静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

代表と代表選び

2010-09-15 15:13:26 | 日記
 
 昨年9月15日、このブログを始めた。その翌日16日、たまたま鳩山民主党政権が発足した。最初のブログには、「オバマ大統領も急速に支持率を下げつつあります。『民主主義』も容易ではありません」と書いた。鳩山内閣は、もうとっくに崩壊した。そして第二次菅内閣。
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 民主党の代表戦中、民主党には綱領がないという記事を一・二度みた。そういえば民主党の綱領など見たことがなかった。だが、別に気にもかからなかった。関心が薄かったということだろう。
 だが、代表が決まってから、妙に気になりだした。
 近代的政党なら、綱領の一つや二つあっていいだろう。いや、一つでいい。
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 アメリカ合衆国の民主党に綱領はあるか? 誰もが知っているように、無い。共和党は?やっぱり無い。”民主主義の本家”アメリカの政党に綱領はないのだからいいではないか、綱領がなくても立派に政党活動をしてきたではないか!
 もっとも、両党とも大統領選になると選挙綱領が作られる。選挙が終わればご用済み。まあ、日本の民主党でいうと”マニュフェスト”みたいなものか。マニュフェストは選挙用の幟が提灯みたいなものだから、政権を握ってしまえば、まあ、それは適当でいいのだ。
 正直に期待した沖縄の人びとにとっては大ショック。

 もっと不思議なことは、アメリカでは民主党も共和党も、党首というものがいないことである。日本で党首がいない政党はあるだろうか。
 オバマは民主党党首ではない。共和党は? もちろんブッシュでもない。大統領をしている人がその期間だけ、党首的な役割をしているが、党首ではない。
 党首もおらず、綱領もない、これがアメリカの二大政党である。

 アメリカは典型的な三権分立の国であるといわれる。モンテスキューの精神を体現していると褒め上げる人もいる。 
 実際は、北部を代表するブルジョアジー、南部の地主階級、西部で表現される農民・プロレタリアの三者の均衡を図ったものだという。
 だが歴史の過程で大統領の権限は次第に肥大化し、ブッシュに至っては議会の承認なしに戦争を始めてしまう始末。
 
 従って大統領の交代は場合によって大きな変革、チェンジをもたらす。大統領が執務不可能になった場合(病気・病死・暗殺・・)の次の大統領ははじめから決まっているので、改めて次の大統領を選出することはない。ほとんどの場合副大統領が昇格する、間髪を入れず。その結果、180度とまでは言わないまでも、極端に政策が変更された例をいくつもみてきた。最も典型的なのは、ルーズベルトからトルーマンへの悲劇的転換。
 日本のように、次の代表をのんびりと、マスコミのお祭り騒ぎを背景に選出するのとは大違い。日本のテレビは票を数える所まで映し出す。

 だからこそアメリカ大統領の身辺は危険に満ちている。合衆国の歴代大統領は、四人に一人が暗殺されるか、暗殺されかかったと、何かの本で読んだことがある。
 もうすでにオバマの大統領選のさなかに、オバマは暗殺されるのではないかと囁く市民(日本の)声を聞いた。先ごろ(8月)のある週刊誌は、11月の米議会の中間選挙を前に「”暗殺危機”が迫っていると述べたあと、国政政治学者である某党の参議院議員が(ここでは名前を伏せる)、黒人大統領を嫌う勢力によって暗殺の恐れは強まっている・・・オバマ氏は日本製防弾チョッキを着用して有事に備えている」と警鐘を鳴らしていると報道した。なぜ日本の議員が警鐘を鳴らすのだろう。
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 わが国は議院内閣制だからアメリカのような具合ではない。昭和憲法下では、政党政治もアメリカにくらべそれなりに近代的に機能できるようにはなっている。18世紀の仕組みを今なお引きずっている国とは違う。それに、憲法で市民が武器を所有し携帯することを保障する(有信堂『世界の憲法集』)ような国とは土台がちがう。「ケータイ」は携帯することが許されている?が。

 菅が小沢に勝ったのは、世論の力によると、もっぱらの評価である。地方の党員やサポーター(何のことかよく分からないが)の票が圧倒的に菅に傾き、地方議員は菅が優勢、国会議員はほぼ拮抗という構図。
 つまり、党員・サポーターが底辺、地方議員がその上、国会議員が最上部というようにピラミッド型になっていて、土台の最下部が菅支持、上に行くほど小沢が増えていくという構造。いうならば、庶民・大衆が圧倒的に菅支持ということになる。それは、政治とカネ、クリーンか否か、三ヶ月で首相を変えていいか、それらが判断の基準になったとマスコミは伝えている。

 太平洋戦争の始まる頃、近衛文麿や東条英機はかなりの国民の人気の的であった。東条が、庶民の家のゴミ箱を覗いている大きな写真を新聞に発表するなど、マスコミを使って人気取りを行い、それで結構高まった。 
 戦争に熱中したのは、案外庶民中の庶民であったのかもしれない。上部には懐疑的な者もいたのではないか。戦前・戦中も権力とマスコミは結託して世論操作を行った。大手新聞社は、なべてそれを反省したはずであった。

 しかし民主主義においては世論は国家の骨格にもなっている。膨大な費用を用いて世論は形成される。それは何気ないテレビの番組の中に巧みに隠されていたりする。