はその未来へ橋渡しをする役なのだ云々。
京都人らしく、目が時間軸を向いている。
歴史の中の自分、という視点である。

こういう意見を聞くと、軽く、
あれは観光客目当てだから、
と言ってのける人は鬼じゃないかと思うのだ。

どんな形になったとしても、
次に伝えてゆきたいという人たちの思いをないがしろにしたくないものだ。




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