一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

『統帥権と帝国陸海軍の時代』を読む。

2006-02-22 11:31:11 | Book Review
「統帥権」とは「軍隊の最高指揮権」のこと(現行の自衛隊法では「最高の指揮監督権」と表現され、内閣総理大臣が持つ)。
帝国憲法では、第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統率ス」とあり、天皇大権の一つである(「統率」=「統帥」)。

帝国憲法上では、他の天皇大権(立法権、官制および任命大権、編制権、外交権など)と同様に、国務大臣の輔弼責任事項であると解釈できるのだが、憲法発布(明治22年)以前、明治15年に出された「軍人勅諭」を「明文上の根拠」として、参謀本部の設立=「統帥権の独立」以後、内閣も議会も関与できない「聖域」となってしまっていた(大江志乃夫『靖国神社』)。

この点、司馬遼太郎の
「明治憲法はいまの憲法と同様、明快に三権(立法・行政・司法)分立の憲法だったのに、昭和に入ってから変質した。統帥権がしだいに独立しはじめ、ついには三権の上に立ち、一種の万能性を帯び始めた。」
という認識は、誤りである。

統帥権の独立は、1878(明治11)年12月5日、陸軍省の一局であった参謀局が、参謀本部として独立し、天皇に直属した時点から。
「天皇は参謀本部の補佐により、太政大臣、陸海軍卿に諮ることなく統帥権を親裁できることになった。/こうして、統帥権は政府の手から離れた。」(黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』)
からである。

本書は、その統帥権独立の経緯を明らかにするのと同時に、参謀本部と「『帝国陸海軍』の80年の通史」を描くことを目的としている。

しかし、本書では「『帝国陸海軍』の80年の通史」の部分があまりにも大きな比重を占めてしまっているため(しかも、「通史」としては不充分な分量であり、参謀本部との関係が明瞭に描かれていない)、バランスを失している(参謀本部の歴史に関し、入手し易いものとしては、黒野前掲書や大江志乃夫『日本の参謀本部』などがある)。

それでは、参謀本部の設立と「統帥権の独立」についてはどうであろうか。
著者のまとめによれば(1、2省略)、
「3 明治憲法には国務ないし議会からの『統帥権の独立』に関する明文の規定はない。また国務大臣の輔弼権に相当する統帥部長(参謀総長、のちには海軍軍令部長も)の輔弼(輔翼)権は実存したが、やはり明文の規定はない。
 4 『統帥権の独立』は明治憲法制定以前に確立した『既定事実』として、黙示的に扱われてきた。」
となる。

したがって、問題は、実際に参謀本部の権限はどう移り変わってきたか、に移る。

結論的に言えば、著者は、参謀本部の設立自体に、山県有朋の意思が強く働いたとしている。
論旨的には、黒野の前掲書と同じなので、ここでは分り易い黒野の文を引く。
「陸軍を自己の権力掌握の基盤とするため、参謀本部の独立を推進したのが山県有朋であった。政敵となりうる政治指導者が陸軍に影響力を行使することを阻止するうえで、軍に対する政治の関与を排除する統帥権の独立は彼にとってきわめて好都合だったのだ。」

その後、
「新参の組織体が健全な活力を発揮できるのは、誕生から三十年と言われている。人間の一世代に相当する。参謀本部にあてはめると、誕生から三十年後といえば、日露戦争直後の明治四十年頃となる。」

「一方では巨大化した軍の組織は内部矛盾を生み出すようになる。陸海軍の分立、軍政部門と統帥部との対立、派閥抗争の発生などである。山県の死によって、彼に変わり人的統一を確保する大物がいなくなったせいでもある。(中略)日露戦争では参謀総長と海軍軍令部長は同位並列となり、天皇が親裁する以外に対立を解消するすべが失われたまま一九四五年に至る」
のである。

秦郁彦
『統帥権と帝国陸海軍の時代』
平凡社新書
定価:本体780円(税別)
ISBN4582853080

最新の画像もっと見る