東本願寺の中央の門は御影堂門(ごえいどうもん)と呼ぶが、
その北側にある門は菊の御門と呼ばれている。
親から聞いた話によると、
いつの頃か天皇が来る時だけ、この門から入るため、
皇室の菊の家紋を扉につけたのだという。
両親の話だから正確ではないかもしれないが。
この菊の御門はまったく開かれることがなく、
いつも閉じられたままだから、信憑性はありそうだ。
今のところ、
皇室や天皇が東本願寺を訪ねたという話は聞かないので、
だから門が閉じられたままという見方も出来る。
東本願寺と皇室に関係があるのかどうなのかは分からないが。。
ただ東本願寺の飛び地境内地である庭園・渉成園には、
明治天皇行幸の地という石碑が建てられているので、
あながち無関係ではないかもしれない。
この菊の御門は長い間、高い木製の塀が門の前に設置されていて、
それが邪魔をして菊の紋章が良く見えない状態だった。
が最近、菊の御門の修復が始まったらしく、
門の全貌が見渡せるようになった。
この機会にと写真に撮ることにした。
御門がいつ頃建てられたのかは知らないが、
本堂が再建された明治時代よりは下るのかもしれない。
(推測です)
菊の御門は閉じられているので、中央の御影堂門から、
本山の中へ入ることにする。
ついでに本山を見学。
御影堂門はものすごく巨大なので近くからだと全体を写せない。
最近は外国人観光客がとても多いので、
このお東にも沢山の外国人が。。
東本願寺では能登半島地震への義援金も募っている。
能登は豪雨被害でまたも地域によって停電や断水が起きている。
まだまだ寄付は必要だ。
巨大な御影堂門の下を通ると目の前に
これも巨大な御影堂(ごえいどう)がある。
巨大すぎて全体を写せない。
明治時代の再建だが、近年、重要文化財に指定された。
(御影堂門も)
これほど巨大な木造建築もあまりないのでは。
近年、修復が終わり、新しい姿に蘇った。
御影堂の南側に阿弥陀堂がある。
西本願寺とは、位置が逆である。
(お西は阿弥陀堂が北にあり、御影堂は南側にある)
阿弥陀堂は御影堂より少し小さめで同じく重要文化財だ。
こちらも近年修復された。
御影堂と阿弥陀堂は廊下で繋がっており、
靴を脱いだまま歩いて阿弥陀堂へ行ける。
そして、渡り廊下の一角に毛綱(けづな)がガラスケースに納められ、
公開されている。
ガラスが邪魔して良く見えないが、
髪の毛を編んで作った綱である。
毛綱とは何か。
幕末の禁門の変により、
京都の町はどんど焼けで多くが火災の被害を受けた。
東本願寺にも延焼し、本堂を始め阿弥陀堂など多くが焼失した。
明治に入り、お東再建の動きがあり、全国の門徒が協力した。
木材を運ぶために船で川下りをし、橇(そり)を運搬に用いた。
その際、綱を用いたが、より強度のある綱が必要だった。
そこで、全国の門徒の女性の髪の毛と麻とをより合わせて、
編まれた綱が毛綱であった。
門徒の女性たちが自身の髪を切って提供したのである。
少しでも本山の力になりたいという思いからであろう。
全国各地から53本もの毛綱が寄進されたという。
最も大きいものは長さ110㎝、太さ40㎝、重さは何と約1tにも及ぶという。
(本山の説明文より)
それの本物が御影堂と阿弥陀堂の渡り廊下に展示されているのである。
明治の再建の苦労をしのぶためである。
東本願寺にも様々な歴史があることを考えさせる展示だった。
阿弥陀堂の前から修復中の鐘楼が見える。
これも重要文化財で、この前まで膜で覆われていたが、
屋根の葺き替えが終わったようで真新しい屋根が見えた。
東本願寺の境内は広いので、本堂や阿弥陀堂の修復が終わっても
どこかしらで修復作業が行われている。
現在は手水屋形という建造物がテントに覆われていて修復中。
これも重要文化財だとは知らなかった。
龍の口から水が出ていて手を洗い清める所である。
阿弥陀堂の南には京都タワー(ニデック京都タワー)が良く見えた。
そういうわけで、
菊の御門を見に行ったついでに本山内部も見学した。
浄土真宗は拝観料を取らないので無料で入れる。
西本願寺は国宝だが、そこも無料で入れる。
真宗はお参りする場所であるから無料なのだ。
双方とも本堂はがらんとしていて、見どころはないのだが、
建物自体が国宝だったり重要文化財だったりする。
東本願寺の御影堂は世界でも類を見ないような巨大木造建築だ。
建築を見るだけでも建築オタなら見応えがある。
お東の東側周りに巡らされているお堀の北側には、
多分鷺だと思う鳥が常にいる。
2匹いて、時おり鳴き声も聞こえる。
お堀に常駐しているようだ。
お堀端にはありがたいお言葉を書いた看板も等間隔に設置してある。
「人は出会いによって育てられ
人生は別れによって深められる」
しかし、割とネガティブな言葉も多く、
「人間の欲望は
品切れすることはありません」とか、
「物事をありのままに
引き受けられない私」だの、
「自分の思いを叶えるために
神も仏も利用する私」だとか。
これは教訓にせよという意味なのだろうか。
我が身を振り返れということなのだろうか。
ネガティブというよりまるで脅し(◎_◎;)
もう少し明るくて希望の持てる言葉を選べなかったのだろうか、
と、お堀端を歩きながら考えたのであった。
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