「地口行灯は江戸時代より祭礼の際に飾られる、絵と文字を楽しむ行灯です。地口とは、諺や成句をもじり洒落を作ったもの。昔の人たちはその洒落を競い合い、言葉遊びを楽しみました。」(「歌舞伎座写真ギャラリー」より)「祭礼」とありますが、江戸では多く2月の「初午」の時に行なわれていました。
くだくだしく説明するより、実例を挙げてみましょう。
絵柄は提示できないので、ここでは志ん生の落語のマクラから(『五代目古今亭志ん生全集第八巻』「道潅」)。
「山ィ蛸が寝ているなんてなァどうだァ?」このような地口を絵柄にした行灯が、「地口行灯」というわけ。
「ええそりゃァなんですゥ?」
「蛸寝山 [箱根山] てんだァ」
「ああなるほど蛸寝山ねェ――」
「うん」
「じゃァごみ取りに目玉がくっついてるのァ、どうですねェ?――」
「うん――なんだァ?」
「ごみ取り目玉なんてのァ……」
「ほほう……蚤取り眼かい?――」
「ええそうなんですよ、ええ」
「うんそりゃァいいなァ――」
「えへェ」
「お閻魔さまが舌の先ィ石を乗っけて持ちゃげているなんてのもいいな」
「ええどういうんですゥ?」
「閻魔舌の力持ち [縁の下の力持ち] てえんだなァ」
森銑三の『閑読雑抄』を見たら、小生の知らなかった地口絵が紹介されていたので、ここに記しておきます。
第一。絵は、家の裏庭にあるささやかな茄子畑。家の扇型の窓からは、その畑の番をしている男が見えている。
「茄子の用心、扇の窓」(那須与一、扇の的)という地口(いささか苦しい)。
第二。絵は簡単。盥を挟んで向かい合っている二羽の鴨。
「盥(互い)に見交わす鴨(顔)と鴨(顔)」。
実に馬鹿馬鹿しくっていいじゃあありませんか。天下太平の江戸の町が目に浮かぶようです。
ハリー・ライムなら「江戸三百年の平和が生んだのは、たかだか地口絵さ」と言ってせせら笑うところでしょうが、小生は好きですね、こういうの(鳩時計は嫌いだけど)。
でも昔の人にとってはこれがネオンキラキラだったんだろうなぁ。
それにしても、昔からオヤジギャグって寒っぶぅぅぅぅぅい(^w^)
余り良くないからでしょうね。
本当は、もっと小さな行灯で
文字もなく(絵柄から読み解くのもご趣向)、
お稲荷さんの朱色の鳥居に映えて
なかなかオツなものなんですけどね。
では、また。