一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「主君〈押込〉の構造」再び

2007-10-08 08:08:14 | History
以前、本ブログの「将軍権力の構造」という記事で、笠谷和比古『主君〈押込〉の構造―近世大名と家臣団』をご紹介しました。

そこでは、
「藩主を強制的に隠居させてしまい、藩主血縁の適当な人物に後を継がせる」
〈押込〉システムが、江戸時代の藩主の場合だけではなく、近代天皇にも働いていたのではないか、との疑問を提示しました。
そして、開戦時の昭和天皇が、
「私が若(も)し開戦の決定に対して〈ベトー(拒否)〉をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲のものは殺され、私の生命も保証できない。」(『昭和天皇独白録』)
と、このシステムの発動を惧れていたことをも。

どうやら、この昭和天皇の惧れは、自らが大正天皇に代わって摂政となった過程に原因しているみたい。

雑誌「論座」2007年11月号に「永世現役を願った昭和天皇の執念ー『卜部日記』を読んで」という鼎談が載っています。
その座談会の中で、原武史は次のような発言をしている。
「昭和天皇は、大正天皇が公務も祭祀もできないことを理由に強制的に引退させて、21(大正10)年に摂政となったわけです。当時の女官の言葉を使えば、これは〈押し込め〉です。」
また、そのすぐ後には、御厨貴が続けて、
「押し込めへの恐怖はすごくあったでしょう。だから彼は公務が減らされることを嫌がったんですね。昭和天皇にとって自分が生きながらの代替わりはあってはならないんですよ。」
と述べています。

これらの発言は、公務や祭祀が減らされることへの、昭和天皇の惧れについて語っているのですが、発言者の意図を離れて、昭和戦前期という広い射程距離をもった視野をも与えてくれているようです。

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