一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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日本右翼の基礎を形作った肉体的文化

2007-09-27 03:47:23 | History
日本の近代右翼を考察するのに、その思想の分析から行なうのが普通の手法です。
しかし、日本の近代右翼を考えるに当たっては、我が国の肉体的文化を考慮に入れざるを得ません。というのは、我が国にも独自の「マッチョ文化」、すなわち「壮士文化」があり、近代右翼はその文化の上に成り立っているからなのね。

それでは「壮士文化」とは、どのようなものなのか。
杉森久英『浪人の王者 頭山満』の記述から、その肉体的文化を見ていきましょう。
「日本人は大正、昭和とくだるにつれて、おとなしくなったというか、紳士的になったというか、それとも士風がおとろえたとでもいうか、酒宴や会議の席での鉄拳沙汰が少なくなったが、明治初年は、まだ一般に殺伐の風が残っていて、何ぞといえば、殴り合いになったものである。」

「当時はまだ、維新から十数年しかたっておらず、男はたがいに体力、気力を誇る風がさかんであった。」

「普通、壮士といわれるような男は、性質に狂騒なところがあって、自己顕示欲が強く、人を見ては、けんか口論を吹き掛け酒や女に身を持ちくずして、放縦無頼の生活をする者が多い」
という肉体的文化が存在していたわけです。

このように、右翼のみならず、自由民権運動家も「壮士文化」を共有していました(当初「玄洋社」も、自由民権を唱えていた)。反体制家の文化といってもいいでしょう。
これは幕末の「志士文化」から引き継いだものかもしれません。

言論よりも行動を重視する、しかも、その行動には暴力も含まれます。
暴力でも、この時代は、腕力だけではなく、武力をも意味します。言論人や政府要人の暗殺も、その一環です(「日本刀」による高田早苗傷害事件、「爆裂弾」による大隈重信暗殺未遂事件など)。

その暴力性が、言論抑圧の方向にもつながっていく。
「彼(=頭山満)がイザとなれば何をしでかすかわからない男だということは、だれの目にも明らかなのでうっかり手出しをする者もなかった。こうして、頭山は強いということがみなに知れわたってしまえば、先方から折れて出るので、腕力をふるう必要もないわけである。いわば、巨万の富を持った男が、全部銀行に預けて、ふだんは無一文で歩いているようなもので、いちいち現金で払ってみせなくても、相手の信用が落ちるわけではない。頭山は何かあるごとに、いちいち腕力をふるってみせなくても、彼は強いという評判だけで、じゅうぶん相手を威圧することができたのである。」
政治的な圧力をかけるのに暴力を許容する文化は、昭和に入って軍部にも引き継がれ、5・15事件、2・26事件となっていったのです。

杉森久英
『浪人の王者 頭山満』
河出書房文庫
定価 441 円 (税込)
ISBN9784309400730

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