ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

ぼくのパパとママ

2010年11月09日 | ぼくは猫じゃない(小説)
ぼくのママはとても心配性だ。どれくらい心配性かっていうと、ぼくがママのお腹の中に来るよりも前から、ママは次に生まれてくる子はニュータイプだってことを予感して不安になっていたくらいだ。
だからぼくが生まれて、ニュータイプだってことをお医者さんから聞かされたとき、ママは自分が考えていたことがそのまま現実になったような不思議な気持ちになったんだ。
そしてママは、それまで知らなかった世界をこれから知ることを想像して、とても怖くなった。「この子が20歳まで生きられる可能性は50パーセントです」ってお医者さんに言われて、パパにも言わなかったけど「死んでくれたら…」って悪魔みたいなことを思ったほどママは怖かったんだ。
とつぜん「しょうがいじ」の親というマイノリティー(少数派)になってしまったママは同じ立場の人と話がしたいと思ったけど、ママの知り合いには「しょうがいじ」の親は一人もいなかった。
でも、すぐそばに同じ立場の人はいたんだ。それはパパだった。
パパもぼくが突然変異のニュータイプだと聞かされて、ママと同じようにショックをうけたと思うけど、二人はお互いの気持ちを口にすることも慰めあうこともしなかった。
パパとママは同じ言語で話しているのに、なぜかママの言葉はパパに通じないことがあって「なにを言っているのかわからない」と言われることがときどきある。
まだ小さかったお姉ちゃんの前で泣くわけにはいかないので、ママは夜になると布団をかぶって声を出さないで泣いているときがあった。
でも今はママは元気になった。かわいそうな人と思われたらイヤだとママは思っていたけど、ママが思っていたほど大人は態度に表したりしないし、他人のことより自分のことでみんな精一杯みたいだ。
だけどパパとママは仲がわるいわけじゃない。けんかをしたことも一度もない。ぼくの進路のことについて話し合ったり、その日の天気について話したりなんかしている。
ママはパパよりもアイドルを愛しているみたいだけど、先日テレビを見ているときに「あなたは妻に愛されている実感がありますか」と聞かれて、パパは自信たっぷりに「ある!」と即答していた。でも、その後ろで驚いているママの顔をぼくは見のがさなかった。
夫婦って不思議だ。そして一生結婚できないらしいぼくには、夫婦のなぞがわかることはないだろう。