終わった…、何もかも。
約3週間にわたった「若冲展」が終わった。
私は最初の週に行ったので、さほどの混雑を体感したわけではなかったけれど、
時間が経つにつれて混み具合が加速してゆき、
最終週は平日でも2時間くらい待ちが普通らしかった。
もう一度見に行こうかと思っていたが、体調のこともありとうとう見なかった。
私が見に行った時は、チケットを買うのも待たず、
建物へ入るまで張り巡らされたテントを歩くのも滞っていなかった。
ずいぶん大げさに準備しているなあ、これでペイするのかしら、
なんて思っていたくらいだ。
後半に見に行った人はそれどころではなかったらしい。
やはり若冲は人気がある、ということを証明した形なのだろうか。
でも、客は中年が多くて、しかもおばさんが多かった。
おばさんは、京都のおばさんだから結構詳しくて、
着物を着ている人も多かった。
若冲の絵を着物の柄に見立てて論じているおばさんなどがいた。
相対的に、バラまき券で入った人はあまりいなくて、
純粋に絵に詳しい人が見に来ている感じがあったが、
後半はどうだったのだろうか。
今回の展示に、関東・東京から見に来た人も沢山いたようだ。
動植綵絵と釈迦三尊の33幅同時公開は120年ぶり。
そして、次回はいつになるか分からない。
もしかしてまた120年後、とも噂されている。
けどやっぱり若冲がこの絵を奉納したそのお寺で公開される、
ことに意義があったと思う。
ずらりと並んだそのさまは壮観で、その真ん中に立つと、
悪魔くんが魔方陣を書いて悪魔を呼び出したように、
何か魔物がわいて出て来るのではないか、
とさえ思えるような魔空間が出現していた。
大変なエネルギーがそこに充満するような。
こういう絵を描いて、それが残されている画家は幸福である。
とつくづく思った。
京都新聞に時評が出ていて、山下裕二の書いたものだった。
私は彼を、
赤瀬川原平とコラボレートした本を読んだ時には素晴らしいと思ったが、
例の「鳥獣花木図」を評価してプライスの御用評論家みたいになってからは幻滅した。
京都新聞の山下の文章は、内覧会にプライス氏が来ていて、
彼は食事もそこそこに人とも喋らず、
ずっと真ん中で絵を眺め続けていたと書いていた。
どうして若冲を語るのにわざわざプライス氏がどうしたこうしたと書くのか。
プライスは若冲の身内か?若冲の親戚か?遺産相続人か?若冲の子供か?
どうして若冲のことを書くのにいちいちプライスの動向を書くのか、
腹が立って仕方がない。
そして何でこいつがプライスにこうまでヘコヘコしているのか、
訳が分からない。
お前はプライスの子分か。プライスに飼われているのか。
と、若冲展示中、これだけが腹の立つ出来事であったことよ。
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