一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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ナショナリズムの応用問題 その12

2006-02-22 09:40:20 | Opinion
佐賀藩の築地反射炉跡。「大砲鋳造所」と呼ばれた。

ここでは水戸藩の動向を見る前に、比較の意味で、佐賀藩の動きをのぞいておこう。
というのは、佐賀藩の場合は、水戸藩とは異なり、〈フェートン号ショック〉によって、藩を挙げての「富国強兵」政策を採ったからだ(「攘夷→尊王」とは違った路線)。

フェートン号の来航当時、長崎警備は佐賀藩の担当であったが、このイギリス軍艦には手も足も出すことができなかった。
事件後、佐賀藩は幕府から長崎警備の失態を責められ、藩主は逼塞、7名の家臣が切腹するという結果に終わった。このため、佐賀の町は物音一つしない、火の消えたような日々が続く。また、江戸藩邸では、正月を迎えるのに、門松やしめ縄もせず、藩士たちは髭を剃ることもできず髭ぼうぼうのまま。全藩士が、屈辱的な思いをしたという。

けれども、フェートン号事件は佐賀藩士に恥辱を与えただけではなく、西洋に対する強烈な関心を芽生えさせることにもなった。つまり、アヘン戦争やペリーの黒船来航以前に、佐賀藩はヨーロッパの進んだ軍事力による、東洋侵出への危機感をすでにもつようになっていたのである。

藩を富裕にすることによって、軍事力を強化しよう、という方向(「富国強兵」政策!)を明確にもった佐賀藩の藩政改革は、この時に始まったともいえる。

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