臭いは美味しい(“臭美”)
夏丐尊先生が以前言っていたが、上海の街角の各種の物売りの声の中で、臭豆腐売りの呼び声が聞いた感じが最も良い。というのは、“説真方、売假薬”(処方は正しいが、偽の薬を売る),“掛羊頭、売狗肉的”(羊頭を掲げ、狗肉を売る)のように、しばしば“香”を歌い文句に、実際は臭いものを売っている。しかし臭豆腐売りは意外にも大衆を欺いておらず、言行一致、名実相伴い(“名副其実”)、世人を欺かず(“不欺世”)、名誉を盗んでいない(“不盗名”)。この呼び声は、あたかも不合理な社会に憤り、その悪い習慣に憎しみを持つ(“憤世嫉俗”)激越な風刺のようである。
不合理な社会に憤り、悪い習慣に憎しみを持つ部分を除いて、臭豆腐はつまるところ臭いのか良い香りなのかは、食べることの相矛盾する論理である。豆腐は既に臭く、ちょうど「“白馬”は“馬”ではない」かの如く、豆腐の普遍性は既に失われ、したがってそれは確かに、また必ず“臭”を以ってその唯一の存在理由となっている。街の屋台の臭豆腐売りは、いつも「臭くなければお金はいらない」と言って自らの商売の信用を明確にしている。論証ここに到って、この話を一段落させ、これ以上論争せず置くこともできるが、“臭”を追う男たちが意外な問題を引き起こし(“横生枝節”)、彼らは異口同音にこう指摘する。“臭”は臭豆腐に対する一面の認識に過ぎず、“臭”は嗅覚で、“虚”である。而して食べて口に入れれば芳しく(“香”)、これは味覚であり、“実”であると。
“香” 、“臭”は元々定まったものではなく、食物として、私たちが関心あるのは主に美味しいかどうかである。臭豆腐の美味は、匂いにのみあるのではなく、また香りにのみあるのでもなく、“香” と“臭”が形作る高度な対比であり、このような対比がもたらす強烈な刺激である。臭豆腐の反対者は言う、食事の時にこれが傍にあると、「トイレの中に食卓を並べた」ようだと。このような情景は、「閨房に母ザルが入り込んだ」(“綉房里鑽出大馬猴”)のと、明らかに共通の美学的特徴を備えている。臭豆腐の揚げ物(“油炸臭豆腐”)は“南臭”の代表で、加工から食に供するまで、一つ一つの過程、一つ一つの細かい点がこのような“対比”に満ちていないところがない。先ず、屋台の上野まだ揚げていない臭豆腐は、一個一個の色が暗い淡色で、且つ緑色のカビの斑点があり、ムードは頗る頽廃的である。一度揚げ油の鍋に入れると、ぐるぐる回り浮いたり沈んだりし、何度か浮き沈みをした後、遂には全体が黄金色になり、腐ったような状態は一掃され、猛烈に発奮する。これも臭豆腐の一生の中の光輝く瞬間であり、天を貫く臭気が、ひとしきり鼻孔に注ぎ込まれ、まっしぐらに肺腑に突っ込み、熱いうちに食すると、濃厚な香りが口いっぱいに広がり、歯や頬に香りが留まる。質感的には、衣の外皮が歯で切り裂かれて後、舌の先が触れるのは、意外にも想像以上にきめが細かく、柔らかくつるつるした……Surprise!拍手を送ろう。
“北臭”の主、“王致和”はその座を他に譲らない(“当仁不譲”)。比較すると、“南臭”は熱烈豪胆で、山を押しのけ海を覆し(“排山倒海”)、においがぷんぷんしている。“北臭”は内向で温和、魂を奪われ骨を蝕まれ、匂いもいつまでも続いて消えず、南北の文化と個性はちょうど正反対で、これまた対照的である。この他、私は王家の臭豆腐乳は味や形態の上でチーズに最も近く、とりわけイギリスのStilton、フランスのValencayに近いと思う。もし臭豆腐の揚げ物に塗るのに使う辣椒醤、甜麺醤の類を、“王致和”の臭豆腐乳醤に変え、南北の臭臭連合を実行したなら、臭味が互いに合わさり、“西臭”(西洋のチーズなど臭い食品)は私に追い越されたと結論づけるだろう。汪曽祺先生はこう書いている。「私がアメリカで食べたことのある最も臭い“チーズ”(“気死”の字を当てている。発音はqi4si3で“チーズ”に近いが、“たいへん腹を立てる”の意味。ちなみにチーズの中国語は“干酪”)は、西洋人は何度か匂いを嗅いで鼻をつまんでしまうが、私に言わしてもらえばどうということはなく、臭豆腐(乳)と比べると全然臭くない。」“王致和”の刺激は、先ずマントウの薄切り(“饅頭片”)(或いは窩頭、貼餅子)を少量の油でこんがり焼き(“煎”)(ラード(“板油”)を用いると、香りが濃厚になって宜しい)、炸饅頭片(揚げたマントウの薄切り)は熱くなければならず、臭豆腐乳は冷たくなければならず、その後、パンにバターを塗るように満遍なくこれに塗り、更に刻みネギを散らし、口を大きく開けて、あの固いのと柔らかいのが共に揃い、冷たさと熱さを兼ね備えた、悲喜こもごも集まった芳しい臭さが大団円を迎える。もし冷たく、柔らかいマントウにはさんで食べたら、娯楽性は必ずや大いに差し引かれる。《美女と野獣》も《美女と美女》や《野獣と野獣》になってしまう。
文革後期、一部の「批判して打倒され鼻つまみ者とされた」(“批倒批臭”)知識分子が登用され、しかも人々は役に立つと感じた。これにより「九番目の鼻つまみ者」(“臭老九”)は臭豆腐のように、「匂いを嗅ぐと臭いが、食べてみるとおいしい」という言い方が流行した。人の境遇は時にはこのように自分では把握できない。《浮生六記》の中の芸娘は、私たちは先ず彼女が「感情がこまやかで人を引きつける様子、人としての願望も大きくない」、しかも「秋は人影の痩せるを侵し、霜に染まり菊花肥え」の句を吟じることができるに及んであれこれ思いをはせる(“心馳神往”)のであるが、更に読み進んで、彼女が「臭乳腐を食するを喜び」、あの二人が犬やふんころがし(“屎殻郎”)の糞を食ったり糞を丸めるといった諧謔的な議論を見るに及び、臭豆腐好きの読者は、多少興ざめしてしまうだろう。しかしこの文を終えるに当たり私たちも次のことを承認しなければならない。これまで読んできて、芸娘の形象はマルチメディア級に豊かになっており、彼女の言う「これは顔は醜いが心は美しいのと同じだ」ということが読まれ聞かれると同時に、匂いを嗅がれ、味わわれるのである。
【原文】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社2000年9月より翻訳
夏丐尊先生が以前言っていたが、上海の街角の各種の物売りの声の中で、臭豆腐売りの呼び声が聞いた感じが最も良い。というのは、“説真方、売假薬”(処方は正しいが、偽の薬を売る),“掛羊頭、売狗肉的”(羊頭を掲げ、狗肉を売る)のように、しばしば“香”を歌い文句に、実際は臭いものを売っている。しかし臭豆腐売りは意外にも大衆を欺いておらず、言行一致、名実相伴い(“名副其実”)、世人を欺かず(“不欺世”)、名誉を盗んでいない(“不盗名”)。この呼び声は、あたかも不合理な社会に憤り、その悪い習慣に憎しみを持つ(“憤世嫉俗”)激越な風刺のようである。
不合理な社会に憤り、悪い習慣に憎しみを持つ部分を除いて、臭豆腐はつまるところ臭いのか良い香りなのかは、食べることの相矛盾する論理である。豆腐は既に臭く、ちょうど「“白馬”は“馬”ではない」かの如く、豆腐の普遍性は既に失われ、したがってそれは確かに、また必ず“臭”を以ってその唯一の存在理由となっている。街の屋台の臭豆腐売りは、いつも「臭くなければお金はいらない」と言って自らの商売の信用を明確にしている。論証ここに到って、この話を一段落させ、これ以上論争せず置くこともできるが、“臭”を追う男たちが意外な問題を引き起こし(“横生枝節”)、彼らは異口同音にこう指摘する。“臭”は臭豆腐に対する一面の認識に過ぎず、“臭”は嗅覚で、“虚”である。而して食べて口に入れれば芳しく(“香”)、これは味覚であり、“実”であると。
“香” 、“臭”は元々定まったものではなく、食物として、私たちが関心あるのは主に美味しいかどうかである。臭豆腐の美味は、匂いにのみあるのではなく、また香りにのみあるのでもなく、“香” と“臭”が形作る高度な対比であり、このような対比がもたらす強烈な刺激である。臭豆腐の反対者は言う、食事の時にこれが傍にあると、「トイレの中に食卓を並べた」ようだと。このような情景は、「閨房に母ザルが入り込んだ」(“綉房里鑽出大馬猴”)のと、明らかに共通の美学的特徴を備えている。臭豆腐の揚げ物(“油炸臭豆腐”)は“南臭”の代表で、加工から食に供するまで、一つ一つの過程、一つ一つの細かい点がこのような“対比”に満ちていないところがない。先ず、屋台の上野まだ揚げていない臭豆腐は、一個一個の色が暗い淡色で、且つ緑色のカビの斑点があり、ムードは頗る頽廃的である。一度揚げ油の鍋に入れると、ぐるぐる回り浮いたり沈んだりし、何度か浮き沈みをした後、遂には全体が黄金色になり、腐ったような状態は一掃され、猛烈に発奮する。これも臭豆腐の一生の中の光輝く瞬間であり、天を貫く臭気が、ひとしきり鼻孔に注ぎ込まれ、まっしぐらに肺腑に突っ込み、熱いうちに食すると、濃厚な香りが口いっぱいに広がり、歯や頬に香りが留まる。質感的には、衣の外皮が歯で切り裂かれて後、舌の先が触れるのは、意外にも想像以上にきめが細かく、柔らかくつるつるした……Surprise!拍手を送ろう。
“北臭”の主、“王致和”はその座を他に譲らない(“当仁不譲”)。比較すると、“南臭”は熱烈豪胆で、山を押しのけ海を覆し(“排山倒海”)、においがぷんぷんしている。“北臭”は内向で温和、魂を奪われ骨を蝕まれ、匂いもいつまでも続いて消えず、南北の文化と個性はちょうど正反対で、これまた対照的である。この他、私は王家の臭豆腐乳は味や形態の上でチーズに最も近く、とりわけイギリスのStilton、フランスのValencayに近いと思う。もし臭豆腐の揚げ物に塗るのに使う辣椒醤、甜麺醤の類を、“王致和”の臭豆腐乳醤に変え、南北の臭臭連合を実行したなら、臭味が互いに合わさり、“西臭”(西洋のチーズなど臭い食品)は私に追い越されたと結論づけるだろう。汪曽祺先生はこう書いている。「私がアメリカで食べたことのある最も臭い“チーズ”(“気死”の字を当てている。発音はqi4si3で“チーズ”に近いが、“たいへん腹を立てる”の意味。ちなみにチーズの中国語は“干酪”)は、西洋人は何度か匂いを嗅いで鼻をつまんでしまうが、私に言わしてもらえばどうということはなく、臭豆腐(乳)と比べると全然臭くない。」“王致和”の刺激は、先ずマントウの薄切り(“饅頭片”)(或いは窩頭、貼餅子)を少量の油でこんがり焼き(“煎”)(ラード(“板油”)を用いると、香りが濃厚になって宜しい)、炸饅頭片(揚げたマントウの薄切り)は熱くなければならず、臭豆腐乳は冷たくなければならず、その後、パンにバターを塗るように満遍なくこれに塗り、更に刻みネギを散らし、口を大きく開けて、あの固いのと柔らかいのが共に揃い、冷たさと熱さを兼ね備えた、悲喜こもごも集まった芳しい臭さが大団円を迎える。もし冷たく、柔らかいマントウにはさんで食べたら、娯楽性は必ずや大いに差し引かれる。《美女と野獣》も《美女と美女》や《野獣と野獣》になってしまう。
文革後期、一部の「批判して打倒され鼻つまみ者とされた」(“批倒批臭”)知識分子が登用され、しかも人々は役に立つと感じた。これにより「九番目の鼻つまみ者」(“臭老九”)は臭豆腐のように、「匂いを嗅ぐと臭いが、食べてみるとおいしい」という言い方が流行した。人の境遇は時にはこのように自分では把握できない。《浮生六記》の中の芸娘は、私たちは先ず彼女が「感情がこまやかで人を引きつける様子、人としての願望も大きくない」、しかも「秋は人影の痩せるを侵し、霜に染まり菊花肥え」の句を吟じることができるに及んであれこれ思いをはせる(“心馳神往”)のであるが、更に読み進んで、彼女が「臭乳腐を食するを喜び」、あの二人が犬やふんころがし(“屎殻郎”)の糞を食ったり糞を丸めるといった諧謔的な議論を見るに及び、臭豆腐好きの読者は、多少興ざめしてしまうだろう。しかしこの文を終えるに当たり私たちも次のことを承認しなければならない。これまで読んできて、芸娘の形象はマルチメディア級に豊かになっており、彼女の言う「これは顔は醜いが心は美しいのと同じだ」ということが読まれ聞かれると同時に、匂いを嗅がれ、味わわれるのである。
【原文】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社2000年9月より翻訳