ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

ドラマ「スシ王子!」

2007年07月28日 | ドラマ
わ~い始まりました「スシ王子!」
中丸くん、連続ドラマの初レギュラーです

それにしても、このテンションは、なんなんだぁ~
唐手の道は寿司の道
ウオノメ症候群で超人ハルク
夏のドラマは、あんまり考えないで見ればいいのかぁ

中丸くんの鉢巻、幅が広すぎじゃないですか?
ビジュアル的に、ちょっと…
光一くんって、やっぱり王子様の雰囲気がありますね。
中丸くんも重要な役どころみたいですね 

こらから毎週、中丸くんに会えるのね~
これから、どんなふうにお話が展開するのか楽しみです~




何のために勉強するのか

2007年07月24日 | いろんなこと
「何のために勉強するのか」その意味を考えてみると、
「何のために生きるのか」というところに行きつくのですが…。

しかし、勉強嫌いの受験生を持つ親としては、子どもの意欲を引き出すために、
説得力のある理由を示したいわけです。
メディアでは「格差社会」や「ワーキングプア」などの問題が報じられていますが、
この世は格差社会で偏差値と将来の収入には少なからず相関関係があるなんて、
そんな考え方は間違っているような気もしますし…。
勉強する理由が上の階層に上るためだけなら、勉強させられる子どもは辛いでしょう。
塾に通うための費用の負担も大きくて、子どもたちが受験産業に飲み込まれてしまっているように感じます。
だからといって、受験勉強が嫌なら他の生き方を探せと言えるほどの価値観を示せないのが、大人として情けないです。
将来の夢とか、やりたいことがあるのなら、それを目標に勉強しようという気にもなるのでしょうが、私が子どもだった頃も将来の夢なんて特に思い浮かびませんでしたし…。
もし、うちの子が勉強に主体的に取り組む子なら、私もこんなことは考えずにいたかもしれません。
子どもは親の思いどおりにはならないものだと悟ることができればいいのでしょうが…。
私が苦しいのは、こんな狭い価値観に縛られているからでしょう…。
大人になったにもかかわらず「何のために勉強するのか」という宿題を突きつけられている気分です。
今年の夏休みは、暑い毎日になりそうです。




『鈍感力』

2007年07月14日 | 読書
この本のタイトルを見たとき、なんだか違和感を感じました。

でも、読んでもいないものをとやかく言うことはできないので、
購入して拝読させていただきました。

そして、読み終わりましたが、違和感は解消されませんでした。

五感などの感覚器官が鋭すぎるのはマイナスだが、
それを鈍くする方法は無いと、著者は言っています。
それと同じで、精神的な面でも、神経質さやナイーブさは個性であり、
そんな人が鈍感になるのは無理だと思いますが…。
寛容さや母親の愛情までをも鈍感力と言うのは、いささかこじつけではないかと…。

医学的知識に基づいた、女性は男性より鈍感で強いという考察など、
興味深い内容もありました。
男と女は同じ生きものではないとまで言われると驚きますが、
男性の視点から見た女性観は、私が実感している感覚とは違っていて、
男性からはそんな風に見えるのかと感心しました。

そして最も感心したのは、この本に『鈍感力』というタイトルを付けた、
そのネーミングの上手さです。
この本が売れているのは、自分は傷つきやすくて、もっと鈍感になりたいと思っている人が多いということなのかしら…。
でも、この本の中には、傷つきやすい人の苦しみが楽になるための方法は書かれていないような気がします。
それとも、私の読解力が鈍感なのかしら…。
こんなことを言っている私も、気づかないところで他人を傷つけているかもしれないですし…。
人は他人の痛みには鈍感ですからね。









映画「サン・ジャックへの道」の感想

2007年07月06日 | 映画
重い荷物を背負って徒歩で2ヶ月も旅をするなんてイヤだ~
と、ぐうたらな私は思ってしまうのですが、
それが遺産相続の条件ならば仕方が無いということで、
仲の悪い3人の兄姉弟が一緒に巡礼の旅をするというお話。

自分の荷物は自分で背負い、どんなに疲れても上り坂がきつくても、ひたすら自分の足で歩き続ける。
それは、まさに人生そのものなわけで…。
生きていくのに本当に必要な物はそう多くはないってことで、途中でいらない物を捨てて荷物を軽くしたら、生きていくのも楽になるってことなのかしら…。
そして、旅をするにも人生を生きるにも仲間は大切ってことなんでしょうね。
最初は喧嘩ばかりしていた兄姉弟が、一緒に旅をするうちに心が通じ合って、支え合うようになるのは、物語のお約束ですが…。

長い旅の間に、移り変わる風景がとても美しいです。
でも最初のころは、3人の不平不満の会話が山盛りで字幕を追うのに忙しく、風景を見る余裕がありませんでした。
でも、3人の気持ちに余裕が生まれてくるにつれて、こちらも、ゆったりした気分になって、広大な自然や美しい風景を楽しむことができるようになりました。
そして、世界遺産の建物や街並の美しさを見ていると、こちらも一緒に旅をしているような気分が味わえます。

それにしても、広大な自然の中にいても、携帯電話は手放せないのね…。
巡礼の旅の最中なのに、携帯電話で日常の生活と繋がったままっていうのはどうなのかしら…。
携帯電話で交わされる、せせこましい会話がなんだか滑稽ですが、それが日々の生活であり人生であり、しがらみなんだと身につまされたり…。

あと、個人の内面が幻想的な夢の世界で表現されるのですが、それがあまりにも芸術的すぎて???


目的地にたどり着いた達成感は、見ているだけではあまり感じられませんでした。
やっぱり、自分の足で歩かなくちゃね…。
人生は修業だ~!