今日はとても寒く、雪が降り、雪が積もった。
今日という字がはじめ京と変換したが、
それでもよい。
北陸や名古屋では雪が積もったどころではなく、
大変だったようで停電なども相次いだようだ。
こういう時は、大人しく我慢するしかないのだ。
電気がついているのが当然という、
傲慢な態度はこの際止して、
何もかもすることを止め原始生活に戻らなくてはならない。
これから異常気象でたびたびこういうこともあるだろうから、
人間は原始に戻っても平気でいられる訓練をしておかなくてはならない。
それにしても、
野宿するしかないと言っていた若者がいたけれど(ニュースで)
それはいくら何でもちょっと可哀相だと思った。
京都新聞の毎週木曜日に
「KOTOKOTO」というもくよう版がついて来る。
コトコトというのは、「古都湖都」
つまり京都と滋賀という意味でどうもなんとも…すみません。
で、このコトコトに最近毎週、「坊ちゃん」が連載されていた。
あの夏目漱石の「坊ちゃん」である。
今日が52回目の最終回だった。
1年間連載されていたんだなあ。
その前は確か、「高瀬舟」とか「鼻」(芥川の)などだった。
この「坊ちゃん」を母が毎週楽しみにしていた。
それはそれは楽しみにしていた。
まるで落語みたいで面白いから、というのだ。
さすがわが母、鋭い観察眼。
漱石の初期のこの「坊ちゃん」も「猫」ももとネタが落語、
というのは多い。
漱石自身が落語が好きで、友人とよく寄席に行っていた、
というから、影響を受けているのは間違いない。
「天樟院様のお嫁に行った先の…」
「あらあなたも分からない人ね」(漢字いい加減)というやつが代表的だ。
私も「坊ちゃん」の連載を、出来るだけ読んでいた。
子供の頃読んだばかりだと思うから、大部分忘れている。
久しぶりに読んだ。
大人になると、こういう作品は子供の時に読むものだから、
とあらためて読まなくなるのだ。
それであらためて読んでみると、ものすごい差別の嵐。
いいのか漱石、と心配するくらいの田舎への差別。
最終回にも「…この不浄な地を離れた」と、
四国・松山を「不浄の地」扱いだ。
これを読んだら確かに田舎者は
むっとして漱石を嫌いになるかもしれない。
いっそ、清々しいくらいの馬鹿にしっぷりに
私などはかえってすっとするのだが。
ただ、思うのは、
これはたまたま都会→田舎の図式になっているが、
私は反対の図式でもやはり漱石は同じように書いただろうと思うのだ。
つまり、
田舎から都会へやって来た若者を主人公にしていたら、
都会をさんざん馬鹿にしたと思う。
それが漱石だと思う。
田舎だから馬鹿にしたのではなく、
自分自身の持っている正義と相容れないから、
それに不満を漏らしたのだ、と。
まあ、「三四郎」で、東京へ来た若者を描いているわけだが。
あんまり昔に読んだので、
これも書いてあることをすっぱり忘れた。
とにかく、母は最終回にひどくがっかりしていた。
なんやー…、もう終り…と、とても名残惜しそうだ。
「坊ちゃん」のラスト、唐突という感じで、すとんと終る。
あの終わり方はすごい。
最後の1行が鮮明に残る、
というのはやはり漱石が大変な文章家であった証拠だ。
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それでもよい。
北陸や名古屋では雪が積もったどころではなく、
大変だったようで停電なども相次いだようだ。
こういう時は、大人しく我慢するしかないのだ。
電気がついているのが当然という、
傲慢な態度はこの際止して、
何もかもすることを止め原始生活に戻らなくてはならない。
これから異常気象でたびたびこういうこともあるだろうから、
人間は原始に戻っても平気でいられる訓練をしておかなくてはならない。
それにしても、
野宿するしかないと言っていた若者がいたけれど(ニュースで)
それはいくら何でもちょっと可哀相だと思った。
京都新聞の毎週木曜日に
「KOTOKOTO」というもくよう版がついて来る。
コトコトというのは、「古都湖都」
つまり京都と滋賀という意味でどうもなんとも…すみません。
で、このコトコトに最近毎週、「坊ちゃん」が連載されていた。
あの夏目漱石の「坊ちゃん」である。
今日が52回目の最終回だった。
1年間連載されていたんだなあ。
その前は確か、「高瀬舟」とか「鼻」(芥川の)などだった。
この「坊ちゃん」を母が毎週楽しみにしていた。
それはそれは楽しみにしていた。
まるで落語みたいで面白いから、というのだ。
さすがわが母、鋭い観察眼。
漱石の初期のこの「坊ちゃん」も「猫」ももとネタが落語、
というのは多い。
漱石自身が落語が好きで、友人とよく寄席に行っていた、
というから、影響を受けているのは間違いない。
「天樟院様のお嫁に行った先の…」
「あらあなたも分からない人ね」(漢字いい加減)というやつが代表的だ。
私も「坊ちゃん」の連載を、出来るだけ読んでいた。
子供の頃読んだばかりだと思うから、大部分忘れている。
久しぶりに読んだ。
大人になると、こういう作品は子供の時に読むものだから、
とあらためて読まなくなるのだ。
それであらためて読んでみると、ものすごい差別の嵐。
いいのか漱石、と心配するくらいの田舎への差別。
最終回にも「…この不浄な地を離れた」と、
四国・松山を「不浄の地」扱いだ。
これを読んだら確かに田舎者は
むっとして漱石を嫌いになるかもしれない。
いっそ、清々しいくらいの馬鹿にしっぷりに
私などはかえってすっとするのだが。
ただ、思うのは、
これはたまたま都会→田舎の図式になっているが、
私は反対の図式でもやはり漱石は同じように書いただろうと思うのだ。
つまり、
田舎から都会へやって来た若者を主人公にしていたら、
都会をさんざん馬鹿にしたと思う。
それが漱石だと思う。
田舎だから馬鹿にしたのではなく、
自分自身の持っている正義と相容れないから、
それに不満を漏らしたのだ、と。
まあ、「三四郎」で、東京へ来た若者を描いているわけだが。
あんまり昔に読んだので、
これも書いてあることをすっぱり忘れた。
とにかく、母は最終回にひどくがっかりしていた。
なんやー…、もう終り…と、とても名残惜しそうだ。
「坊ちゃん」のラスト、唐突という感じで、すとんと終る。
あの終わり方はすごい。
最後の1行が鮮明に残る、
というのはやはり漱石が大変な文章家であった証拠だ。
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