一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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大衆を蔑視するポピュリスト

2006-05-19 08:57:08 | Opinion
アブラハム・リンカーンはポピュリストであり、また同時に、アドルフ・ヒトラーもポピュリストであろう。
彼らに共通するのは、「大衆への迎合」ということではなく、「エリート支配体制への反発」を組織化した、という点である。

面白いことに、この2人に共通して、その出自・経歴に関する「伝説」や「通称」があることである。
リンカーンには「丸木小屋からホワイト・ハウス」へという「伝説」が。
そしてヒトラーには「伍長閣下」(ヒンデンブルク大統領は「ボヘミアの伍長」と、英首相チャーチルは「ヒトラー伍長」と呼んだ)との「通称」がある。

いずれも「エリート層」から出てきた政治家ではないことを物語る「伝説」や「呼び名」である。

理論社会学の鈴木謙介氏(1976年生)が、本日(5月19日)の「朝日新聞」で、現在の「ネトウヨ」について「『マスコミに流通する言葉が優等生的な言説ばかりにいらだっている』集団」と示した。

ここに〈反サヨク=反エリート〉という感情が透けて見えはしないだろうか。
彼らがサヨクと認定するものは、戦後民主主義的なものであり、それは、彼らにとっては建前だけのきれいごと(「優等生的言説」=「われこそは正義の味方」的言動)にしか見えないのだろう。

その感情を支える「神話」が、同じページにある江川達也氏(1961年生)の弁、
「僕らの世代は、アメリカのマインド・コントロールのもと、左翼教師から『戦前の日本はひどい国だった』と教えられ、自分たちの歴史を糾弾する教育を受けてきた」
に見られる(この「神話」が、別種のマインド・コントロールの結果ではないと、誰が言い切れるのか。そのような自己を疑う/省みる姿勢に欠けているのも、彼らの特徴の一つ。自己省察に欠けることにおいては、ネトウヨは、彼らが敵とするサヨクの一部と同様)。

一方、世の中に広がり始めているのは、経済的リバタリアニズムの下での「格差社会」への不安感であろう。
その不安感は、新たなるエリート層(「勝ち組」)への反発ともなってくるし、「自分たちより劣る」と彼らが認定する人びとへの攻撃ともなり、非寛容な「空気」を作り出す。

このような情勢を踏まえた上で、「反エリート」を唱え、「現状の打破」を語り、異質なものへの非寛容(攻撃的)な態度を打ち出すポピュリストは、煽り方によっては、かなりの支持を集め得るであろう。
しかし、そのようなポピュリストは、「人民の人民による人民のための政治」を行ないうるのであろうか。

悪しきポピュリストは、自らの「カリスマ性」に自己陶酔しているだけであって、本心では大衆を蔑視していることを忘れてはならないであろう。
ーーアナタのことですよ、都知事閣下。

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