伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ルキノ・ヴィスコンティの肖像

2016年10月27日 | ルキノ・ヴィスコンティ





8月、京都でもルキノ・ヴィスコンティの「山猫」と
「ルートヴィヒ」の上映があったが、
オリンピックやらなんやらですっかり忘れていて、
気づいたら、「ルートヴィヒ」はまだ上映中だったが、
10時から4時間だったので、あきらめた。

縁がなかったなあ…。


「ルキノ・ヴィスコンティの肖像」キネマ旬報社
1300円

この本は、ヘルムート・バーガーのミクシィで紹介されていて、
始めてその存在を知った。
ありがたい。

それを知ったのは9月くらいのことで、すぐにこの文を書いたが、
今までいろいろな都合で放置してしまっていた。
やっと、アップする…


生誕110年、没後40年とある。


大垣書店へ行くついでがあったので、探してみたらあったので、
ぱらぱらめくったあと、思わず買ってしまった。

もう本は買わない、増やしては駄目、と決心していたのにこれだ。
どうしようもない。

やはり、ヴィスコンティ関連はどうしても買ってしまう。



表紙はキネマ旬報社らしくペラペラで、全然豪華でないけれど、
でもこの本は、とても面白かった。


以前に様々な評論家や作家たちが書いた文章を再録したものだが、
確かに、昔読んだものも含まれている。

だが、三島の全文(「地獄に堕ちた勇者ども」に関する)
を始めて読んだし、澁澤龍彦の「家族の肖像」の評論も
初めて読んだ。


とにかくすごい。

澁澤の、「家族の肖像」批評の冒頭で、
「私は年来のヴィスコンティ・ファンである」
という大見得きりの一文には感動した。

そうだったのか…
澁澤は、ヴィスコンティのファンだったんだ…。
感動で言葉もない。



彼の享年は1987年、
その文章に、パリで「ルードウィヒ」を見た、と
書いてあったから、澁澤はあの映画を見たのだ、
ルードウィヒ王の好きだった澁澤は、さぞかしあの映画を
楽しんだのだろうなあ…と、
しばし感慨に耽った。



そのほか、海野弘、松田修という私の好きな評論家も
ヴィスコンティについての文を寄せている。


海野弘は、「ヴィスコンティ集成」に文を寄せていた。
が、「熊座の淡き星影」に関する論は初めて読む。




そして巻頭の彼の文の冒頭、
「ヴィスコンティは私の映画世界の中心であった」
ああやっぱり、彼もそうだったんだ、と感激…。


松田修の文はペーパームーンのルードウィヒ特集からの
再録となっていたが、その本を私は買っていたのだが、
松田氏の文章のことは失念していた。





でも、私の好きな人たちが、みんなヴィスコンティのことを
書いていた、
ということが、とても嬉しい。

みんな、ヴィスコンティのことを好きだったんだ。
多分、やっぱりみんな、こちら側の人だったんだ。

そのことに、ただもう感動する。



海野弘の確か「世紀末の街角」というタイトルの本…、
だったと思う。
中公新書から出ていた…

あれを読んだ時は、まるで自分がそのまま世紀末の街角の
カフェにいるような気分になり、
ああ、素敵な本だと私のお気に入りになっていた。


松田修は国文学者で、彼の本もよく読んだ。

「闇のユートピア」「刺青・性・死」…
今でも手に届くところに置いてあって、
いつでも読めるようにしている。

好きだったなあ…。
松田氏ももう故人なのだ…。

松田修の刺青に関する文章から、明らかにインスパイアされて
書かれたのが赤江瀑の「雪花葬刺し」だったなあ…
と、果てしなく連想が広がっていく。

みんなどこかで繋がっていたんだなあ…。



三島が激賞した「地獄に堕ちた勇者ども」、
なぜあの映画を三島が絶賛したか、それに関する考察が、
「三島とヴィスコンティ」という新たな一文に
掲載されている。


前に自宅の物置をあれこれと探していた時、
「わが友ヒットラー」があってびっくりした。

私はそんな本を買ったことすら忘れていた。
でも、買ったのだからきっと、それも読んでいたのだろう。
もう何一つ思い出せないが。
多分、読んでなかったのかもしれない。

だが、あの時期、三島の自決のすぐ前だ…
彼が、「地獄に堕ちた勇者ども」に魅せられた理由は
何となく分かる。

三島は「ベニスに死す」も「ルードウィヒ」も
見ることなく死んでしまったが、
ぜひ見て欲しかったなあと思う。




「ドイツ3部作」以降、
ヴィスコンティはズームを多用するようになった、
それは肉体の衰えによるもの、と断言する証言もあり、
そういう話は聞いたこともあったが、
実際の文章で断言されていたのを読むのは初めてだ。

「肉体の衰えを示すにすぎなかったズーム」、とある。
ドイツ3部作以前のヴィスコンティ映画を真剣に見ていない
自分としては、何とも言い難いが、
確かに初期作品はパンが多くて
ズームはあんまりなかったかもしれない。
私としては、彼のズームは好きだったが…。
でもひとつだけ言いたいと思うのは、
ズームを使うようになったのは
例によってヘルムート・バーガーがいたからだろうよ…




そして、ヴィスコンティの、アメリカ映画へ
ひそかにあったらしい影響に関する一文も面白かった。

晩年作品のヴィスコンティは、アメリカではまったく
評価されておらず、もう過去の人扱いだったらしい。
日本では、ドイツ3部作が熱狂的に受け入れられ、
(というか、それらによって初めて日本で受け入れられたという話だ)
ブームにもなったのだったが。



が、イタリア系アメリカ監督には、それでも確かに
ヴィスコンティからの影響があったらしい。
コッポラ(「ゴッドファーザー」)への影響すら、
言及されている。


マーティン・スコセッシが、「山猫」の4K再現に
尽力したらしいことは知っていたが、
彼は映画の講義の時、この「山猫」を学生に見せて
テキスト代わりにしていたそうだ。

スコセッシもイタリア系監督。
イタリア系アメリカ監督に、ヴィスコンティの影響を
感じ取るといった内容の論考だった。



スコセッシが「エイジ・オブ・イノセンス」という
19世紀の時代劇を作った理由が何となく分かった気がした。
(映画は未見だが)

またスコセッシが、イエスの映画「最後の誘惑」を
撮ったことも思い出し、
その理由も何となく分かった気がした。


多くのイタリア監督がイエスの映画を撮った。
「奇跡の丘」「ナザレのイエス」…


「レイジング・ブル」に「若者のすべて」を、
「タクシー・ドライバー」にもそれを引用していたことを知り、
スコセッシがまた違う人物に見えて来たりもした。
スコセッシをほとんど見たことはないのだが…


そして、その論考の中で、マイケル・チミノにも触れられていて、
「ディアハンター」や「天国の門」での大作志向が挙げられていて、
やはりそうだよな、と、一人で合点した。

「ディアハンター」での長々としたパーティーのシーン、
やはり敏感な人はあそこにヴィスコンティの匂いを嗅ぎ付けていたよな…

チミノもイタリア系、のちに「シシリアン」という
イタリアを題材にした作品を作っている。

彼もディノ・デ・ラウレンティスに拾われ、
イタリアと関係を深くした人だ。




そして何よりびっくりしたのが、
故・増村保造がヴィスコンティについて語っていたことだ。

増村氏は大映の名監督で、雷蔵さんや、勝新太郎の名作を
次々と発表していた人だ。

その彼が、初期のヴィスコンティのネオリアリズム映画に
多大な影響を受けていたたという。

イタリアに留学していたそうで、その時に見たイタリア映画の
影響があったらしい。

その彼が、誰もが賛美していた「地獄に堕ちた勇者ども」を
失敗作として酷評している。

これが何より面白かった。

これについては、また時を改めて書くことにしたい…。
(またつづく、なんだよ)







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COMMENT:
AUTHOR: よろ
DATE: 10/30/2016 14:37:52
これ、10月あたまから我が家にもありますよ。
105頁まできたところ。古い友人が澁澤が好きで、
別の友人が寺山が好きで、昔の男が三島に傾倒してました。
自分の青春が溶け込んでいて、ちょっと怖い。


COMMENT:
AUTHOR: 伊佐子
DATE: 10/31/2016 16:46:36
え、よろ様もこの本お持ちですか。
105頁というとルードウィヒのところ…
昔の男というのが意味深…。
青春…ですかあ。私もある意味青春だった…
澁澤の信奉者だったし
でも三島は「仮面の告白」とか
「フォービドン・カラー」とかそんなのばっかり(笑)