河豚(フグ)を食べる
飲食は生存のためであるが、ある種の美味は、食べると大いに命を失う可能性がある。皆さんご存じのように、この食べ物は河豚(フグ)である。
河豚の毒の恐ろしさは、それが生まれながらの劇毒であることで、或いは、一匹の太鼓のように丸くふくらんだ(“圓鼓鼓”)河豚は、丸々一瓶の高濃度青酸カリに相当すると言われる。河豚の毒性は、主に河豚毒素(tetrodo toxin)が引き起こし、それはシアン化合物の二百七十五倍の毒性を持つ。しかも、これは熱に強い毒素であり、たとえ一度煮沸しても、破壊することはできない。河豚の毒素の作用メカニズムは、神経細胞のナトリウム・イオンの伝搬を抑制し、さらに神経細胞を麻痺させ、人を死に至らしめる。
台湾では、河豚を食べたことによる中毒症例の平均死亡率は59%に達する。 河豚の全身は一部の筋肉を除き、その皮、卵巣、肝臓、腸には皆劇毒を含み、特に卵巣と肝臓はそれが甚だしい。日本の文献の記載によれば、この強力な神経麻痺毒素の人に対する最小致死量は10,000Mμ/gである。以前、台中市の一人の市民が河豚の干物を買いおやつにしたところ、食べると舌がしびれる感じがしたので、家の猫と犬に食べさせると、猫はにゃあと鳴いてその場で吐き出し、犬も七転八倒(死蹺蹺si3qiao1qiao1)した。事件後調べたところ、このきれいに処理されていなかった河豚の干物には河豚毒525 Mμ/gが含まれていた。
三月初めのある週末、私は靖江市(河豚の産地として有名)のとあるレストランに座り、河豚が食卓に上るのを待っていた。レストランの支配人が私に話したところでは、たとえ最も経験のある河豚料理師でも、手元が狂うことがあるとのことである。当地に以前一人のベテランの調理師がおり、ある日、河豚を処理した後、普段と同様自分でも徹底した洗浄と消毒をしてから、食事をし、自分の小指で歯の食べかすをほじくろうとしたところ、意外にもその場で非業の死を遂げた(“死于非命”)。実は、河豚の卵が一粒、指の爪の隙間に隠れていたのである。
TV番組《X事件簿》(X档案)の《祈祷師の復讐》(巫毒的復讐)で、ハイチの河豚の毒が出てくる。ハイチの祈祷師は先ず一匹そのままの河豚を陽に晒して干し、その後それを挽いて粉にし、更に滑石、七彩砂、及び染料等を混ぜて、見た目には塗料に見えるようなものを作る。この回の《X事件簿》の中で、兵士の麦亜平は車を運転し、樹にぶつかってから俄かに死んだが、樹が兵士を殺したのではなく、ハイチの祈祷師が“河豚毒顔料”を使って、樹の幹に死亡図案を描いたのである。
水中の毒の携帯者
河豚の毒の色々な説明や記載は、しばしば聞くものをぞっとさせる(“毛骨悚然”mao2gu3song3ran2)が、実際は、河豚の毒素は生まれつきそれで人間に危害を加えるためのものではない。 河豚の毒は命に関わるが、決して河豚の自衛武器ではなく、いつでも使える通常兵器ですらない。河豚の腹には膨張嚢があり、ゴムのように伸び縮みすることができ、空気か水を吸い込むとふくらんで大きくなるので、別名“吹気魚”という。広東人が俗に“鶏泡魚”と呼ぶのも同様の意味である。河豚は水中で敵に出会い攻撃されると、腹の中に大量の空気か水を吸い込み、体を直ちに倍に膨らませ、大きな球のようになり、敵が軽々しく攻撃してこないようにする。自衛の他、この「自分の腹を大きくする」能力は、河豚がえさを探す助けになる。河豚は砂の中で食物を探す前に、先ず水を吸い込んで腹を大きく膨らませ、その後、腹の中の水を一気に噴き出し、砂の下に隠れている貝類を露出させる。この他、“刺河豚”(「ハリセンボン」のこと)の体にびっしり生えている(“密密麻麻”)棘は、それで相手を刺すのに使うのではなく、一種の“義眼”(假眼)の機能を備えた保護色であり、作用は敵をびっくりさせるためである。
したがって、河豚は毒はあっても、自分が毒を吸うこともなければ毒を相手に売りつけることもなく、毒の量は充分でも毒を隠し持つ、或いは毒を携帯しているだけであり、生存のための能力(“本事”)は、多くはこの“威嚇”に頼っている。
河豚の劇毒は、自分を死に到らしめることはなく、このことは、とどろく雷のようないびきをかく人が半径十メートル以内の熟睡している人をびっくりして目覚めさせるが、自分自身はどんなに騒々しくても目覚めることがないのと同様、奇妙なことだ。日本の東北大学農学部の専門家が、以前、分子の角度から河豚毒が河豚自身に無害である原因を解明したことがある。研究者は河豚の筋肉の表面収容体の遺伝子の分析を行ったところ、河豚の筋肉の細胞構造は人類と異なり、その中のアミノ酸の種類と形状も人類と異なり、河豚のこれらアミノ酸は河豚の毒素と結合しないことを発見した。
毒は美味しい
欧陽文忠公は梅聖兪《河豚詩》を記して曰く、“春州は荻の芽を生み、春岸に楊花飛ぶ”と。これは河豚が暮春に現れることを言っているが、河豚の中国で最もよい産地は、長江中下流域の江蘇でなければ他にどこがあるのか(“非長江中下遊地区的江蘇莫属”)。《明・嘉靖江陰県志》は河豚に対する専門の記録で、汪曽祺先生は小説《金冬心》の中ですばらしい料理のことを書いているが、その中に「新たに江陰より運んだ河豚」がある――三月初めのある晩、河豚を食べるのに最も良い時期、すなわち当地の人の言う“黄明節”――清明節の後の数日、よりは多少早いが、いずれにせよ私は靖江の、とある灯火の煌々とした酒楼の上にいる。
河豚は先にテーブルに持って来られ、間違いなくこの魚であることを確かめられた(“験明正身”)が、この魚、お腹は丸々と太り(“圓滾滾”)、口は小さく尖り、鱗が無く、皮膚の上にはいろいろな模様があり、たいへんかわいらしく、毒があることを少しも感じさせない。“紅焼”(しょうゆ煮込み)が当地の料理人の最も得意とする調理方法である。河豚の肉は、食べてみると果たして一般の魚肉とは異なり、新しく柔らかく(“鮮嫩”)、蟹の肉のような質感がある。この他、河豚は肋骨に妨げられず、腹部の皮膚が生前いつも空気を充満させる訓練をしていたので、十分にたるんでおり、たいへん美味しい。しかし、河豚の皮には一層のびっしり生えた小さな棘があり、じっくり噛み砕くことができず、飲み込んでしまわないといけない。飲み込む前に、皮の棘のある面を内側に巻き込まないといけないが、ラバーの面を逆にした卓球のラケットのようである。
“西施の乳”と称される河豚の膵臓(すいぞう)は、全身で最もすばらしい部分だと言われているが、その日果たして賞味したのかどうかはっきりしない。一つには人が多く、二つには食べるにつれ、あの底に敷かれた野菜に魅了されたからである。河豚の油は十分に豊かで脂っこくて美味しく、新鮮な野菜が魚の下に敷かれて煮込まれていると、その美味しいことといったら他に比べようがない(“不可方物”)。
コックと支配人が相前後してやって来て人々の眼の前で自ら味見をしたが、河豚の肉は食べるとやはりちょっとピリピリとしびれる感じがし(“麻酥酥”)、皆をどきどきさせた(“提心吊胆”)――実際のところ、もしこのちょっとドキドキさせるところが無かったら、河豚の美味しさはかなり割り引かれてしまうだろう。
石湖居士・範成大は《河豚嘆》の一詩を世に残した。
“彭亨強名魚,殺気孕惨黷,既非養生具,宜将砧几酷。呉儂真差事,綱索不遺盲。捐生決下箸,縮手汗童僕。朝来里中子,饞吻不得熟。濃睡喚不応,已落新鬼録。百年三寸咽,水陸富肴蔌。一物不登俎,未負将軍腹。為口忘記身,饕死何足哭。”
( 腹のふくれた(膨亨peng2heng1)強くて名高い魚、甚だしい殺気を孕んでいる。養生の気持ちを持たないなら、砧(きぬた)の上で激しく打ってやるがよい。私は出来が悪いものだから、後に残すようなりっぱなことばも無い。命を投げ出し箸をつけようと決めたが、手がすくんで冷や汗が横にいる召使の小僧にまで飛んだ。料理に向かい、鍋の中のものを見る。口が卑しいので、十分火が通るのを待っていられない。私が深い眠りについて呼んでも応えないなら、新たに物故者の名簿に仲間入りしたのだ。百年かかっても食べられるものはたかが知れているが、世の中には海の幸、山の幸が豊富にある。一物が俎上に上らなくとも、将軍が腹を切らされるようなことはない。口福のため我が身のことを忘れたら、食いしん坊が死んだとて誰も泣いてはくれないよ。)
範成大は蘇州の人で、河豚の問題に最も警世を発する資格を持っていた。梅堯臣も《戒食河豚》と題した五言詩を書いたが、事実上、歴代の河豚を食すること勿れと勧める詩を書いた者は皆、品行方正な人物(“正人君子”)であった。一方、河豚の美味しさを大いに賞賛した歌を書いたのは、蘇東坡のたぐいの生半可な(“半吊子”)聖人君子であった。聞くところによれば、蘇東坡には調理に詳しいが河豚の煮方は知らない友人がおり、蘇東坡に河豚の美味しさを味あわせるため、あわてて仏の足にすがりつくように(“抱佛脚”苦しいときの神頼み)人に教えを請い、家で河豚の宴席を開いたが、その後、家人といっしょに屏風の後ろに隠れ、蘇東坡の様子を観察した。蘇東坡は河豚を味わった後、溜息をついて言った。「一死の値打ちがある(ほど美味しい)。」
私もよく免許を取ったばかりの友人が自分で運転する車に乗ると、自分の体を助手席の座席の上にびくびくしながら縛り付けるけれども、蘇東坡のこの勇気はつまるところ食い意地から出ているのか、それとも義理堅い(“講義気”)のか、なお議論する余地がある。実際、少しもいいかげんなところのない(“一絲不苟”)厳格な処理をすれば、河豚の毒はそれほど恐ろしいものではなく、また中国人が食べる川の河豚の毒性は日本人が食べる海の河豚のように高くはない。古代、もし本当に河豚である人を毒殺しようと思ったら、その人物に“河豚膾”(河豚の膾(なます))、つまり日本人が食べる刺身を食べさせればよかった。なぜならこうすると最も毒性が高いからである。しかし、聞くところによると、“河豚膾”は河豚の最も美味しい食べ方で、“紅肌白理,軽可吹起,薄如蝉翼,入口氷融”(紅を注したような身に白い筋目が映え、軽きこと吹けば飛ぶようで、薄きこと蝉の羽のよう、口に入れると氷のように融ける)と賞賛される。
江蘇の河豚の調理法は、第一が“紅焼”(しょうゆ煮込み)、第二が“焼湯”(スープ)、第三が餃子にする(“包餃子”)やり方である。数年前、“胶東”(山東)の某市のあるレストランが、衛生部の許可を取り、“河豚全席”を売り出した。それには、清燉(醤油を使わず、塩味だけで煮込んだもの)、清蒸(蒸籠蒸し)、紅焼、椒塩(山椒塩で味付けした炒め物)、刺身、等が含まれていた。実際、中国古代、少なくとも宋代以前は、河豚はやはり生食を第一としていた。
死亡遊戯
日本人は縄文時代から河豚を好んで食べていたが、彼らが食べるのは海に棲息する(“棲生于海”)河豚である。河豚に毒があることは誰でも知っており、命がけでこれを食べる(“拼死食之”)ことは、たやすいことではない。この他、河豚を好む日本人の胸元にはもう一つ別の“勇”の字がある――すなわち忌み嫌わないだけでなく、河豚の毒とそこから発散される死のにおいを大げさに表現することである。例えば、日本のレストランの河豚の刺身は、たいてい皿の上に菊の花の模様に並べられるが、菊の花は日本の葬礼の花である。
日本の政府当局は河豚の調理師に厳格な規定を設け、全ての河豚の加工者は資格証書を持たねばならない。しかし、《五感の自然史》の著者Ackermanは言う。日本で、「最も尊敬されている河豚料理の料理人は、食事をする者に直接毒素に接触する感覚を残すことができる……食事をする者の唇にしびれるような感覚を持たせるが、本当に殺してしまうほどではない。」
Ackermanは彼女の本の中でこう書いている。「指の隙間に入るくらいの量の河豚の毒素で一家全員を殺してしまうに十分である。軽度の河豚の毒素も量を過ごすと被害者の神経を麻痺させ、硬直死体のようになる。被害者は意識はあるが、身動きができない(“動弾不得”)。たまたま、河豚による中毒により生きながら葬られる人は、最後の一瞬にそれが自分の葬儀であり、すぐに埋葬されてしまうと気付く。彼らが命がけで出してくれと叫び、まだ生きていたいと表現しようとしても、彼らは動くことができないのである。」それゆえ、死者が河豚で作った料理を食べた後で死んだ場合、その葬儀は通常数日遅らせて挙行される――死者が目覚めて生き返るかもしれないから。極上のトラフグを豊富に扱う大阪では、河豚は別名“北枕”と呼ばれる。これは当地の風俗で、人が死ぬと死骸は頭を北にして安置するからである。
聞くところによれば、2000年から、江蘇・浙江・上海一帯で微毒、更には無毒の河豚の人工の試験養殖が始まったそうである。河豚の愛好者にとって、このことは良いニュースか悪いニュースか、私にはわからない――もし私たちが、どうしてある人は短時間の窒息状態でエクスタシーに達することができるかを理解できるなら。
しかし、江蘇の水産卸売市場で、500グラムの天然の河豚は設定価格が人民元1500元に達しており、大阪では、下関卸売価格2万8千円のトラフグが業者の手を経て東京まで流れると、キロ当たり5千円に値が跳ね上がる。このような状況は、正に台湾の女性作家・劉黎兒が言っている次のことばの通りである。河豚を食べるのは恐ろしい、「命が惜しいというより、お金が惜しいというほうが当たっている。」(“与其説是惜命,不如説是惜金”)
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
飲食は生存のためであるが、ある種の美味は、食べると大いに命を失う可能性がある。皆さんご存じのように、この食べ物は河豚(フグ)である。
河豚の毒の恐ろしさは、それが生まれながらの劇毒であることで、或いは、一匹の太鼓のように丸くふくらんだ(“圓鼓鼓”)河豚は、丸々一瓶の高濃度青酸カリに相当すると言われる。河豚の毒性は、主に河豚毒素(tetrodo toxin)が引き起こし、それはシアン化合物の二百七十五倍の毒性を持つ。しかも、これは熱に強い毒素であり、たとえ一度煮沸しても、破壊することはできない。河豚の毒素の作用メカニズムは、神経細胞のナトリウム・イオンの伝搬を抑制し、さらに神経細胞を麻痺させ、人を死に至らしめる。
台湾では、河豚を食べたことによる中毒症例の平均死亡率は59%に達する。 河豚の全身は一部の筋肉を除き、その皮、卵巣、肝臓、腸には皆劇毒を含み、特に卵巣と肝臓はそれが甚だしい。日本の文献の記載によれば、この強力な神経麻痺毒素の人に対する最小致死量は10,000Mμ/gである。以前、台中市の一人の市民が河豚の干物を買いおやつにしたところ、食べると舌がしびれる感じがしたので、家の猫と犬に食べさせると、猫はにゃあと鳴いてその場で吐き出し、犬も七転八倒(死蹺蹺si3qiao1qiao1)した。事件後調べたところ、このきれいに処理されていなかった河豚の干物には河豚毒525 Mμ/gが含まれていた。
三月初めのある週末、私は靖江市(河豚の産地として有名)のとあるレストランに座り、河豚が食卓に上るのを待っていた。レストランの支配人が私に話したところでは、たとえ最も経験のある河豚料理師でも、手元が狂うことがあるとのことである。当地に以前一人のベテランの調理師がおり、ある日、河豚を処理した後、普段と同様自分でも徹底した洗浄と消毒をしてから、食事をし、自分の小指で歯の食べかすをほじくろうとしたところ、意外にもその場で非業の死を遂げた(“死于非命”)。実は、河豚の卵が一粒、指の爪の隙間に隠れていたのである。
TV番組《X事件簿》(X档案)の《祈祷師の復讐》(巫毒的復讐)で、ハイチの河豚の毒が出てくる。ハイチの祈祷師は先ず一匹そのままの河豚を陽に晒して干し、その後それを挽いて粉にし、更に滑石、七彩砂、及び染料等を混ぜて、見た目には塗料に見えるようなものを作る。この回の《X事件簿》の中で、兵士の麦亜平は車を運転し、樹にぶつかってから俄かに死んだが、樹が兵士を殺したのではなく、ハイチの祈祷師が“河豚毒顔料”を使って、樹の幹に死亡図案を描いたのである。
水中の毒の携帯者
河豚の毒の色々な説明や記載は、しばしば聞くものをぞっとさせる(“毛骨悚然”mao2gu3song3ran2)が、実際は、河豚の毒素は生まれつきそれで人間に危害を加えるためのものではない。 河豚の毒は命に関わるが、決して河豚の自衛武器ではなく、いつでも使える通常兵器ですらない。河豚の腹には膨張嚢があり、ゴムのように伸び縮みすることができ、空気か水を吸い込むとふくらんで大きくなるので、別名“吹気魚”という。広東人が俗に“鶏泡魚”と呼ぶのも同様の意味である。河豚は水中で敵に出会い攻撃されると、腹の中に大量の空気か水を吸い込み、体を直ちに倍に膨らませ、大きな球のようになり、敵が軽々しく攻撃してこないようにする。自衛の他、この「自分の腹を大きくする」能力は、河豚がえさを探す助けになる。河豚は砂の中で食物を探す前に、先ず水を吸い込んで腹を大きく膨らませ、その後、腹の中の水を一気に噴き出し、砂の下に隠れている貝類を露出させる。この他、“刺河豚”(「ハリセンボン」のこと)の体にびっしり生えている(“密密麻麻”)棘は、それで相手を刺すのに使うのではなく、一種の“義眼”(假眼)の機能を備えた保護色であり、作用は敵をびっくりさせるためである。
したがって、河豚は毒はあっても、自分が毒を吸うこともなければ毒を相手に売りつけることもなく、毒の量は充分でも毒を隠し持つ、或いは毒を携帯しているだけであり、生存のための能力(“本事”)は、多くはこの“威嚇”に頼っている。
河豚の劇毒は、自分を死に到らしめることはなく、このことは、とどろく雷のようないびきをかく人が半径十メートル以内の熟睡している人をびっくりして目覚めさせるが、自分自身はどんなに騒々しくても目覚めることがないのと同様、奇妙なことだ。日本の東北大学農学部の専門家が、以前、分子の角度から河豚毒が河豚自身に無害である原因を解明したことがある。研究者は河豚の筋肉の表面収容体の遺伝子の分析を行ったところ、河豚の筋肉の細胞構造は人類と異なり、その中のアミノ酸の種類と形状も人類と異なり、河豚のこれらアミノ酸は河豚の毒素と結合しないことを発見した。
毒は美味しい
欧陽文忠公は梅聖兪《河豚詩》を記して曰く、“春州は荻の芽を生み、春岸に楊花飛ぶ”と。これは河豚が暮春に現れることを言っているが、河豚の中国で最もよい産地は、長江中下流域の江蘇でなければ他にどこがあるのか(“非長江中下遊地区的江蘇莫属”)。《明・嘉靖江陰県志》は河豚に対する専門の記録で、汪曽祺先生は小説《金冬心》の中ですばらしい料理のことを書いているが、その中に「新たに江陰より運んだ河豚」がある――三月初めのある晩、河豚を食べるのに最も良い時期、すなわち当地の人の言う“黄明節”――清明節の後の数日、よりは多少早いが、いずれにせよ私は靖江の、とある灯火の煌々とした酒楼の上にいる。
河豚は先にテーブルに持って来られ、間違いなくこの魚であることを確かめられた(“験明正身”)が、この魚、お腹は丸々と太り(“圓滾滾”)、口は小さく尖り、鱗が無く、皮膚の上にはいろいろな模様があり、たいへんかわいらしく、毒があることを少しも感じさせない。“紅焼”(しょうゆ煮込み)が当地の料理人の最も得意とする調理方法である。河豚の肉は、食べてみると果たして一般の魚肉とは異なり、新しく柔らかく(“鮮嫩”)、蟹の肉のような質感がある。この他、河豚は肋骨に妨げられず、腹部の皮膚が生前いつも空気を充満させる訓練をしていたので、十分にたるんでおり、たいへん美味しい。しかし、河豚の皮には一層のびっしり生えた小さな棘があり、じっくり噛み砕くことができず、飲み込んでしまわないといけない。飲み込む前に、皮の棘のある面を内側に巻き込まないといけないが、ラバーの面を逆にした卓球のラケットのようである。
“西施の乳”と称される河豚の膵臓(すいぞう)は、全身で最もすばらしい部分だと言われているが、その日果たして賞味したのかどうかはっきりしない。一つには人が多く、二つには食べるにつれ、あの底に敷かれた野菜に魅了されたからである。河豚の油は十分に豊かで脂っこくて美味しく、新鮮な野菜が魚の下に敷かれて煮込まれていると、その美味しいことといったら他に比べようがない(“不可方物”)。
コックと支配人が相前後してやって来て人々の眼の前で自ら味見をしたが、河豚の肉は食べるとやはりちょっとピリピリとしびれる感じがし(“麻酥酥”)、皆をどきどきさせた(“提心吊胆”)――実際のところ、もしこのちょっとドキドキさせるところが無かったら、河豚の美味しさはかなり割り引かれてしまうだろう。
石湖居士・範成大は《河豚嘆》の一詩を世に残した。
“彭亨強名魚,殺気孕惨黷,既非養生具,宜将砧几酷。呉儂真差事,綱索不遺盲。捐生決下箸,縮手汗童僕。朝来里中子,饞吻不得熟。濃睡喚不応,已落新鬼録。百年三寸咽,水陸富肴蔌。一物不登俎,未負将軍腹。為口忘記身,饕死何足哭。”
( 腹のふくれた(膨亨peng2heng1)強くて名高い魚、甚だしい殺気を孕んでいる。養生の気持ちを持たないなら、砧(きぬた)の上で激しく打ってやるがよい。私は出来が悪いものだから、後に残すようなりっぱなことばも無い。命を投げ出し箸をつけようと決めたが、手がすくんで冷や汗が横にいる召使の小僧にまで飛んだ。料理に向かい、鍋の中のものを見る。口が卑しいので、十分火が通るのを待っていられない。私が深い眠りについて呼んでも応えないなら、新たに物故者の名簿に仲間入りしたのだ。百年かかっても食べられるものはたかが知れているが、世の中には海の幸、山の幸が豊富にある。一物が俎上に上らなくとも、将軍が腹を切らされるようなことはない。口福のため我が身のことを忘れたら、食いしん坊が死んだとて誰も泣いてはくれないよ。)
範成大は蘇州の人で、河豚の問題に最も警世を発する資格を持っていた。梅堯臣も《戒食河豚》と題した五言詩を書いたが、事実上、歴代の河豚を食すること勿れと勧める詩を書いた者は皆、品行方正な人物(“正人君子”)であった。一方、河豚の美味しさを大いに賞賛した歌を書いたのは、蘇東坡のたぐいの生半可な(“半吊子”)聖人君子であった。聞くところによれば、蘇東坡には調理に詳しいが河豚の煮方は知らない友人がおり、蘇東坡に河豚の美味しさを味あわせるため、あわてて仏の足にすがりつくように(“抱佛脚”苦しいときの神頼み)人に教えを請い、家で河豚の宴席を開いたが、その後、家人といっしょに屏風の後ろに隠れ、蘇東坡の様子を観察した。蘇東坡は河豚を味わった後、溜息をついて言った。「一死の値打ちがある(ほど美味しい)。」
私もよく免許を取ったばかりの友人が自分で運転する車に乗ると、自分の体を助手席の座席の上にびくびくしながら縛り付けるけれども、蘇東坡のこの勇気はつまるところ食い意地から出ているのか、それとも義理堅い(“講義気”)のか、なお議論する余地がある。実際、少しもいいかげんなところのない(“一絲不苟”)厳格な処理をすれば、河豚の毒はそれほど恐ろしいものではなく、また中国人が食べる川の河豚の毒性は日本人が食べる海の河豚のように高くはない。古代、もし本当に河豚である人を毒殺しようと思ったら、その人物に“河豚膾”(河豚の膾(なます))、つまり日本人が食べる刺身を食べさせればよかった。なぜならこうすると最も毒性が高いからである。しかし、聞くところによると、“河豚膾”は河豚の最も美味しい食べ方で、“紅肌白理,軽可吹起,薄如蝉翼,入口氷融”(紅を注したような身に白い筋目が映え、軽きこと吹けば飛ぶようで、薄きこと蝉の羽のよう、口に入れると氷のように融ける)と賞賛される。
江蘇の河豚の調理法は、第一が“紅焼”(しょうゆ煮込み)、第二が“焼湯”(スープ)、第三が餃子にする(“包餃子”)やり方である。数年前、“胶東”(山東)の某市のあるレストランが、衛生部の許可を取り、“河豚全席”を売り出した。それには、清燉(醤油を使わず、塩味だけで煮込んだもの)、清蒸(蒸籠蒸し)、紅焼、椒塩(山椒塩で味付けした炒め物)、刺身、等が含まれていた。実際、中国古代、少なくとも宋代以前は、河豚はやはり生食を第一としていた。
死亡遊戯
日本人は縄文時代から河豚を好んで食べていたが、彼らが食べるのは海に棲息する(“棲生于海”)河豚である。河豚に毒があることは誰でも知っており、命がけでこれを食べる(“拼死食之”)ことは、たやすいことではない。この他、河豚を好む日本人の胸元にはもう一つ別の“勇”の字がある――すなわち忌み嫌わないだけでなく、河豚の毒とそこから発散される死のにおいを大げさに表現することである。例えば、日本のレストランの河豚の刺身は、たいてい皿の上に菊の花の模様に並べられるが、菊の花は日本の葬礼の花である。
日本の政府当局は河豚の調理師に厳格な規定を設け、全ての河豚の加工者は資格証書を持たねばならない。しかし、《五感の自然史》の著者Ackermanは言う。日本で、「最も尊敬されている河豚料理の料理人は、食事をする者に直接毒素に接触する感覚を残すことができる……食事をする者の唇にしびれるような感覚を持たせるが、本当に殺してしまうほどではない。」
Ackermanは彼女の本の中でこう書いている。「指の隙間に入るくらいの量の河豚の毒素で一家全員を殺してしまうに十分である。軽度の河豚の毒素も量を過ごすと被害者の神経を麻痺させ、硬直死体のようになる。被害者は意識はあるが、身動きができない(“動弾不得”)。たまたま、河豚による中毒により生きながら葬られる人は、最後の一瞬にそれが自分の葬儀であり、すぐに埋葬されてしまうと気付く。彼らが命がけで出してくれと叫び、まだ生きていたいと表現しようとしても、彼らは動くことができないのである。」それゆえ、死者が河豚で作った料理を食べた後で死んだ場合、その葬儀は通常数日遅らせて挙行される――死者が目覚めて生き返るかもしれないから。極上のトラフグを豊富に扱う大阪では、河豚は別名“北枕”と呼ばれる。これは当地の風俗で、人が死ぬと死骸は頭を北にして安置するからである。
聞くところによれば、2000年から、江蘇・浙江・上海一帯で微毒、更には無毒の河豚の人工の試験養殖が始まったそうである。河豚の愛好者にとって、このことは良いニュースか悪いニュースか、私にはわからない――もし私たちが、どうしてある人は短時間の窒息状態でエクスタシーに達することができるかを理解できるなら。
しかし、江蘇の水産卸売市場で、500グラムの天然の河豚は設定価格が人民元1500元に達しており、大阪では、下関卸売価格2万8千円のトラフグが業者の手を経て東京まで流れると、キロ当たり5千円に値が跳ね上がる。このような状況は、正に台湾の女性作家・劉黎兒が言っている次のことばの通りである。河豚を食べるのは恐ろしい、「命が惜しいというより、お金が惜しいというほうが当たっている。」(“与其説是惜命,不如説是惜金”)
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳