ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

SNSを始めてみて感じたこと

2018年08月23日 | いろんなこと
「新しい地図」の3人がSNSでの活動を始めたので、応援するために私もSNSを始めてみました。
YouTubeでは草彅くんにチャンネル登録をして、Insutagramで香取くんの写真に「いいね」をして、
投稿しないのにFacebookのアカウントも作りました。もちろん、吾郎さんのブログも読んでいます。
SNSは情報が早くて、「いいね」などで応援の気持ちを伝えられるので、繋がっている感じがしますね。
応援している人の数が数字で示されると、応援にも力が入ります。。
フォローの数や「いいね」の数が人気の証明になって、彼らの活動の機会が増えればいいなと思います。
ファンの方達の応援のコメントにも心が温まります。

でも最近、SNSは楽しいだけの場所ではないと感じるようになりました。

数ヶ月前、テレビで見てファンになった政治家のTwitterに応援のコメントをしたら、そのコメントがリツイートされました。
コメントがリツイートされるなんて予想も覚悟もしていなかったので、Twitterの仕組みをあらためて思い知らされました。。
こっそり下駄箱に入れた手紙が学校の掲示板に貼り出されたくらいに動揺しました。
しかも、そのリツイートに「反日」とコメントされて、衝撃を受けました。
その直後に、タブレット端末に充電できなくなって、再起動したら充電できるようになりましたが、ロックがかからなくなって、なんだか気味が悪いです。
念のため、タブレット端末のカメラとマイクは塞いであります。


政治家のTwitterのコメント欄を読むと、あまりにも誹謗中傷が多くて、とても不快な気持ちになります。
悪意のあるコメントは善意の10倍くらい破壊力がある感じがします。あまりにも失礼で無作法です。
そのような誹謗中傷に萎縮してるのか、大多数であると思いたい心ある方達は、コメントするのを控えているような気がします。
メディアでは報じられていないこともTwitterで知ることが多くて、もしかしたらマスコミも萎縮しているのかなとか、
もう何が本当のことなのかわからなくなります。

大統領も首相も自らTwitterで発信する時代ですから、Twitterを始めたら政治に無関心でいられなくなるのは必然なのでしょうか。
アイドルやミュージシャンと同じように、ファンになった方がたまたま政治家だっただけなのに…。
もう、政治に無関心だった頃には戻れないのですね。今のこの状況は、政治に無関心だった私にも責任があるのでしょう。
そして、この社会を良くしようという志を持って実名で闘っている人たちが叩かれているのを、見て見ぬふりをしているのは卑怯な気がします。

私も少し勇気を出して、匿名(別名のアカウント)で申し訳ないですが、応援の気持ちを伝えてみようかなと思っています。

ブログに書けないこともある

2017年07月27日 | いろんなこと
2年ほど前、息子が通所施設の3階の窓から転落した。
「自殺しようとしたんでしょうか」と警察にきかれて、「そんな知恵は、ありません」と答えたら、
「何ですか、それ?」と言われた。
世の中には、その立場になってみないとわからないような、自分の理解の範囲を超えたこともあるのだ。
そして息子の入院生活は2か月以上におよんだ。
その間、ICUと精神科の病棟で私が感じたことをブログに書くことは、他方面への影響を考えて控えるとして、
最も辛かったのは自分の心の闇の部分と向き合わされたことだ。
普段は善人ぶっていても、極限の状況におかれたとき、その人の本性がわかるのだと思った。

今は息子は後遺症も無く、すっかり元どおりになって、「おちていい?」とふざけて(?)言っている。

どん底だった私のメンタルも回復してきたようで、
また映画や音楽の感想などをブログに書いてみようかなと思っている。


リアルロールプレイング

2011年05月25日 | いろんなこと
「あの日」から、空を見上げてもトキメキを感じられない。いつも草くんと繋がっている感じがしていたのに、今は交信が不通になってしまったみたいに。
それまで感じていた精神世界がなんだか空虚に感じられて、現実世界に100パーセントどっぷりと囚われている感じがする。
でも「ひとつになろう」と言うまでもなく、私たちはみんな「ひとつ」なんだと思う。
もともと私たちはドロドロのひとつの塊だった。それが冷えて地球ができたので、今でも地球の内部は流動している。
すべてのものは地球というひとつの塊から生まれ、すべての物語はそのステージの上で進行している。
これが小説や映画なら、困難があるほど物語は盛り上がり、そこに感動と喜びを見つけることもできるのだろう。
この世界は物語から生まれるエネルギーによって成り立っているのかもしれない。
そして承諾したわけでもないのに私はその物語に登場し、私にできることといえば自分の持ち場で役割に専念することだけだ。
そして「あの日」から物語は次のステージに進んだようだ。
もし精神世界があるのなら、いつかその場所にもどって草くんとひとつになれるかもしれない。
でも今は、現実世界で精一杯に生きるべき時なのだろう。誰かを救うこともできない私だとしても、今は自分の持ち場で役割に専念しよう。すべては繋がっているのだから。

宇宙はどこにあるの?

2011年03月11日 | いろんなこと
子どもの頃(たぶん幼稚園生くらいの頃だとおもう)、母に「宇宙ってどこにあるの?」と聞いたら、母は驚いた顔をして「ここが宇宙なんだよ」と窓の外を指して言った。
窓から見える庭は宇宙のイメージとは違っていて、私は不思議な気分になった。
今、息子に「宇宙って、どこ?」と聞いてみると、息子は空を指さす。
教えたわけでもないのに、わかっているみたいだ。
今日は、母の命日。

私はラジオ

2010年10月25日 | いろんなこと
昨日の読売新聞のサイエンス欄に、こんな記事がありました。

『電子や陽子は、「波」と「粒子」の両方の性質を備えている。ところが人間が観測してその粒子の位置が決まると、波としての性質は失われる。この奇妙な事実を証明する理論の一つが、無数の世界が同時に存在しているとする「多世界解釈」だ。我々自身も実は多数の世界にまたがる「波」だが、誰かに観測された瞬間に、「一つの世界の一人の人間に」になるという。』


何のこっちゃ~、さっぱりわからん…。

それで私なりにいろいろと妄想してみたのですが、私たちはラジオみたいなものなのかなって…。
私たちの周りには多くの電波という「波」があるらしいのですが、ラジオで特定の周波数を観測した瞬間にその波は特定の誰かの声や音楽として認識されるのと同じようなことなのかなと…。
観測者がいて認識されることによってのみ、なにかは「ある」ということになるのでしょうか。
だから自分と周波数が近い人や物を好きになるのかな(蛇足ですが)。

その記事の横には多世界解釈に関する3冊の本が紹介されているので、それを読めばわかるらしいです。
でも、たとえどんなに物理学や宇宙論で説明されたとしても、私には自分の馬鹿げた妄想のほうが腑に落ちるというか感覚に合うような気がするので、私的にはこの解釈でよしとすることにします。

母と娘

2010年04月08日 | いろんなこと
「母ったら、四十過ぎた私を今でも支配しようとするのよ」と友人がぼやいた。
私の母も、そうだった。すべてのことに干渉してきて、母の思い通りの行動を私にさせようとした。
でも、私は母が嫌いではなかった。面倒なことはすべて母が決めてくれたし、結婚するまで自分の下着の洗濯まで母にやってもらっていた。
学生時代は親元を離れて生活していたこともあったが、いつも親の視線を感じている気がして、親の許可が得られないようなことはしてはいけないと思っていた。
そして私は母の友人が紹介してくれた相手とお見合いをして結婚した。
結婚してからも、母は私の一番の相談相手だった。母は、たまに私の家に遊びに来ると家具の配置まで変えたりした。
大人になってからも精神的に母に依存していた私は、母が亡くなったとき「これから私は生きていけるのだろうか」と思ったほどだ。
それと同時に私を監視する人は誰もいなくなった。私は自分のやりたいようにやっていいんだ。
母が亡くなってから12年。私は、ちゃんと生きてきた。自分一人で何かを決めるのは苦しいこともあるけれど、それが大人になるということだ。
今は母にもう一度会いたいとは思わないし、母との優しい思い出もあったはずなのに思い出せない。

でも最近、母のことをよく考えるようになった。それは私が高校生の娘との関係に悩んでいるからだ。
その昔、ある人が「娘は私の作品です」とおっしゃったと聞いたことがあるが、私にはこの心理がまったく理解できない。もしそうなら、私の育て方が悪かったということか。
私も母と同じように、娘にガミガミ言ってばかりで干渉し過ぎている。
私がそうだったように、娘は私のことを口うるさいけど面倒なことはすべてやってくれる都合のいい家政婦くらいにしか思っていないだろう。
自分が育てられたようにしか育てられないものだ。恐ろしい。
人が人を育てるのは、この世で最も重要で難しい仕事だと思う。それは自分の子どもがいなくても同じだと思う。どんな立場でも、大人は後輩を育てなければならない。
娘は私とは正反対の性格なので、親の思い通りになるような子じゃない。
今の孫娘の様子を見たら、「しっかりしなさい」と母は私のことを怒るだろう。
「でも、今の時代は携帯電話っていう秘密兵器があるし、貞節なんて言葉は死語なのよ」と母に言いたい。
この年になって春の嵐に巻き込まれるなんて、人生でやり残した課題を突きつけられている気分だ。
そして私は恋愛をしたことが無いので自分の経験が役に立たない。

先月、母の十三回忌の法要をした。母の遺影は私の結婚式のときに撮った写真だ。
その写真の感慨と安堵と寂しさが入り交じったような少し誇らしげな笑顔を見ると、娘の結婚式は母親にとって卒業式みたいなものかもしれないと思う。
私にもそんな日が来るのだろうか。

母が亡くなる前に最後に私に言った言葉は「元気でね」だった。
そうだ、元気でいよう。いつでも、どんなときでも。



ビューティフルワールド

2010年03月04日 | いろんなこと
子どもの頃は卒業式で泣いたことなんてなかった。冷めた目で周りを見ながら、自分は感受性にどこか問題があるんじゃないかと思ったほどだ。
それが大人になった今では、我が子が卒業するわけでもないのに、卒業ソングを聴いただけで涙があふれてしまう。
卒業ソングの歌詞に描かれている世界観。希望を持って未来を信じ、友達を信じ、この世界を信じ、なによりも人間を信じている。
特別支援学級の子ども達を前にして、校長先生の「この子たちは大丈夫です」という根拠のない断言にさえ涙が出てしまう。
声を合わせて歌う子ども達の無邪気な笑顔を見ていると「この子たちに幸あれ」と祈らずにはいられない。
卒業ソングに描かれている理想の世界は確かにここにあるはずだ。誰もがそう願っているからこそ歌はあるのだとおもう。

ダークマターって何だ?

2010年02月23日 | いろんなこと
ちょっと古い記事ですが、1月17日の読売新聞のサイエンス欄に暗黒物質(ダークマター)についての記事が載っていて、それによると、この暗黒物質は宇宙全体の質量の23パーセントを占めているのに、その正体が不明で見えない物質だそうです。
私たちの体などを作っている原子などの物質は宇宙全体の質量の4パーセントにすぎないと知って驚いてしまいました。
それで、その見えない物質を検出するためのプロジェクトが始まっているようです。
いつも漠然と疑問に感じていることなのですが、人間は五感で感じることができない世界を知ることができるのでしょうか。
この世界は人間の感覚器官によって受け取られた情報によって脳内に作られた世界であって、そもそも感覚器官がなければ光も音も臭いも存在せず、この宇宙も人間の脳内にしか存在しない世界のような気がしているんです。
もしかしたら自分のすぐ近くに感じることはできないけれど別次元の世界が存在しているかもしれないような気がします。
暗黒物質が見えないのは他の粒子とほとんど衝突したり反応したりしないからだそうですが、単独ではその存在が証明できないという点においても、やはり何かが存在するためには、それを受け取る存在が必要だということでしょうか。
自分を知るには他者との関わりが必要なことも、なんだかこれに通じるように思えます。
そして、それ以上に驚いたのが、残りの73パーセントを占めているのが正体不明の暗黒エネルギーとされていることです。
暗黒エネルギーってなんですか?神様の意思エネルギーですか?(妄想しすぎ?)
そもそも何で「暗黒」なんですか?イメージ暗いです。どうせならレインボーパワーとか呼んでください。73パーセントなんですから…。
なんだか自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、このへんでやめておきます。
物理学の専門家の方は「何言ってるんだ、このおばさん」とお思いでしょうが、スルーしてください。




食品売り場が嫌いな主婦

2010年02月09日 | いろんなこと
スーパーの食品売り場が嫌いなんです。
その一番の理由は、私は料理をするのが嫌いだからです。毎日ちゃんと料理をしていますし、栄養士の資格を持っているので栄養のバランスには自信がありますが、作る料理はシンプルなものが多いです。そもそも食べることにあまり興味がないので、創作意欲が出ません。グルメ番組を見せられても、食べてみたいと思わないんです。
でも毎日、私はスーパーに行きます。食料品の確保は生命維持の根幹です。
命がけで狩をしたり自分の手で田畑を耕したりしなくても食べ物が手に入るなんて、自分の働き以上の楽な生活をしているような気がします。もし物流がストップしたら…なんて考えただけで恐ろしいです。
スーパーには色々な食品がたくさんあって、来ているお客さんも様々です。そこから、様々な人達の嗜好や生活の様子が感じられて、その営みのパワーには圧倒されそうになります。スーパーに行くたびにエネルギーを消耗させられたように感じてしまいます。
エンドレスで流れてくる販売促進のための変な曲が耳についてイライラさせられます。
分量と金額を比較してどちらの商品がお買い得かとか、あとどのくらい買えば割引クーポンがもらえそうだとか、そんなことに頭を使うのも嫌なんです。レジでお金を払うときにも流れに乗れなくて焦ってしまいます。
10台のレジがフル稼働で行列を飲み込んでいく様子を眺めていると、こんなに大勢の人間がこんなに大量に消費して、飲み食いして、排泄しているのかと思うと、いつか下水が溢れ出すんじゃないかと不安になってきます。
でも夜になって、マンション群の窓に灯る明かりを眺めていると、みんな頑張って生きているんだろうな…って愛おしく思えたりもするんです。




ガラパゴス化する携帯電話

2010年02月02日 | いろんなこと
娘の携帯電話は2年前に買ったものですが、いろいろな機能が付いていています。
そのなかで音楽を携帯電話に何十曲も入れられるのは知っていましたが、つい最近知って驚いたのは、携帯電話からFM電波を出してその音楽を近くにあるラジオで聴くことができることです。
カーラジオから娘のお気に入りの曲が高音質で流れてきて、びっくりしてしまいました。
それで、この機能の使い道が他にもないかな…と、渋滞中の車内で考えてみました。
たとえば、恋人の好きな曲を数曲とその間に愛の告白を録音しておいて、恋人が遊びに来たときに、こっそり携帯電話から電波を飛ばすとか。BGMを聴いているつもりの恋人は、突然、自分への愛の告白がラジオから流れてきたら感動するかも?
その他にも、推理小説のトリックや陰謀に使えそうなのも思いつきましたが、悪用されたら困るので内緒にしておきます。

それにしても、電波って不思議すぎます…。目に見えないし人間の耳には聞こえないのに、ラジオやテレビを媒介すると聞こえるし見えるんですよ…。いったいこれはどういうことなんでしょう…。
もちろん、ちゃんと調べて勉強すれば納得のいく理由はあるんでしょうけど、たとえどんな説明をされても私には信じられません。
もしかしたら、他にも私たちには聞こえない見えない世界があるんじゃないかって思ってしまいます。
パソコンの横に挿してあるこんな細い線からも、こんなに大きな画面の情報が一瞬にして世界中から届くなんて、とても信じられません。
なんだか騙されているような気さえしてきます。全部うそなんじゃないかって…。