嬉しくも「レディホーク」についての書き込みがあったので、
それについて語りたくなってしまった。
(ちょっと手直しした…思い入れがありすぎるのも困りもの)
まず恥ずかしながら、私はこの映画のヒロインの名前を拝借して、
ハンドルネームとした。
似ても似付かぬ美しいミシェル・ファイファーのお姫様のイメージを
激しく損なう愚行であるので、ここで謝っておくが、
天にも許されぬ行為であると思う。
私は一生その罪を背負って生きてゆく(ほんとか)。
そして、印象的なセリフとしてもうひとつ、
マシュー・ブロデリックが姫に聞く、あなたは人間ですか、それとも妖精ですか?
姫は答える、"I'm sorrow"
直訳すれば、「私は悲しみです」。
字幕では「悲しみの精よ」となっていたが、
姫の絶望と諦めの交じった、sorrowという言葉が胸に響いた。
"Always together, eternally apart"
(いつも一緒なのに永遠に離ればなれ)というセリフはマシューのもの。
この映画をひとことで象徴するような重要なセリフ。
こうしてみると、「レディホーク」はハリウッド製のアクション映画なのに、
セリフになかなか味があった。
「鷹と狼が番いだなどという話を信じるか?…僧正はそれさえも許さぬのだ」
ここで涙をドバーと流したもんだ。
でもこれはお涙頂戴の話ではない。
ファンタジー・アクションである。
1985年の映画で、実は映画館で見たことはない。
ロードショーの時はまったく興味がなかった。
ルトガー・ハウアーのファンになってから初めてビデオで見て、
いっきに嵌ったのだ。
続けて5回くらい見た。何度見ても飽きなかった。
リチャード・ドナーのぼんくら演出にも関わらず、
それだけ嵌ったのだから大したものである。
やはりストラーロのビジュアルが物を言ったか。
カメラがヴィットリオ・ストラーロ、
音楽がアラン・パーソンズ・プロジェクト、
衣装は忘れたがイタリア人のデザイナーで、とにかく画面が美しい。
タイトルが凝っていて、それも嬉しかった。
アラン・パーソンズの音楽は賛否両論あったが、私は好きだった。
イタリアでロケをしていて、
出て来る城はルキノ・ヴィスコンティの所有だったとか。
まあそのせいでイタリアのスタッフが加わっていて、
それがプロダクション・デザインやカメラに厚みをもたらしていたのだろう。
へっぽこなのはリチャード・ドナーの凡庸な演出。
どうしてハリウッドのアクション映画はこうもださいんだろうか。
どうしてカメラがここから写すかなあとか、
どうしてここでカットを割らないかなあとか、
もうワンカット欲しいのにとか、見ていてつい文句を言いたくなる。
ミシェル・ファイファーをもう少し丁寧に撮れ、とも。
「レディホーク」はファンタジーの部類に入れられるが、
CGとか特撮はあまり使っていない。
鷹が人間に変わる場面や、
狼が人間に変わる場面はSFX(当時はこういう言い方をした)を使っていない。
85年で既にそこそこのSFXが使えたはずだが、
雰囲気を壊すと判断したのだろうか。
その点はリチャード・ドナーに感謝したい。
本来ならSFXを使っての変身場面をウリに出来たのに、
そうはせず、あくまでラブファンタジーをメインにして、
変身場面では、引き裂かれた恋人たちの悲しみを表現していた。
キャストについて少し文句がある。
マシュー・ブロデリックは初め、
渋い画調の中で妙に軽くて浮いている感があったが、
コメディ・リリーフとしてはあれで良かったかもしれない。
僧正役の人が、あまりにも僧正が似合いすぎていて、
人の恋人に横恋慕するスケベエロオヤジにはあまり見えないのが難点。
まるでシェイクスピア俳優のようで、
もうちょっと脂ぎった役者の方が良かったかも。
僧正の部下の騎士団の団長(ナバールの後釜)は、
あまり強く見えないのが難点。
クライマックスでハウアーと剣の戦いをするが、
ルトガー・ハウアーならこんなやつは一撃で倒せそうで、
てこずるのが嘘臭く見えてしまうのだ。
とは言ってもこんな文句も好きだからこそ。
もうひとつ。
戦いにのぞむ前に、騎士ハウアーは自分の二の腕に紫の布を巻きつける。
それは、愛する姫のドレスの一部なのだが、
この場面、映画ではカットされたのか、
説明されていないのが少し悔しい。
でも戦いの時、確かに腕には布を巻いているのだ。
最後にこの映画を見ると私はベルギーの画家、クノッフの絵を思い出す。
世紀末に華開いたデカダンスの香り、ロマンチック・アゴニー。
というわけでこれは私のナンバー・ツーの映画。
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それについて語りたくなってしまった。
(ちょっと手直しした…思い入れがありすぎるのも困りもの)
まず恥ずかしながら、私はこの映画のヒロインの名前を拝借して、
ハンドルネームとした。
似ても似付かぬ美しいミシェル・ファイファーのお姫様のイメージを
激しく損なう愚行であるので、ここで謝っておくが、
天にも許されぬ行為であると思う。
私は一生その罪を背負って生きてゆく(ほんとか)。
そして、印象的なセリフとしてもうひとつ、
マシュー・ブロデリックが姫に聞く、あなたは人間ですか、それとも妖精ですか?
姫は答える、"I'm sorrow"
直訳すれば、「私は悲しみです」。
字幕では「悲しみの精よ」となっていたが、
姫の絶望と諦めの交じった、sorrowという言葉が胸に響いた。
"Always together, eternally apart"
(いつも一緒なのに永遠に離ればなれ)というセリフはマシューのもの。
この映画をひとことで象徴するような重要なセリフ。
こうしてみると、「レディホーク」はハリウッド製のアクション映画なのに、
セリフになかなか味があった。
「鷹と狼が番いだなどという話を信じるか?…僧正はそれさえも許さぬのだ」
ここで涙をドバーと流したもんだ。
でもこれはお涙頂戴の話ではない。
ファンタジー・アクションである。
1985年の映画で、実は映画館で見たことはない。
ロードショーの時はまったく興味がなかった。
ルトガー・ハウアーのファンになってから初めてビデオで見て、
いっきに嵌ったのだ。
続けて5回くらい見た。何度見ても飽きなかった。
リチャード・ドナーのぼんくら演出にも関わらず、
それだけ嵌ったのだから大したものである。
やはりストラーロのビジュアルが物を言ったか。
カメラがヴィットリオ・ストラーロ、
音楽がアラン・パーソンズ・プロジェクト、
衣装は忘れたがイタリア人のデザイナーで、とにかく画面が美しい。
タイトルが凝っていて、それも嬉しかった。
アラン・パーソンズの音楽は賛否両論あったが、私は好きだった。
イタリアでロケをしていて、
出て来る城はルキノ・ヴィスコンティの所有だったとか。
まあそのせいでイタリアのスタッフが加わっていて、
それがプロダクション・デザインやカメラに厚みをもたらしていたのだろう。
へっぽこなのはリチャード・ドナーの凡庸な演出。
どうしてハリウッドのアクション映画はこうもださいんだろうか。
どうしてカメラがここから写すかなあとか、
どうしてここでカットを割らないかなあとか、
もうワンカット欲しいのにとか、見ていてつい文句を言いたくなる。
ミシェル・ファイファーをもう少し丁寧に撮れ、とも。
「レディホーク」はファンタジーの部類に入れられるが、
CGとか特撮はあまり使っていない。
鷹が人間に変わる場面や、
狼が人間に変わる場面はSFX(当時はこういう言い方をした)を使っていない。
85年で既にそこそこのSFXが使えたはずだが、
雰囲気を壊すと判断したのだろうか。
その点はリチャード・ドナーに感謝したい。
本来ならSFXを使っての変身場面をウリに出来たのに、
そうはせず、あくまでラブファンタジーをメインにして、
変身場面では、引き裂かれた恋人たちの悲しみを表現していた。
キャストについて少し文句がある。
マシュー・ブロデリックは初め、
渋い画調の中で妙に軽くて浮いている感があったが、
コメディ・リリーフとしてはあれで良かったかもしれない。
僧正役の人が、あまりにも僧正が似合いすぎていて、
人の恋人に横恋慕するスケベエロオヤジにはあまり見えないのが難点。
まるでシェイクスピア俳優のようで、
もうちょっと脂ぎった役者の方が良かったかも。
僧正の部下の騎士団の団長(ナバールの後釜)は、
あまり強く見えないのが難点。
クライマックスでハウアーと剣の戦いをするが、
ルトガー・ハウアーならこんなやつは一撃で倒せそうで、
てこずるのが嘘臭く見えてしまうのだ。
とは言ってもこんな文句も好きだからこそ。
もうひとつ。
戦いにのぞむ前に、騎士ハウアーは自分の二の腕に紫の布を巻きつける。
それは、愛する姫のドレスの一部なのだが、
この場面、映画ではカットされたのか、
説明されていないのが少し悔しい。
でも戦いの時、確かに腕には布を巻いているのだ。
最後にこの映画を見ると私はベルギーの画家、クノッフの絵を思い出す。
世紀末に華開いたデカダンスの香り、ロマンチック・アゴニー。
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