今度こそ、新しい時代へ!  井上ちあきblog

待ちつづける政治から 挑戦しつづける政治へ!

まちを楽しくするコミュニティーデザイン②

2011-09-08 | Weblog
先日の続きを・・・・

非常に重要な視点だと思ったのことは、人口減少の中で地縁型コミュニティー

が減少、霧散していること。

つまり、以前にはあった町ごとの婦人会は解散したり、活動が縮小し

市全体とのしての活動ができなくなってしまった。

子供会はあるものの、その会員数が激減。消防団しかり。むかしは青年団活動が

大変盛んだったようだ。

つまり、公共空間を活用するコミュニティーが減少してしまった。

結果、まさに地域力自体の減退につながっている。

今年にはいって自然災害が相次いでいるが、1995年以来注目されいてる

コミュニティの力、地域力を活性化させるためには

市民活動、NPO、そのた産、学などの新たなコミュニティーと

以前からの地縁型コミュニティーがMIXされて公共空間を利用活性化する

主体とならなければならない。

当たり前の話しではあるが、その公共空間をもつ行政、そしてその地域の住民に

そんな視点でNPO・市民活動・企業・学校などを受けいれているだろうか?



14集落2300人 しかない島根県隠岐郡海士町での総合計画を

まさに(形式ではなく)住民主体で作成した様子は印象的。

「まちづくり」という単語を聞けば、いつも同じ顔ぶれが

会議に集まる・・・集められる?

従来からのネイティブな住民、外からやってきた住民、Uターンで戻ってきた

住民。これらの心情的なわだかまりを絶妙にコーディネートされていた。

このお話で重要だったのは。

①島に暮らす人にとっての「幸せ」とは何か?「目指すもの」とは何か?

こうした主観的な視点は、都会のそれと異なるものだったこと。

実はそれが本当の自治なんだろう。



②住民間のわだかまりをつなぐ、「よそ者の行司役」の存在。

加西市では、何かとよそ者を警戒し、敬遠するむきがないだろうか?

地域のことをわかっていない。ということがあるが、

実は、地域のことを見えていないのは、中にいる私たちなのかもしれない。



③現実に人口が減少していくことは総論として確実。

となったとき、その集落の将来をどうするのか?

本当に考えなくてはならなくなります。

この③で重要なことは、その集落ごとに客観的なデータ(高齢化率や少子化の状況、病院までの距離などなど)を数値化すると同時に、主観的なデータ

つまり、地域をこれからその住民自体が維持していく気持ちがどの程度あるのか?

こうしたデータを、集落ごとに整理していく作業から、きめ細かくスタートしているところ

実は、こうした研究は兵庫県の研究所で行われ、本来であれば

兵庫県内の集落を対象にデータ収集を行うことが提言されていたらしいのです。

残念ながら、兵庫県ではなんだかうやむやになってしまったようですが。



山崎氏もお話されていましたが、日本での自殺者が3万人

実は不審死は18万人 この中にも自殺された方があると推測されます。


これからの市町村というよりも、もっと身近な集落、町で考えたならば

高齢者だけが孤立するような末路にしてはなりません。

そのためにも、コミュニティーを活性化し、時代にあった

人のつながり、絆をつないでいく視点をもっていなければならないのですね。


思いつくまま推敲もせず、時間がないまま書き殴りましたので

わかりにくくてごめんなさい。




取り戻せ!ふるさと加西の未来


井上ちあき



おまけ、ツイッターにも書きましたが、与党内での増税論議が本格的にはじまりました。

否定はしません(日銀の国債引受けの話もありますが)

しかし、総理は、やることをしっかりやって、それでもどうしても仕方がないときは

国民にお願いすることもある。との趣旨の発言をされていたと記憶しています。

つまり、行財政改革を徹底的にやってそれでも足りないときは増税やむなしと

いうことだったんではないのだろうか?

やることやる前に、なったらすぐ増税論議とはどうか?その議論と両輪で

やること徹底的にやってもらいたい。。。。と思うのは私だけではないはず。

根本的には、国-県-市町村の構造、権限、財源のあり方に手をつけなければ

いつまでたっても何にもかわらない。そして国民の生活は少しも安定しない

ということではないだろうか?