ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

映画「第9地区」の感想

2010年04月19日 | 映画
なんとも不思議な光景です。頭上の空に停止したまま浮かんでいる巨大な宇宙船。
高度な科学技術の象徴である宇宙船を見るとワクワクしますが、その真下の地上には汚いスラム街が広がっているのです。
そのスラム街にはエビが巨大化したような大量の宇宙人が難民として隔離されていて、このエビ星人達はスラム街でゴミをあさって暮らしていたりして、見た目も醜悪です。
そして、その状態が20年以上も続いているのです。

そんなスラム街を一掃するため、エビ星人達を別のキャンプ地に移住させる役目を負わされた主人公。
そしてこの主人公は、SF映画の主人公には似つかわしくないほど普通の凡人です。
しかし彼が凡人だからこそ、奇想天外な設定であるにもかかわらず、この映画にはリアリティがあって、主人公がまるで自分であるかのように感じることができました。
彼は私と同じように、汚くて粗暴なエビ星人を嫌悪し、エビ星人の卵や幼虫(?)を焼き払ったりもします。

しかしエビ星人達にしてみれば、宇宙船が難破したうえに隔離されて劣悪な環境に置かれたのは災難なことですし、街がスラム化したのは彼らの責任ばかりではありません。
しかし、相手の立場になって想像することは難しいことです。
そんなに想像力がないならと、不本意ながら身をもって相手の立場を思い知らされていくことになる主人公の姿に、監督の骨太の批判精神が感じられました。

この作品はSF映画のようでありながら、実はかなり風刺の効いた社会派ドラマです。
醜い宇宙人達の姿よりも強烈なのが、人間達の非人道的で暴力的な欲望です。
もちろんSF映画らしい高度な科学技術を使った武器や乗り物での戦闘シーンもあってテンションは上がりますが、その戦闘シーンが繰り広げられる場所は埃が舞い上がりそうな土の上です。
宇宙船が泊まっているのは大都会ではなくて汚いスラム街。その光景のギャップが何かを象徴しているようで、使われている音楽も土の匂いが感じられる民族音楽のような曲で、とにかくドラマにリアリティがありました。

それにしても、人間はどうしてここまで相手の立場になって考えることができない生き物なのでしょう。
私たちの身代わりになって相手の立場を教えてくれた主人公は可哀想ですが、主人公が追い詰められていくうちに、たまっていた怒りが爆発したように反撃するシーンにはテンションが上がりました。

そしてラストショットでは、エビ星人が可愛く見えてしまいました。













母と娘

2010年04月08日 | いろんなこと
「母ったら、四十過ぎた私を今でも支配しようとするのよ」と友人がぼやいた。
私の母も、そうだった。すべてのことに干渉してきて、母の思い通りの行動を私にさせようとした。
でも、私は母が嫌いではなかった。面倒なことはすべて母が決めてくれたし、結婚するまで自分の下着の洗濯まで母にやってもらっていた。
学生時代は親元を離れて生活していたこともあったが、いつも親の視線を感じている気がして、親の許可が得られないようなことはしてはいけないと思っていた。
そして私は母の友人が紹介してくれた相手とお見合いをして結婚した。
結婚してからも、母は私の一番の相談相手だった。母は、たまに私の家に遊びに来ると家具の配置まで変えたりした。
大人になってからも精神的に母に依存していた私は、母が亡くなったとき「これから私は生きていけるのだろうか」と思ったほどだ。
それと同時に私を監視する人は誰もいなくなった。私は自分のやりたいようにやっていいんだ。
母が亡くなってから12年。私は、ちゃんと生きてきた。自分一人で何かを決めるのは苦しいこともあるけれど、それが大人になるということだ。
今は母にもう一度会いたいとは思わないし、母との優しい思い出もあったはずなのに思い出せない。

でも最近、母のことをよく考えるようになった。それは私が高校生の娘との関係に悩んでいるからだ。
その昔、ある人が「娘は私の作品です」とおっしゃったと聞いたことがあるが、私にはこの心理がまったく理解できない。もしそうなら、私の育て方が悪かったということか。
私も母と同じように、娘にガミガミ言ってばかりで干渉し過ぎている。
私がそうだったように、娘は私のことを口うるさいけど面倒なことはすべてやってくれる都合のいい家政婦くらいにしか思っていないだろう。
自分が育てられたようにしか育てられないものだ。恐ろしい。
人が人を育てるのは、この世で最も重要で難しい仕事だと思う。それは自分の子どもがいなくても同じだと思う。どんな立場でも、大人は後輩を育てなければならない。
娘は私とは正反対の性格なので、親の思い通りになるような子じゃない。
今の孫娘の様子を見たら、「しっかりしなさい」と母は私のことを怒るだろう。
「でも、今の時代は携帯電話っていう秘密兵器があるし、貞節なんて言葉は死語なのよ」と母に言いたい。
この年になって春の嵐に巻き込まれるなんて、人生でやり残した課題を突きつけられている気分だ。
そして私は恋愛をしたことが無いので自分の経験が役に立たない。

先月、母の十三回忌の法要をした。母の遺影は私の結婚式のときに撮った写真だ。
その写真の感慨と安堵と寂しさが入り交じったような少し誇らしげな笑顔を見ると、娘の結婚式は母親にとって卒業式みたいなものかもしれないと思う。
私にもそんな日が来るのだろうか。

母が亡くなる前に最後に私に言った言葉は「元気でね」だった。
そうだ、元気でいよう。いつでも、どんなときでも。