一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「国家」としての太平天国

2007-10-12 06:44:48 | History
高校のときに使っていた世界史の教科書(山川の『詳説世界史』)が出てきたので、太平天国の項目をちょっとのぞいてみました。
いささか古いのですが、今でも基本的な叙述に変りはないものと思われます。

まず見出しが「太平天国の乱 1851~64」で、
「アヘン戦争による多額の出費と賠償は銀価の急激な騰貴となって中国の一般民衆を苦しめ、さらに当時相ついでおこった天災によって民衆の窮乏はいっそう加わった。その結果流民・匪賊(ひぞく)となるものが増加し、地方の治安は極度に乱れたが、こうした状態はやがて太平天国の大乱となって爆発した。」
とあります。以下、「大乱」の過程の記述が20行ほど続きます。

さて、ここで問題にしたいのは、「乱」「大乱」という表現ですね。
「乱」というのは、あくまで当時の支配者、清朝政府から見た場合の言い方で、けっしてニュートラルな表現ではありません(「匪賊」も同様ですが、ここではそちらは一先ず置いておきます)。

小生の理解によれば、太平天国は地方政権であるにせよ、一個の国家を建設しています(この教科書でも「首都を南京に定め、機構を整え、太平天国と号した。」とあります)。
単純に見ても「国家の三要素」といわれる「領域」「人民」「権力」の要件は満たしていますし、前回述べたように独自の通貨すら発行しています。

それでは他国からの承認という点ではどうでしょうか。

これはイギリス外交筋が逸早く承認しようとしましたが、フランスの圧力で阻止されています(フランスは、中国での利権獲得に遅れをとっていたため、むしろ清朝政府に近い立場を採っていた)。

ということになると、これを「乱」としてだけ捉えるのは、いささか問題ありはしないか。
中国が太平天国勢の蜂起によって、内乱状態に陥ったのは確かだとしても、南京(「天京」と改称)を首都とする国家が生まれたが、内紛や外圧が原因で早くに崩壊した、と理解すべきであろうと思われるのですが(成功すれば「辛亥革命」より半世紀早くに清朝は滅んでいたし、他の武装集団に比較すれば、その可能性はかなり高いものがあった)。

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