静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

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プリニウスの金言

2010-10-24 00:56:05 | 日記
  
 「征服者のように自然の崩壊を凝視する」

 ヒスパニア(スペインの)金鉱山で、丸天井のアーチの上に積み上げた鉱石を、支柱を切り離して一気に谷底に崩壊させる、それを眺めている坑夫たちを描いたものである。

 ヴィルヘルム・ヴェヴァーは『アッティカの大気汚染』の序言の冒頭でこのプリニウスの言葉を掲げ、さらに本文で「その簡けい(「けい」は強いという意の漢字)にして的を射た隠喩によって、まさに永遠に残る金言となっている』(野田訳、鳥影社)と書いた。

 プリニウスは40歳代にヒスパニアほか数箇所でプロクラトル(皇帝代官)に任じられた。ヒスパニアにはローマ帝国の重要な金山が幾つもあった。彼はその金鉱山を直接観察したに違いない。

 ドイツの古典語学者ヴェーヴァーは、古典そのものに語らせるという手法で、古代(主としてギリシア・ローマ)の環境破壊を告発した。
 日本語訳の表題は「アッティカの大気汚染」、ドイツ語の原題は「アッティカ上空のスモッグ―古代における対環境行動」だそうだが、筆者の見る限りまことに当を得ない題である。

 主な内容は現代の人間にとっても決して無視できない課題を突きつけている。なかでもそのハイライトが「『われわれは大地から内蔵をつかみ出す』―採鉱の呪い」と題された章である。冒頭の「征服者のように・・・」の警句はそこに掲載されている。「われわれは大地から内蔵をつかみ出す」と言う言葉もプリニウスのものである。
 この章はほとんどが『博物誌』からの引用とそれに基づく解説・論評の展開である。見事な書きっぷりで、私が何かを言うこともないし、その内容をここで再現するつもりもない。だが、念のために採鉱の様子を描いたその一節は載せておこう。この書(野田訳)とは違う訳文を使う。

 プリニウスは当時の金の採掘法に三つあるといい順に説明しているが、なかでもアルギアと呼ばれる鉱山の掘削法を細かに説明している。その部分である。

 「第三の方法は巨人(ギリシア神話に出てくる巨人族のことか)の業績をもしのいだことだろう。長い距離を押し進められた坑道によって、山々は灯火を頼りに掘られてゆく。仕事の交代も灯火によって計られる。坑夫たちは何ヶ月ものあいだ日の目を見ない」「人々は夜昼となく働き、暗闇の中でその鉱石を肩に担いで一人が次の者に渡すというようにして運び出す。その列の端にいるものだけが陽の光を見るのだ」「突然割れ目が崩れて働いていた人々を押し潰す」「火打石の塊にぶつかると、火と酢を用いて砕くのだが、熱と煙のため坑道では息をつまらせるので破砕機で打ち砕くことがむしろ多い」「火打石にともなう仕事は比較的容易だと考えられている。というのは、ガンディアと呼ばれる砂を交えた一種の陶土から成っている土があって、これに出会ったらほとんど処置なしであるから。彼らは鉄の楔と上に述べた破砕機でぶつかっていくのだが、これは存在するもっとも困難な仕事だと考えられている」

 アグリコラは『デ・レ・メタリカ』第4巻でこの一部分を引用したが、彼はラテン作家のなかで「私がついて行ける人がたった一人ある。それはプリニウスである」と序文で述べていた。

 上の引用文の続きも載せよう。
 「仕事が完全に終わったら、最後のところから始めて、丸天井アーチの支柱をそのてっぺんで切り離す。割れ目ができるとそれは崩壊の警告である。それを目撃するのは山のてっぺんにいる見張り人だ。彼は叫び声と身振りによって労働者を呼び戻せとという命令を発し、彼自身はその瞬間に飛び降りる。割れた山は人の想像を絶する轟音と、同じく信じられないほどの烈しい爆風を伴って、広い谷間へと崩れ落ちてゆく。坑夫たちは征服者のように自然を凝視する(spectant victores ruinam naturae)」。

 このあとを要約する。
 谷底に崩落した岩石はどうするか。実はあらかじめ大きな貯水池が山に作られてある。縦横とも200フィート、深さ10フィート。その水は遙か100マイルほどの遠くから引いてくる。高い山から引いてこないと落差がつかないので、そこから引いてくるのは鉱石を掘るよりも経費や労力がかかるほどだ。
 岩を切り取って、くりぬいた木の樋を乗せる場所を作る。人夫たちは綱でぶら下がっているので遠くから見ると鳥の群を見るようだ。彼らはぶら下がりながら水準器をもって道筋の線のしるしをつける。

 そうやって出来た貯水池の水が満水になると堰を開ける。その奔流は金を含んだ岩屑を押し流す。流れが平地にくると、そこには階段状に溝が掘られていて、その溝の底にはハリエニシダという植物が敷いてある。ざらざらしているので流れてくる金を食い止める。ハリエニシダは乾かして焼く。その灰を、底に芝生を沈めてある水中で洗う。するとそこに金が沈積する。(註:ストラボンは、野蛮人が急流で毛皮を使って金をとっているという。これが金羊毛皮伝説の源か)。

 そして、水流に運ばれた土砂は海中に滑り込む。
 プリニウスが言うには「今までにヒスパニアの土地はこういう原因で沖の遠くまで押し出されてしまった」。
 ヒスパニアの北東部では、この方法で年2万ポンドの金を産している。これほど長く継続的に金を産出したところは世界のどこにもないという。
 以前ローマの元老院は、乱開発から守るためイタリアでの採鉱を禁じたとプリニウスは再度にわたって伝えている。その禁令の内容や実効の成果についてはわからないが。

 アグリコラは『デ・レ・メタリカ』で「自然を破壊するという人がいるが鉱山はほとんど役に立たない野山で行なわれている」と自然破壊を否定した。先にも述べたように、彼は『博物誌』をよく読んで、たびたびプリニウスを引用しているほどだが、自然観については対極にあった。
 さらにアグリコラは「そもそも金属を非難する人々は神を非難していることになる。神は理由なしに事物を作ったのではないから」と、鉱山開発に免罪符を与えた。
 アグリコラの念頭にあったのは「神」であり、プリニウスの念頭にあったのは「自然」である。アグリコラによって地下開発は古代の呪縛から開放され、近代以降の鉱工業の発達に前途を開くことができたとたといったら言い過ぎになるだろうか?

 自然は大地を創り上げ、その母なる大地は人間の生みの親である。その生みの親である大地の奥深く掘り進み鉱物を取り出すのは、親の内臓をほじくり返すのに等しい・・・古代から多くの人が考えてききたことであるし、プリニウスの考えもそうである。しかもなお、それが金の採掘であることがいっそう彼を憤らせる。

 彼はローマへの金の大量流入、生産の増大が市民生活への金の普及を増進し、それが奢侈と退廃をもたらしたことを嘆く。だが、彼が挙げるその多くの事例はここには載せる必要もないだろう。以前述べた、フキヌス湖の排水工事の竣工式でクラウディウスの妻アグリッピナが金糸だけでつくったマントを着て座ってるのを見たという記述も、プリニウスの言外での批判ではあった。

 そして彼はいう。

 ①「人生における最大の罪は、初めて金を自分の指につけた人物によって侵された」
   (註:古くからローマ人には指輪をつける風習があった。当初
    は鉄製のものが使われたらしい) 
                                         ②「儲けの多い怠惰な生活の最初の源は貨幣の発明にあった。急速に、もはやただの貪欲というものではなく、金に対する絶対的な飢餓が、一種狂乱状態をもって燃え上がった」 

 ③「人生から金が完全に放逐できたらよいのだが。金は世界のもっとも賢明な人びとに毒づかれながらも、ただ人生を破壊するためにのみ発見されたのだ」 

 これこそまさにプリニウスの「金」言である。                                                                               
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