一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「覇道の帝」と「王道の帝」その2

2007-09-29 00:45:42 | History
さて、明治帝に負わされたのは、「覇道の帝」と「王道の帝」とを兼ねる存在である/あらねばならぬ、ということでした。

まず最初は、「覇道の帝」としての側面が立ち現れます。

理由の第1は「攘夷」を正当化するために、「維新の志士」たちが天皇の権威を必要としたから。

第2として、「武力討幕」のシンボルとしての天皇を必要としたからです。その端的な現れが、皇族に与えた「錦旗」*でしょう。
*「錦旗」とは元来、普通思われているような「官軍旗」(官軍の軍旗)ではなく、「天皇旗」(「将軍旗」)です。
つまりは、その旗の元には、「戦う天皇」もしくは、その権限を委譲された皇族・将軍が存在している、ということを示しているのです(その延長線上に「官軍旗」という観念が生まれる)。

したがって、まずは「戦う天皇」が登場する。

岩倉具視による「王政復古」とは、神武天皇の東征にまで遡ることであり、したがって、三種の神器の「剣」は、「武の統帥を意味する。天皇は、剣を自らおとりにならなければいけない」と考えていたようです。
また、真木和泉なども、「天皇親征」(「親政」ではない)を唱え、「武」を天皇存在の核の一つとして重視していました。

つまりは、幕末・明治維新時に、「戦う天皇」(=「覇道の帝」)像がプラス価値を持つものとして急浮上してきたのです(それ以前、「覇道の帝」である後醍醐帝は「不徳の君」としてマイナス評価されていた)。

「戦う天皇」を戴いて、維新戦争、西南戦争などの国内戦争に勝利した明治新政府は、内政に一層の目を向けざるを得なくなる。
というのは、自由民権運動の高まりによって、新政府の正統性に疑問が投げかけられ始めたからです。

そこで、国内統一のために、一転して「道徳的天皇」が必要になってきます。つまりは「王道の帝」像を提示することが、急務となったのです。

どうやら、この論考は続くことになりそうです。
それでは、またの機会にこの続きを。

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