一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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カラクリ師たちの飛行器械

2007-09-02 09:49:29 | History
今回は、前回までの記事「江戸のタワー・ジャンパーたち」の補遺であります。

タワー・ジャンパーたちは、グライダーのような滑空飛行をめざしていたわけですが、江戸時代、一方では模型の飛行器械を作ろうとする動きもありました。

ただし、実際の飛行機製作は、ライト兄弟のように、これらの動きが一つになって行なわれたわけですが、日本の場合には、それぞれが単独の動きでしかなかった。「日本の航空機の父」と呼ばれる二宮忠八の場合も、飛行機製作への取組は「玉虫型飛行器」という模型から始まっています。

しかし、問題は動力です。
ガソリン・エンジンが実用化されるまでには、江戸時代からは、まだかなりの時間が掛かります(1878年、オットーによって発明される)。

そこでカラクリ師たちが使ったのが、ゼンマイ動力。したがって、この流れは、どうしても実用化という方向ではなく、玩具という方向へ行ってしまう。しかも、羽ばたき飛行であって、プロペラののような次元の違ったことは、遂に発明されずに終わってしまった。
そこは、カラクリ師たちの業績を、あまり過大評価しない方がいいでしょう。

さて、カラクリ人形芝居というものが、かつてありました。
その中でも有名なのが、大坂の「竹田からくり座」。17世紀半ば頃から開演されていたといいます。

そのカラクリ人形の製作に携わっていた中に、18世紀半ばの竹田近江掾という人がおりました。
竹田近江掾は、
「砂時計に成功し、更にからくり時計を仕上げた。」(三田村鳶魚『歌舞伎に加わった機械力』)
といいます。

そして、
「ぜんまいとけいからくりは竹田近江掾、鳥を作て空中をとばす、はさみ箱より乗物を出し、人をのせて人形にかゝす事をなす。」(『棠(からなし)大門屋敷』)
と記録されているような、カラクリ仕掛けの鳥を考案します。
詳しくは分りませんが、おそらく羽ばたき式で飛行するものだったのでしょう。

前述したように、ここから、実際の飛行機械への発展を見ることはなかったのですが、江戸の人々の好奇心の有り様がうかがえるとは思えます。

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2 コメント

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日本の航空機の父 (一風斎)
2007-09-06 19:26:09
と言われているのは、
二宮忠八(1866 - 1936) ですね。
1891(明治24)年にはゴム動力、プロペラ式の
模型の飛行に成功しています。

香川県の出身なので、
生家の近くには
二宮飛行神社というものも
あるそうです。
飛行安全のお守りでも出しているのかしら。

では、また。
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ライト兄弟より (Junco)
2007-09-03 21:12:43
昔に日本人が飛行機を考案したというお話は聞いたことありましたが、これでしたか。

飛行機が出来て100年ほどで沢山の人が気楽に世界に行けるようになるなんてスゴイですねぇ。私が生きているうちに月旅行も夢じゃないかも。(^_^)v

そういえば今年も鳥人間コンテストの季節ですね。これが来たらいよいよホントに夏も終わりですねぇ(^o^)
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