ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

私はラジオ

2010年10月25日 | いろんなこと
昨日の読売新聞のサイエンス欄に、こんな記事がありました。

『電子や陽子は、「波」と「粒子」の両方の性質を備えている。ところが人間が観測してその粒子の位置が決まると、波としての性質は失われる。この奇妙な事実を証明する理論の一つが、無数の世界が同時に存在しているとする「多世界解釈」だ。我々自身も実は多数の世界にまたがる「波」だが、誰かに観測された瞬間に、「一つの世界の一人の人間に」になるという。』


何のこっちゃ~、さっぱりわからん…。

それで私なりにいろいろと妄想してみたのですが、私たちはラジオみたいなものなのかなって…。
私たちの周りには多くの電波という「波」があるらしいのですが、ラジオで特定の周波数を観測した瞬間にその波は特定の誰かの声や音楽として認識されるのと同じようなことなのかなと…。
観測者がいて認識されることによってのみ、なにかは「ある」ということになるのでしょうか。
だから自分と周波数が近い人や物を好きになるのかな(蛇足ですが)。

その記事の横には多世界解釈に関する3冊の本が紹介されているので、それを読めばわかるらしいです。
でも、たとえどんなに物理学や宇宙論で説明されたとしても、私には自分の馬鹿げた妄想のほうが腑に落ちるというか感覚に合うような気がするので、私的にはこの解釈でよしとすることにします。

映画「シングルマン」の感想

2010年10月07日 | 映画
とても美しくて、とても感覚的な映画でした。
映像によってここまで感覚を表現することができるなんて驚きました。
風景も住居もファッションも、そのすべてが美しく、言葉も洗練されていて、素晴らしい描写でした。
そして、そのなかでも特筆すべき美しさは、登場人物達のビジュアルです。
もし、彼らのビジュアルが私の好みじゃなかったり、あるいは逆にレズの映画だったとしたら、私の場合はここまで感情移入ができなかったと思います。
実際、私が観た回の観客は全員が女性でしたし、次の回の上映を待っていたお客さんも全員が女性でした。
私は同性愛に偏見を持っているつもりはありませんが、ゲイの恋愛が崇高だと感じてしまうこと自体が偏見もしくは錯覚なのでしょうか。
彼らの見た目の美しさも“感覚”を表現するためには必要な要素なのだと思います。
そして、これもまた特筆すべきは、彼らの他者の孤独を理解する能力です。
ゲイの人達は、少数派ゆえの不安からなのか、ただ見つめ合っただけで他人の孤独を理解する才能があるのでしょうか。
わかってしまうからこそ、その痛みを癒して救ってあげたいと思うのでしょうか。
ある写真の上にバンドエイドを置くシーンがあるのですが、その描写の素晴らしさと感覚には魂が震えました。
そのあまりの美しさと切なさに、これこそ究極の恋愛だと感じました。




(いつものことですが特に今回の感想に関しては“言いたいことが伝わっていない恐怖”があるので、コメント欄は閉じさせていただきます。)