「子どもといっても、いつまでも子どものままでいるわけではない。やがて成長して一人前の人間になるのだから、小さな時から、できるだけ他人に世話をかけないように、自分でうがいし、顔を洗い、着物も一人で着、足袋も一人で履くように、その他にも自分一人でできることは自分でするのがよい。これを西洋のことばでインジペンデントという」
これは福沢諭吉が、自分の子どもたちに与えたことばである(現代語に意訳)。
福沢にとって「インジペンデント」すなわち独立とは、小はこのような日常茶飯のことから始まり、大は国家のそれに至るものであった。
国家の独立とは何か、という問題はしばらく横へ置くとして、「インジペンデント」のありようというものは、歴史的に見て江戸時代以前(特に平安時代から鎌倉時代にかけて)の武士にとって、命がけのものであった(「一所懸命」の語源といわれる)
なぜなら、開発領主である初期の武士にとって、私有地の独立こそ、自らの全存在基盤であったから。公権力からは、税金の免除(「不輸の権」)や、政治的・行政的介入を排除すること(「不入の権」)を勝ち取ることによって、十全な独立の地を作っていった(逆に言えば、公権力による保護は得られない)。
このような時代の武士は、福沢がいうように、日常茶飯においても自分のことは自分でするよう、子ども時代から叩き込まれていたはずである。ある意味で、福沢の独立論は、西欧の知識を通じての「先祖返り」なのかもしれない。その点では、新渡戸稲造の「武士道」論とは毛色が異なる(新渡戸のそれは、明治国家の国民倫理論)。
このような武士たちの「私」の利害対立を、もっとも公正に調停する機構として期待され、鎌倉幕府が成立したのは言うまでもない。したがって、公正な調停が行われなくなった、と大多数の武士に思われた時に、鎌倉幕府は必然的に崩壊したのである。
*
さて、話を現代につなげる。
小生が考えているのは、個人の「インジペンデント」がなければ、「公」に関する何ごとも始まらない、ということだ。「公」なるものも「私」なくしては、ありえない。「私」なるものが集まって「公」を形作っているからである。
国民国家成立後、ともすると、その原則が忘れられがちだ。
曰く「公」のためには「私」を犠牲にせよ。実に本末転倒である。
この本末転倒の考え方が、「愛国心」なることばとともに出てくる。「愛」とは「私」の領域にある感情の問題で、「公」が関与すべきものではない。それに、そもそも、国家なる抽象的なものを愛するというというのは、至難の技。
そこで、いろいろな工夫を凝らすことになるのだが……。
象徴としての個人やフェティッシュに託するのも、その一つであろう(近代国家の多くで行われる方法。極端なものは指導者の「個人崇拝」となる)。
曰く、元首を愛せよ、国旗を愛せよ、国歌を愛せよ、……。
客観的な見方をさせないで、ア・プリオリに自国を素晴らしいものと賛美させるのも、その一つ(これを古来「夜郎自大」と言った)。
美しい天然の四季に富んでいるのはこの国だけ、古くからの歴史と伝統に培われた文化を持つ国、……。
対外的な敵勢力(仮想敵国、仮想敵勢力)を提示するのも、その一つ(「内政危機を対外戦争に転化する」)。
奴らは敵だ、奴らを憎め、奴らはこの国を破壊しようとしている、奴らと戦え、奴らを殺せ……。
曰く「公」のために「私」の身命を捧げるのが、最大の価値である。
敵を倒すために身命を捧げた者は神である、軍神を讃えよ、軍神を祀った神社を参拝せよ、……。
しかし、「インジペンデント」していれば、国を愛することも/愛さないことも、個人の選択に任されるべきことである。だから、法律も政令も、「私」に何々を愛せよ、と命令することはできないはず。義務教育で、そのようにしむけることも同様。
福沢の訓戒を出すまでもなく、個人の「インジペンデント」を大事なものとするならば、昨今のこの国のありようが、それと反するものになりつつあることに深く思いを致すべきであろう。
これは福沢諭吉が、自分の子どもたちに与えたことばである(現代語に意訳)。
福沢にとって「インジペンデント」すなわち独立とは、小はこのような日常茶飯のことから始まり、大は国家のそれに至るものであった。
国家の独立とは何か、という問題はしばらく横へ置くとして、「インジペンデント」のありようというものは、歴史的に見て江戸時代以前(特に平安時代から鎌倉時代にかけて)の武士にとって、命がけのものであった(「一所懸命」の語源といわれる)
なぜなら、開発領主である初期の武士にとって、私有地の独立こそ、自らの全存在基盤であったから。公権力からは、税金の免除(「不輸の権」)や、政治的・行政的介入を排除すること(「不入の権」)を勝ち取ることによって、十全な独立の地を作っていった(逆に言えば、公権力による保護は得られない)。
このような時代の武士は、福沢がいうように、日常茶飯においても自分のことは自分でするよう、子ども時代から叩き込まれていたはずである。ある意味で、福沢の独立論は、西欧の知識を通じての「先祖返り」なのかもしれない。その点では、新渡戸稲造の「武士道」論とは毛色が異なる(新渡戸のそれは、明治国家の国民倫理論)。
このような武士たちの「私」の利害対立を、もっとも公正に調停する機構として期待され、鎌倉幕府が成立したのは言うまでもない。したがって、公正な調停が行われなくなった、と大多数の武士に思われた時に、鎌倉幕府は必然的に崩壊したのである。
さて、話を現代につなげる。
小生が考えているのは、個人の「インジペンデント」がなければ、「公」に関する何ごとも始まらない、ということだ。「公」なるものも「私」なくしては、ありえない。「私」なるものが集まって「公」を形作っているからである。
国民国家成立後、ともすると、その原則が忘れられがちだ。
曰く「公」のためには「私」を犠牲にせよ。実に本末転倒である。
この本末転倒の考え方が、「愛国心」なることばとともに出てくる。「愛」とは「私」の領域にある感情の問題で、「公」が関与すべきものではない。それに、そもそも、国家なる抽象的なものを愛するというというのは、至難の技。
そこで、いろいろな工夫を凝らすことになるのだが……。
象徴としての個人やフェティッシュに託するのも、その一つであろう(近代国家の多くで行われる方法。極端なものは指導者の「個人崇拝」となる)。
曰く、元首を愛せよ、国旗を愛せよ、国歌を愛せよ、……。
客観的な見方をさせないで、ア・プリオリに自国を素晴らしいものと賛美させるのも、その一つ(これを古来「夜郎自大」と言った)。
美しい天然の四季に富んでいるのはこの国だけ、古くからの歴史と伝統に培われた文化を持つ国、……。
対外的な敵勢力(仮想敵国、仮想敵勢力)を提示するのも、その一つ(「内政危機を対外戦争に転化する」)。
奴らは敵だ、奴らを憎め、奴らはこの国を破壊しようとしている、奴らと戦え、奴らを殺せ……。
曰く「公」のために「私」の身命を捧げるのが、最大の価値である。
敵を倒すために身命を捧げた者は神である、軍神を讃えよ、軍神を祀った神社を参拝せよ、……。
しかし、「インジペンデント」していれば、国を愛することも/愛さないことも、個人の選択に任されるべきことである。だから、法律も政令も、「私」に何々を愛せよ、と命令することはできないはず。義務教育で、そのようにしむけることも同様。
福沢の訓戒を出すまでもなく、個人の「インジペンデント」を大事なものとするならば、昨今のこの国のありようが、それと反するものになりつつあることに深く思いを致すべきであろう。
非常に興味深いですね。私もこのあたりのことを書こうと思いつつ上手くまとまらず・・・でもみなさんの意見を参考に自分なりのまとめもやっていこうと思います。
KEN-NYEさんに先を越されて、少し悔しいgegengaです。
トラックバック、ありがとうございました。
私も貼らせていただきます。
個人の「インジペンデント」あってこその、国の「インジペンデント」。あぁ、まさにそうなんですよね。
漠然と感じていたのですが、私はうまく言葉にできませんでした。
またここから、新たに考えていけそうです。
ありがとうございます。
新しくなった「学問のすすめ」を、ちょうど今、読んでいるところです。
私は、福沢諭吉を尊敬しています。言う事が、普通に民主的で、素晴らしい。
『支配者』と『依存者』は、お互いに引きよせ合いますね。
そんな循環的ドロドロ人間関係を嫌った諭吉は、「学問してインジペンデントせよ!」、
「自立的な異能者同士が協力し合える社会にしよう!」と説いたのでしょう。
諭吉には、ネットワーク分散型の指向が、みてとれます。
東京一極集中で近代化を推し進めたのは、「あの時代ならではの判断だったのか?」と、
もしも存命ならば聞いてみたい。
コメントありがとうございました。
まだまだ、先人に学ぶことは多いようです。
理念のない現実主義者が多くなった昨今では、特にそう感じます。
>gegengaさま
「かめ?」のブログにも書いておきましたが、小生、gegengaさまの視点は、とても大事だと思っています。
これからも、歯に衣着せぬ意見をお願いします。
>メタ★ブリコさま
いつもコメントありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
>『支配者』と『依存者』は、お互いに引きよせ合いますね。
まったくその通り。
何か「大いなる者」に帰依しようとする人々が増えているような風潮には危惧を感じます。
フロムの言う「自由からの逃走」とか、オーウェルの「ビッグ・ブラザー」などという言葉を思い出します。