伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

蕪村の「奥の細道図巻」

2022年07月16日 | 展覧会・絵


少し前になるけれど、京都国立博物館で開かれていた特集展示、
「新発見!蕪村の「奥の細道図巻」」を見て来た。



京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/



特集展示 新発見!蕪村の「奥の細道図巻」
https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/feature/b/buson_2022/

2022(令和4)年6月14日(火) ~ 7月18日(月・祝)
京都国立博物館 平成知新館1F-2




平常展示扱いだったので料金は700円。
平常展示で公開されている展示品と共に見て来た。


案内にしたがって3階から見ていくと、そこは関係ない展示。
2階の近世絵画室に狩野探幽の屏風と襖絵があった。

探幽の襖絵は狩野派らしい荒々しい松、そして屏風はとても美しかった。


扇面貼り絵特集もあり、扇面貼り絵の掛け軸が数点と、
大きな扇面貼り交ぜ屏風が展示されていた。

当時は扇子として使われていない扇面のまま掛け軸にする場合、
使用して折り目のついた扇面を使用する場合、両方あったようだ。


未使用の扇面の場合、ただ掛け軸に使用するために作られたらしい。

そして扇面貼り交ぜ屏風は、
当時、使用済みの扇面を使用して作ることが流行していたという。

金箔を貼った屏風にまるで物差しを使って計ったかのように一部の乱れもなく、
整然と貼られている扇面に感嘆する。
ものすごく丁寧に作られている。


そうやって展示を見ていたが、なかなか奥の細道図巻に辿り着かない。
係員の人に聞くと1階の仏像室の隣だという。

えっ、1階だったのか。
1階は仏像だけだと思っていた。


1階へ降りると仏像室ではミニ不動明王特集が。
不動は腕のないもの、立像、座像、様々な種類があった。


そして大阪の何とかというお寺の如意輪の写しというか、摸刻が展示されていた。
(如意輪観音で有名なお寺…観心寺?かな?良く分からない…)

京都ではなかなか見る機会がない如意輪観音なので、
摸刻とはいえ、ありがたく見仏させいただいた。

如意輪はなかなか色っぽい仏像なので見るのは楽しい。







そして仏像室を出ていよいよ蕪村の「奥の細道図巻」の展示されている部屋へ。



与謝蕪村は松尾芭蕉を敬愛しており、
「おくのほそ道」全文を書写し、挿画を添えた作品をいくつも残しているらしく、
史料のみで知られているものも含めると10件に及ぶという。


現存するのは4件で、うち1件は京都国立博物館蔵の重文作品であった。
今回新発見されたものを含めると計5件となり、
発見記念に旧蔵の重文作品「奥の細道図巻」と合わせて公開されることになった。

もう1件、蕪村の弟子?が京博本を写した摸本を含めて、
合計で3件の「奥の細道図巻」が展示されていた。


当時、蕪村の「奥の細道図巻」は評判を呼び、人気があったという。
だから摸本も作られたし、蕪村も10件に及ぶ細道図巻を描いたのであろう。

注文によって描かれたらしく、今回新発見されたものも、発注者がいた。

ただ注文によって描かれたにしても、
好きでなければこれほど多くの図巻を描くことはなかっただろう。
いかに蕪村が芭蕉を敬愛していたか、が図巻の量で分かるようだ。

俳人でもあった蕪村にとって、芭蕉は尊敬すべき俳聖であったのだろう。


今回、新発見されたものは諸本中、もっとも早い時期に描かれたものだそうで、
筆致は分かりやすく、読める字も多くあった。

解説によると、文字の書きぶりにはやや硬い印象があると書かれていたが、
読める字があったのでうれしかった。(〃▽〃)


有名な「月日は百代の過客にして」から始まり、

行く春や 鳥啼き魚の目は泪

という旅立ちの句が蕪村の字で描かれている。

それを見るのは幸福な時間であった。








一つ家に遊女も寝たり萩と月

という有名な句も書かれており、その横には挿画が添えてあった。



蕪村は文字通り、「おくのほそ道」の全文を書いていた。
(展示は部分であるが)
それにはびっくりした。
しかも5件も。史料によると10件書いたという。

それほど書きまくっていたのなら、
もししかしたら、全文を暗記していたのかもしれない、とも思った。
生半なことではここまでの情熱を持つことは出来ないだろうと思った。

よほど芭蕉が好きだったのだろう。
もちろん自分も好きだが…蕪村の情熱には負ける(笑)



蕪村といえば自分は本当はあまり良く知らない。
というより、
蕪村は俳人であり、文人画家でもある。
その画風は茫洋としていて、なかなかピンと来るものがなかったのだ。


春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉
菜の花や月は東に日は西に


と詠んだ俳人ということくらいしか知識がなかった。


蕪村の絵はモブシーンが多く、ちまちましていて
絵具も淡彩である。

宗達や光琳、狩野永徳(時代がバラバラだけれども)の方が
分かりやすい。

だから自分にとって、
蕪村は画家としてはその良さが分かりづらいという位置づけであった。



けれども、国宝に指定されている「夜色楼台図」という風景画を見た時には、
静謐な感動があった。
ようやく自分にも蕪村の良さが分かるようになったかな、と、
何度か見たその「夜色楼台図」の感動によって思うようになった。



↓夜色楼台図





今は京都の北村美術館にあるという「鳶鴉図」をいつか見たい、
という野望を持っているのだ笑






話が逸れてしまった(;^ω^)が、
「奥の細道図巻」はおくのほそ道を全文書きながら、
所々に挟まれる挿画が実に赴きがあり、
モブシーンの得意な蕪村らしく、人物がとてもかわいい。

旅立つ芭蕉と曽良、見送る人々。

馬に乗る芭蕉と馬を引く曽良。

いずれも愛情に満ちた挿画に思えた。


以前はまるで芭蕉の旅に随行して描いたドキュメンタリーかのよう、
とも思ったが(以前、京博で重文本を見たことがある)、
今回は(芭蕉への)愛情をもって、「おくのほそ道」をなぞる作業をしていたのかな、
と思ったのだった。