伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

キース・エマーソンのこと

2016年03月23日 | 音楽
キース・エマーソンが亡くなったことが、
これほど私にとってショックだったことにびっくりしている。

何かついこの前、でも去年だったと思うが、
BSの民放番組に出演していたのを見た記憶があるのだ。
ちょっと見ただけだったが、
日本人の人たちと何か話していて、
わあ、キースだ、元気なんだあ…
と嬉しかったことを覚えているのだ。
あれは確かにキース・エマーソンだったと思うんだが。
だからよけい信じられない思いがある。

そして、キースと言えば、ただひたすら元気でパワフルで、
豪快な人というイメージがあったから、
鬱を発症していて自殺、
という事実をなかなか受け入れられないでいたのだ。


私が最初にエマーソン・レイク・アンド・パーマーのアルバムを買ったのは
「トリロジー」で、「展覧会の絵」でELPが一気にブレイクした直後だった。
「イブの息子たち」より前だったと思う。

当時プログレが流行っていて、
私は「原子心母」もクリムゾンの「宮殿」も持っていた。
プログレが性に合っていたんだと思う。

エマーソンの速弾きは心底かっこいいと思ったし
「ホウダウン」なんか、どうやったらこんなに早く弾けるんだろう、
と運指を真似したもんだ(ピアノ全然弾けないのに)。
ライブには一度も行ったことがなかったんだけれど。


アルバム今も持ってるはずだよな、
と先日物置の埃だらけのレコードキャビネットに行って見てみたら、
ELPのファーストからワークス、ワークス2、
レディース・アンド・ジェントルメンまで揃っていたよ。
タルカスは輸入盤だったから、
当時内ジャケットのタルカスのイラストストーリーを見ても全然訳が分からなくてね。
好きだったんだよなあ。聞きまくった。
で「ラブビーチ」で見放した(笑)。


物置にはほかにもブルー・オイスター・カルトなんかがあって、
好きだったなあ。
当時は本当にすごい人たちがすごい音楽をやっていて、
そんな奴らがぞろぞろいてね。
すごい時代だったなあ、今思うと。


あれから夢のように時間がたち、長い月日が流れていった。

ある時、テレビの大河ドラマを見ていたら
聞き覚えのあるフレーズが聞こえて来て、あれっと思った。
あれは確か…。
「平清盛」で、タルカスの音楽が起用されているのを知ったのがその時だ。
なぜ今、タルカスなんだろう。
その時の驚きと、でもすごいうれしさ。
これをキース・エマーソンが知ったらどう思うだろうなあ、
なんて考えていた。


が、実はこれは「平清盛」の音楽を担当した吉松隆という作曲家が、
タルカスをオーケストラに編曲して、
それを「清盛」に使用したのらしい。

吉松氏はタルカスを編曲した時、
そのスコアをキース本人に送り、
キースはそれを絶賛したのだという。

それから吉松氏の還暦祝いのコンサートに
タルカスオーケストラ版が演奏された時には、
キースはわざわざ来日して聞きに来たのだという。

やはり、自分の作品がオーケストラ化されたことがよほど嬉しかったのだろう。
吉松氏はプログレファンで、
キースをコンポーザーとしても高く評価しておられたようだ。
キースは、きっとその時、幸せだったと思う。
自分の40年来の念願が叶って、幸せを感じていたのだと思う。
私としては、
今となってはキースに一時でも幸せな時間を与えてくれた吉松氏に、
感謝するしかない。
どれだけ感謝してもしきれないよ。


ネットを検索して知ったことだが、
キースはある時期、ジストニアという指の病気になり、
指が動かなくなった。

これは指を酷使する人のかかる病気で、
かなりシビアな病気みたいなのだ。
直すには手術をするのだが、
ジストニアになって手術を受けた人のブログも見たが、
この手術もすごくハードなもので、なんか怖かった。

キースも手術をしたが、
それでも右手の指3本しか動かすことが出来ず、
あと2本は言うことをきかなかったみたいだ。
自分の思うように指が動かない。
それはキースのような天才キーボード・プレイヤーには酷な事実だっただろう。

歌手が、声が出なくなるようなものだもの。
つらかっただろう、可哀想に・・・。
だから鬱を発症したのだろうか。
かなり悩んでいたという記事もあった。


でも、それにしては、割と精力的にコンサートも開き、
活動もしていたようだ。
この4月には来日してコンサートを開く予定だった。
一説ではこのコンサートが彼の負担になっていたともいう。
日本のコンサートの後に引退する予定であったとも言われている。

日本コンサートには、
万一のためにサポートのキーボードプレイヤーを用意していたという。

これはキースにとって、
とても屈辱的なことだったのではないだろうか。
思うように指が動かず、
そのためにサポートを…なんて、
矜持として許せなかったのではなかろうか。
でも、来日に寄せて公開していた動画では、
普通にピアノを弾き、元気そうにしていて、
コンサートの構想なんかも語っていて、
とても鬱を患っている人には見えなかった。
きっと発作的な出来事だったのではないかと思う。


動画を探していたら、キースがスピットファイアに乗って、
それを自撮りしているのがあった。
キースにスピットファイアなんて良く似合う。

スピットファイアはプロペラだから、
今見るととてものどかなんだよ。
とてもメッサーシュミットと死闘を繰り広げた名機とは思えない
のんびりしたフライトなんだ。
70年前?のものが今も現役で動くんだね。

キースは嬉しそうで、その時もきっと楽しかっただろうし、
幸せな時を過ごしたんだと思う。
幸せな瞬間もあったんだと思うと、少しほっとするよ。
彼はとてもつらい思いをしていただろうし、
悩んで苦しかっただろう。
だけど、幸せな時間もきっとあったと思うよ・・・


偉大なミュージシャンがこんな終わり方をして欲しくなかった。
だけど、そうでなければ私はELPのことを忘れたままで、
もう二度と聞くこともなかったかもしれない。
そう思うと、
とても悲しいけれど彼は最後の大きな花火を打ち上げて逝ったのかもしれないな。
忘れないでくれってね。
引退なんかしたくなかったのかもしれない。
思うように手を動かせなくても生涯プレイヤーとして生きたかったのかもしれない。
生きている限り、弾き続けたかったのかもしれない。


これからもキースの音楽を聞き続けるよ。
そしてそろそろ前を向こうと思う。
ELPのレコードはお宝になってしまった。
宝物を持って、キースの残した素晴らしく素敵な音楽を聴いて、
でも、前を向いて行こうと思う。

キースにさよならをしようと思う。
キース関連のスレッドを見に行ったら、
皆一様にショックを受け、悲しみ、そして優しかった。
動画には必ず、同じ言葉があった。Rest In Peace.
私も言うよ、キース安らかに。永遠に。
そしてさよならキース、さよなら。




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