静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

国家の死滅

2010-09-25 15:18:42 | 日記
 
 ルソーの警句を一つ。
 「政治体は、人間の身体と同様に、生まれたときから死にはじめ、それはみずからのうちに、破壊の原因を宿している」「最もよく組織された国家にも終わりがある」(『社会契約論』岩波文庫)。

 「盛者必衰」どころか「生者必滅」といいたいところ。 
 知人で20年ほど前から「日本は滅びる」と口癖のように言う人がいた。最近はとんと言わない。あの頃はまだ陽気だったが、最近は元気がない。20年前は警句に過ぎなかったが、今は現実化している、いや、もう滅びてしまったと思っているのかもしれない。
 以前、「自民党をぶっつぶす」と豪語した総理大臣がいた。どうせなら「日本をぶっつぶす」と叫んだ方が現実に合っていたのかもしれない。
 
 生まれたものは必ず死を迎える・・・常識である。ダークマター(暗黒物質)があるとかないとかいろいろ騒がしいが、宇宙だって生まれた限りやがて死す。ダークマターの存在が確認されれば、ニュートン以来のパラダイムが覆されると、先日テレビで嬉しそうに言っている知識人もいた。ニュートンのパラダイムなど、とっくに覆されていると思うのだが・・・。ニュートンだろうがアインシュタインだろうが、パラダイムは壊されるためにある。「記録は破られるためにある」みたいなことを言って申しわけないが・・・。

 ローマはなぜ滅びたのかと、昔から繰り返されてきた。逆に、なぜローマは千年以上も滅びなかったのかと設問する人もいる。過去、ルネサンスの時代、啓蒙主義の時代、近代市民社会成立の時代・・・ヨーロッパの知識人の多くは、ローマの政体から何らかの教訓を得ようとしてきた。マキャベリは『ローマ史論』まで書いてしまった。ルソーもこの本に影響されたらしい。このような傾向を見るとわれわれ東洋人は、恐れ入りましたというしかない。

 もっとも、アメリカのハリウッドでは、ローマ、といっても主としてローマ帝国のことであるが、残虐非道なロー皇帝とそれに立ち向かう英雄というスタイルのメロドラマ大作を量産して世界に配給してきた。ローマ帝国すなわち悪の帝国という図式である。そういう映画を見ていると、ローマは滅びるべくして滅びたと思えてくるから不思議である。
 
 そのアメリカは今、「帝国」と呼ばれたりする。「帝国」にどんな修飾文字を乗せるかは人によりけりだが。しかし、映画にするには、悪役の主人公とするに足る人物がいない。そのアメリカ「帝国」も今滅びの道を歩んでいるとある人はいう。

 話を先のルソーの警句に戻そう。彼は「政治体」といったり「国家」といったりする。厳密に言えば違うものだろう。
 前回触れたように、ルソーはヨーロッパの封建時代に人間が堕落し、政治も堕落したと考えた。ヨーロッパの中世ではキリスト教会が政治に大きく関与した。今日に見るよな主権国家は存在しなかった。古代ローマも今日の国家とは相当違っているし、世界市民という発想もあった。 

 ルソーが当面した国家というのは近代市民社会が生んだ民族国家だった。ジャン・ボダンが言うような主権を持つ国家であった。その主権国家をどう維持し発展させていくか・・・それが大きな課題になっていた。そのときルソーが一つの手本と考えたのがローマの共和制であったことは不思議なことではない。
 彼は「ローマ共和制は偉大な国家であり、ローマ市は偉大な都市であったと思う」という。その理由をいろいろ述べている。その一つが前回書いた人民の集会である。それ以外のものもある。だがこれ以上述べる必要もないだろう。

 パラダイムという自然科学の分野での用語を援用させてもらえば、ルソーの時代の国家論は、その時代に出来上がった一つのパラダイムに基づく国家論でしかない。それが21世紀に通用する、あるいは通用させるべきものかどうかは再考の要がある。そのパラダイムに疑問が生ずれば、そこに現存する政治組織が変化し、あるいは滅びることもありうるだろう。

 ソビエト連邦は20世紀における新しい政治的パラダイムの実験であった。しかし失敗に終わった。アメリカ合衆国の覇権は、しばらく前、つまり、いわゆる「ベルリンの壁崩壊」後には「パクス アメリカーナ(アメリカの平和)」と、しきりにもてはやされた。しかし、私の知る範囲では、パクス ロマーナ(ローマの平和)とは全く異質のものであると指摘する識者はいなかった。

 大洋の真ん中に、火山活動か何かによって幾ばくかの岩礁が波の上に顔を出したとしよう。それをいち早く発見した国がその岩礁の領有権を発表すると、その国の領土になる。これが現在の国際法らしい。たんにその岩礁だけでなく、その周辺12海里の領海、200海里(約370km)の排他的経済水域が主張できるようになっている。
 これは20世紀後半にできた国際間の条約(国連海洋法条約)に基づくものであり、その成立までには幾多の利害の対立があったし、今日でもある。これは、18世紀や19世紀から引き継がれてきた国際パラダイムの一端であるといえよう。

 自国の排他的経済水域に外国の漁船が無断で入ってきたということで、その漁船が拿捕されたりする。拿捕するほうは自国の国益が損なわれると主張し、国際紛争に発展しかねない。19世紀の哲人カントは、国益の主張に批判的であった。国益を優先すべきでないと主張した。永久平和を唱えた思想家にふさわしい発言である。
 「国益」「国益」と声高に言い張る国家の指導的な政治家や偉い人(わが国だけではない)、それは右から左までいるが、その顔を見ると(テレビなどで)、カント様に申しわけなくなる。まだ、国家や国境があるのか! といわれそうな気がする。

 ローマ帝国が滅びてその後に中世諸国が発生した。中国では諸国が興亡を繰り返してきた。日本では、国が滅びたという印象が薄い.敗戦で「国滅びて山河あり」と感傷的になった人もいただろうが、「日本帝国」は滅びても「日本国」は残った、憲法は「改正」されて。

 ルソーは政治体や国家も死ぬとか滅びるとか言っているが、国家という組織が地球上から消滅するとは言っていない。彼の思想も時代的制約を受けている。 
 しかし人類が消滅すれば国家も消滅するのだ。他の天体に人類が移住して国家をつくるなら別だが。

 マルクスだったかレーニンだったか忘れたが、共産主義社会になれば国家は死滅するといっている。共産主思想は古代ギリシアの頃から存在するのだが・・・。